第13話 閲兵式──竜王親政式②

 

 皇太子ルーカスはアリスティアをソファに座らせると、少し用事があると告げて執務室を出た。

 出た途端に執務室の中からエルナードとクリストファーが歓声を上げているのがルーカスの耳に届いた。

 ルーカスは竜王として覚醒してから、耳が良くなっている。割と小さな声や人間では聞き取れない距離の声も拾える様になった。だから聞こえているのだが。

 少しばかり面白くはないが、双子の活力を奪う事もあるまいと基本的には好きな様にアリスティアを撫でさせている。

 今はそれよりも、用事を済ませねば、と皇宮の廊下を進んだ。

 用事は皇王への謁見。

 皇王への謁見の体を取りながらも、実際は竜王ルーカスが皇王を謁見している様なものだ。

 その皇王の執務室と、皇太子の執務室は離れた位置に設えられていた。

 これは、万が一を考えての配置である。

 その万が一の事態として考えられているのは、伝染病と戦時の事。戦時と一口に言っても、内戦、反乱、敵国の侵攻などがある。

 ルーカスに言わせれば、どれもこれも馬鹿らしい想定である。伝染病がひと度猛威を奮うなら、執務室を離していても中で仕事をする人間が感染するだろうし、戦時の想定でも皇宮の中に入り込まれている時点で逃走も出来ないような状況なのだから、執務室を離して設置する意味などないと思っている。

 だが人間はとかくこの様な備えをしたがる。

 それをいちいち否定しても面倒な事態になるのだから、放置しておく方がいい。

 だが今回の様に、用事がある場合に離れていると時間を取られる。それが腹立たしかった。

 途中ですれ違う女官や上級使用人たちから頭を下げられるのをことごとく無視し、行きあった貴族から声を掛けられても絶対零度の瞳を向ければ相手は黙る。暫く歩いて漸く目的地の扉の前についた。

 扉を守る様に立っている近衛に、皇王に取り継ぐ様に伝えその場で待っていると、中に入って皇王から返事を貰った近衛が戻ってきて、中に入る様に伝えて来た。

 開けられた扉から中に入ると、政務官や補佐官が立ち上がって出て来るところだった。

 扉の前から皇王の方に歩き出すと、皇王からソファを勧められ、ルーカスは遠慮なくソファに座った。

 補佐官が出ると、近衛が扉を閉める。

 皇王の執務室の中にはルーカスと皇王のみになった。


「竜王陛下、此度はどの様なご用でしょうか」


 皇王が竜王ルーカスに尋ねてくる。

 緊張が見て取れる皇王を密かに嗤いながらも、竜王ルーカスは口を開いた。


「三日後に竜の国で閲兵式を執り行う。竜王親政式だ。そなたも見学に来ると良い」

「み、三日後、ですか?」


 突然告げられた事に、皇王は戸惑っている様だった。

 竜王ルーカスはゆっくりと口を開く。皇王の目を射竦めながら。


「見学者は皇王フェリクス、バークランド宰相アーノルド、宰相筆頭補佐官ディートリヒ、皇太子筆頭補佐官エルナード、皇太子補佐官クリストファー、皇太子補佐官見習いクロノス。親政式にはワレと半身であるアリスティアが参加する事になっている。拒否権はない。三日後に竜の国の近衛師団の竜王親政式を見学に行けるように予定を空けろ。帰還は翌日だから、そのつもりでいろ」


 皇太子であった時にはこんな物言いはしなかった。父親とはいえ一国の王。皇太子という地位で他者の上に君臨する以上、更にその上に君臨する王に不遜な物言いは許されず、皇太子としてある場合は常に王の家臣として振る舞う事を求められていた。

 だがルーカスが竜王として覚醒してしまえばその関係は逆転する。竜王は世界を統べる事が可能な存在だからだ。圧倒的な強さでもって世界を従える事が可能な存在が竜王なのだから、たかだか一国の王程度が敵うわけが無い。

