第6話-樹海の奥で蠢くもの
どうしてその気配に気づいたかと聞かれても、勘としか答えられない。
(ぴくっ)
眠っているヨルがフードの中で耳だけを動かした布連れの音が聞こえたと思ったら、突然ガバっと身を起こした。
「どうした? 交代するか?」
「しっ……」
どうやらヨルは何かの気配を感じ取って起きてしまったようだ。強張った表情のまま、それだけ言って中腰になり、フードを外して目と耳だけを動かし周りに意識を集中させる。
それに反応したアルも置いていた剣を手に取り、柄を握りながら周りを見回すが、鳥の声すら聞こえずなんの気配もしない。
「なにも……居ないようだが」
「そう……なにも……居なくなってる」
アルはヨルが言ったことが理解できずと訝しむが、すぐにその理由に行き着いてしまった。焚き火が燃えるパチパチという音と、ヨルとアルの息遣い以外の音が聞こえない。
夜行性の動物や鳥も少し前までは騒がしく聞こえていたはずなのに、何の鳴き声もしなくシーンとしていた。遠くからサラサラと風で揺れる葉の音が聞こえてきた。
ずる……ズル……
唐突にヨルの耳に何かを引きずるような音が聞こえてくる。パキっと枝が折れる音も混じっているため、"何かが動いている"らしい。
「こっちに"何か"が向かって来てるわ……」
野生の猫以上に気配に敏感なヨルですら、音を捉えているのにも関わらず、何の生き物の気配も感じられない。そんな異常事態にヨルは無意識に拳をギュッと握ってしまう。
「何かって……なにが……」
ズル……ずる……ズル……
「っ!? 何か聞こえたぞ」
「解ってる……アルはここで警戒してて。私はちょっと上に登って見る」
そう言って先程まで背を預けていた木の上を指差すヨル。
「気をつけろよ」
ちらりとヨルを見ながらそれだけ言うと、ヨルはニッと笑ってから、ひゅんと木の上に飛び上がり、飛び出た一番太い枝に着地する。
(おそらく……あっちから)
そう考えながら視線を向け、ヨルは何の明かりもない暗闇を睨みつける。
ズル……
それは突然だった。
言い表すなら数百メートルも先までなにもない草原で突然目の前に壁が現れたような。
「ーー!!??」
ヨルの尻尾の毛が一気に逆立ってピンと伸びきる。"何か"の姿を捉えたヨルは焚き火の側で剣を構えているアルの隣に着地する。
「どうした……ってお前、髪とか尻尾がブワって凄いことになってるぞ」
「なっ……そ、それよりやばそうなやつが」
「ダロス……じゃないな、その雰囲気だと」
「うん、あんなのは見たことない。獣じゃないし魔獣……かどうかも解らない」
ズルズル……ズルズル……
アルは額から脂汗か冷や汗がたらりと流れ落ちるのを感じながら、その方向から視線を外せない。
「逃げるか!?」
「理由はわからないけど……アレから逃げ切れることを想像できない」
「じゃぁ、いっちょ気合い入れますか」
そう言ってレザーの手袋をした手をズボンでこすり、改めて剣を握り直して手に力を込める。
ガサガサ……ずる……
突然、茂みをかき分け、大きな影が姿を見せた。
"ソレ"はどう形容すればいいのか。引きずるように動かしているのは足ではなく、うねうねと蠢く何本も生えた触手のようなモノ。
恐らく身体であろう部分である、触手の生えているその部分は黒くドロっとした、ヘドロが固まったような球体だった。
泥のような球体に三つの窪みがあり、その奥で青白い光が揺らめいている。
「なんだ……こいつ……」
そのつぶやきに反応するように"ソレ"は突然触手のようなもののをアルに向かって伸ばしてくる。
「くっ」
剣で触手をさばきながら、横に転がりなんとか回避する。
それを狙っていたのか、転がったアルの胴体に向け槍のように先を尖らせた触手を上から振り落としてくる。
「アルっ!」
