第1話
彼女を初めて知ったのは、17歳の夏だった。
いや、正確には、もっと前から知っていたのだけれど、彼女を"彼女"として認識したのは、あれが初めてだった。
17歳だった僕は、同級生たちとは遠くも近くもない距離で、同じクラスでも名前を覚えていない人が半数くらいいて、その中に彼女も含まれていたのだ。
だけど、彼女は僕の人生にある日突然、登場した。
それは、学内祭の準備でガレージから教室に戻ろうとした時だった。プールにつながる扉がほんの少し開いていて、そこからやわらかい夕日の光が差し込んでいた。
学内祭でプールを使う予定なんてあっただろうかと不思議に思いながら…扉を開けた。なんで開けちゃったのかはわからない。そう、開けちゃったのだ、僕は。そうして、開けちゃって…
彼女を見た。
彼女はプールサイドに腰掛けて、靴下を横に置いて、足をプールに浸していた。夕日が彼女を照らしていた。
髪が黒い、と思った。長い黒髪。制服の赤い細いリボンが、とてもよく似合っていて、思わず、
「…なにしてんの」と聞いた。
彼女はなぜか驚いた様子もなしに、振り向いて、僕を見て、
「たそがれ」と言って、笑った。
たそがれ、と言って笑った彼女がほんとうに綺麗だった。僕がそれまでに出会ったどの女の子よりも。そして、今もそう思う。海みたいに、彼女は、笑った。
それから僕たちは、学内祭の準備を一緒にするようになった。細かい成り行きはもう覚えていない。だけど、確かなのは、あのプールで出会ってから彼女との距離が縮まったということだ。
準備が終わる頃には、いつも夕方と夜の間の空の色だった。夕陽はオレンジを取り残して沈んで、取り残されたオレンジはやさしくて、オレンジから青へのグラデーション、どちらが先に見つかるか競った一番星、ローファーの足音、揺れるスカート、涼しい風に梳かされていた黒髪、彼女の笑い声。
17歳、という若さを持っていた僕らは、無邪気で、永遠が悲しいということも知らなかった。知らずに、一瞬を永遠みたいに過ごしていた。
そんな毎日が続いて、いつのまにか学内祭も終わり、片付けも終わって、僕たちはいつもの高校生活に連れ戻された。準備期間の風景はあんなに覚えていて、体操服についてしまったペンキの色も思い出せるのに、学内祭当日のことは、ほんとうになにも記憶がない。たぶん、僕らの高校の学内祭は、新しいクラスがはやくまとまるためのオリエンテーションみたいな意味合いが強くて、それほど盛り上がらないからだろう。準備期間のことが色濃いのは、彼女と過ごしたからで、たぶん僕はクラスメイトに誘われて、なんとなく過ごしたんだと思う。
雨が降るようになった。彼女の透明な、赤いラインの入った傘の登場頻度が高くなって、彼女の髪型はすこし違って、僕たちは制服の混用期間を迎えた。
僕は雨がすきじゃなかったけれど、彼女の傘と、すこし違う髪型は雨のうっとうしさをすこし減らしてくれた。
帰り道で、
「雨、多いね。」と僕がつぶやくと、
「そうだね。雨、きらい?」と彼女が聞いた。
「雨自体はすきじゃない、けど…」
「けど?」
「その髪型は、いいと思う。」とすこし思い切って言ってみたら、
「前髪あげてるだけだよ?」となんだかすこし笑っていた。その表情もいいなと思ったけど、それは言わなかった。
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