10.明かされる正体

 重苦しい沈黙がその場を満たす。


 アルバは探るようにケイティの顔をのぞき込む。

 しかし,そこには何とも言えない薄い表情があるだけで、心情を推し量ることはできない。


「ケイティ。魔獅子について、何か心当たりがあるか? なんならふたりきりで話してもいい」


 ケイティは一同をゆっくりと見渡した。

 そして、柔らかい笑みを浮かべて、深く息を吐く。


「いや、いい。ここにいる全員、なのだろう?」


 アルバは息を飲んだ。

 彼自身が自覚していなかった言葉の重みを、ケイティの笑顔が突き付けてくる。


 いつの間にか【鷹の目】に浸透していた『仲間の過去には干渉しない』という不文律。

 それが『身内』という言葉によって覆されようとしていた。


「……ああ、そうだ、ケイティ」


 だが、アルバはその一歩を踏み込む。


「魔獅子からの伝言だ。『復讐ふくしゅう者が戻った』『次はちゃんと殺してみせろ』、だそうだ」


 ケイティは言葉の意味が理解できないのか、石のように固まった。

 しばらくして、その肩が震えだす。


「ふ、ふは、ふはははははは!」


 ケイティが心底おかしそうに笑いだした。

 笑いすぎて涙目になっている。


「なんだ、そうか。そういうことか。この期におよんで、そうか。ふはははは!」


 皆、どう反応したものか戸惑い、ケイティが笑い終わるのを黙って見守る。


 ひとしきり笑ったケイティは、ずいぶんとスッキリした顔になっていた。


「すまん、驚かせた。アルバ殿は、いろいろと察しが付いているんじゃないか?」


 ケイティが期待を込めた目でアルバを見た。

 正解を知っている者が、ほかの人間に解答を急かすときに見せる表情だ。


「ケイティと魔獅子の因縁なら知らん」


 アルバはケイティに向かってきっぱりと言い切った。


「だが、魔獅子の正体なら、ひとつだけ心当たりがある。魔獅子からは神への恨みつらみを感じた。この街を襲う理由のひとつが『この街に神殿がある』からだそうだ。こうも言った。奴自身を『神がそのように造り給うた』とな」


 言葉をいったん切って、アルバは視線をモナへ移した。


「モナに聞きたいんだが、神話の中にたまにあるだろう? 神の怒りを買って獣に落とされる人間の話が。ああいったことは実際にありうるのか?」


「そうですね……神官が代行する神罰、天罰級の恩寵には人を獣に落とすものはありません。ですが仮に、ようなことがあれば、ありえない話ではありません」


 アルバはモナの答えに満足気にうなずき、ケイティに視線を戻す。


「そうだろうと思った。で、ギルドで聞いた話を思い出した」


 アルバの発言に対して、ケイティがにやりと笑う。


「神自らが神罰を下した稀有けうな例、だな?」


「ああ。魔獅子は、アーガスを北方出身だと見抜いた上で、殺しもせずに見逃した。なぜだ? 帝国出身者を殺したくなかったというなら、辻褄つじつまが合う。その上で、ケイティとも因縁があるとなれば、荒唐無稽こうとうむけいな推理ともいえないだろう?」


 アルバが答えを促すように、ケイティを見つめる。

 ケイティは目を伏せ、少し考えを整理する素振りを見せたあと、語りだす。


「落とされたのは普通の獅子で、魔獣ではなかった。だから吾もまさかとは思った。獅子の咆哮ほうこうを聞いたときから、嫌な予感はしていたがな。しかし、伝言からして間違いあるまい」


 ケイティは皆を見渡してから断言した。


「その魔獅子の正体は、吾の故郷、ティトロフ帝国の獅子帝エデュだ。そして神罰を下して奴を獣に落とした神は、吾と同じ赤い髪をもつ、今は亡きレウォト国の氏神【真紅の御髪おぐしまなこの女神】だ」


