290.誘致

「公演、ですか……?」


 こちらの申し出が理解できないとばかりに、マルグレットは小首をかしげた。そりゃそうか、いきなり脈絡のない話をされても困っちゃうよな。


 まあ、変に勘ぐられるのは本意ではないのでぶっちゃけてしまうけれど、オレ自身が歌劇団の公演を見てみたいだけなのだ。


 だってさ、冷静沈着な天才少女として知られるニーナが、歌劇団の話題になった途端、瞳をキラキラと輝かせては顔を上気させるんだよ? どれほどのものか気になるじゃんか。


 話を聞く限りでは、日本でいうところの宝塚歌劇団が極めて近い感じだとは思うんだけど、残念ながら実際に足を運んだことはないしなあ。技術提携も何かの縁だし、この機会に文化交流を図るのもありだろう。


「興味をお持ちになるのは嬉しいのですが、失礼ながらこちらには劇場施設がないのでは?」

「ああ、その点ならご心配なく」

「……?」

「すぐに建てますので」


 こういう時にこそ構築ビルドの本領発揮である。劇場のひとつやふたつ、ぱぱーっと作っちゃえばいいのだ、ぱぱーっと。いやはや、慣れたモンですよ。


 いや、待てよ? オレが建てるのもいいけど、こういった芸術方面に関してはファビアンに任せたほうがいいかもしれない。図書館の時みたく、実用性を重視した劇場なんか建てたら最後、


「まさかだとは思うが、この簡素な小屋を劇場施設だなんて言うつもりじゃないだろうね、タスク君っ⁉ ボクの心友マイベストフレンドたるキミが、こんなにも絶望的な感性の持ち主だとは思わなかったよっ!」


 ……とか言われそうだしなあ。はっきりと想像できちゃうもん。適材適所でいうなら、オレはオレで裏方的な役割に徹するのがいいだろう。歌劇団用の宿舎の建設とか、往来に欠かせない街道をさらに整備していくとか、やることは他にもたくさんあるし。


 いっそ、交易都市の枠を越えて、フライハイトを芸術の都として押し出すのも面白いかもな。……なんて想像の翼を広げていると、どうやら声に漏れ出ていたようで、独り言をブツブツと漏らす危ないオッサンと化していたオレに、それでもマルグレットは好意的な眼差しを向けている。


「随分とユニークなお方なのですね」

「……スミマセン。ちょっと暴走していたようで」

「いえいえ、ソフィアが領主殿に懐いている理由を垣間見た気がしました。魔法の突出した才能があるせいか、他人と比べ妹は特殊な性格をしておりますので」


 だからこそ日々の暮らしを謳歌しているようで安心したのです、と、マルグレットは微笑んだ。ええ? 言うほど特殊かなあ? 周りにいるのが一癖も二癖もある人たちばっかりだから、ソフィアぐらいなら別に普通だと思うけどなあ?


 ……いや、この場合、普通だと思っちゃまずいのか? オレ自身の性格がヘンだって認めるような話になっちゃうもんな。


「それはさておき」


 オレに対する評価の言明を避けて、麗人の魔道士は話題を戻した。


「公演については、歌劇団に掛け合ってみましょう」

「ありがとうございます」

「ただし、あまり期待なさらないでください。我が国の重鎮たちのほとんどは保守派ですので、歌劇団の派遣を忌避する可能性は大いにあるかと」


 微妙な角度に眉を動かして、マルグレットは続ける。


「例えそれが国交を結んでいる龍人族の国だとしても、貴族や上流階級以外を相手に公演を催すことには反発や抵抗があるでしょう」

「無理にとは言いません。マルグレットさんにも立場があるでしょうし」


 まあ、その時は諦めるしかないなあと考えながらも、オレはわずかな望みをマルグレットに託し、そしてダメだった時に備え、歌劇団の元トップスターだったという眼前の魔道士にある要望を伝えるのだった。


「それはそうと、もうひとつ、個人的なお願いがあるのですが」

「なんでしょう?」

「よろしければマルグレットさんのサインをいただけませんか? 宛名はニーナで」


***


 それから一時間後。


 来賓邸の応接間兼食堂にて、技術提携締結に関しての署名式が執り行われた。


 同一の内容が記載された三枚の書面に、オレとマルグレット、証人として王妃エリザベートが記名する。各自がそれぞれを保管しておき、以降は締結された内容に則って交流を深めていきましょうねということになるわけだ。


