8.三馬鹿は打ちひしがれる

「助かったのか、俺たち……」


 デュンケルは、いまだショックから立ち直れずにいた。


 床に座り込んだまま、脇にいるフォルク、ガウスと互いに視線を交わす。

 二人共、茫然ぼうぜん自失といった様子だ。


 先ほどから体がガタガタと震えるのは、目覚めるとびしょれになっていたせいか、尻の下のひんやりとした石の床のせいか、それとも、先ほどまで味わっていた恐怖のせいか。


 耳の奥には、いまだゴブリンたちの嘲笑が響いているようだ。


「さて、あんたたち、危ないところを助けてもらって、まず言うことがあるでしょ? それと、そっちの二人はケイティとユリシャ。通りすがりのところを協力してくれた冒険者よ」


 顔を上げれば、仁王立ちで腕を組んだラキアが、こちらをにらみ、凄んでいる。

 その隣には満面の笑みを浮かべたモナ。


 ゾクリ、と一際強く寒気が襲ってくる。どちらかといえば、モナの笑顔のほうが怖い。


 二人の後ろには、鎧姿の赤毛の女と、その陰に隠れるように眼光の鋭い女がもう一人。


 そして、視界に入れただけで胸糞むなくそが悪くなる男が一人。


「う……。手間をかけて、済まなかったな、モナ、ラキア。そちらの二人も……助力を感謝する」


 デュンケルは努めて平静を装い、いつもの口調を心がけた。


「ああん? 謝るべき人間が、あと一人、足りていないようだけど?」


 ドスの利いた声でラキアが詰め寄った。


 あと一人が誰を指すのかはすぐに分かった。その瞬間、デュンケルの頭にカッと血が昇る。


「なっ! 元はと言えば、そいつのせいで!!」


 思考するよりも先に、悪態が口をついて出た。


「はぁ? アルバが何したって言うのさ?」


「いや、だから、そいつが……そいつがまともな斥候なら、そもそもこんなことにはならなかったんだ!」


 ほとんど思いつきで言葉を並べ、その言葉に自分で納得する。


「そいつがまともなら、四人で戻れた。四人で戦えば、あんな数のゴブリンどもに後れは取らなかった!」


 導き出した結論に、うれしさがこみ上げた。

 そうだ、悪いのはアルバだ。俺たちがあんな酷い目に遭ったのだって、アルバが悪いのだ。俺たちがしくじったわけじゃない。


「……ラキアさん、私切れそうです」


 笑顔のまま、いたって平静な声でモナが言った。周囲の温度が下がった気がした。


「モナ、我慢して。こっちは逆に冷めたわ。ええ。冷めきったわ」


 デュンケルに向けられたラキアの視線は、どう見ても仲間に向けるものではない。


 ああ、この二人はどこまでアルバにだまされているのだろうか、とデュンケルは絶望的な気分になった。


「それじゃあ聞くけど、アルバのどこがまともじゃないって言うのよ」


「そいつは戦闘にまったく参加しないじゃないか! ケストのところのアーガスも、バウルのところのシトラも、他のパーティーの斥候は、みんな戦闘に参加しているっていうのに!!」


 ケストもバウルも、若手パーティーのリーダーを務める男である。

 パーティーのリーダー同士で愚痴を聞き合う飲み友達、とデュンケルは認識している。


 実際には、二人は自分のパーティーに不満はないらしく、愚痴を垂れ流すのはデュンケル一人だ。

 冒険者の花形である迷宮攻略に手が届いているパーティーは若手の中では【鷹の目】だけなので、事実上、デュンケルの苦労自慢である。


「……アーガスさんって確か、アルバさんの所にお勉強に来ている人ですよね?」


「ああ。アーガスの専門は狩人だ。魔獣狩りでは斥候もしていたが、迷宮攻略を前にパーティーから本格的な斥候職への転向を求められてな。俺が罠の発見と解除、宝箱の解錠を教えている」


