コラム.1 そもそも怪獣ってなんだろう?

 物の本によると『正体不明の生物』だそうです。


 おわり。


 ...いや、終わりませんよ(笑)。

 もう少しちゃんと話しましょう。

 博士によれば既存の生態系からかけ離れた成長・進化を遂げた生物の総称をこう呼んでいるそうです。


 私もそうですね。

 ごくごく普通の一般人が朝起きたらでっかい怪獣になってました、ってそんな進化が普通なわけありません。

 質量保存の法則はどこいったってツッコミが入ります。

 というか私がなったその場で言いました。

 でも現実にそうなっちゃったのだから否定は出来ません。

 もう説明がつかないので怪獣と呼ぶしかないわけです。


 でも私的には怪獣という呼び方、結構しっくりきます。

『未確認生命体』とか『巨大不明生物』とかだと長いじゃないですか、言葉は格好いいですけど。

 それに怪獣って意外と世界の共通言語として浸透してますし、私たちのような存在を言い表すには一番合ってると思います。


 とはいえ国内ではこの呼び方に反発が多いのも事実です。

 それは日本と海外の文化、というより言語の差でもあります。

 そう漢字ですね。

 音だけだけどKAIJYUで済むんですけど日本だと怪しい獣と書くわけです。

 この文字の並びから漢字の文化圏の人がどんなイメージを抱くかということを考えると、中々気軽に呼べないということも起こるわけです(そう考えると日本だけじゃなくお隣の国々でも同じような批判が起こっているのかも知れませんね)。

 突発性怪獣症で怪獣になった人を家族に持つ人達にとっては特にそうでしょう。


 実際、私の家族も私が怪獣になったことを勿論知っている訳ですから今どんな風に私を見ているだろうなぁ、私が本来の名前ではなくコゲラと呼ばれているのを見るのはどんな気持ちなんだろうなぁ、知らない間に誰か産まれてたり亡くなってたりするのかなぁ、なーんて事をふと考えてしまう時があるわけです。


 面会も色々手続きや制限がかかりますし、安全のためには仕方ないんですけど人間と同じ生活を送れなくなったのはやっぱりちょっと寂しいですね。

 だってお祝いもお悔みも出来ないんですもん。

 手で直に触れあうことも一生無理でしょうし。

 たまーに、人間時代の夢を見て目が覚めた時、だだっ広い部屋を見渡して泣いたりしています。


 でも私は人格があります。

 想い出や寂しさをはっきりと語れるだけまだ幸せかもしれません。


 以前、別の研究所にいた、ある怪獣が暴れ出して出動した時がありました。

 とにかく泣き喚いて壁や床を掻き毟って、何が起こったのか見当もつかなかったんですが、よく見ると壊れた調度品や遊具を束に纏めようとしていたんです。

 その形を見て『ひょっとして花束じゃない?』って誰かが言いまして、試しに私が資料用として研究所に植えてある背が高めの花と大きめの紙やらリボンやらを持って部屋に入ったんですね。


 そしたら、その子はさらに泣き出して私から一式を受け取ると、それまでとは打って変わって静かになって丁寧に纏め始めたんです。

 時々手伝ってあげたんですか最終的に凄く綺麗な花束が出来て、それから私にそれを渡して何度も頭を上下に振って、私が入ってきた扉を指さしました。

 結局その時は意図が分からないまま、その子は寝てしまって、その後は元に戻ったそうです。


 でもすぐにやりたかった事が分かりました。

 暴れた日はその子にとって大切な人の誕生日で、さらに人間だった頃は身近な人の誕生日になると必ず花を送っていたそうなんです。

 研究所の人達がご家族の方に相談して解明されました。


 家族の方々は泣いていたそうです。

 たとえどんな姿になっても人格が無くなったように見えても、全てが消えたわけではなく、想い出や優しさがちゃんと残っていた、と。

 

 多分、あの子は私に託したかったのかなと思っています。

 自分が勝手に出てはいけない事を本能的に悟って、外から来た私なら花を運んでくれると信じ、頭を下げて『渡してきて!』と言いたかったのかもしれません。

 全て私の勝手な推測に過ぎませんが。

 でも言葉はなくとも並々ならぬ熱意が、あの子に宿っていた事は傍で見ていた者としてはっきりと覚えています。

 今では部屋にいつでも花束を作れるように材料などが置かれているそうです。


 こういった事に関して、人間らしさが失われていないと喜んでいいのか、もう断片的にしか人間の頃の部分が残っていないと悲しむのか。

 今でも複雑な気持ちを抱えています。


 ですので、私も気軽に怪獣怪獣と呼んでいますが、個々に確かにあったはずの人格まで怪獣扱いはしたくないんですね。

 勿論、任務には全力で当たりますから中には激しく傷つけたり残念ながら命を奪わなければいけない時もあります。

 怪獣被害で住宅地を失い、亡くなられる方もいらっしゃいますから、そこで手を抜いては絶対にいけないんです。

 

 ただ『同じように人間だったはずの彼ら』の命を絶った時、自己嫌悪や申し訳なさが心に去来するのも事実です。

 特に怪獣化した人の家族の前でやらざるを得なかった時は流石に泣きました。


 なので、たまにですけど『自分に人格なんて残って無くて良かったのになぁ』なんて思ったりもします。

 けれどこういう事を伝えるのも言葉を持つ私に与えられた役割だと考えれば、辛くてもきちんと書かなきゃいけないんでしょうね。


 主題から脱線した上に暗い話ばかりになりましたね、最初のコラムだってのに。

 言いたい事もぶれまくってるし、こういうとこ本を書き慣れてない素人臭さが出ちゃってイヤですね、ホントに。

 まあでも書いたことは正直な今の気持ちですし、折角ならコラムは頭に浮かんだことをひたすら書き綴る事にしましょう。


 ともあれ、怪獣とはなんだろう?

 経験を重ね知識を増やしながら、今でもそんなことをずっと考えています。

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