第2章 幕末ヴァンパイア騒動

 見習い住職の大宮現生は本山の初詣お手伝いルーチンワークを放棄して、イベントが開催されている僧土寺信徒ホールの通用口に向かった。

通用口では警備員がスタッフパスのチェックをしていた。

「……どうするかなぁ」

 入り口まで来たものの、例によって大宮は完全ノープラン。

 ダメもとでいつものように合掌して名前を名乗った。すると警備員は「どうぞ、お疲れっす」と通してくれた。場所が境内の中だけに、坊主という見た目で関係者扱いを受けられるようだ。

 イベント会場に入るとそこには轟音が響き渡り、大勢の観客が暗闇の中でうごめいていた。会場内の普段の設備が取り払われ、オールスタンディングに作り替えられていた。

「なんだ、ここは」

 コスプレをした観客も混ざってカウントダウン前の盛り上がりの最中だった。

 普段ミディアムテンポのお経と説教を聞きにくる地方からのお年寄り団体しかここで見たことない大宮にとって異次元体験だった。ホール後方にはケータリングコーナーが設けられていて塊の肉料理が振る舞われ、バーカウンターではミニスカート女子が気前よくシャンパングラスを配っていた。

「全部タダとは豪勢な、一体何のイベントだ?」

 ドリンクカウンター前の人だまりに大宮が目を凝らすと、集団の中に見覚えのある坊主頭を発見した。大宮はそっと薄暗い場内に紛れて回り込み、死角をついてその坊主頭を背後から叩いた。

「イテぇ、何だよ」

 振り返ったのは同じ地区の見習い坊主・宮内歓助だった。服装はダブダブのパーカーでストリート感を出しているが、本職の坊主が醸し出すオーラは隠しようがない。

「お前こんなとこで何してんの?」大宮は先輩顔で問いかけた。

 宮内は露骨に迷惑そうな顔で言った。

「フェスすよ、フェス。それより大宮さんこそ何してんすか、今日『密言寺』の方は大丈夫なんすか?」

 さすが同門、坊主の息子の行動パターンはお見通しである。

「うちはオヤジが亡くなって以来、初詣での参拝はお断りしてるんだよ。今日は隣の本店でライブの手伝いがあって、その警備の一環でこちらの視察に来ているに過ぎない」

「また適当なこと言って……ライブじゃないでしょう。知ってますよ本堂での除夜の鐘の手伝いでしょ」と宮内は明らかに信じていない顔で軽く流した。

「まぁ、そうだよ。でもお前こそ、何でこんなとこに来れるんだよ。今日シフト入ってないのか?」

「実は風邪ひいちゃって。参拝客にうつすとまずいじゃないですか、で今日はお休みを頂きました」

「仮病で休むとは不届きなやつ。よっぽどこの会場の方が風邪うつすわ」

 このホールは朝の蒲田駅の乗り換えぐらいの人口密度になっていた。

「大宮さんには分かんないかも知れませんが、この年越しフェスは普通のイベントとは意味が違うんです。千年に一度の大事なイベントなんです」

「さすがは寺の子、表現が大げさだな」

「本当ですよ、去年からチケットとって楽しみにしてたんです。仏典でも娯楽は大事にしろと言ってますよね」

「いや、年越しライブに行けとはお釈迦様言ってないと思うけど。ところで今日は何のイベントなんだ?」

「先輩、何も知らなくてここにいるんですか? 今夜は特別イベントなんですよ。だから今日の仮病だけは見逃してください」

「見逃すも何も、俺もサボってるから、お互いに秘密にするしかないわな。ハハハ」

「その乾いた笑いなんすか」

 偶然出会った坊主同士が不毛な会話をしている間にステージ上では『見たことないアイドルグループの聞いたことあるような歌』が終わって場内の照明が明るくなった。

「休憩かな」

 舞台上にストゥールが用意された。そして見たことあるようでないようなオジさん受けはするけど同性に嫌われるタイプの女子アナが現れて「トークショー開始までもう少しお待ちください」とアナウンスした。

