第10話 幼女の魔術講習①[前半 side 宰相]
[side 宰相]
アリスティアが魔術師団の練習場で使った魔術の数々の詳細とその威力、その際の宮廷魔術師筆頭とその補佐の反応を聞き、宰相であるバークランド公爵アーノルドは宰相執務室で頭を抱えてしまった。
なぜならば、彼は愛娘に魔術師の家庭教師をつけて魔力制御を教えはしても、魔術の使い方は教えていないのだから。ならば何処から使い方を学んだのだろうかと訝しんだが、それは愛娘の部屋へ、眠ってしまった娘を運んで行った時に判明した。
ベッド脇にあるサイドチェストに魔術書が置いてあったのだ。それも、特級魔術編が。何処からこんなものをと考えたが、それは公爵家の図書室以外あり得ないと気がつく。まだ五歳でしかない
愛娘をベッドにそっと下ろし、布団を掛けてやった後で図書室の蔵書を確認したら、アーノルドが覚えていなかっただけで基本編から上級編までの魔術書が揃っていた。
納得し掛けて、いやいや、と頭を振る。
魔術は本を読んだだけでは普通は操れないものだという事を思い出したのだ。
発動が安定するまで何度も何度も少量の魔力で練習し、安定してきたら適切な魔力量で更に練習する。その為、使用魔術数は、幼い身なら普通は使えるのは良くて二つである。それも、基礎編で覚える生活魔法であり、間違っても上級や特級ではない。
だが、帰りの馬車の中で、息子二人は言っていた。
アリスティアが特級魔術の、
それだけではなく、風の精霊王すら止める
精霊王すら止める
流石に皇太子も娘の魔術は戦略的過ぎると言ったらしいが、アリスティアはまだ五歳なのだから大々的に公表する訳にいかないだろう。
まさかアリスティアの膨大な魔力量以外にも悩ましく思える事が出てくるとは思わなかったアーノルドである。
アリスティアは皇太子の判断により、魔力の繊細な制御と消費量の増減を習う事になったらしい。それは非常にありがたい事ではある。朝食後に兄たちと共に出仕し夕方帰宅するまでの間、幼児のアリスティアが仕事をするはずもなく、だからと言ってその時間を目一杯使って勉強させるなども常識を疑われかねないのだが、魔術に関してはアリスティアが勉強だとは思っていないと聞かされても納得はしかねた。それでもアリスティアが喜んでいると聞かされた以上、アーノルドは父親としては無理矢理にでも納得せざるを得ない。宰相としては、将来性豊かな魔術師の卵──卵どころか既に立派な魔術師と言える状態である事にはこの際目を瞑る──を今からきちんと教育する意義は充分理解している。
それにしても、皇太子はまだアリスティアを
おそらく、アリスティアは史上最高で最強の皇太子妃に、
しかも、宮廷魔術師筆頭が海辺での魔術講習を要請したと言うのだから、我が娘ながら寒気を覚える才能だと思う。
ただし、魔術講習がなぜ海辺になったのかというその理由が、
生まれた時に確かに尋常ならざるギフトの気配がしたのだが、そのギフトがまだ発現すらしてないのにそれを霞ませる程の才能が与えられるなど、娘の人生の困難さを考えると些かばかり女神を恨みそうになってしまった。
その困難さの筆頭が皇太子だと思うと舌打ちしたくなる。筆頭公爵家としては万が一を考えると皇太子妃としての教育を娘に施さざるを得なかったのだが、まさか教育を始めたばかりで皇太子に娘が目をつけられるとはアーノルドでも予想できなかった。
娘は、皇太子に下手に優秀さを見せたばかりか魔力量が膨大な事もバレてしまう結果になり、その時点で婚約者候補筆頭に躍り出てしまった。更には先日のピクニックで四大精霊王の愛し子であり加護を受けるという暴挙(父親としては精霊王の暴挙にしか思えない)に、他の追随を許さない存在となってしまい、僅か五歳なのに父親の庇護下から外れてしまった感がある。
しかも、アーノルドが一番腹立たしいのは、皇太子が娘に執着を見せている事だ。
条件的にも確かに我が愛娘が一番ではあるのだが、その条件が整わなくてもアリスティアを妃に望みそうな点に無性に腹が立つのだ。愛娘は五歳、皇太子は十五歳だ。貴族の婚姻の年の差としてはごくありふれている差でしかないが、それは娘が十代で皇太子が二十代の場合だろう。娘がまだ五歳なのに十五歳の皇太子が執着するなどと予想もしていなかった。
幼子趣味にも程があるだろうに、皇太子は幼子趣味ではなくアリスティアだから興味を持ったと開き直った。余計ダメだろう、と呆れてしまう。成人した大人が幼子に興味を持つなど、特殊性癖過ぎる。確かに成長すれば年齢差の問題はなくなるが。
そこまで執着を見せた皇太子の様子に、早晩にアリスティアの特異性が宮廷内に知られる事になる予感しかしなかったのだが。
と、そこまで考えたアーノルドは、皇太子の執着は今更だったな、と我に返った。
アリスティアの魔力暴走以降、皇太子はあろう事かバークランド公爵家に三日毎に通っているのだから。
いくら二人の息子が側近だからと言って、それは公爵家に通う理由にはならない。では何故かと考えると、登城出来ない年齢の令嬢が理由だと簡単に推測されてしまう。
