4.街は魔狼に備える

【鷹の目】の一行とアーガスが表通りに出ると、すでに街は混乱の渦中かちゅうにあった。


「魔獣の群れが近づいている! 全員、建物に入れ! 大丈夫だ、魔獣は街には入ってこない。ただし万が一に備えて、通達があるまで建物から出るんじゃないぞ!」


 衛兵が大声を張り上げながら通りを駆けてゆく。


 大荷物を抱えて前のめりに走ってゆく者。

 子供の名を必死の形相ぎょうそうで叫ぶ母親。

 どこへ避難すべきか迷って右往左往する屋台の主。


 街の人々も皆一様に混乱している。


「なんかおおごとになってるっス」


 ひとりでギルドを訪れていたアーガスは、とりあえず【鷹の目】と行動をともにすると決めたようだ。


「まさか、私たちを追いかけてきたわけじゃないわよね?」


 ラキアが不安げにアルバの顔を見た。


「俺が見たとき、魔狼の群れは東のほうを南下していた。この街の方向じゃあない。だが、あのまま直進すれば街道に出る。そこから街道沿いに西へ進めばこの街だ。が、魔狼が街道に沿って移動するか?」


「ですが、最近の魔獣の行動は常軌をいっしています。考えられないことではありません」


「まあ、ガットちんに報連相ほうれんそう?はしてあるし? 私たちに賠償ばいしょう責任?はないっしょ」


「あとをつけられた可能性は低い。あの時点で吾らで対処できる数でもなかった。ユリシャの言うとおり、問題はあるまい。しかし、この事態を捨ておくわけにもいかぬ」


「もちろん、私たちも何かしら協力すべきですね」


 モナが同意を求めるように皆を見た。


 この事態に関してギルドから冒険者に指示は出ていない。

 ガットロウは領主のところに出かけたまま戻っておらず、ミュスカも各自の判断に委ねる構えだ。


 魔獣の襲撃に対処するのは、衛兵を始めとした領主所属の兵士たちの仕事である。

 冒険者はここの領民ですらなく、町の防衛に対して何の責務も負っていない。


 だが、街の住民にとっては、冒険者も魔獣に対抗できる貴重な戦力である。

 なにしろ、兵士の総数が百名足らずのこの街で、魔獣狩りを許可された木級以上の冒険者は四十名を下らないのだ。頼りにされて当然である。


 だが、住民たちの期待とは裏腹に、現在この街に残っている冒険者は、鉄級である【鷹の目】と、アーガスが所属する木級の【深淵しんえんやり】だけであった。

 その【深淵の槍】も、酒にめっぽう強いアーガスを除く全員が、昨晩の遠征打ち上げで酔い潰れ、いまだ宿で寝ているという。


 数日前からスターク周辺の森での魔獣狩りが禁止されていたことが裏目に出た。

 現在、クルスターク支部に籍を置く木級の冒険者は、食いぶちを稼ぐため、魔獣狩りが許されている周辺の村や町へ遠征に出ているのだ。


 しかし、その事実を知らない街の住民は、少なからず冒険者に期待する。そして、期待は裏切られた時の反動が大きい。

 つまるところ、ここで【鷹の目】が街に貢献してみせないと、冒険者全体の評判を落としかねないのだ。

 お気楽なユリシャを除く全員が、そのことを理解していた。


「とりあえず、上から見てみるか」


 まずは現状把握が必要だ。それは斥候の仕事である。


 アルバはギルド支部と、その向かいに建つ倉庫を見上げた。

 どちらも二階建ての大きな建物だ。


 おもむろに【浮力】を発動したアルバは、ギルド支部に向けて勢いよく跳び上がった。

 そのままギルド一階の軒先を蹴り、三角跳びの要領で倉庫二階の屋根へと跳び移る。


「うひゃあ、なんスか、あれ。体が光ってたような」


「【浮力】の魔術よ」


「へぇー、やっぱ魔力持ちは便利っスねぇ」


