322.ミュコランの雛たち
タックン、タックン! タイヘンだよ、タイヘン! ……と、いつになく慌てた様子のベルが執務室に駆け込んできたのは午後二時を過ぎたあたりで、別件で打ち合わせ中だったニーナとともに、オレはダークエルフの妻へと視線を転じた。
「なにがあったんだ?」
「産まれたっ! 産まれたのっ!」
「産まれた? ……あっ! もしかして、しらたまとあんこの」
言い終えるよりも前に、ベルは忙しく首を上下させてみせる。うわー! それはガチで大変じゃないかっ! 仕事なんてやってる場合じゃないな! いますぐ会いに行かなければっ!
「お兄様」
勢いよく席を立ったオレを天才少女が呼び止める。……っと、そうだったそうだった。大事な打ち合わせの途中だったもんな? 悪い悪い、キリのいいところまで話を進めてから様子を見に行くとしよう。
再び腰を下ろしかけると、執務机に身を乗り出したニーナは真剣な眼差しと声で続けるのだった。
「これは仕事どころではありませんわ! 私も是非ご同行させていただきたくっ!」
……あ、ニーナも行きたかったのね? それなら話は早い。一緒にしらたまとあんこの元へ向かおうじゃないか。
「早く早く☆」と手招きするベルに続き、オレとニーナは執務室を飛び出すと、庭先の一角に設けられたミュコランたちの住まいへ急ぐのだった。
「しっかし意外だな」
階段を降りながらさりげなく呟くオレに、灰色のロングヘアを揺らしてベルが振り返る。
「なにがー?」
「しらたまとあんこ関連だったら、ヴァイオレットが駆け込んでくるもんだと思ってたからさ」
「ウチもそう思ってたんだけどね♪」
アハハと笑い声を上げ、ダークエルフの妻は頷いた。
「んー……★ ま、行けばわかるよー☆」
***
なるほど、ベルが来るはずだよ。
ミュコランたちの住まいの前へ立ち塞がるように立っていたのはヴァイオレットで、地面に大剣を突き刺してはさやの部分に両手を置き、全身から殺気を放っている。
……オレの予想が正しければだけど、あれで産まれたばかりのミュコランの赤ちゃんを守っているつもりなんだろう。当のミュコランたちがおびえてしまうんじゃないかと不安にもなるけど。
ともあれ、このままの状況が続くと領民たちにもいらぬ誤解を与えかねない。帝国軍で名をはせた竜騎士でもあった妻に声をかけたオレは、一応、何をしているのか確認をしてみたのだった。
「旦那様か。決まっているであろう。しらたまたんとあんこたんとの間に産まれた雛の護衛だ。不逞な輩が狙っているとも限らんからな」
鋭い眼光のまま、ヴァイオレットは微動だにせず応じ返す。うーむ、やっぱり正解だったか。気持ちはわかるけど、平和な領内でその殺気は逆に目立つんじゃないかなあ?
とにかく、殺気を静めるように。あと、危ないから大剣も置いておきなさい。あんこもしらたまもビックリするだろうが。それにケガでもしたら危ないだろ?
渋々といった様子で従うヴァイオレットはさておいて。ミュコランたちの住まいに足を踏み入れたオレたちを待っていたのは、しらたまとあんこの愛らしい鳴き声だった。
「みゅっ!」
「みゅ~!」
長い間、守るようにして卵を温め続けていたにもかかわらず、二匹は変わらず元気そうだ。よくがんばったな、大変だっただろう?
いたわるように二匹の頭をなでていると、しらたまとあんこの間から漏れるように幼い鳴き声の合唱が耳元に届いた。やがて二匹が座っていた体をずらすと、そこには身を寄せ合うようにして集ったミュコランの雛たちが、存在を主張するべく元気のよい鳴き声を上げている姿が見えたのだった。
産まれて間もない雛たちはヒヨコよりも小さく、目も開いていない。特徴的なのは体の色だ。白色と黒色をした両親から産まれたからには、それに近い色をしているんだろうなと予想していたんだけれど、五匹とも揃って茶色である。ミュコランについていえば、遺伝とかあんまり関係ないかな?
その時だった。
小さな体を懸命に動かす様を眺めていた最中、突然、後方でなにかが倒れる音が聞こえたのだ。思わず振り返ると、そこには仰向けに倒れるているヴァイオレットがいて、オレたちは慌てて駆け寄った。
「おい! どうしたヴァイオレット⁉ 大丈夫かっ!」
「……い」
「うん?」
「尊い……」
「……うん?」
「駄目だ、旦那様……。その子たちは眩しすぎる……。キラキラと輝いて……、実に……、実に尊い」
……うん、いつも通りの平常運転だな。よく見れば満足そうな表情をしているし、しばらく寝かせておけば元に戻るだろう。ベル、悪いけど、ヴァイオレットを寝室まで連れていってくれないか?
「りょ~♪ ほらぁ、レッちん、ベッドで寝るよ~☆」
「嫌だ、後生だベル殿……。もう少し、あの子たちのそばに……」
「そんなこといって、結局、倒れちゃうっしょ? おとなしく休んでおきなよ~★」
後ろ髪を引かれるようにして連れ去られていくヴァイオレットを見送って、オレは再び視線を戻した。五匹の雛たちは揃って鳴き声を上げ、しらたまとあんこを探すように体を動かしている。これ以上、様子を見るのはかわいそうだな。
「しらたまとあんこもありがとな、もう大丈夫だよ」
「みゅ」
「みゅ~」
オレの声に、二匹は再び身を寄せ合うと隠すようにして雛を暖め始めた。これからますます寒くなるし、雛たちにとっては過酷な季節が待ち構えている。無事に孵化したからといって油断はできない。
「兄様。いっそ、家で雛を育ててはいかがですか? 領主邸であれば暖房もありますし」
「オレもそれを考えたんだけど……」
しらたまとあんこから離してしまうのはかわいそうというか、せめてもう少し大きくなるまでは一緒にいさせてやりたいのが本音なんだよ。
できることといえば、せいぜい保温効果のあるカイロ的なものを用意してあげるぐらいだろう。ドライヤーに使っている火の魔法石ならやけどの心配もないし、あれを毛布にくるんで雛たちのそばに置くとしようか。
本当は
「それはかまいませんが。ひとつ大事なことを忘れておりますわ」
ニーナは視線を横へ動かすと、しらたまとあんこを再び見つめ、その小さな手のひらで軽く体をなでている。
「大事なことって?」
「雛たちの名前を決めませんと。兄様が考えなければ、この子たちも不安になるでしょう?」
しらたまとあんこも、同意するように「みゅー」と鳴き声を上げている。そうか、それはうっかりしてたな。全然、頭になかったわ。
うーん、名前ねえ? せっかくなら、この子たちにぴったりな可愛らしいものをつけてあげたいよなあ。
まあ、名前を決めるまではいいんだけどさ、オレにはひとつ不安があるんだよ。
「雛たちの姿を見ただろう?」
「ええ、それはもちろん」
「五匹とも揃って茶色だぞ? 名前をつけたところで見分けがつくかな?」
「…………」
「…………」
「……成長していくにつれ、見分けがつくと信じましょう」
「そうしよう」
とにもかくにも。いまは雛たちの健やかな成長を願おうじゃないか。そう考え直したオレはきびすを返し、カイロを用意するべく魔道士の元を訪ねることにしたのだった。
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