 であれば皇王が、さっさと人払いをして竜王ルーカスに膝を屈した方がいいと判断しても仕方がないと言えよう。


「御心のままに、竜王陛下」


 だから皇王がそう答えを返し頭を下げた時、竜王ルーカスは冷笑を浮かべてしまった。

 人間とはなんと脆弱な生き物なのかと。


「では三日後、皇太子執務室に朝九時に集合だ。遅れるなよ?」

「遅れません。朝九時、しかと承りました」


 集合時間を告げると、皇王はしっかりと頷きながら了承した。

 それを見た竜王ルーカスは、用事は済んだとばかりにソファを立った。

 そして皇王の執務室から出て、外で待っていた政務官や補佐官達に謁見は終わった旨を伝え、自分の執務室の方向に歩き出した。

 だが、ルーカスは既に長い道のりに飽きていた。だから廊下の途中で転移する。転移先は自分の執務室の扉の前で、警護を務めている近衛は驚いていたが、目の前に現れた事に対して驚いただけであろう。

 扉の前に立った竜王ルーカスの耳に、中の会話が聞こえてくる。扉は厚く、普通の人間には聞こえる筈がないが、竜王ルーカスの耳はしっかり会話を拾った。


『アリスティア様。僕、エルナード様たちから聞いたんですが、竜族で食事を食べさせる『給餌』という行為は、半身である竜族のオスの特権で、それは他の雄には絶対にさせない、兄弟ですらさせないそうです。なので、僕の命を可哀想に思ってくださるなら、絶対に食べさせてなんて言わないでください! 僕まだ死にたくないんで!』

『わ、わかりましたわ……。でも焼き菓子は食べたいですわね。んー……でしたら、焼き菓子の載った皿をこちらに持って来てくださいます? そこからわたくしが取って自分で食べれば問題ありませんわよね?』


 会話の内容を聞いて、竜王ルーカスがすぐに執務室に入ると、クロノスが少し困った様な表情を浮かべていた。困っているのは焼き菓子の件だとわかるが、皇太子ルーカスは何も知らない振りをしてアリスティアのそばに行く。

 そうすると予想通りクロノスがルーカスに焼き菓子の件を聞いてきた。


「クロノス。よくぞ回避したな。皿に載せた食べ物を持って行って与えるのも給餌に当たる。命拾いしたな」

「イヤな予感が当たっていたよ! アリスティア様、聞きましたよね⁉ 僕、アリスティア様に関わりたくない!」

「ルーカス様! 先に説明しておいてくださいまし! 知らないうちに死に追いやるなんて事になりたくありませんわ!」


 アリスティアに涙目で訴えられると、ルーカスは慌てる。半身を泣かせたい訳ではないのだ。だからアリスティアの頭を撫でて、機嫌を取った。

 ちなみにアリスティアは、今はクリストファーの腕の中にいる。頭を撫で回されて、髪の毛が凄い状態になっていた。


「とりあえず、三日後に行くメンバーの都合はつけた。三日後を楽しみにしていろ」

「殿下、拒否権のない強制参加の行事を楽しみにできるほど子供じゃありません」

「エルナード。さっきのワレとカイル──竜王代理の話を聞いていなかったのか? ティアの可愛い可愛い軍服姿が見られるぞ? 竜の国の最高のデザイナーが、ティアに似合う様に仕立てるからな」

「殿下の鬼畜! そんなご褒美があったら行かないわけにはいかないじゃないか!」

「クリストファーはどうだ?」

「最高に可愛いティアを、後で撫でさせてくれるのならもの凄く行きたい!」

「ちょっとルーカス様! わたくしの拒否権はございませんの⁉」

「ティア。少しの間だけ我慢してくれ。後でワレが撫でてやるから」

「むうぅ……それなら仕方ありませんわね」


 良くも悪くも素直な半身アリスティアに、竜王ルーカスは柔らかい笑みを向けた。

 この素直で優しく愛しい子を慈しみ守らねば、という想いが彼の心を占める。

 アリスティアを見ていると、どこか危なっかしくて微笑ましく、とても可愛い。アリスティアを父性愛で育ててくれと頼んだ彼女の前世の人格は、こんなところが放って置けなくて己に頼んだのだろうか、と竜王ルーカスは会話した平民の娘らしき人格を思い出す。