転がったまま、身体のバネを利用してヨルは飛び上がると、先程までアルの身体があった地面に触手が三本突き刺さり小石が舞い上がる。
「まじかよ……」
「アル! 私が一撃当てて見るから、触手の相手お願い!」
「ちょっ! あんな速度、避けるだけでいっぱいいっぱいだぞ!」
「死ぬ気で避けて!」
無茶な注文を言いながらヨルは木々を利用して三角飛びをしソレの頭上に飛び上がる。アルは次々と迫りくる触手をなんとか回避していたが、時折避けきれなかった触手が防具をかすめていく。
「まるで陸上のタコね………っ!てやぁぁぁっ!!」
落下しながら掛け声とともにギュッと握った拳をソレの頭上から振り下ろす。普通の魔獣なら、大体これで倒せるのだがーー。
ぐにゅ
それはまるでゴムボールのような水飴のような、よくわからない弾力で逆にヨルの拳を腕ごと絡め取る。
「くっ……っ痛っ……!」
ヨルが咄嗟に身体を捻り、その勢いで埋まってしまった右腕を引き抜くと、下から触手が伸び上がってくる。それをヒラリとかわし、なんとか地面に着地し触手の一本を狙って正拳を突き入れる。
ぐちょり
かなり嫌な感じの手応えと共に、触手が中程からちぎれ、地面に落ちる。
怯んだような気配を見せた瞬間にヨルは飛び上がりアルの隣に着地する。
「おまっ、その手だいじょうぶか!?」
ズキズキと痛むと思い右手に視線を落とすと、グローブが半分腐ったように溶けており、拳が先が赤くただれていた。
「うへぇ……痛いと思ったら」
ポケットから布を取り出し、拳に巻きつけ、手を開閉して具合を確かめる。
「アレは早い目に倒してしまわないと、ちょっとまずいわね」
「あぁそうだな。……ーーっ!?」
「どうしたの……?」
アルの視線をたどってソレが蠢かしてる触手のほうを観察してみると、触手の間から何かが見えた。
どす黒くなにかの液体でドロドロになっているが、アルが身につけているものとよく似た服のようなものだった。
「てめぇぇぇ!!」
剣を上段に構え、ソレに向かい突っ込んでいくアル。
迫りくる触手が頬や腕を掠めるが、そんなものは気にしないと言わんばかり間合いを詰め、剣を一閃する。
その瞬間、剣から炎が吹き出し、切られた数本の触手が次々と炎をあげ、ぼとぼとと地面におちる。
「よし……!」
これならやれる!とアルが確信した次の瞬間、ソレの目に灯る明かりが強くなりなにかの魔術が発動する気配と共に、アルは吹き飛ばされヨルの後ろの木に叩きつけられる。
「ぐはっ……」
アルはそのまま地面に落下し起き上がろうとするが足と腰にうまく力が入らない。
「アル! だいじょうぶ?」
「あ、あぁ」
「よかった、じゃぁもう一度さっきのお願い!」
「――あぁっ!?」
「あまり気がすすまないんだけど、とっておきをぶつけたい! でも貯めにちょっと時間がかかるの、だから時間稼ぎ! 逃げ回ってるだけでもいいから!」
「ったく、人使いが……あらすぎる……っての!」
アルはマジかよと内心で思いながら悲鳴を上げる身体を支え、ヨルから投げ渡されたポーションを半分口に含む。
「っしゃぁ! いくぞ!」
アルは抜身の剣を構え、左右に移動しながら触手を牽制しつつ、当たらないことを最優先にしながらソレに近づいていく。
(まったく……あんな魔獣、記憶にないってことは最近現れたのか……誰かが呼んだのか……ナニかの成れの果てか……)
ヨルが思い出せる範囲で、あのような陸上を歩くタコのような魔獣や悪魔の姿は記憶になかったため、最近発生した新種だと判断する。
(ちょっと恥ずかしいけど……私の技の中で一番ダメージが出るのがこれしかないから仕方がない……)
ギュッと両手を握りしめ、補助魔法を詠唱する。
『
ヨルの右手に魔力が渦となり腕にまとわりつき、バチバチと紫電が走り出す。
「――っ! もいっちょ!」
『
今度はヨルを中心にした風が渦を巻き始める。
