9.斥候帰還す

 すでに日はとっぷりと暮れ、辺りは暗闇と静寂に包まれていた。


【浮力】の魔力光をまとったアルバは、いつもよりゆっくりとした跳躍で西の街道を進んでいた。

 行く手には、スタークの街明かりが夜空に浮かび上がっている。


 街に灯った照明は、あきらかにいつもより多い。

 平素なら、酔っぱらいと酒場の店主、そして夜勤の衛兵以外は寝静まっている時刻だ。

 おそらく、魔狼まろう襲撃の事後処理のために、いまだ多くの人々が働いているのだろう。


 西門へ近づいたアルバは、大櫓おおやぐらの脇に一際ひときわ明るい光源を見つけた。


【光あれ】だ。


 アルバは怖くないほうのモナの笑顔を思い出す。

 すると、やけに重く感じていた体がすっと軽くなった。

 頭上の光源が【光のやし】の恩寵だったのかと疑いたくなるほどだ。


 大櫓の足場の上で、独特な【浮力】の魔力光が灯った。

 その光がアルバのもとへ一気に降下してくる。


「遅い! ……って、わきゃ!」


 アルバの目の前で、ラキアが思い切り着地に失敗した。

 なんとか足から降りたものの、たたらを踏んでアルバの胸へと激突する。


「痛い」


「ご、ごめん」


 実のところ、たいして痛くはない。

 アルバは棒読みで言葉を続ける。


「こんにちまで魔術と体術の融合が果たされなかったのは、ひとえに魔術師連中の運動音痴によるものだと痛感した。痛い」


「ごめんってば! っていうか、そんなことを冷静に分析しないで! 私が運動音痴の代表みたいじゃない!」


「しかも、魔術師に自覚がない。ゆえに、ある程度体が動かせる半端者に、体術に応用できる魔術を教えてみようとも思わない。これが二番目の原因だ」


「私はあんたに魔術を教えてるでしょうが!」


「おう。感謝している。ラキアはそこいらの魔術師とは違う」


「……わかればよろしい、わかれば」


 ラキアがアルバの胸から離れて、居住まいを正す。


 ラキアを茶化すことで、アルバは体に続いて心も軽くなるのを感じた。


「アルバっちの生存確認。損傷軽微? 疲労困憊こんぱい?」


 いつの間にか、ユリシャがアルバの周囲をぐるぐると回っている。

 まるでおもちゃを見つけたのに手を出しかねている猫だ。


 ケイティとモナもすぐにその場に駆けつける。


「アルバ殿! 怪我はないか? ふむ、見たところ大丈夫そうか。少し確認させろ」


 ケイティはアルバの体のあちこちを押したりんだりし始める。骨接ぎ医を思わせる触り方だ。

 面映おもはゆいが、疲労が抜けてゆく気がして、アルバはなすがままにされる。


「どこか痛くないですか? 念のため恩寵おんちょうたまわりますか? 街には神殿長もいますから、出し惜しみはしませんよ? 遠慮は無用ですよ?」


 モナの顔からはいつもの笑みが消え、心底心配している様子だ。


「大丈夫だ。【これでもらえ!】を喰らっただけだ。外傷はない」


「【これでも喰らえ!】? 魔物の使う魔法だったか? 魔物と戦ったのか? 迷宮の外で?」


「何があったのですか?」「なんか、悪い予感しかしないわ」「ぴきーん。緊急事態発令?」


 四人がアルバの顔をのぞき込む。


「どこから説明したものかな。相手は魔法使いだ。魔獣の魔法使い。しかも、人間並の知能を兼ね備えている」


「ちょ、人間並の知能? どういうこと? 魔獣の魔法使いなんて聞いたことないわ。ほんとに人間並の知能を持った魔法使いなら大事じゃない!」


「ふむ。魔法使いは賢いほど手強いのだったか?」


「手強いどころじゃないわよ、ケイティ! 太古の魔法使いと同じってことよ」


「げえ! 太古の魔法使い? 勇者呼ばなきゃ! 勇者はどこだ?」


「お静かに!」


 モナの一喝いっかつで皆が押し黙る。

 モナは声をひそめて言葉を続けた。


「どうやら、外で話す内容ではなさそうですね。いったん借家に引き上げましょう。それまでは口外厳禁です。衛兵さんに断ってきますから、皆さんは先に帰っていてください」


 モナが借家の鍵をラキアに渡して、西門へと駆けてゆく。


 残る四人は平静を装って西門へと戻る。


 無言で歩くのも不自然に見えると思い、アルバは街の様子を尋ねる。

 すると即座に答えが返ってくる。


「あれ以降、厳戒態勢よ。いったんしりぞけたとはいえ、魔狼の半数以上は健在だもの。いつまた襲われるかわからないし」


「現在、西門の修理と補強が進められている。扉を押さえる者がいらないよう、西門は板でふさぐそうだ。まあ、どの口が言うのかとしかられそうだが」


 扉を壊した張本人であるケイティが、眉尻を下げて西門に視線を向けた。

 そこでは数名の大工が懸命に作業している。


 一行は、大工たちをねぎらいながら西門を抜けて、塀沿いの空き地を進む。

 普段より狭い間隔で篝火かがりびかれているため、歩くのには困らない。


「支部長は遠征中の冒険者を呼び戻すか検討中よ。街が魔狼の大群に襲われたって遠征先の住民に話したら、引き止められちゃうでしょ? 『次はここが襲われるかもしれないから、残って自分たちを守ってくれ』って」


