第46話-アサとヨル
私はアサヒナ・フォン・フィンブル。
フィンブル伯爵家の長女であり、スヴァルトリング王国の女王を守護する近衛騎士団長を拝命している。
国に仕える騎士となり、魔獣討伐などで武勲を上げ、フレイア女王が即位に合わせて新設された近衛騎士団四十八名の長として配属された。
魔法はあまり使えないが、剣の腕はそれなりに立つと自負している。
それにフレイア様が王女であった頃から戦いを指南させて頂いていたことも大きいだろう。
経緯はどうあれ、私は女王陛下の剣として盾として誇りを持っており、女王陛下をお護りするためならこの身を投げ出す覚悟で日々研鑽を続けている。
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「アサヒナ様」
その日、私は教会へ視察に向かったフレイア様と第一部隊を見送った後いつものように訓練所で第二、第三部隊の訓練を行なっていた。
そろそろ本日の訓練も終わりだという時間、宰相のスンガク様が従者も連れずにやってきた。
この訓練所に宰相殿がわざわざ来られた時点で嫌な予感を覚えた私は、すぐさま訓練を切り上げ隊員には隊舎にて出動待機を命じた。
謁見室隣にある会議室。
機密性の高い話をするときなどに使われているその部屋には、私と宰相のスンガク殿の他に、情報部隊長ヘーニル殿、騎士団長のウル殿の四人が揃った。
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奥歯を噛み締め、悲痛な表情をしたスンガク様から説明を受けた私は愕然とした。
フレイア様が視察から城に戻る時、こつ然と姿を消したらしい。
「そんなことが……ありえるのか?」
私が漏れこぼした一言に情報部隊長のニーヘル殿が厳しい顔をする。
「魔法が使われたとなるといくつか考えられるものはあります。もう少し詳しい状況をご説明いただけますか?」
スンガク宰相もその場にいた近衛に話を聞いただけなのだがと前置きをする。
「つい先刻、教会の鐘がなったのはお聞きになりましたでしょうか? 毎日夕刻に鳴り響く鐘なのですが、あの鐘の音に護衛の意識が向いた瞬間、こつ然と姿が見えなくなっていたそうだ。ちょうど教会の視察を終え、馬車に向かうまでの数歩の間だ」
それを聞いてニーヘル情報部隊長が額に浮かべていた皺が更に深くなる。
「陛下のお声も聞こえなかったのでしょうか?」
「そう聞いている」
スンガク宰相とニーヘル情報部隊長のやり取りが続いているが、基礎的な魔法の知識しか無い私ではまともな助言ができないと割り切り、目の前に広げられている地図を見つめる。
この王都は八角形のような形をしており、中心部にこの王城がある。
王城の北側から右回りに第一地区、第二地区と区分けされている。
それぞれの地区の王都に近い部分が貴族街であったり、商業区であったり、学校区が設けられていたりする。
ちょうど真南にある第四地区の王城と外壁の間にティエラ教会大聖堂がある。
大聖堂から王城まで馬車で十五分程度。
逆方向に向かうと大聖堂から南大門までも三十分ほどでたどり着けてしまう。
陛下の姿が消えたのはつい三十分ほど前。時間が経てばたつほど見つけられる可能性が低くなる。
そう考えた私は、居ても立っても居られなくなった。
「宰相殿! 私は近衛を率いて捜索に出向きます! 騎士団や衛兵の動ける者を全員動員してもらいますので、何か動きがありましたら
バンとテーブルに手を付き、席を立つ私にスンガク宰相が慌てて声をかける。
「まて! アサヒナ団長!」
「いいえ、待っていられません! 時間が経てばたつほど陛下の身に危険が及びます!」
「捜査に出るのは構わんが、この事実を知るものはなるべく少なくしてくれ。女王が誘拐されたなど広まった日には……」
宰相の言うことも最もだ。
だが、人一人を広大な王都から探し出すなど人手が幾らあっても足らない。
「限られた人員だけで街中の捜索など不可能です……!」
「それでもだ。相手から何も接触が無い以上、大々的に動くわけにもいかん。まずは日が変わる迄の間に近衛騎士団で目星をつけておいてくれ」
目星? 陛下が攫われ、誰がどうやって攫ったかもわからないのに、今どこにいるのかの目星をたった四十八人で探し出すのなんて不可能だ!