パタパタと尻尾が風で吹かれるのを感じながら、ヨルは猫がさながら獲物を狙うような構えを取り、ソレをギッと睨みつけ、次の瞬間その姿をかき消した。
「アル! 避けて!!」
叫びながらソレの真上をとったヨルは落下の速度と暴風の勢いを纏いながら、器用に触手の攻撃を躱し続けているアルに叫ぶ。
「ファイナルインパクトぉ!!!!」
紫色に輝いている右手を勢い任せにソレの頭上に振り下ろす。
ボッというような音が聞こえたかと思った瞬間、まるで泥水の入った風船が割れたように吹き飛んだ。アルは吹き飛ばされそうになりながらもなんとか耐えていた。
遅れてドスンという腹に響くような衝撃が伝わってくる。
「はぁーっ! はぁーっ……」
ヨルはアルの隣に着地し、肩で息をしながらも呼吸を整える。
「す……っげぇ……何だ今の……」
「はぁぁ……もうちょっと練習しないとやっぱりダメだー……」
「なぁ、ヨルって魔法使えないって言ってなかったか?」
「魔法じゃないわよ、さっきより勢いと威力を上げて殴っただけよ」
「……殴っただけで、あんな明らかにヤバそうなやつがボンッって爆発四散するか! 地面だってクレーターになってるし、明らかに雷がバチバチしてたじゃないか!」
「ただの補助魔法よ……威力と速度を上げただけ」
「はぁ? 普通、補助魔法ってのはそんなに凄いもんだったのか? 俺のイメージだと、ちょこっと耳が良くなったり、目が見えやすくなったりするぐらいのもんだぞ?」
「そんなの魔法適性があるなら子供だって出来るでしょ」
「できるか! 同僚の高ランク魔法使いでそのレベルだよ!」
「あはは、そんなことあるわけないわよ」
ヨルに魔法を教えてくれてたおばちゃんいわく「ヨルは基礎は理解してるくせにセンスがない、魔法は諦めろ」と言われ、それからは攻撃魔法はすっぱり諦めた。
剣を教えてくれたおっちゃんは「ヨルには剣技はできん、かと言って他の武器のセンスも絶望的じゃ。それでも戦いたいなら、素早く相手に近づいて殴ったほうが早い」と言うので、ヨルはその言葉にならって拳技だけを練習してきた。
魔法も補助魔法ならギリギリ使えるレベルだと言われたので、これを組み合わせて戦う術を身に着けたのだった。
「……人外魔境か、お前の村は」
「でもあまり使いたくないのよね…この技」
「そりゃあれだけの威力がでる魔ほ……技だと身体に相当負担がかかるだろ」
「違う、技名が恥ずかしい」
「は?」
「まだ慣れてないから威力をイメージしやすいように技名を叫んだほうが良いって言われて、実際そのとおりだったんだけど! その……はずかしい」
かーっと顔を真赤にし、モジモジしながらヨルが言いにくそうに言う。耳がへにょっと垂れ、尻尾がふりふりと動いている。
「でもかっこよかったぞ!」
「なっ…! そ、それでも恥ずかしいものは恥ずかしいの! 殴るわよ!」
「ちょちょっとまて! その顔、怖いから! ごめん!」
まだ体内に残っている魔力を拳に再装填し、ジリジリとアルに近づく。アルもそれに合わせてジリジリと後退しながら、ふと何かを思い出したような表情をする。
「残り半分だけだけど、とりあえずこれでも飲んでろ」
さっきアルに渡したポーションの残りを投げて渡されたので、まぁいいっかっと思いながらポーションを口に含む。
「ありがと」
すべて飲みきったところでやっと頭が冷静になってきたのか、ヨルは空き瓶の飲み口をじっと見つめる。
(……飲み残し)
「とりあえず俺は討伐の証拠になりそうなの探してくるから、ヨルはそのへんで休んでろ」
ヨルは妙に頬が熱くなるのを感じながら、その理由を考えないようにしてストンとその場にある岩に座り「これからどうしよっかなー…」と考えにふけるのだった。
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