 その表情をひとつも見逃すまいと、アルバはケイティを見つめる。


「……つまり、あの伝言はその女神に向けたものだと? 奴は西門で魔狼と対決したケイティを見ていた。その上で、ケイティが人間ではない、とも言っていた」


『復讐者』『次はちゃんと』という魔獅子の言葉は、自分に罰を下した女神に対して向けられるべきものだ。

 その女神は真紅の髪を持つという。ケイティと同じ髪色だ。


「あきれたものだ。兵士に続いて魔獅子まで吾を『女神』呼ばわりか? うぬぼれてしまいそうだぞ。……いや待て、そうか」


 苦笑いを浮かべたケイティだが、不意に何かに思い当たり、目を伏せた。


「一国を滅ぼすまでに心酔した真紅が、神罰を通して復讐の標的へと変化したか。それならに落ちる。獣に落ちて血迷ったか」


 ひとり納得して、ケイティは視線を上げる。


「知っているか? 獅子帝は真紅の髪の乙女に狂わされ、彼女を手に入れるためにレウォト国を滅ぼした。有名な話だ。赤い髪は北方でもレウォトにしかいない。自慢じゃないが吾ほど鮮やかな紅はレウォトですら珍しい」


 ケイティが自分の髪を少しだけつまんでみせた。

 それが極めて特徴的な髪色であることは、万人が認めるところだろう。


「おそらく奴は、真紅の髪に対して見境がつかなくなっている。それで吾を女神と勘違いしたのだろう。しかし、これは使える。吾がおとりになろう。奴はいくらでも吾の後を追い回すだろうさ」


 不敵に笑い、ケイティは自ら囮役を名乗り出た。


 それまでケイティとアルバのやり取りを大人しく聞いていたラキアが、耐えかねたように口を挟む。


「ちょっと待ってよ。それじゃあ、その女神様のせいで、そんな厄介な魔獣が生まれたってこと?」


「ラキアさん、不敬ですよ」


 すかさずモナがラキアをたしなめた。


「だって!」


「ラキア殿、そう言ってくれるな。吾は氏子うじこではないが、血筋はレウォトだ。本来なら、その女神を敬う立場だ。女神も、まさかただの獣に落とした男が、魔獣になって魔法に目覚めるなどとは思うまい」


「確かに、普通の獣が途中から魔獣になることはない。俺は帝国の崩壊を招いた神罰をはた迷惑だと思っている。だから女神の肩をもつ気はさらさらないが、奴が特異な存在なのは間違いない」


 魔獣は濃い魔素にさらされた獣同士が交配して生まれる。

 逆に、魔素の薄い環境で長く生きた魔獣同士が交配すると普通の獣が生まれる。

 変化は常に交配の際に起こる。

 いったん獣に生まれたものが途中で魔獣になることも、その逆もありえない。


「ところで、ケイティがエデュの神罰について詳しかったのは、レウォトの血筋だからか?」


「? 何だ、やぶから棒に」


 アルバの問いに、ケイティが怪訝けげんな表情を浮かべた。


「いや実は、神学に疎いと思っていたケイティが、神罰についてモナより詳しかったことが引っかかっていた」


「ああ……いまさら隠すことでもない。吾の父は元レウォト国の騎士団長だ。エデュによって祖国を滅ぼされたレウォトの民は、深い恨みを抱えていた。そんな中でエデュに神罰が下った。レウォトの民の間では『氏神様が王族のかたきをとって下さった』という話で持ち切りになったよ」


「……なるほど、そういうことか」


「でな、吾としてはエデュを、魔獅子をちたい。ラキア殿の言うように、吾の祖国が発端なのは間違いない。家名は捨てたが責任は感じる。いや遺恨か、それとも因縁か。いずれにしろ、そういったものを精算したい。吾を囮にすれば、魔獅子を誘い出せる」


「奴の目的はこの街の破壊だ。いずれにしろ対決せざるを得ないさ。そうだろう?」


 アルバの言葉に皆がうなづく。


 街を見捨てるという選択肢は、失うものが多すぎて、はなから候補にすら上がらない。

 なにより【支配】の魔法が人間に効くようになる前に魔獅子を討つ必要がある。手遅れになれば、この国どころか全世界の危機だ。

 そして現状、魔獅子に対抗できる最大戦力は間違いなく【鷹の目】である。


「だが、魔獅子を誘い出せたとして、そのとき魔獣はどう動く? 魔獣の加勢は魔鹿まろく魔兎まとですら厄介やっかいだ。俺はそれで痛い目にあった」


 アルバはラキアに視線を向けた。

 魔法と魔術の違いはあれ、その手の知識はラキアの領分だ。


 ラキアは中空を見つめてブツブツとつぶやきながら、思考を巡らせる。


「言葉を伝えて従わせる魔法……でも、魔獣は言葉をしゃべらない。いえ、動物も鳴き声で簡単な意思疎通する。役割分担して狩りもする。合図と事象を結びつけることも、自己と他者の分離もできてる。言葉は概念の記号化。相手から概念を引き出して従わせる魔法? それなら遠隔での概念誘導は不可……」