 アリスティアというルーカスの半身。

 彼女が幼い頃に出会えた幸運には感謝しかない。

 竜族で半身に出会える確率は一割程度だ。大概は百年程待って出会えなかったら諦めて普通に伴侶ツガイと結婚する。伴侶ツガイとなる者は、大抵が婚約者だ。竜族の婚約は、半身が見つかった場合は解消される前提で結ばれる。中には婚約者が半身だったという強運な場合もあるがそんな事は稀で、相手の家格や魔力の相性で決められる。人間の貴族と殆ど同じだが、違うのは魔力の相性を重視している点だろう。魔力の相性が悪ければ伴侶ツガイとして一緒に居られないからだ。

 翻って見てみると、さすが半身とでも言おうか、竜王ルーカスとアリスティアの魔力の相性は水の精霊王が言った通りとても良い。誘拐事件でアリスティアが竜王ルーカスの名前を呼んだ時に、即座に位置が判明しその場に転移でき跳べた事からも分かるように、念話の感度も最高である。半身ではない伴侶ツガイとの念話は、愛を交わし合った後でないとチャンネルが開かないのだ。

 ただ、アリスティアが半身だとしても彼女がルーカスを半身だと意識していない段階でのチャンネル開通は、正直に言うと賭けの様なものだった。だが、彼女はルーカスを一番頼っている事を念話のチャンネル開通という事実で証明してみせた。ルーカスにとっては、口で愛を伝えられるよりもよほど嬉しい事実だった。

 むくれている可愛い半身アリスティアを眺めていたら、クロノスから話しかけられた。

 ルーカスはチラとそちらを見る。

 クロノスの斜め後ろにはディートリヒが呆然として立ち尽くしていた。


「殿下。そろそろ解散ですか?」

「ふむ。そうだな」

「では殿下、ディートリヒ様を帰して差し上げてよろしいでしょうか?」

「ああ、まだいたのか」


 竜王ルーカスの言葉にクロノスの顔が呆れたものになる。


「ここで一番身分が高い殿下からの許しがなければ、勝手に帰る事もできませんよ。だから茶番はそこまでにして、早く僕も帰してください」

「クロノスも随分と辛辣になって来たな」

「殿下とエルナード様とクリストファー様が、いつでも何処でも茶番コントを繰り広げるから、僕かアリスティア様がツッコまないと茶番が終わらないでしょう? だから辛辣にならざるを得ませんよ」

「なるほど。私達のせいか」

「殺伐とした職場よりはよほどいい雰囲気ですから、別にツッコみ役がイヤな訳ではありませんよ。それより早く帰してください。皇宮内に部屋を与えられているとは言え、僕はまだ監視対象ですからね」


 クロノスの言葉を聞いたルーカスは、そう言えば伝えてなかったと気がついた。


「監視なんぞ外したぞ?」

「は⁉」


 思わずと言った体で、クロノスの口から間抜けな声が出る。

 どういう事かと尋ねられたので、クロノスに反抗心が無いとわかったから監視は必要ない、と皇王と宰相と外交府に伝え、監視を解除したのだと伝えた。


「そなたに伝え忘れていて悪かったな。許せ」


 そうクロノスに言ったのだが、クロノスは目を見開き驚きを表していた。

 仮にもナイジェル帝国の皇太子だったのだから、感情を制御せずに表すのはどうかと思う。だが、逆に言ってしまうと、取り繕う必要性がなくなったから素直に感情をあらわにしているとも言えた。

 クロノスは、とりあえず監視がなくても部屋でのんびりしたいからと言って、ルーカスから退室の許可を貰って去って行った。 









 

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