「どういう流れなんだ? いきなりトークショー? つまんないなぁ」

 予備知識ゼロの大宮は先の展開が全く読めなかった。

 再び場内に音楽が鳴り、ステージ後方のLED画面に英字で「BAKUMATSU・VAMPIRE」と表示された。

 その瞬間、一気に場内が歓声に包まれた。

 一緒に見ていた宮内も叫んだ。

「やっぱりそうか、ついに今日が『幕ヴァン・ルネサンス』だったのか! 」

「幕ヴァンって?」

事態を把握できず大宮はたずねた。

「先輩、幕末ヴァンパイヤのこと知らないんですか? 」

「お前のように俺にはそのケはないからな……私の人生で一秒も触れたこともない」

「そのケって何ですか、でも知らないなって先輩、人生損してますよ」

後輩坊主宮内は大宮に説明し始めた。


『幕末ヴァンパイヤ』とは、元々は二十年位前にコミックマーケットで売られていた自主出版された小説のことだったんです。当時無名の『鴨川みすず』という京都の大学生が書いた知る人ぞ知る作品です。

舞台は江戸幕末。大志を抱いて海外へ密航しようと思いたち、オランダ船に忍び込んだ一人の蘭学者の若者が、黒船の中に隠れ潜み謎の病原菌に感染、やがて吸血鬼化します。吸血鬼となった蘭学者は鎖国中の幕府の取締りの手から逃れるうち、血の匂いに誘われて江戸の街で辻斬りとなって恐れられる。

 という、まぁ言って見れば通好みの猟奇的時代小説だったんです。やがて小さな関西の会社から出版されて、一部のファンからはカルト的な人気を誇ったんですが、大した部数にはならずやがて絶版になってしまいました。

 この古めかしい小説に目をつけたのがコミック出版社・香取堂の敏腕編集者・袖ヶ浦亮太です。女子人気ナンバーワンの漫画家に表紙と挿絵を書かして小説のイメージを広げて再出版。登場人物を全部美男子キャラ化し女性ファンを獲得。ライトノベル界でその年最大のヒット作に仕上げることに成功しました。同時にコミック化も展開させこちらも大ヒットしました。

 その後『鴨川みすず』を原案者として、ゴーストライターを複数雇い入れ、京都を舞台にした『京洛騒乱編』を創作。薩摩、長州、土佐藩、新撰組の有名キャラが入り乱れて、愛と友情の血みどろの戦いを繰り広げる『幕末ゴシックファンタジーBL』に仕上げて今も続く人気長編大作に作り変えたんです。

「先輩、どうです!すごいでしょう?」

 出版プロデューサー袖ヶ浦さんの手腕はそれだけに留まらず、鴨川原案以外のキャラクターを使って別作者による新たなスピンオフエピソードの三作並行連載も始まり、シリーズ累計発行部数は百万部を突破しました。その後、携帯ゲームの展開がバカあたり! 二・五次元演劇ブームにも大便乗! 地方局と組んだ深夜のアニメも放送開始され、昨年の関連収入は年間二十億を超える規模に成長! と、今はどエライことになってきました。そんな中で数年前からファンが熱望しネットで話題となっていたのが実写映画化構想ですよ。ファンたちの間では勝手にキャストイメージをあげて盛り上がっていたんですが、そこで問題が発生しました。原作者の鴨川先生が反旗を翻したんです。

「実在の俳優で主人公を演じられる人物はいない」と原作者鴨川みすずがツィートしたことでファンの間で大論争が勃発大炎上。一方で袖ヶ浦は「コミック化以降の作品は自分のオリジナルアイデア」と週刊誌やワイドショーで反論。グッズの販売差し止めを巡って訴訟騒ぎにもなり、原作派とプロデュース作品派でファンクラブも二つに分裂、作品の継続すら危ぶまれる事態に発展していたんです。

 ところが昨年に入り、突如『和解宣言』が出されました。

 その和解記念として今夜の十周年記念ファン感謝イベントの開催が急きょ告知され、世界中から抽選で選ばれたファンのみがこの歴史的イベントに参加できるという事なんです。ファンの間の噂ではこの和解イベントで満を持しての映画化が決定されるとも言われていますす。さらに、この映画は国内だけには止まらず世界配給を目指し、『幕末ヴァンパイア』を一気に三百億規模の一大産業にかえるというビックプロジェクトが打ち上げられるって噂です。