 考えがまとまったのか、ラキアが皆に視線を戻す。


「その【支配】の魔法が常時発動ではなく、永続的な認識改変という仮定での話よ」


 そう前置き、皆が了承したのを確認して話を続ける。


「魔獅子を攻撃すれば、それに気づいた魔獣は無条件に加勢すると思うわ。それこそ、主の危機とばかりにね。ただし、魔獅子が『持ち場を離れるな』という命令を下していれば話は別。命令のほうが優先よ」


「なるほど。忠誠心が厚すぎて、融通が利かない人間と同じだな」


 ラキアの説明にケイティが納得する。


「それと、魔狼のときのように、魔獅子は咆哮ほうこうで簡単な命令は出せるはず。でもそれは魔法とは無関係。複雑な命令を下すときには、魔法の範囲内に近づく必要がある。複雑な概念のやり取りは、魔法でしかできないから」


「俺が宣戦布告の使者にされたあと、魔獅子の咆哮を聞いた。それ以降は魔獣どもは俺に見向きもしなくなった。あれも『こちらからは手を出すな』といった命令だったのだろうな」


「ふむ。つくづく軍隊と変わらんな。ラッパや太鼓たいこで多様な号令を発信でるが、作戦の詳細は顔を突き合わせて、か。わかりやすくて結構」


 ケイティは満足気にうなずいた。


「奴は近くに護衛を置いていないが、騒ぎを起こせば周りの魔獣は気づくだろう。耳のいい連中だからな。普段から『持ち場を離れるな』という命令を下している可能性は低い。それなら俺は魔鹿や魔兎に攻撃されなかったはずだ」


「ならば、確実に孤立させるには、進軍を開始したあとに仕掛けるしかない。それなら進軍の命令が優先される。奴の性格からして、簡単には進軍中止の命令は出さないだろう。仮に進軍を中止するなら、それもよし。そもそも籠城戦とは援軍を待つまでの時間稼ぎだ」


 ケイティが確信に満ちた表情で言い切った。


「魔獣の加勢がないなら、魔獅子自体はワーグの上位種と大差ないだろう。【これでも喰らえ!】は確かに厄介だが、『魔力と筋力は両立しない』なら、身体能力は通常の魔獅子以下だ」


「ならば問題ない。ただの魔獅子ならユリシャとふたりで何度も狩った」


「魔獅子死すべし! 慈悲はない」


 アルバの分析を聞いて自信を深めたのか、ケイティとユリシャが息巻いた。


「でも仮に魔獅子を倒せても、進軍中の魔獣は止まらないわよ。親玉を倒したら魔法が解けて全部解決なんて、物語のようには行かないわ。どうするの?」


「そのときは魔獅子の首を敵軍にさらす! 撤退の合図が永遠に来ないと知れば、臆病者から早々に引く」


 ラキアの懸念に即答したケイティだが、急に不安になったのか、表情が曇る。


「……少なくとも人間の軍隊ならそうだ。……いや、しかし、魔法によって全員が全員、忠誠心が厚いのか? ふむ……魔獣でもとむらい合戦をするのかな?」


「魔獣の大群をしりぞける方法なら、なくはない。そのためにも、もう一度魔獅子に接触する必要がある。方法については、モナは気づいているんじゃないか?」


 アルバの問いかけに、モナが笑みで答える。


「ええ。お任せあれ」


「あ、わかっちゃった。うわぁ」


 何かを察したラキアが半目になる。


「ああ、そうだ。言い忘れていた。魔獅子は自らをこう名乗ったよ。『魔獣帝』だとさ」


「はっ! この期に及んでを名乗るか、エデュよ。どうやら獣に落ちても性根は変わらなかったと見える」


 ケイティが眉根を寄せて虚空をにらみつけた。

 その顔に浮かぶのは、いきどおりというより、むしろあわれみに近い表情だった。

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