 モナに返答したアルバの言葉に、デュンケルは呆れた。この男は息をするようにうそを吐く。


「はっ! 嘘をつくな! アーガスは罠のエキスパートだと聞いたぞ!」


「罠は罠でも、動物用の罠を仕掛けるほうのエキスパートだ。狩人だからな、奴は。魔獣狩りでは重宝するだろうが、迷宮の罠についての知識はない」


「! そ……そんなものは覚えればいいだけだろ! 罠と解錠ができるようになれば、弓が使える分、お前よりマシだ!」


 アルバの思わぬ言葉に混乱し、デュンケルはロクに考えもせずに反論した。そしてすぐに、自分の迂闊うかつさに気づく。そうアルバは『弓が使えない』わけではない。


「弓矢を荷物に加えていいなら、俺も弓で戦えると、以前に言ったはずだが?」


「弓ぐらい自分で持てよぅ!」


 フォルクが怒鳴った。弓矢を荷物に加えることを拒んだのはフォルクだ。


「弓を背中に担いだ状態で、狭い隙間や壁際の暗闇を移動しろと? 音を立てやすい矢筒を腰に下げて、物陰に敵が潜んでいるかもしれない場所を進めと? 迷宮での斥候はわずかな音が命取りだ。【消音】を常時発動できる魔力があるなら別だがな。アーガスも悩んでいたよ。奴は魔力がほとんどないからな。【暗視】も使えない射手は迷宮では足手まといだ。斥候としても、真昼の森の中、弓の射程までしか近づかない程度の隠密術では役に立たない」


 いつになく饒舌じょうぜつなアルバに、デュンケルは驚く。

 アルバがここまで長く語るのを聞いたのは初めてかも知れない。


 デュンケルにはアルバの話が理解できなかった。

 アルバの話は間違っているに違いない。だが、どこが間違っているのかが分からない。


「ちなみに、【暗視】と【消音】の常時同時発動なんて私でもキツいから。【消音】って、魔術なしで足音消せるくらいじゃないと、びっくりするくらい魔力を持っていかれるのよね」


 魔術のこととなると口をはさまずにはいられないラキアである。


 旗色が悪いと感じたデュンケルは、苦し紛れに話題を変える。


「……シトラって奴は、パーティーで一番多く敵を殺すって聞いたぞ」


「そいつなら俺も知っている。魔力持ちだし、あれはいい斥候になる。おそらく俺以上のな。迷宮独自の罠や鍵に関しては素人だが、防犯設備を突破する知識が下地になるから、すぐに習得できる。隠密技能も完璧だ。背後から近づいて、敵の首を掻き切れる」


「そらみろ! そいつが、敵をたくさん倒せるっていうなら──」


「奴の本職は暗殺者だ。奴のいるパーティーは山賊狩りがメインだろう? 前の晩にアジトに侵入して、水瓶みずがめに遅効性の毒を仕込むらしい。そりゃ、間違いなく一番の戦果だ。だが、魔物は飲み食いはしないし、そもそも、毒はほとんど効かない。毒が効くなら、俺だって辛子なんか使わない」


 魔物に毒が効かないのは有名な話だ。

 なんでも魔物本来の住処である魔界は毒にまみれた世界で、魔物はおしなべて毒に耐性があるらしい。


 それはいいとして──


「辛子?」「辛子って何?」


 アルバを除く全員が意味が分からず怪訝けげんな表情を浮かべている。


「いや、まあ、なんだ、それはいいとして。奴が迷宮にいどむなら、俺と同じく、不意打ちで魔物を一匹ずつ排除する方法になるだろう。暗殺者は正面から斬り合う技は持っていないし、弓もいしゆみで止まっている的を遠距離から狙撃するのが基本だ。集団戦ではあまり活躍できまい」