けれど、それでも、不可能だとわかっていても、今は一分一秒でも捜索の時間に回したい。
「近衛騎士団、陛下の捜索に進発します。この情報は部隊外には他言いたしません!」
「よろしく頼む……! 私はニーヘル情報部隊長と、考えられる可能性を全て洗っておく!」
宰相殿も無茶な依頼だということはわかっているという表情で、なんとか言葉を絞り出すように言った。
団長になったとき陛下に頂いたハンカチをギュッと握りしめ、ポケットに仕舞い会議室を出た。
――――――――――――――――――――
「近衛騎士団 第一から第三、傾注!!」
副団長が集まった近衛騎士団に号令をかける。
最初から静かに整列している四十六名が、その一言で全体がピリピリとした雰囲気に切り替わる。
「緊急の案件だ。女王陛下が何者かの手により攫われた。直ぐ側で第一部隊が護衛していたにも関わらず、目と鼻の先でこつ然と消えたとのことだ」
私の説明に一瞬だけ動揺が広がるが、それを上書きするかのような気迫が部隊全体を包み込む。
「現時刻において本件はこの部隊のみの秘匿情報とする。まずは第四地区を中心に捜索。怪しい施設は片っ端から立入捜査を行え。ただし市民に不審がられるような大々的な行動は控えること。日付が変わる頃に各部隊長は中央区の噴水に集合せよ!」
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「はぁ……はぁ……はぁ………」
手がかりもなく街中を彷徨うこと数時間、数十箇所の施設などの立ち入り捜査も行ったが、やはり手がかりは微塵も見つけることができなかった。
「くそっ……フレイヤ様……どうかご無事で……」
時間は深夜。
冬とはいえ数時間、街中を駆けずり回り鎧の下は汗だくとなっていた。
日付が変わると王城から正式に女王誘拐の報が流され、捜査範囲が一気に拡大する予定となっている。
発見の可能性も高くなるが、逆にフレイヤ様やこの国の危険も上がってしまう。
可能なら今のうちに、まだ市民の誰も騒ぎを知らないうちに解決してしまいたい。
焦る気持ちとは逆に、時間ばかりが過ぎてゆき、気がつけばそろそろ自分が定めた集合時間が近くなっていた。
「くそっ……仕方がない、一度広場に戻る時間か」
額を流れる汗を吹きながら、近くに見える大聖堂に視線を移すと、その途中に何か桃色の動くものが見えた。
「……ん?」
すっかり真っ暗になってしまった大聖堂周りにある公園。
周りを木々に囲まれて普段は子どもたちの遊ぶ声が響いているが、近くに住宅や飲食店も少ないために、この時間帯はほぼ人の姿は無いのだ。
ただの酔っ払いがフラフラ歩いているのだと思ったのだが、なぜだかその人影から目が離せなかった。
泥酔したように左右に体を揺らしながら歩く、桃色髪のセリアンスロープ。よく見てみると、髪色と同じ体毛に覆われた尻尾が揺れている。
(猫のセリアンスロープなんて初めて見た……)
ただの市民には見えず、冒険者にも見えない。
まだ私より随分若く見えるその少女は、一人カップを片手に歩いていた。
顔がニヘっと笑顔になっているところを見ると、どうやら一人気分良く飲んでいるようで事件性は無いと判断した。
(……でも流石にこの時間に女性が一人は危険すぎる。声をかけておくか……)
今はフレイア様の捜査が最優先ではあるが、あの少女が犯罪に巻き込まれてしまっては大変だ。
「ねぇ、あなた」
私は注意を促すために、なるべく怖がられないような口調でセリアンスロープの少女に話しかける。
「ん〜なぁに〜?」
少し赤らんだ顔で振り向いたその少女は、耳をピクっと動かした後鼻をスンスンと鳴らした。
「なぁに〜あなた……ふふっ、こんな夜中に……あはははっ、そんな鎖帷子まで着込んでっ……ふふ、しかも随分と汗臭いけれど、騎士団で運動会でもしているのっ?あははは〜っ」
うっ……確かに汗を書いてはいるがそこまで臭うだろうか。
しかし随分とご機嫌な様子だ。
この時間にこんな静かな公園にフル装備の騎士が居れば確かにおかしくは有るが、そこまで笑わなくても良いのではないかというぐらい笑っている。
……鎖帷子?
