苦い酒

エイドリアン モンク

苦い酒

 街の空はくすんでいる。それは、街中の工場の煙突から立ち上る真っ黒い煙が原因だ。20世紀に入ってしばらくたつが、綺麗な青空が戻る気配はない。そもそも、俺は生まれてから一度もそんな空を見たことが無いが。

 俺はそんな街の外れにある倉庫にいた。倉庫には、俺と同じ歳くらいの若者が集まっている。

「聞いてくれ」

 その一言で、みんなが手を止めた。

「いよいよこの時が来た」

全員、希望に満ち溢れた表情でこちらを見ている。倉庫全体が異様な熱気で満ちていた。

 でも、それは俺に向けられた視線ではない。みんなの視線は、俺の横で木箱の上に立つ男に向けられている。

「この国はとことん病んでいる。富める者はますます富み、貧しい者は金持ちから搾取され続けている」

男の熱弁は続く。

「でも、そんな時代ももうすぐ終わる。俺たち若者がこの国を変えるんだ」

歓声が上がった。中には、涙ぐんでいる奴もいる。


 俺たちは、革命を目指す学生組織のメンバーだ。木箱に乗っているのがリーダーで、俺はそいつの参謀みたいなものだ。

 まもなく俺たちは蜂起する。組織のメンバーが、街のあちこちに隠してある武器を手に取り、一斉に立ち上がる。ここ数年、密に、でも広く深く組織を拡大してきた。それは、リーダーであるこいつのカリスマ性もあるが、俺の貢献も大きいと自負している。実際、外国の組織と渡りをつけて大量の武器を用意したのは俺だ。

 きっとこの中には秘密警察の奴もいるだろう。だが、構わない。もう奴らに手出しできないところまで来ている。それは奴らが一番わかっているはずだ。

 もうじき全てが変わる-あいつは木箱から降りて、メンバーたちと話してる。 

 あいつとは大学で出会った。名家の出なのに少しも偉ぶったところがなく、この社会の不公平を憎んでいる。貧しいものを救いたいと心から願っている。

いい奴だ、本当に。あいつの周りは、いつも見えない光が差し込めているようだ。それが無性に息苦しくなる。息苦しさはおさまるどころか、日に日に増している。 今はここにいたくない。俺はこっそりと倉庫を抜け出した。


 倉庫街を抜けて、貧民街に入った。貧民街と言っても、道を数本挟めば、街の目抜き通りだ。そこを行き交う人は、道の数本裏にある地獄を知らない。いや、知ろうとしない。俺はそうじゃない、ここが俺の生きてきた世界だ。

 古い一軒家の地下にある闇酒場に入った。息苦しさを忘れるには、酔ってしまうことが一番だ。ここでは、安い密造酒が売られている。

 酒を注文すると、不愛想な店主が俺の前にグラスを置いて酒を注ぐ。一気に一杯目を飲んだ。苦く、消毒薬のような風味がするが、ここに来る客はだれも気にしない。安くて酔えればそれでいい。お替わりを頼んだ。

「あれ、あんた見たことあるな」

 ろれつの回らない舌で、俺と同じ歳くらいの男が近づいてきた。機械油まみれの作業服を着ている。

「そうだ、思い出した。革命起こそうって運動やってる学生だろ?俺たちを救ってくれるのか。ありがたいことだ」

男の言い方には棘があった。

「だいたいよお、金持ちのお坊ちゃんお嬢ちゃんに、俺たちの何が分かるって言うんだ」

「俺には分かるさ」

 俺は貧しい家庭の出だ。あのグループの中では珍しい。小さい頃から、働きに出され、勉強は仕事の合間に独学でやった。

 あれは何年前のことだろうか、俺はレストランの皿洗いをしていた。その日、厨房からこっそり客席を見た。客席には着飾った客達が、高い酒を飲みながら食事を楽しんでいた。  

 そんな客のなかに、俺と同じくらいの子どもがいた。誕生日なのだろうか、ロウソクが立てられた大きなケーキが、そいつの前に置かれていた。店員や家族が誕生日の歌を歌っている。その日、俺も誕生日だった。