「百匹近い魔狼相手じゃ冒険者が何人いても太刀たち打ちできないがな。まあ、住民にしてみれば、ひとりでも戦える者が欲しいところか」


「でしょ? でも本当にそこが襲われたら、冒険者もろとも全滅するのが目に見えてる。それじゃあ住民に黙ってスタークの街へ戻るのかっていえば、それも見捨てるみたいで、ひどい話じゃない?」


「その件についてはいい情報がある。いや、悪い情報か。いずれにしろ後で話す」


 アルバの予想では、これから襲われるのはスタークの街で確定だ。

 魔獅子の口ぶり、その不遜な性格からして、宣戦布告が欺瞞ぎまんだとは思えない。

 街に戦力を集中できるのは、守る側からしたらありがたい。

 しかし、この街の住民からすれば最悪な情報だ。ここで話すのははばかられる。


「あと、鋼級のパーティーは、みんな迷宮に入ってて連絡すらつかないって」


 ラキアの告げた情報に、アルバは顔をしかめた。


 鋼級のパーティーが拠点にしている町や村は、魔の森を迂回うかいする位置にあるため、行き来に時間がかかる。

 なんとなれば、街道沿いに隣の領地へ行くほうが早いくらいだ。

 迷宮から出た後に一報を受け取ったとして、彼らがスタークの街へ戻ってくるのは数日後になるだろう。


「結局、俺たちがギルドの最大戦力か」


 嘆息するアルバの顔を、ニヨニヨと頬をゆるめたユリシャがのぞき込む。


「いい情報もあるよん。西門破壊の功績?を認められ、ケイティが無事この街でも『壊し屋』の称号を獲得いたしました。ぱんぱかぱーん!」


「知らん! どうせ時間の問題だ。気にせん!」


 そっぽを向くケイティに、すかさずラキアが突っ込みを入れる。


「その態度がすでに気にしてる証拠。いいじゃない。兵士の間では『戦女神』って呼ばれてるんだし」


「あの話の『魔狼』はワーグだろう? 魔獣の魔狼とはわけが違う。吾が『戦女神』などと恐れ多い」


「ああ、『百の魔狼を退けた戦女神』だったか。そんな神話があったな」


 アルバは比較的有名な、とある神話を思い出す。

 その神話に敵役として登場する『魔狼』は、その特徴からして『ワーグ』と呼ばれる魔物である。

 冒険者なら気づいて当然の違いで、魔物に詳しくなくても『魔狼ってこんなに強いか?』と疑問を抱く内容の神話だ。

 しかし、その神話は魔狼に対する警戒心を子供に植え付けるのに一役買っているため、その勘違いを指摘する者は少ない。


 話すうちに、一行は【鷹の目】名義で借りている借家の裏手に到着した。


 西門からほど近いその借家は、正門である東門から遠い分だけ家賃が安い。

 ギルドにも近いため、冒険者にとっては好物件だ。


 裏戸をくぐり、それぞれの部屋に戻って装備を外していると、モナが帰ってきた。


 一同は一階の食堂に集まる。


 モナが台所でお茶の準備を始め、ラキアがそれを手伝う。


 ふたりが席につくのを待たずに、アルバは説明を始めた。

 狭い食堂なので、どのみち台所のふたりにも声は届く。


「北の森で、とんでもないものに出くわした。残念ながら、今日の魔狼の襲撃は威力偵察に過ぎないと考えてくれ」


 アルバの言葉に、食堂の空気が一気に重くなった。


「あれで偵察部隊だと? 敵の本隊の規模は?」


 ケイティが険しい顔でアルバに問う。


「北の森に、信じられない数の魔獣が集結している。例のごとく、獣の習性を無視して、種類ごとに大きな群れを作っている。まるで兵科ごとにまとめられた軍隊のような布陣だ。数はおおよそだが──」


 アルバは、モナとラキアにも伝わるように声に出しながら、食卓に小石を並べて敵の配置を示してゆく。


 南側前方に魔猪まちょが百五十。

 その後ろに小型の魔猿まえんが五十。

 東西両翼に魔狼が百五十ずつ。

 北側後方に魔熊まゆうが五十。

 総数でおおよそ五百五十匹である。


「多いな」「まじで?」


 ケイティとユリシャが苦い顔をする。


「魔獣と兵士、単純に数を比較はできんが、冒険者込みでも敵は四倍以上。全軍で攻められたら到底守りきれん」


「魔猿ってあれっしょ? ウキーって奴。すぐ木の上に逃げるから、あれ嫌い。この街の塀くらいならよじ登ってきちゃうよ?」


「それと、魔熊の後方には魔鹿まろく魔兎まと。こいつらは補給部隊、つまりほかの魔獣の餌だ。しかも自分からほかの魔獣のところに喰われに出向く」


「は?」「え?」「何?」「どゆこと?」


 四人から一斉に戸惑いの声が上がった。

 もっともな反応だ。


「魔法で操られているんだ。操っているのが、例のアーガスが森で遭遇したという魔獅子だ。で、どういうわけかこいつが、人間並の知能で魔法を使う。【これでも喰らえ!】をしこたま撃たれた」


