第11話 教育要項精査会議①
アリスティアが熱を出した為に延期になっていた教育要項精査会議が、明日行われる事になり、ルーカスを通じてアリスティアにも参加要請が届いた。
アリスティアは思わず溜息を吐いた。
会議の内容に関しては不安はないのだが、参加するとなると大勢の人間の中に混じる必要がある。
アリスティアは自分のトラウマを把握しており、その為にルーカスが婚約者という立場になり、離宮──エルゼ宮を用意させ、中の使用人も専属侍女も専属護衛も全て竜人と獣人で固め、アリスティアが安心して暮らせる様にした事を理解していた。
だから彼女はつい忘れそうになる。
アリスティアは、人間の成人に対して恐怖し、接近されると
大丈夫なのかと、心配してしまうのも無理はないだろう。
だが、その心配は杞憂だった。
翌日。
会議室に向かうメンバーが、ルーカス、アリスティア、エルナード、クリストファー、クロノスで──つまりは皇太子と補佐官全員で、会議室の前までではあるが、ダリアとカテリーナとユージェニアが当然の如く警護に当たった。
そして、会議室に入り、席に座った時の配置。
アリスティアの右側にルーカス、その更に右にクロノス。アリスティアの左側にはエルナード、更にその左にクリストファー。
アリスティアが恐慌に陥らない様にとの配慮が感じられた。
驚く事はまだあった。
お茶がそれぞれの前に置かれ──アリスティアの前にはハーブ水だった──、会議の開始が宰相補佐官によって告げられる。参加した宰相補佐官は、一番上の兄のディートリヒだった。図らずもバークランド家の兄弟姉妹がここに揃った事になる。何の冗談かとアリスティアは思わず眉を顰めてしまった。
「今日から参加の方もいらっしゃるので、自己紹介からいきましょう。私は、宰相筆頭補佐官のディートリヒ・カミル・セル・バークランドです」
立場と名前だけの自己紹介が次々と行われる。
皇宮の文官が多かった。
だが、各省から派遣されているその省のトップレベルの文官なのはアリスティアにも理解できた。
「皇太子補佐官見習いのアリスティア・クラリス・セラ・バークランドですわ」
「わかっていると思うが、皇太子のルーカス・ネイザー・ヴァルナー・セル・フォルスターだ。今日はアリスティアの補佐としての参加だ」
ざわ、と会議室がどよめく。
「殿下、聞いてません」
アリスティアが小声で不満を伝えたのだが。
「今言ったからな」
と、
アリスティアの眉が顰められる。
「今日の主役はティアだ。それを補佐するのが私の役目だ。安心して自分の考えを伝えるといい。皆の理解できぬ部分は、私が噛み砕く」
ぽんぽん、と
「皇太子筆頭補佐官のエルナード・フォルト・セル・バークランドです」
「同じく皇太子補佐官のクリストファー・ティノ・セル・バークランドです」
またもや場がざわめく。
ここにバークランド家の兄妹が揃った事を誰もが理解したからだ。彼らにしてみれば、バークランド公爵家が権力を持ちすぎている様に見えるのだろう。実際はそんな事はないのだが。
「クロノス・タイラ・ナイジェル。皇太子補佐官見習いです」
三度目のざわめき。
ナイジェルの名字が持つ意味を理解しない者はいない。不穏な空気になりかけたところに、皇太子が口を開いた。
「クロノスは察しの通り元ナイジェル帝国の皇太子だ。だが私が元ナイジェル帝国、現フォルスター臣民国で、公爵位を与え臣下に落とした上で、皇太子補佐官見習いとした。私の決定に異を唱える者はおるか?」
「──国語の教育要項は以上です。続いて数学ですが、初等科の算術のレベルを教えてくださいませ、クライス高等徴税官」
アリスティアが促す。
「初等科では、卒業までに加減乗除を教える事になっております」
「加減乗除……九歳までに覚えられますわ。図形を学ぶ事を初等科に取り入れましょう。図形──三角形の面積の計算方法を覚えると、街の測量士の見習いになれますわよね?」
「ティア、発想が跳んでいるぞ。今は中等科の教育要項の精査だ」
「でも殿下。初等科の算数の教育内容が薄いですわ。乗法くらいなら、八歳までに教え込む事は可能です。基本を暗記させればいいだけですから。除法は乗法の応用で……」
「ティア。それは中等科と高等科の教育要項の精査が終わってからにしよう。今は中等科の数学の精査だ」
皇太子に宥められ、アリスティアは仕方なく引いた。