 ドアを一枚挟んだだけで、世界がだいぶ違う。あかぎれだらけの自分の手を見た。この世界は不平等で、それが変わる見込みはない。

だったら、いっそうのこと、すべて壊すか-俺は決心した。

 それから俺は、仕事の合間にさらに猛勉強した。この国では、高校に行かなくても検定試験に合格すれば、大学に行くことができる。善意か偽善か、貧しい家庭の子どもに進学費用を出す慈善家の目にとまり、俺は大学へ行く資金を得て進学した。

 大学には理想に燃える学生はたくさんいて、仲間はすぐに見つかった。でも、俺に指導者の資質はない。だから、あいつをリーダーに立てて、俺は参謀として動くことにした。

 もう少し、もう少しで俺の夢は叶う。組織の士気は高い。それなのに感じる息苦しさ。そうだ、俺はあいつらを見て無意識に心の中で冷笑しているんだ。

 あいつらは、恵まれて育った人間だ。与えられる側の人間のくせに、光の当たる道を歩いてきたくせに、今の体制に不満を持ち、それを変えようとしている。奪われる側の人間たちが諦めているのに、わざわざ与えられている人間が……すごい皮肉だ。

 そうだ、俺は目の前にいるこの男と根っこの部分は変わらない。

「おい、そんな怒るなって。からかって悪かったよ」

男が俺の肩をたたいた。黙り込んだ俺を見て、男の言葉で腹を立てたと思ったらしい。

「ほら、飲めよ」

男が、店主からボトルを受け取り、俺のグラスに酒を注いでくれた。

「俺は学も、金もねえダメ人間だけど、本当はお前達のこと少し期待してるんだぜ」

「・・・・・・ありがとう」

俺はまた一気に酒を飲み干した。それから、男と何杯か飲んだ。

 気がつくと、店の外にいて通りを歩いていた。いつの間に店を出たのか覚えていない。酒は強いはずなのに……。

 ―いいのか?このままだと捨て駒だぜ?

誰が言ったんだ。俺か?あの男か?分からない。腰に違和感を感じて手を当てると、金属の感触がした。銃だ。こんなもの、いつの間に……。

 ―あいつに、潰されるぜ?

嫌だ。 

 ―じゃあ、壊せよ。それしか生き残る道はない。

 また記憶が遠のいた。どう戻ったか分からないが、気がつくと倉庫の裏口にいた。

「おい、あれからどこに行ってたんだ。心配したぞ」

あいつは、二階の小部屋にいた。

「飲んでるのか?」

「……少しだけな」

 俺はゆっくりとドアを閉めた。

「しっかりしてくれよ。俺たちの組織はお前が頼りなんだからな」

「そうか……」 

俺は、あいつに銃を向けた。

「・・・・・・なんの真似だ?」

あいつはまっすぐ俺を見ていった。ここでうろたえないのはさすがだ。

「俺を利用する気だろう?そうはさせるか……」

「落ち着け。何の話だ?」

「勘違いしないでくれ。俺は、お前が好きだ」

「だったら、銃を置け」

「それはできない」

俺はゆっくりと首を横に振った。

「悪いな。これは正当防衛だ」

 引き金を引いた。あいつは、信じられないという顔をして、俺の目の前で倒れた。

「秘密警察だ」

 一階の方から怒鳴り声が聞こえた。倉庫が騒然となる。来るのが早い。まるで、知っていたかのようだ。

 ああそうか、そういうことか。結局、もう手遅れだったのか。俺は銃口をこめかみに当てた。

 倉庫に秘密警察が突入したとき、あちこちにある学生組織のアジトに一斉に秘密警察が踏み込み、多くのメンバーを逮捕していた。


 翌朝、川のほとりに置かれたベンチで、犬を連れた老紳士が新聞を読んでいた。

「隣、いいですか?」

若い男が老紳士の横に座った。酒場にいたあの男だ。今朝は、仕立てのいいスーツを着ている。

「作戦は成功です」

老紳士にだけ聞こえる声で言った。

「新薬の効果も抜群でした」

「・・・・・・そうか」

紳士はベンチから立ち上がると、新聞をベンチに置いて立ち去った。新聞には、昨夜の一斉逮捕が一面に載っている。朝刊の締め切りに、ギリギリ間に合うタイミングを計算して踏み込んだ。

「『ご苦労の』一言も無しか……」

 若い男は苦笑しながら新聞を取り上げて、記事を読んだ。

「皮肉だよな……」

そうつぶやくと、若い男は新聞をごみ箱に捨てた。

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