 ソフィアは署名式に姿を表さなかった。クラウスの話では、あくび交じりで「アタシは関係ないしぃ、家で寝直すぅ」と言い残し、自宅に帰ったらしい。マルグレットも妹の不在をなんとも思っていないようで、慇懃いんぎんに署名を終えると、同行した魔道士たちと歓談の輪を作っている。


 実の姉妹とはいえ素っ気ないもんだなあとか考えながら、その様子を眺めていると、エリザベートが署名式の感想を口にした。


「形式というのは必要でもあるけれど、馬鹿らしくもあるわね」


 小説の一節を思わせる台詞にどう返したらいいか悩んでいると、王妃はいたずらっぽくウインクしてみせる。


「ハヤトの受け売りよ。式典がある度にぼやいてたわ。自分の好きな本にそう書いてあったのを思い出すって」


 なるほど、現代日本の小説だったらオレも読んだことがあるかもしれない。頷いて応じかけたその時、フライハイト名物でもある『マンドラゴラ焼き』を山盛りに抱えた従者が、微塵も姿勢を崩すことなく、エリザベートの後ろを歩いている姿が目に映った。


「たくさん買われたようですが……。焼き菓子とはいえ、そんなに日持ちしませんよ?」

「いいのよ、周りに配る分も入っているから。むしろ足りないぐらい」


 そう言って、エリザベートは自分のお土産はこちらを買ったと、しらたまとあんこがデザインの元となった、これまたフライハイト名物であるミュコランのぬいぐるみを見せつけるように取り出した。


「市場視察も楽しいものね。目移りするものばかりで、年甲斐もなくはしゃいじゃったわ」

「楽しんでいただけたのなら何よりです」

「ええ、今度はプライベートで遊びに来るわね」

「おうおう、是非ともそうしてくれや。シシィの姉さんよ」


 背後からオレの肩に腕を回して、恨めしそうな声を上げたのはクラウスだ。


「いきなりやってきて、面倒事を押しつけられるこっちの身にもなってみろぃ。かわいそうにウチの財務担当なんか、さっきから胃のあたりを押さえてるんだからな」

「面倒事だなんて、人聞きが悪いわねえ」

「面倒事じゃなかったら、せいぜい厄介事だな」

「大しも変わりないじゃない」


 いかにも傷ついたという表情を浮かべるエリザベートを見やって、「とにかくだ」と前置きすると、クラウスは声を低くする。


「今回の件について、こっちは貸しを作った、そう受け取っていいのかい?」

「何のことかしら?」

「とぼけんなよ。連絡なしの来訪、事前調整のない会談、それに条件面の譲歩。他にも言いたいことは山ほどあるんだがな」

「クラウス。貴方も権力社会で生きてきたのなら、舵取りの重要性がわかるでしょう?」

「さて、どうだったかな。超絶偉大だったとはいえ、前国王の身なんでね。そんな事は忘れちまったよ」

「そう? まあいいわ。でも、貸し借りの話は無しにして頂戴。これでも普段から貴方たちには目をかけているつもりでいるのよ」


 温和な表情にしては違和感のある口調でエリザベートが返すと、クラウスは「へいへい、わかりましたよ」と言い残し、踵を返してどこかへ行ってしまった。棘を含んだやりとりだったら、オレがいない時にやってもらえないかなあ。


「クラウスに言われるまでもなく、連絡もなしに大勢で押しかけたのは悪いと思っているのよ?」


 ハイエルフの前国王の後ろ姿を眺めやりつつ、エリザベートは呟いた。


「そんな風に仰らないでください。驚きはしましたけれど、迷惑ではありませんでしたし」

「ありがとうタスクさん。貴方にそう言ってもらえると救われるわ」

「近いうちにまた遊びにいらしてください。今度はゆっくりお話しできるといいのですが」


 エリザベートを始め『夫人会』の面々にはお世話になっているのだ。せっかくなら、ちゃんともてなしたい気持ちもある。そう伝えると、王妃はどことなく困ったような、それでいて嬉しそうな面持ちでこちらを見つめて呟いた。


