第6話

 ぽーん、ぽーん、と少年は小ぶりの玉を投げては掌で受け止めて遊んでいた。遊んでいたと言っても、心は無きに等しい。大岩の上に胡坐をかいて座したまま、彼はただただ澄んだ玉を投げては己の掌で受け止め続ける。

 少女はそんな彼の様子を少し離れた場所から見ていた。話しかけることはどうしてか憚られた。それほど少年の様相はいつもと違い硬いものだった。

「そんなところに隠れてどうしたのさ」

 いつの間に気取られていたのだろう。岩に座った少年は柔らかな微笑をこちらに向けていた。それは本当に、淡い淡い笑みで――少女はきゅうと胸が痛くなって、襟元を手で握りしめた。

「たる、ぎ……」

「何。どうしたの?」

 こてんと首を傾いでみせた弛祁の方へ、少女は口を引き結んだままおずおずと歩み寄った。苔むした大岩の前まで来たところで、少女は大岩に座す少年を仰ぎ見る。

「弛祁」

「なんだか今日は元気がないようだね」

 少女の顔色の悪さを見てとって、弛祁は眉をひそめる。

「どこか具合が悪い?」

「ちがう」

 少女はふるりと一度首を横に振った。

「なら、……」

「ちがうっ……」

「まだ何も言っていないよ」

 弛祁は呆れを滲ませた苦笑を洩らす。少女はくっくと少年の喉が零す笑い声に耳を傾け続けた。彼の鼻先は色濃い緑を落とした鏡池を向く。「あー、可笑しい」と片手で額を抱えた少年は、ふっと笑いを引っ込めた。

 突如訪れた静寂を邪魔するものはない。遠くでさえずる鳥の鳴き声に、さやさやとなる葉摺れが重なった。

「弛祁、あのね」

「ねぇ、これあげるよ。その為に待っていたんだ」

 今度は少年の方が、少女の言葉を遮った。弛祁は手にしている透明の玉を少女へと差し出す。

「水神が持つ宝玉だよ。私にとってはすごく大切なものなんだ。綺麗だろう?」

 玉には周りの景色が鮮明に映り込む。まるで鏡池そのもののような玉だった。玉が光を反射する様まで、鏡池の水面にそっくりだった。

 少女は玉に手を伸ばしたりはしなかった。彼女は「ええ、綺麗ね」とだけ、少年に言葉を返した。

 少年はついと目を眇めて、少女を見やる。弛祁は「ねぇ」と彼女に語りかけた。

「人間は勝手だよね。禍が起こった時は供物を水に沈めて神に怒りを鎮めるように乞い、同じ水に罪人まで沈めて今度は神の怒りにゆだねようとするのだから。どちらにしろこの池は血に染まる」

 弛祁は感情のこもらぬ声でそう告げた。少年が双眸に宿した澄み渡った色を少女は茫然と眺める。

「どうしてそんなことを言うの」

「私が水神になるからだよ。だから、ここに来るのはこれで最後。受け取って。そうしてくれると私も嬉しい」

「……い、いらない。そんなものいらないっ」

 少年は目を瞬かせて、さっきまで青白かった顔を一瞬で怒気に染めあげた少女を岩上から見下ろす。どうしたものかと推し量っているのだろう。それでも、手を引っ込めようとしない弛祁を彼女は思い切り睨み上げた。

「いらない。私は絶対に受け取らない。どうしてもと言うのなら、……それなら、私が弛祁と夫婦になった時にもらうわ。大切なものなのでしょう? それならば、一緒に守ればいいじゃない。それでいいじゃない。そうして、あなたが私の傍で息絶えた時に、私は弛祁からその玉を譲り受けるわ。私が死ぬ時には、子どもたちに譲り渡すの。そうやってずっとずっとずっと……」

 少女は己の口を両手で覆った。尻つぼんで消えていった言葉たちを、弛祁は黙って聞いていた。けれども、俯いたまま終には喋らなくなってしまった彼女へ、彼は静かな諭しを落とした。

「それはできないんだよ。だから、代わりにもらっておいて」

「それなら、いらない。だってそれが何になると言うのよ。弛祁は私が何も知らないとでも思っていたのでしょう。だけど、私は知っているもの。全部知ってしまったもの!」

 悲鳴を上げるように、彼女は胸につかえていたものを全て吐き出した。弛祁は愕然とした表情で少女を見下ろし、言葉を失う。

 少女は顔を上げた。くしゃくしゃと顔を歪めて、それでも彼を真っ向から見据えて言った。

「私、知っているもの。弛祁は水神様になんかなれない」

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