「中等科では、数量、図形、統計データの見方、基礎関数などを教えるといいかと思いますわ」
「アリスティア、中等科で統計データの見方は遅くないか? 十五歳で成人なのだから、統計データの作り方まで教えた方がいいと思うが」
一番上の兄、ディートリヒが質問を投げてくる。
「初等科での基礎が出来ていない状態で詰め込むのは、効率が良くありませんの。初等科の教育要項を変更する予定があるならば、統計データの作り方までを中等科の要項に入れるのも賛成ですが」
アリスティアは答える内容に少しばかり交渉内容を混ぜた。
「アリスティアの懸念通りだな。基礎をしっかり教えてからの方が効率がいい」
「では数学は以上で。次に、経済学です。ヴァイセンベルク財務大臣筆頭補佐官」
アリスティアに呼ばれた壮年の男が緊張を孕んだ顔を向けて来た。
彼の胸中では、アリスティアはどんな子供だと思われているのか、興味はある。
「はい。経済学に関しては、前回の会議では、需要と供給に関する事、となりました」
ヴァイセンベルク財務大臣筆頭補佐官の言葉に、アリスティアは顔を少し上に向けて思案した。
「うーん、受給理論、かしら? ミクロ経済学の」
「ティア。マクロ経済学も学ばせた方がいい」
「殿下、マクロ経済学は高等科で、と思っておりますの」
「国民所得や失業率などを対象として、国全体での経済を考えるなら中等科で教えて下級官僚の道を目標に置けばやる気も出るだろう? 高等科は十六歳から十八歳で、成人後だから少しばかり遅い」
「ならば、ミクロ経済学は、初級経済学として初等科で教えるのはどうでしょう? 中等科でマクロ経済学を学ばせます」
「そうだな。高等科で国際経済学を学ばせればよい」
「……殿下。先程から思っていたのですが、殿下の知識、おかしくありません?」
【そなたの知識を転写した】
「ティアの知識ほどではないぞ?」
皇太子からいきなり飛んできた念話に、アリスティアは目を見開いた。
【知識のみの転写だから安心するが良い。膨大な知識量で、流石に冷や汗が出たがな】
「……わたくしは、妃教育を受けてますもの。それで得た知識に過ぎませんわ」
「五年でここまでの知識を得たのだ。誇っていいぞ?」
「は⁉ 五年、ですか⁉」
ヴァイセンベルク財務大臣筆頭補佐官が驚く。アリスティアが八歳である事を思い出し、そこから真実に行き当たったのだろう。
「バークランド公爵は、三歳からティアの妃教育を始めたそうだ。今では三ヵ国語を話せる。政治・経済も理解している。幼い頃から教育すれば、この様に結実するいい例だな。もちろん、全員が全員、ティアの様になるとも考えていないが」
ヴァイセンベルク侯爵は唸った。彼の頭の中では、アリスティアは一体どんな子供になっているのだろうかと少し心配になる。
「ティアだけではない。エルナードもクリストファーも、十歳の時点でそれぞれ別の国の三ヵ国語を操れた。二人で六ヵ国語だ。アリスティアも別の国だから、三人で九ヵ国語。ディートリヒ、お前は何歳の時に、何ヵ国語を操れるようになっていた?」
「私も十歳の時点で三ヵ国語ですね。おそらくは私が習得した外国語は、エルナードとクリストファーとアリスティアの三人と違うと思いますよ」
「つまりは四人で十二ヵ国語。この四人がいれば、外交は安泰だな?」
「……殿下。父はそこまでは考えていないと思いますよ。アリスティアは妃教育ですから、狙ってやっているでしょうが」
少しして長兄のディートリヒが場の空気を変えるように言うが、それでも空気は変わらない。
アリスティアはこの空気をどう変えようかと思案するが、上手い案は出てこなかった。
「話がズレているから戻すぞ。幼い頃からしっかり教育を施せば、高い水準の結果が出る。バークランド公爵家の兄妹が良い例だ。これを学校教育として行うのが学校設立の目的になる」
「しかし殿下。今更ですが、成人後に高等科に進むような形になってしまっていますわ。これを、年齢を少し下げる事と、初等科の学習過程を短縮する事で、成人までに高等科までの学習過程を終える形に訂正したいのですが」
「それは私の許可ではなく、この場で審議を
「成人前に全学習過程を終えるという訂正案なら審議しますよ」
「ならばやれ。その前に、十分休憩だ」
皇太子の言葉で、会議室内の緊張が大きく緩んだのが感じられた。
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