「よくわからん。ワーグの上位種のようなものか?」


 ワーグはほかの魔物と意思疎通ができるほど賢い。上位種ともなれば魔法攻撃も使う。

 最上位種はフェンリルと呼ばれ、人語を解して神を喰らうと言われている。

 もちろんフェンリルは伝説上の存在で、実在はしない。神を喰らう魔物がいたら大変だ。


「ワーグよりも賢いはずだ。なんせ、他者に言葉を伝え、その言葉に従わせる魔法を使う。【支配】という魔法だそうだ」


「なにその魔法! なんで名称までわかるの?」


 テーブルにお茶を並べながら、ラキアが不思議そうな顔をした。


「魔獅子と直接話してきた。どうも俺にその【支配】を使ったらしい」


 アルバの一言に、皆の顔色が一斉に変わる。


「ちょっと、それ大丈夫だったの?」


「大丈夫だ。操れるのは魔獣だけらしい。相手の頭の中に直接言葉を伝える効果だけが発揮されたようだ。おかげで、いろいろ聞き出せたよ。奴は俺を宣戦布告の使者にしやがった」


「宣戦布告? この街に?」


「そうだ。使者に手出しはしない、と言い切ったから、お言葉に甘えて全軍の配置をつぶさに見て回ったよ。おかげで帰りが遅くなった」


「つまり高度な会話が成り立った、と。だから、人間並の知能ってことね」


 席に座りつつ、ラキアがどうにも納得しかねる顔でアルバの言葉を飲み込んだ。

 それほどに、人間並みの知能を有する魔獣の存在は常識を逸脱いつだつしている。


「ああ。どうやら、アーガスが出くわした時点では、人間には言葉が通じなかったらしい。だが、俺には通じた。本人は慣れてきた、と言っていたな」


「ちょっと待ってよ! それじゃあ、いずれは人間も操れるってこと?」


「そうなる可能性は高い」


「魔鹿と魔兎が自分から喰われにゆくって言ってたわよね」


「ああ」


「つまり、自殺も強制可能なわけよね」


「ああ。そのようだ」


 アルバとの問答が進むほど、ラキアの顔色が目に見えて悪くなってゆく。


「そんな……じゃあ、幻惑系魔術以上の強制力? だとすれば、幻惑系魔術への対抗策は通じない? 現状では防ぐ方法がない?」


 ラキアが虚空をにらみつけながら、仮説を組み立ててゆく。


「効果範囲は……魔獣の大群全体への常時発動? いえ、ありえない。そんな遠くまで効果を及ぼすなんて、魔力が足りるわけがない。なら、永続的な認識改変? 自分を絶対的な主だと信じ込ませている? ほんとに? 嘘でしょ?」


「魔獅子に命令されたとき、一瞬だけだが、魔獅子が従うべき相手のような錯覚を覚えた。そのときの距離は、そうだな十五歩か、それくらいだ」


 ラキアの分析に、アルバは自らの体験を補足する。


「なら、まず間違いないわね。効果範囲は十五歩か、それ以上。一度魔法にかかったら、その後は離れていても魔獅子に従っちゃう。効果時間は……どのくらい強烈な認識改変かによるけど、一生解けなくても不思議じゃないわ」


「つまり、その魔法が人間にも作用するようになれば、一度でも十五歩以内に近づいた人間は、魔獅子に半永久的な服従を強いられるわけですね。自死すらも強制できるほどの服従を」


 食堂に入ってきたモナが、予測される事態を整理する。


「配下を際限なく増やせる魔法、と言い換えることもできます。そして配下が増えるほど、魔法の範囲外から攻撃することも難しくなる。配下を増やし続ければ、最終的には、人類すべてを支配することさえ可能。まさしく太古の魔法使いの再来……」


 モナの推論は、最悪の結論へといたる。

 それが大げさでも何でもないことを、この場の全員が理解した。


「殺そう! 今すぐ殺そう!」


 ユリシャが叫ぶ。

 平時は無表情かゆるい表情の多いユリシャだが、今の顔は戦闘中のそれだ。


「そうよ! 【支配】の効果が人間に及ぶ前に、倒さなくちゃ!」


「いますぐ領主様に報告を。王都まで早馬を飛ばして、援軍を募りましょう」


 ユリシャの言葉に急かされて、ラキアが腰を浮かせ、モナも食堂を出てゆこうとする。


「待ってくれ! に話す前に確認しておきたいことがある。の問題だ」


 そう言って、アルバはケイティに視線を向けた。

 つられて皆の視線もケイティに集まる。


「……吾か?」


 ケイティの顔から瞬時に表情が消えた。

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