 デュンケルは言葉が出ない。

 当たり前だと思っていた、戦闘にも参加できる斥候という存在が、霧の中へとかすんでゆく。


 デュンケルの沈黙に焦ったのか、フォルクが代わりに声を上げる。


「そ……それじゃあ、斥候は敵を全然倒さなくても、いいって言うのかよ!」


「ちょっといい? なんか、そもそもズレている気がすんだけれども──」


 ラキアがこめかみを押さえながら言った。


「あんたたち、【シーカー】狩りを全部アルバに任せてるっていう自覚あんの?」


「【シーカー】? 何だそれ?」


「そこから!?」「あらあら、このお馬鹿さんたちはどうしましょう?」


 ラキアがあきれ、モナが笑みを深くした。


「迷宮の中で、物陰とか暗がりに、魔物の死体が転がっていることがあるでしょう?」


「ああ、あれか。魔物同士で殺し合ったのか、事故で死んだとか──」


「あれ【シーカー】だから。魔物たちの見回り役だから。全部アルバが先行して殺してるの。大体、時間が経った死体なら、スライムに分解されてるでしょうが」


「! そんな……ゴブリンどころか、オークまで死んでいることがあったぞ」


「【シーカー】は群れる魔物ならどの種類にもいるわよ。あったりまえでしょ!」


「……そんな、アルバがオークを一人で?」


「あんたたちだって、オークなら一対一で倒せるでしょ? なんで背後から不意打ちできるアルバがオーク一匹倒せないと思うかな」


「まあ、不意打ちじゃなきゃオークは無理だけどな。おかげで隙を見つけるまで時間がかかる」


 アルバが謙虚にもラキアの言葉に補足を加えた。


 フォルクがその言葉に食ってかかる。


「時間……そうだよ、だから斥候にあんなに時間がかかってるんだろ! それが無駄だっていうんだ。その【シーカー】とやらも、みんなで倒せばいいじゃないか。誰も、こいつ一人に任せてなんてない!」


「あんた馬鹿なの? 先に【シーカー】に気づかれたら、叫ばれて敵の群れにこちらの存在を気取られるのよ。迷宮の中に、敵を迎え撃つのに都合がいい地形がどれだけあると思ってんの! 迂回路を使われて挟み撃ちに合いたいの? 直線の通路で槍衾越しに矢を射掛けられたいの?」


 正にラキアの言葉どおりの体験をした三人は、何も言い返せない。


 三人の様子をジト目で見ていたラキアは、ふと思いついたように言った。


「あんたら、アルバが戦闘に参加してないとか言ってたけど、もしかして、弓兵を弱体化したり、側面に回った敵を足止めしていたのにも気づいてないとか?」


「は?」


「戦闘前、【光あれ】の恩寵で戦場を照らす前に、アルバが投剣を投げてることがあるでしょ?」


「ああ。あんな暗闇に投げても、牽制けんせいにすらならな──」


「アルバが常時【暗視】を発動してるの忘れた? あの投剣で弓兵に傷を負わせているの。そりゃ、弓矢のように一撃必殺とはいかないけど、一瞬で数匹の弓兵を弱体化できるんだから、効率は弓矢以上かもよ」


 デュンケルの脳裏に、苦汁くじゅうを飲まされた先のゴブリンとの戦いがよみがえる。

 あのときの矢の正確さと威力は十分な脅威だった。そう、これまでの迷宮攻略では、ついぞ体験したことのない脅威だったのだ。


「あと、前衛のあんたたちからは見えないかもだけど、あんたたちの側面に敵が回ると、アルバが前に出てそいつらの気を引いたり、投剣で足止めとかしてたんだけど、それにも気づいていないわよね」


「なんだよ、それ。聞いてねえよ……」


 フォルクがうなだれた。


 終始黙って話を聞いていたガウスも気まずそうな顔をしている。


 デュンケルは、『アルバが戦闘に参加せず、パーティーに寄生している』という自分の主張が、どうにも受け入れられそうにないことをようやく理解した。

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