肌着の上に着込んでいるが、よく判ったな……鉄がこすれる音を聞き取ったのか?
(確か猫は聴覚は犬より鋭いし、嗅覚もそれなりに強い……もしかしたら)
「人を探しているんだ……手伝ってもらえたりはしないだろうか」
改めて思えば、初めて合ったばかりのただの市民に対し、私は何を言ってしまったんだと思わなくもない。
だが、この判断を私は自分で褒めてあげたいと思う。
「人探し〜っ? それでそんな格好で駆けずり回ってるの? あははは」
何がおかしいのがさっきからずっと笑われている。
楽しくて仕方がないような笑い方で、不思議と嫌な気分にはならないが……。
「はい」
突然手を差し出してきたセリアンスロープの少女の顔を伺うと、先程までの酔っ払っているようなフワフワした表情が消え、その雰囲気が一変していた。
「そんな泣きそうな顔で、素性の知らない私にそんなことを聞くなんて、相当切羽詰まっているんでしょ? 持ち物か身につけているものか匂いのわかるもの持ってない?」
――私は泣きそうな顔をしていたのだろうか。
いつもポケットに忍ばしてある陛下より賜ったハンカチを少女の小さな手のひらに乗せる。
その少女はおもむろにハンカチの匂いを嗅ぎ、しばらくした後に私の手を握り、首筋に顔を近づけてくる。
「うぇっ?」
「匂いが混じっているから、あなたの匂いも嗅がせてね」
そう言われて、その少女は突然私の首筋に顔を近づける。
なっ……これでは……夜中も誰もいない公園で女の子に抱きつかれているみたいじゃないか。
顔が一気に熱を持つのが自分でもわかった。それと同時に彼女の髪の匂いが鼻孔をくすぐる。
「私は個別で探してもいいのね?」
「まってくれ! 本当にそれでわかるのか?」
「さぁ〜……でもこの匂いを頼りにこの辺りを走り回って、よく似た匂いがあるかどうかぐらいはわかるかも」
「……わかった。もし見つけたらまずは中央区の噴水まで来てもらえないだろうか。あっちに五分ほど歩いたところにある」
私は王城の方角を指差し、彼女にお願いをすると彼女は「わかったわ」と言いながら屈伸を始めた。
「あっ、すまない私はアサヒナという。アサと読んでくれて構わない」
「アサね……面白いわね。私の名前はヨルよ。冗談でも無く本名だから」
「ヨルか……ふふ、たしかに面白い。市民の貴方にこんなことを頼むのは到底おかしな話だが、今は藁にも縋りたい状況なのだ。どうか我々に力を貸してください。だが無理はせず、もし危険だと思ったら撤退してくれて構わない」
私はヨルと名乗った少女に最敬礼をする。
「私は市民じゃなくて、旅人よ。一応傭兵ギルドに所属しているから気にしないで。じゃ三十分で一度戻るわ」
そう言ってヨルはしゃがんだと思った瞬間、音もなく周りの木々より高く跳躍した後、夜の街に消えていった。
夜に覆われた王都の中、家々の屋根に次々と飛び移り、闇に消えていったヨルの後ろ姿をしばらく見つめた後、私は集合場所に足を向けた。
――――――――――――――――――――
「アサヒナ、どうしたの?」
「えっと、昨日のことを思い返しておりました。その……濃すぎる一日だったなと」
フレイヤ様と二人、馬車に乗り込み城に戻る道中、陛下が私の顔を覗き込みながら不思議そうに聞かれたので、昨日あったことを簡単に話、ヨルとどうやって出会ったのかも伝えた。
「ヨルにはどれだけお礼をしても足らないわ…アサヒナ、事件の処理も大変だけれども、そっちもよろしくお願いね」
「はっ、抜かり無く」
馬車に響く振動の種類が変わり、王城内に入ったことを知った私は陛下にそう答え、あのセリアンスロープの少女にどうやってこの感謝を伝えきるかに頭を悩ませるのだった。
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