「どうです、痺れるほどワクワクしませんか?」と、一気にまくし立てた宮内は興奮気味になっていた。

「全くワクワクせんなぁ、知らないところで世の中はくだらないお金の流れ方して来ているんだな」

 大宮は温かいホールで急激に眠くなっていた。

「先輩、感性鈍ってますね」

「それより、お前が詳しすぎなんだよ」

「いや、先輩の興味が無さすぎるんだと思いますよ。そういうわけで先輩、カウントダウンまでまだ時間ありますんで俺ちょっと別のブース見て来ます」

「えっ、もうひとつ会場あんの? 俺も一緒に連れてって」

 露骨に面倒くさがる宮内に問答無用でくっ付いて大宮は会場を出た。

「あのぉ先輩、俺、友達には一応美容師と言ってるんすよ。全身僧衣の先輩のこと知らないふりをしますっけど気を悪くしないで下さいね」

「お前、気分変わると先に口調だけ変な美容師になってんな。全然見えないけど」

 宮内はニヤッと美容師スマイルを浮かべて会場を出て行った。


 『僧土寺信徒ホール』は二階の大ホールと地下の小ホールに別れていて、今日は地下でも同じくイベントが開かれていた。会場を出る際に手に見えないスタンプを押されたおかげで小ホールは手をかざすだけで入れてもらえた。こちらのホールに集まる客層はメイン会場に比べると年齢層が高く、コスプレしている客も見当たらない。比較的落ち着いた雰囲気ではあったが、大音量で音楽ががなり立てられていることに変わりない。ホールが狭いだけに音が反響して大宮の耳は聞こえ難くなった。

「先輩こっちはDJイベントをやってんす。こっちの方が踊りたい奴ら来てるんでがんす」

 宮内が音楽に負けないよう大声で説明する。

「お前の美容師どこの出身設定だよ。こっちはカウントダウンの時は何かイベントあんの?」

「こっちのホールは事前情報が全然出てないので、ちょっと中にいる人に聞いて見ます」

 美容師気分の見習い坊主宮内はホールで騒ぐパーティーピーポーの人混みの中に溶け込んでいった。

音楽もジャパニーズロックが中心で、こちらのホールの方が大宮にとっても居心地は良かったが、残念ながらケータリングコーナーが無く、カウントダウンの時は元のホールに戻ろうと思った。

 そんな時、大げさに驚いた様子で宮内が走って来た。

「先輩、すごいっすよ。俺たちラッキーですよ」

「何がラッキーなんだよ」

「この後、ここで鴨川みすず先生が自らDJするそうなんです」

「誰だよそいつは?」

「さっき言ったじゃないですか、『幕ヴァン』の大原作者様ですよ。めったに人前に出ないカリスマですよ。やっぱり今日来て良かった! さっき突然発表されたみたいです」

「いや興味ないし。でも、そんなすごい人が何で大ホールじゃなくて、小さいホールでDJするんだ?」

 聞くと宮内は大宮の耳元で小声になった。

「さっきも言ったじゃないですか、原作者とプロデューサーの袖ヶ浦さんは一時仲違いしているんです。だからずっと一緒にいるのは嫌なんじゃないですか? ファンの間も『原作者寄りの原理主義派』と『プロデューサー寄りの自由主義派』に別れていて、今日のイベントも共同開催になってますが、どうもこの小ホールの方が原理主義みたいっすね」

「なるほど、どうでもいいことに限って人は争うものだからね」

「先輩はどう思います? こういう場合に原作と、その後の作品を作った人のどっちがエライと思いますか?」

「文字を書くのと絵を書くのとどっちが大変かと言うと絵じゃないの?」

「うわぁ、さすが分かりやすいけど、この会場にいる人が聞いたら怒りそうなことあっさり言いますね」

「えっ、そうかなぁ。おかげで原作者も、周りの人も儲かったんでしょ?」

「でも、最初のアイデアを考えた事って大きくないですか? 自分の大切な登場人物が変わってしまうのは許せないって思う感じ、俺も分かりますよ」

「まぁ、そうだな。自転車も最初の漕ぎ出しが一番力いるからな。一理あるね」

「ですよね。でも、先輩って本当に自分の考えないですね」

「そんなことはない。『くだらない争いをするな』とお釈迦様も言っているだろう」

「そんなこと言ってましたっけ? ところで先輩、そろそろカウントダウン始まりますけど、初詣の手伝いに戻らなくていいんですか?」

「それさぁ言わないでよ。せっかく今まで忘れてこと思い出したじゃないか。地区長に新年早々怒られるの嫌だなぁ」

 大宮は情けない顔を宮内に近づけた。

「それこそ、仏教の因果応報、善因善果、自分の蒔いた種ですよ」

 宮内は弱音を吐く先輩僧侶を切って捨てた。

「君の言いたいことは良くわかる。でも、やっちまったものはしょうがない。覆水盆に還らず。こぼしたミルクは飲むべからずだよ、私はまず腹ごしらえの為にさっきのホールに戻る。じゃあな」

 責めに転じた宮内を煙に巻いて、大宮は地下の小ホールを出るともと居た二階の大ホールへ向かう階段を上がっていった。

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