「ぜひそうさせてもらうわ。その時は……そうね、焼き菓子でない別のものを持ってくるわね」


 お土産なんて別にいいのになと思いつつ、偉い人の気遣いを遠慮するのも気が引けるし、とりあえずは「はい」とだけ返しておく。むしろこっちがお土産を用意しなきゃいけない立場ではあるんだけどね。『マンドラゴラ焼き』を大量に持ち帰るみたいだし、今日は別にいいかな。


 ともあれ。


 慌ただしくやってきた王妃とマルグレット一行が、これまた慌ただしく帰路につくのを見届けた後、オレは執務室に戻ってニーナを呼ぶようカミラに頼むのだった。例のマルグレットからもらったサインを渡すためである。


 予想通りというかなんというか、憧れの女優のサインを前にした天才少女は狂喜乱舞し、全身で喜びを表現すると大事そうにサインを抱えるのだった。


「ありがとう、お兄様!」

「どういたしまして。大事にするんだぞ?」


 ま、いらぬお節介か。言われなくても大事にしてくれるだろうしね。まあ、これだけ喜んでくれるなら、オレもマルグレットに頼んだかいがあったってもんだよ。


 興奮冷めやらぬといったニーナがうっとりとサインに見入っていた最中、執務室のドアをノックする音が聞こえた。カミラがわざわざ二人分の紅茶を持ってきてくれたのだ。


「王妃から頂戴したジンジャークッキーも残っておりますが、いかがされますか?」

「いまはいいかな。残ってたら、アイラがおやつで食べるだろう」


 かしこまりましたと一礼し、カミラは紅茶を淹れ始める。その香気を楽しんでいると、カップから立ち上る湯気越しに神妙な顔をしたニーナの顔が見えた。


「お兄様……。ジンジャークッキーって……?」

「ああ、王妃が持ってきてくれたんだよ。お茶菓子にって」

「……深刻なお話をなされていたのですか?」

「ん? いやいや、そんなことはないぞ?」

「それならよかったですわ」


 心から安堵したようにソファへ腰を下ろし、ニーナは息を漏らした。……何がよかったのか、こっちはサッパリ理解できませんがと不思議に思っていると、紅茶を注ぎ終えたカミラがティーカップを差し出してから説明してくれた。


「古来より、王族が会談を主催する際はお茶の時間を設けるという慣習があるのです」

「へえ~。……で、それとジンジャークッキーにどういった関係が?」

「お茶請けとして提供される焼き菓子には、符丁の意味合いが込められておりまして」


 その中でジンジャークッキーは満足の意を表すものとして用いられるそうで。反対に不満の意を表すものとしてはセサミクッキーが用いられる他、カップケーキやパウンドケーキなどにもそれぞれ異なった意味があるらしい。


 つまりはエリザベートにとって「今日の会談は実りのあるものだった」という意味が込められていた、と……。怖っわ! なんだよ、その暗号めいたやりとり!


「この機会にタスク様にも符丁の存在を伝えたい。エリザベート王妃はそのように考えられたのではないでしょうか」

「えぇ……?」

「本人が知らなくても、周りにいる人たちが教えるだろう。それを踏まえた上でのジンジャークッキーだったのでは?」


 あくまでも推測の域を出ませんがと、カミラは一礼する。間違いありませんわねと同意するのはニーナだ。うへぇ、マジかあ、そんなことも覚えていかないといけないわけ?


「お兄様は伯爵であり、いまや他から一目置かれる領主でもあられますから」

「面倒な話だなあ」


 お茶菓子ぐらい好きに食べればいいじゃんか。何でもかんでも含みを持たせる風習とか、どうかと思うけどねえ、オレは。


 とはいえ、これから先の事を考えると、交渉のテーブルにつく機会も増えるだろうし、教養として身につけておかなきゃならないんだろうね、きっと。


 ……はあ~……。しっかし、なんだなあ。


 悠々自適な生活を送りたいという願望が、どんどん遠ざかっていくのがわかるわ。マルグレットに冗談だと思われても仕方ないなこれは。


「カミラ、焼き菓子を持ってきてくれないか。なるべく甘いヤツ」


 かしこまりましたと頭を下げて、戦闘メイドは執務室を後にした。せめていまぐらいは、深く理由を考えず焼き菓子を頬張ってもいいだろう。オレは深くため息をつくと、椅子に深く座り直し、精神的な疲労を背もたれに預けた。

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