#0 唐突な青春の蹉跌

 教室棟2階の作法室と云う和室に、俺は居た。副担任にアンケート用紙をまとめて持ってくる様にことづけられたからだ。「あ行」がたら多いクラスで、かきと云うみょうを持つ俺は、出席番号に添って並ぶ座席順で、教室の窓際から3列目の先頭、まり教卓から若干ズレオフセットするもののの目前、簡単に言えば教室内で最も教師に近い席に配置された所為せいで、此の面倒臭い仕事を授かってしまったのだった。

 ほう名告なのった其の女副担任は、俺新入生に今後の学校スクール生活ライフいてのアンケートを回答させている間、ヒマそうに教壇上をうろついていたが、ふと思い付いたかの様に教壇を降りると俺の耳許で「後で『作法室』って部屋に紙集めて持ってきて」とささやいた。俺がうなずきつつ小声で「分かりました」と答えると、佐峰教師は微笑を浮かべつつ「御免ね。頼むわ」と小さく返した。其の表情に俺は、ときめきめいたものを感じないでもなかったが。

 そして、其の美しく、また可愛かわいらしくもある佐峰教師と俺は今、二人きりの作法室内で向き合っている。


 何故、こんな事にったのだろう?


 ろくに何もしないまま牽制けんせいいぶかしがりでギス付いた雰囲気ムードの中、高校初日の金曜は正午過ぎに解散と為った。俺は学校ここから車で1時間程離れた田舎に実家がり、通学の為に学校の近くの、姉が両親に援助して貰いながら借りている賃貸住宅マンションに下宿している。そんな境遇の俺に所謂いわゆる同中オナチュー”の友人はクラス内には当然居ない。腹はくくっていた心算つもりだったが、誰も話し相手が居ない一匹狼ローンウルフ状態は想像以上に心許無いものだった。

 余所よそ余所しさ全開フルスロットルの環境の中、辛うじて学級クラス全員からアンケート用紙を集めた俺は、既に気疲れから来る疲弊を感じつつ、下校する為に手っ取り早く用件を済ませてしまおうと、早速作法室を探し始めた。「作法室に書類を届けよ」と云う命をたまわったは良いが、肝心の部屋の場所をき忘れていた所為だ。

 5階建ての教室棟の最上階に位置する1年機械科1組教室ホームルームから出て、各階の階段正面に掲げてあるフロアの見取り図を一階ずつ下りながら見ていく事にした。

 早く帰りたい俺の心境とは相反して、5階にも4階にも3階にも作法室は無かった。抑々、此の教室棟に作法室デスティネイションが在るかすら分からないのだ。其れに気付き、更に落ちて墜落クラッシュスレスレの気分テンションで二階へ続く階段を下り乍ら溜め息をいた、其の直後だった。

「おぉ」と思わず声が漏れた。「面倒メンド臭ぇ」と云う言葉フレーズが頭一杯に埋め尽くされた儘二階の見取り図を眺めていた俺のに「作法室」の文字が飛び込んだのだ。俺は若干のあんを感じつつ、見取り図に従って二階の廊下を進んだ。すると俺から見て左側に突如、周囲の無機質な校舎の意匠デザインと全くそぐわない、真新しい木製の立派な引き戸が現れた。引き戸の横の壁面には、白字で「作法室」と書かれた、黒塗りブラックアウトされたヘアライン加工調の表示板が掲げられている。引き戸を開けると、一段高く為ったぐの所にふすまそびえていた。俺は引き戸と襖に挟まれた足許のきょうしょう空間スペース三和土たたき見做みなし、黒い護謨底靴スニーカーを脱ぎ、襖を開けた。


 何故、こんな事に為ったのだろう?


 室内は畳張りで、教室ホームルームより一回り程小さい。作法室を名告るだけあり、和室としてしっかり造り込まれている。無機的な造りの教室棟校舎の中、唐突に純和室が存在しており、まるで其処だけ全くの異空間であるかの様だ。

 そんな部屋の中央に佐峰教師は背筋を伸ばし、正座していた。襖を開けたきり突っ立って室内を見渡している俺に、瞑想していたらしい先生は、眼を開き此方を見て、

「御苦労様。アンケート用紙それ提出して」

 と促した。此の時、いささか大袈裟な表現だが俺は、佐峰先生の端麗な容貌に感嘆していた。


 何故、こんな事に為ったのだろう?


 俺は佐峰先生にならい、先生の対面に正座し、アンケート用紙の束を手渡した。先生はパラパラと大雑おおざっに紙の束をめくり、さっと目を通すと、俺にねぎらいの言葉を掛けた。

「御免ね。作法室の場所伝えてなかったから、難儀したでしょ」

「いえ、そうでも無かったですよ……」

 其処で話は途切れ、微妙な空気が流れた。俺は黙った儘、眼の前に居る女教師に見蕩みとれていた。佐峰先生も俺と同じ様で、自然と二人は見詰め合っていた。俺は頭の片隅で戸惑い、直観していた。

 此の、得体の知れない空気は、まずい。

 まるで俺と佐峰先生が何かに飲み込まれていく様な気がした。何か、不可思議で抗えぬ巨大なものに。

 しかし直後、どうでも良くなった。脳内の思考が強制終了された。何故、其の指令が下されたのか、今もって判然としない。

 何方どちらとも無く、顔を近付け、お互い徐々に眼を閉じる。先生の顔が間近に在る。目視ではなく、感覚で解った。

 一切合切いっさいがっさい理解出来ない儘、そっと唇を触れ合わせた、其の時、其の瞬間、其の刹那、だ。

 

 嗚呼ああ――何故、こんな事に為ったのだろう?

 俺は輝ける(筈の)高校スクール生活ライフいて、行き成りつまずいてしまったのだ。

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