「いや、あれは参考にしないほうがいいわよ。なんか、どんどん規格外になっていくわ」


【暗視】が使えないことで苦労しているアーガスは、素直に羨望せんぼうを口にする。

 が、ラキアがそれをさとす。

 残念ながら、アルバと同じことができる斥候は、ほぼいないと思っていい。


 倉庫の屋根に降り立ったアルバは、東へと向き直り、いったん足場を確認してから真上へと跳躍した。


【浮力】による上向きの力に対して、装備の重さの分だけ重力が若干勝っている。

 空気の抵抗も馬鹿にはできない。

 跳び上がったアルバの体は、次第に減速し、建物の二階からさらに二階分、計四階分の高さで静止した。

 そこからゆっくりと落ち始める。


 この時点でアルバの視点は、街で一番高い物見櫓ものみやぐらと同程度である。


 高所から一望すると、スタークの街がほぼ円形であることがわかる。

 外周をひと回りするのに、歩いて半刻程度の小さな街である。


 街の中央には、武門の家系に相応しい無骨な造りの領主邸と、それに併設された兵舎と物見櫓、そして兵士の訓練場がある。

 その周りを商店と民家からなる古い町並みが囲む。

 そこまでが、大昔から存在した古いスタークの町である。


 その外側を取り囲むのは、後年に発展した町並みだ。

 西から北側にかけて、冒険者ギルドを含む商家、工房、倉庫など比較的大きな建物が所狭しと並び、東から南側には小売り店や民家がひしめき合っている。

 魔石特需で人口が急増したため、街全体が手狭てぜまになっている印象だ。


 そして、その街を木製の塀がぐるりと囲んでいる。


 塀といっても薄い板などではなく、先をとがらせた太い丸太を組んだものだ。高さは人の背丈の一倍半ほどある。

 塀の内側には簡素な櫓が等間隔で配置されている。


 この塀は他国の侵攻に備えたものではなく、魔獣の襲撃を想定したものだ。

 クルスターク領は国境に面しているが、その先に広がるのは、どの国にも属さない魔の森である。


 塀の東側には、馬車二台が余裕ですれ違えるだけの大きな門があり、通称『東門』と呼ばれている。

 隣町へと続く街道に面したスタークの表玄関だ。


 東門の内側は広場になっており、露天商が所狭ところせましと並んでいる。

 魔石を買い付けに来る商家の使いや行商人など、金離れのよい客に恵まれているため、辺境とは思えないにぎわいだ。


 アルバは上空から東門の周辺をその目にとらえた。


 平時なら開け放たれている東門が閉じられ、広場を慌ただしく行き来している兵士と思わしき人影が豆粒のように見える。


 門の外に延びている街道の様子は、森が邪魔して見通せない。

 しかし、森の向こうから天に向かって一筋の煙が伸びているのが見えた。外敵の接近を知らせる狼煙のろしだ。


 どうやら、魔狼の群れが東の街道からやってくるのは間違いなさそうだ。


 ゆっくりと降下するアルバの体は、やがて軽やかに倉庫の屋根へと着地した。


「やはり東から来ているようだ! 東門の様子を見てくる!」


「了解した。吾々も東門へ向かう」


 屋根の上から精いっぱいの声を張り上げるアルバに対し、下からケイティが普段と変わらぬ声色で返答した。

 特殊な発声方法でも使っているのかと思えるほど、よく通る声だ。


 アルバは建物の屋根から屋根へと跳躍して、東門へと移動を開始した。


 ほどなくして門前の広場に近づいたアルバは、より低い建物の屋根へと順繰りに乗り移ってゆく。

 広場から兵士たちの喧騒けんそうが聞こえてきた。


「何人かで門を押さえるぞ。魔狼ごときに壊されないとは思うが、万が一ということもある」


