神竜さんの里帰り
ばけ
序章
「このアホ太陽!」
桃色の花びらが ひらりひらりと舞い落ちる。
それを何とはなしに目で追っていると、隣から小さなため息が聞こえた。
「終わっちまったなぁ、高校生活」
自分が持っているのと同じ卒業証書が入った筒を手にした友人が泣きそうなのをごまかすように空を仰いでいるのを見てひとつ笑みを零し、俺もどこか感慨深く、あちこちに人の溢れる校庭を眺めた。
「そうだなぁ。もう学校来ないんだと思うと、不思議な感じするよ」
「……お前、進学しないんだっけ?」
「んー。実家帰る、やる事あるし」
「そっか」
「ていうか、お前もやることあるだろ、高校生活最終日に」
卒業証書を肩にあててポンポンとやりながら、友人を見て口の端を上げる。
「やること?」と理解できていない様子で目を丸くするそいつの肩をがしりと掴んで、校舎に向けて無理やり方向転換させた。
「委員長はまだ生徒会室にいるぞ、行って来い!」
友人の幼馴染でもある少女の居場所を告げて背を押せば、真っ赤になった顔がこちらを見て、いつからバレてたんだと目が訴えてくる。そんなもん同じクラスになったことあるやつ全員が知ってるわ。
どこからどう見ても両想いだからさっさと行け、とまでは言わなかった。
どうせあと十数分後には幸せいっぱいになるんだ、そこまで教えてやることはないだろう。
「……俺、行ってくる」
「ん」
「ありがとな!」
赤い顔のまま、人の波を逆走していった友人の背を見送る。
「こちらこそ、楽しかったよ」
ありがとう。
足元に落ちていた桜の枝を拾い上げながら、俺は小さく呟いて、笑った。
すっかり歩き慣れた道を通って最後の下校をする。
住宅街を掠めて向かうのは町外れの神社だ。長い階段をのぼり境内を抜け、社務所 兼 住居の戸を開けた。
「ただいまー」
「お帰りなさい。卒業式はどうでした?」
「一組のカップル成立に手を貸してきた!」
「あらあら」
びしりと親指を立てた俺に穏やかな笑みを返すのは、上品な着物に身を包んだ女性だ。
「何にせよ、卒業できて良かったですねぇ」
俺が手にしている卒業証書を見て意味ありげに小首を傾げる。その言葉が意味するところを知っている俺は、ぐっと言葉に詰まった。
「進級が危なかったのは……二年のときだけだから」
「三年に上がるときも若干ぎりぎりな感じしましたけどねぇ」
「だ、だって何もかも違うから全部ゼロから覚えないといけないし! 頑張っただろ結構!」
「まぁご自分の希望でやりだしたことですから、それくらいはねぇ」
ずばずばと切り返されて返す言葉もなく肩を落とすと、彼女はその笑みをふと柔らかいものに変えて俺を見た。
「短い同居生活でしたが、賑やかで楽しゅうございました」
「俺もだよ。色々とお世話になりました」
畳に手をついて丁寧におじぎをした彼女に倣い、俺も目の前に腰を下ろし、頭を下げる。
そしてゆっくりと顔を上げれば、そこには金色に輝く九本の尾を持った狐がいた。
「どうぞ、またいつでも遊びにいらしてくださいまし」
「うん。次はサラリーマンっていうのやってみたいな」
「その際は事前にもう少しこちらの学業を頑張らないといけませんわねぇ」
「うっ」
ぎくりと顔をひきつらせたこちらの様子に、狐が……彼女がころころと笑い声をあげる。
釣られるように苦笑しながら、その場で立ち上がった。
もうそろそろ行かなくてはならない。
「それじゃあ行くよ」
「ええ」
ふわりと自分の体が浮き上がって、周囲に光が溢れる。
徐々に霞んでいく視界の向こうから彼女の穏やかな声が聞こえた。
「またのお越しをお待ちしております、神竜どの」
そして、世界が真っ白に染まる。
*
短い浮遊感のあと目を開くと、そこは見晴らしのいい崖の上だった。
ちよちよと鳴く鳥の声を耳の端に聞きながら、俺はゆっくりと息を吸い込んだ。
「っ帰ってきたぞーぉ!!」
久しぶりの馴染んだ空気の中で背伸びをしながら、これからのことを考える。
まずは片割れに会いに行って、それで、それから……えーと。
ああ、体がうずうずして考えがまとまらない。
もうそういうのは全部後だ。俺は勢いよく崖の突端へと走り出した。
そのまま思いきり地を蹴って、跳ぶ。
重力に沿って落下し始めた体に風を受けながら顔を上げると、色とりどりの花が、青々と茂る木々が、どこまでも続く草原が、陽の光に照らされているのが一望できた。
自然と口元が緩む。
愛しい世界の気配を全身に感じながら目を閉じた。
そして俺は“翼”を広げる。
金色の鱗が陽光を弾いて光り、巨大な一対の翼が風をつかむ。
元の姿に戻るのも随分久しぶりだったので、ちゃんと飛べて良かったと少しだけ胸を撫で下ろした。
「神竜が飛び方 忘れて落下とか、そんなことになったら絶対怒るもんなぁ……」
神竜らしさについていつも懇々と説いてくる片割れを思い浮かべて、誰も見ていないと知りつつ一応 威厳ありそうに飛んでみる。
久しぶりの故郷の空にすっかり嬉しくなっていた俺の尾は、威厳ゼロの上機嫌さで、ぶんぶんと左右に触れていたけど。
