「透明」をめぐる考察
火野佑亮
比喩とクシャミ
「私は何者にもなれない」というのは一種の比喩である。貴方はどれだけ貴方を呪おうとも、貴方は既に貴方になっているのだから。
「私には居場所がない」というのも亦、自己否定的なそれと同じである。貴方は間違いなく、既にそこに立っているのだから。
「音楽のような」陶酔を味わったとて、それ自体は音楽にはなりえない。比喩には時としてどこか形而上的な、我々には捉えきれぬ、いやらしい壮大な不毛さを感じざるを得ない。
その不毛さを我々は一定のルールに従って組み上げ、ふとした時その構築の成果を見下ろし(あるいは見上げ)、快楽を享受するのである。
だがその大伽藍も案外脆いものだ。
或る男が不意にクシャミをする。その偶然は至るところに伝播していき、とうとうその高慢な建築はたかがクシャミで吹っ飛んでしまう。人間の歴史なんてそんなもんだ。
私は人間を演じるよりも、人間収集家の方がはるかに向いているらしい。人間を五感の虫取り網で捕まえ、言葉つまり比喩という針で手足を固定して一つの観念にしてしまう。その後で私はその標本ども眺めながら、これら一つ一つをどう料理してやろう、などという空想に耽るのである。
そんなことをしながらふと私は、これから汗水たらして創るであろう大建築に、クシャミを浴びせて吹っ飛ばしてくれる人間を期待する。でも私という虚構を真に見破ってくれる人なんているかしら。そんな怠惰な無想に対し、私は自分を嘲るかのようにその言葉に向かってクシャミをするフリをしてみる。
「透明」をめぐる考察 火野佑亮 @masahiro_0791
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