「塀をよじ登ってくる可能性がある。頭が見えたら長槍で突き返せ。街に入られると面倒だ」


「長槍が足らんぞ! これで全部か? 全員に行き渡らないじゃないか!」


 広場に三々五々兵士たちがやって来ては、装備の確認を始めている。

 弓兵は門の両脇に設えられた櫓に登り、さらに別の兵士が櫓に大量の矢を運び込んでいる。

 皆が緊張の色を隠せていない。


 魔獣は魔物と同じく魔素の濃い環境を好む。

 一方で、魔の森での熾烈しれつな生存競争を避け、人里に出てくることも珍しくはない。

 魔の森を離れて普通の動物を狩ったり、人里で農作物や家畜を食い荒らすほうがはるかに生きやすいのだ。


 そのため、スタークの街でも魔獣に対する備えは怠らない。

 兵士たちは魔獣を狩る訓練を日々重ねている。

 街を囲む塀は、魔熊でも容易には破壊できないほど堅牢けんろうで、どんな魔獣でも飛び越せないだけの高さに造られている。


 しかし、百匹もの魔狼の群れが一斉に襲撃してくるなど、クルスターク領の歴史をひもといても初めての出来事だろう。

 兵士たちが緊張するのも無理からぬことだ。


 屋根の上から兵士の様子をひと通り確認したアルバは、おあつらえ向きに見知った顔を見つけ、その人物の眼前へと跳躍した。


「え? 何だ? どっから現れた? ……って、お前か。む? その魔力光は【浮力】か?」


 突然目の前に現れたアルバに、その人物は最初だけ慌てたが、すぐに落ち着きを取り戻した。


 彼は先のサバレンの一件で迷宮攻略に駆り出されていた魔術兵である。

 名をマグノという。

 アルバの見立てでは、兵士の中でも人望が厚い上に、かなり話のわかる男だ。


「何か手伝えることはあるか? もうすぐ【鷹の目】の皆も合流する。あと、狩人がひとり加わっている」


「ふむ。……そうだな。サバレン様の一件もあるから、難しいところだな。冒険者に好意的な兵士と、反感を持っている兵士が半々なんだ。個人的にはぜひ協力願いたい。なにしろ魔狼が百匹と聞いている。前例がない数だ」


「百匹というのは間違いないんだな?」


「ああ。東の監視塔からの早馬はやうまだ。正確には百匹を越えている、だな。間違いない」


「弓兵と魔術兵が櫓の上から攻撃、兵士は塀の内側で塀を登ってきた魔狼を排除、という手筈てはずか?」


「そうなるな。弓兵と魔術師は手が足らん。それと、魔狼が塀沿いに分散すると兵士も足らなくなるかも知れない」


 魔狼の数が多すぎるため、兵士が塀の外で戦うのは得策ではない。

 弓兵と魔術兵だけで対処するにしても魔狼が多すぎる。まして、魔獣の中でも素早い魔狼は弓や魔術で狙い撃つのが難しい。

 現状で長期戦は必至ひっしである。


 少し考える素振りを見せてから、マグノが口を開いた。


「北側の大櫓にジグルを向かわせた。例の迷宮攻略に参加していた弓兵だ。俺の許可を取っていると伝えて、そちらを手伝ってもらえるか。北側は高い建物が多くて見通しが悪い。魔狼がそちらに回ると厄介だ」


「了解した。【鷹の目】全員でそちらに向かっていいんだな?」


「ああ頼む」


「じゃあな」


 そう言うやいなや、アルバは一番近い建物の屋根へと跳び移った。


「へえ、魔術ってあんなこともできるのか。すげえ!」


「いや、多分【浮力】だろうが、もっとこう、不安定にふよふよ浮くだけの魔術だぞ。あんなに上手くは跳べないからな。……そんな期待するような目で俺を見るなって!」


 マグノと兵士の会話を背中に聞きながら、アルバは東門をあとにした。

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