溜息を吐く事しか出来ないが、皇王と皇太子と息子二人を混じえて話し合った結果、公爵家ではアリスティアを護り切る事は難しいという結論になり、日中は皇太子の執務室へ出仕させる事に決まったのだが、先程聞いたアリスティアの魔術の能力を聞くと、実はアリスティアには護衛なぞ不必要ではないのかと思えてしまう。
しかし精霊たちが
そう、絶対に必要な筈だ。
例え娘が戦略級の魔術師だとしても。
またも思考の迷宮に陥りそうになったが、無理やりその考えを振り払い、晩餐に臨むべく晩餐室に足を向けた。
✧ ✧ ✧ ✧ ✧
[side アリスティア]
アリスティアが己の持てる最上位の魔術を披露してから一週間後に、海辺でアリスティアによる魔術講習が行われる事になった。
場所はヘーゲル伯爵領にある港街オーサで、そこまでは転移で移動するらしい。
アリスティアも
素直に魔術師団による大規模転移を頼ろうと思った。
当日になると、アリスティアはワクワクして上機嫌になった。漸く
アリスティアには皇太子が同行する異常性に気が付いていなかったが、宮廷魔術師団は内心、恐れ慄いていた。
皇太子に何かあったら宮廷魔術師団の責任問題になる。魔術師筆頭も筆頭補佐もいるから大丈夫だとは思うが、宮廷魔術師たちにとっては護るべき対象者が腰も軽く開けた場所、即ち狙い易い場所に同行するなど、有り得べからざる事態に宮廷魔術師団長の魔術師筆頭と、副団長の筆頭補佐の顔色は真っ青になっていた。
そんな魔術師団長と副団長の様子に気付く事もなく、アリスティアはまたも皇太子に抱き上げられた。皇太子はなんとも楽しげな笑顔を見せており、それが魔術師たちの混乱を引き起こしていた事などアリスティアが気付くはずもない。
実は皇太子はいつも無表情で何事に対しても興味を持つ事がなかったのだが、アリスティアはそんな皇太子など一度も目にした事はなく、双子たちもアリスティアに皇太子の普段の様子を話した事などなかった。何故ならば、アリスティアが皇太子と出会ったあと、皇太子は執務室にいる時とアリスティアの前にいる時とではまるで別人の様相を見せ、強い関心──執着──を向けている事を隠しもしなかったからだ。アリスティアの前では表情豊かな様子を見せる皇太子について、普段の様子を話してもアリスティアは信用しないだろうと考えて、双子は一切話さなかったのである。
「殿下! アリスを下ろしてください! アリスだって一人で歩ける年齢です!」
「というか、アリスに触るな撫でるなアリスが減る!」
「お前たちはティアが絡むと常識を放り投げるのだな⁉ 減る訳がないだろうに。それにティアだって撫でられて嬉しそうだぞ?」
双子が文句をいう事に皇太子が呆れた様に返事をすれば。
「アリスを撫でていいのは僕たちだけです!」
「アリスを愛でていいのも、僕たちだけの権利だ!」
双子がいい
「その点は心配には及ばん。宰相からの許可は得ていると先日も言ったであろう? 何、私だけが愛でていいとか私だけが撫でていいと狭量を言うつもりもないから、ちゃんとお前たちにもその権利を分けてやろう」
何故か自慢げに言う内容に、撫でられるのが気持ちよくて目を細めていたアリスティアは、驚いてそのすみれ色の目を瞠った。
「殿下、何を上から目線で言っちゃってるんですか⁉ アリスは僕たちの妹であって、殿下の妹ではないでしょう⁉」
「妹を愛でたかったら、ご自分の妹であるリオネラ第三皇女殿下を愛でてください!」
「だが断る! リオネラはこんなに愛らしくないからな! それにリオネラには既に婚約者がいるのだから、兄と言えども気軽に交流して良い訳が無かろう?」
ここに居ない第三皇女殿下に飛び火して即座に却下され、しかし第三皇女殿下がこの場に居たら怒りまくるだろう内容にアリスティアはあんぐりと口を開けた。
「ああ言えばこう言う! 本当に殿下は、アリスに関する事となると見境がなくてたちが悪い」
「エルナード、諦めろ。僕たちが殿下の横暴に勝てた試しがないじゃないか」
「それとこれとは話が別だ! アリス成分が足りなすぎて、禁断症状が出そうなんだよ! クリストファーは大丈夫なのか⁉」
「大丈夫な訳があるか! 我慢してるだけだっての!」
クリストファーが苛ついたように大声をだすと、だよなぁ、とエルナードががっくりと肩を落とした。
「我慢せずともティアを撫でればよかろう?」
そこへ空気を読まない皇太子の言葉が投げられ、アリスティアは遠い目になった。まるで煽っているような言葉を言っている自覚は、皇太子にはないのだろうかと溜息をつきたくなる。
「殿下がアリスを抱えている状態でアリスを撫でたく無いんですよ! 撫でるなら、自分が抱えた状態の方がいい!」
「お前たちは本当に清々しいほどに、
「アリス至上主義の殿下に言われたくありません!」
「僕たちも大概な自覚あるけど、殿下も清々しいほどにアリス至上主義だよね!」
執務を全力で片付けてアリスと戯れる時間を毎日作る程度にはアリス至上主義だよね、と双子の片割れが言えば、それの何処が悪い! と答える皇太子。開き直っただの幼女趣味だのとわあわあと言い合う三人を、アリスティアは何とも言えない目で見つめた。
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