自分の翼で風を掴む感覚を楽しみながら飛び続けることしばらく、やがて目の前に険しい山脈が見えてきた。
進むにつれて叩きつけるように吹きすさぶ豪雪の中を鼻歌まじりに突っ切って、その中でも一番高く巨大な山に向かって飛ぶ。
そしてその山の ど真ん中に、ためらうことなく突っ込んだ。
すると柔らかい膜を通り抜けるような感覚がして、次の瞬間、俺は広大な洞穴の中にいた。
ゆっくりとホバリングをして高度を落としつつ安堵の息を吐く。
入れて良かった、締め出されたらどうしようかと思った。
久々の我が家で悠々と羽を(文字通りに)伸ばしていると、洞穴の奥、青白く光る一対の石柱の向こうにある大きな扉が軋んだ音を立てて僅かに開いた。
その隙間から現れた姿を見て、俺はぱっと表情を輝かせて名を呼んだ。
「月の!」
長い銀色の髪を後ろでひとつに束ねて、白を基調にした動きやすそうな服を着た女性は、仁王立ちで、竜体の俺を遥か下から睨み上げた。
「ようやく帰ったな、この道楽神竜。異世界観光は楽しかったか?」
「物凄く楽しかった」
聞かれたので心からの感想を述べると、彼女のこめかみにビシッと青筋が入った。
「だからといって三百年もふらふらほっつき歩いてくる奴がいるか!! “受け取る”のは貴様の役目なんだぞ! 仮にも神竜の片割れであるならそれにふさわしい振る舞いを……」
「まぁまぁまぁまぁ!」
いつもの「神竜とはなんぞや講座」が始まりそうな気配を察し、慌てて俺も人間体になる。
そして学生服の内ポケットから取り出した一本の枝を彼女に差し出した。
銀の光が散る彼女の瞳がそれを見てきょとんと丸くなる。
「何だこれは」
「おみやげ。最後に観光してた世界の花なんだけど、月のに似合うと思って持ってきた」
そう言って手渡すと、彼女は桃色の花がついた枝を受け取って小さく息をついた。
お説教が中断したことについては不服そうだけど、桜の枝が朽ちないようにそっと保護をかけていたところを見ると多分気に入ってくれたんだろう。
「……まぁ、なんだ。おかえり、太陽の」
「うん。ただいま、月の」
いつもの挨拶を交し合ったところで、彼女はようやく口元に笑みを乗せた。
それから改めてこちらの姿を上から下まで観察するように見て、自分より拳ひとつ分くらい低い俺の頭をぽんぽんと叩く。
「しかし随分若作りしてるな」
「ああ、高校生やってたからそれに合わせてて……ちょっと馴染んじゃったかな」
「コーコーセイねぇ」
彼女が興味深そうに学生服の端をつまんでひらひらと振る。
人間体になるとき、顔の造形やら何やらまでは変えられないが、見た目の年齢はかなり自由に調節できる。今回の異世界旅行に行く前はだいたい二十代くらいで固定しているときが多かっただろうか。
しばらく高校生として人間生活を堪能していたからか、とっさにこの年代になってしまったようだ。
まぁちょっと癖になってるだけだから放っとけばそのうち元に戻るだろう。別に困ることもないし。
「先々の神使に迷惑はかけなかったか、太陽の」
「金の九尾さんが作ってくれるご飯 美味しかったよ」
「何を普通に世話になっとるんだ!!」
がっと胸倉掴まれて怒鳴られたが、本当にあの人の里芋の煮っ転がしは絶品だった。
「だって泊まってって良いって言ってくれたからさぁ」
「まったく貴様は……あぁもう口調もそんなに砕けて……」
「えっ、あれ、俺どんなふうに喋ってたっけ!?」
深い溜息と共に肩を落とした片割れの姿を見て、俺も若干の危機感を覚え記憶をさらうが思い出せない。
どこの世界でもかなり気ままに過ごした上に、あの気安い友人達との高校生活がとどめを刺したらしい。神竜としての威厳的なものに。
「貴様いざというときにちゃんと神竜らしく喋れるんだろうな」
「いや、大丈夫、たぶん弟妹に会えば思い出すと思う……うん」
昔の威厳溢れる自分(仮)を。きっと。おそらく。
再びジトリと俺を睨みつけてくる彼女の気をどう逸らそうかと思考を巡らせているうちに、あることを思い出して「あっ」と声を上げる。
「そうそう、忘れるとこだった。月の」
「なんだ言い訳は聞かんぞ。やはり貴様には今一度 神竜としての心得を叩き込まねば」
実行されれば数年くらいこの洞穴から出られなさそうな勉強スケジュールをぶつぶつと組み立てている彼女を見やって、俺は満面の笑みを浮かべた。
「新しい竜が生まれるから準備してねって、神様が言ってたよ!」
たよたよたよよと自分の明るい声が洞穴に反響する。
嬉しいな楽しみだな どんな子だろうと上機嫌に話しかければ、固まっていた片割れの目が一気に吊り上がるのを見た。
「……それを、早く言えぇ!!」
その日、神の山と呼ばれ人々に敬われる荘厳な山脈に、「このアホ太陽!」という神々しさの欠片もない神竜の片割れの雄叫びが響き渡ったのだが、幸いなことにそれは誰かの耳に届くことなく、猛烈な吹雪の音にかき消されたのだった。
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