273.拡張工事の再開
牧場の拡張工事が再開された。
今回からガイア・オルテガ・マッシュのワーウルフ三人衆、通称『黒い三連星』が護衛と作業の手伝いをしてくれる。以前はアイラが同行してくれていたのだが、リアの世話に忙しいため、声をかけるのを遠慮したのだ。
猫人族の妻には悪いが、リアのつわりが始まってからというもの、誰よりもリアを気遣っていたのがアイラだというのはちょっと意外である。
リアの迷惑にならないよう、さりげなく寝室に顔を覗かせては、かいがいしく身の回りの世話に努めている。時間さえあれば昼寝に忙しい、あのアイラがだ。……あんまり言うと本人の耳に入った時が怖いから、この辺でやめておくけれど。
アイラだけでなく、もちろん他の姉妹妻たちも出来る範囲内でリアを助けてくれているみたいなので、そこは強調しておきたい。ベルはマタニティーウェアだけでなく、生まれてくる赤ん坊のための服まで作り始めている。いくらなんでも気が早くないか? 性別すらわかってないっていうのに。
エリーゼはつわりでも無理なく食べられる料理を考案し、ヴァイオレットはリアの退屈しのぎに将棋を始めとしたテーブルゲームの相手をしているようだ。隠れてこそこそと、乳児が遊ぶようのぬいぐるみを作っているみたいだけれど、どうやら内緒みたいなので黙っておこう。
オレはオレで、カミラからの忠告もあり、ベッタリ過ごすのは控えることにした。もちろん、ある程度は顔を合わせているけれど、生まれて来る子どものために、今はしっかり働こうじゃないか。
牧場の拡張は敷地をさらに広げ、当初の予定より1.5倍の大きさとなった。
牛の飼育に渋々といった様子のアルフレッドが一転、積極的に賛成の意を示し、導入する牛の頭数を増やしたのがその要因である。
経費が財政がとやたらめったら反対していた龍人族の商人が、どんな心境の変化なんだと首をかしげたのだが、背景にはニーナの説得があったようだ。
今朝方、朝食をともにしながら、一体どうやってアルフレッドを説き伏せたのか尋ねるオレに、天才少女ははにかんで応じた。
「どのような形であれ、食料自給率を向上させるのはよいことだと思いますもの」
「ごもっとも。オレも同じようにアルフレッドに説明したんだけどね」
オレとニーナで何が違うのだろうかと謎に思っていると、ニーナは種明かしをしてみせる。
「簡単ですわ。牛を購入する代金を、他の分野で容易にまかなえると、そうお伝えしたのです」
「他の分野?」
「ええ。つい先日、お兄様は新種の作物を作られたではありませんか。それらを増産して出荷すればいいだけですもの」
「あ~……。いや、あの三種類については、当分、身内だけ食べられる程度を作ろうかと思っていてな?」
「お兄様、そんな風に仰らないでくださいまし。あれだけ素晴らしい作物を、世に広めなくてどうするおつもりなのです? それに」
「それに?」
「飼育する予定の牛を、すでに頼んでしまいましたもの」
代金も支払済みだそうで、「その分しっかり稼いでくださいましね、お兄様」と念を押されてしまった。あの時のニーナの笑顔ったら、天使か悪魔かわからなかったな。
そんなわけで、三十頭の牛が後日運び込まれることとなり、牧場の拡張が終わり次第、『水色スイカ』や『クッキーポテト』の畑を用意しなくてはならないハメになった。あんなムチャクチャな作物、本当に需要があるのかどうか疑問なんだけどなあ?
ああ、そうだ。需要といえば、『灼熱の実』についてである。他の二つとは違い、ただ単に辛いだけの代物なので失敗作かなと思っていたのだが、アレックスやダリルたちハーフフットには思いの外、受けが良かった。
「これ、カレーのスパイスとして使えますよ」
「だな! さすがはお館様だぜ!」
とまあ、こんな具合である。すっかりカレーにハマっているようだ。使用する際は、くれぐれも美味しいと感じられる程度の辛さに調節してもらいたい。
一方で「何かの薬に使えるかも」と、そんな感想を口にしたのはクラーラである。……刺激物だぞ? 薬になるのか?
「毒草だって、使い方次第で薬になるもの。試してみて損はないわよ」
「そういうもんか?」
「リアちゃんだって同じ事を言うと思うわ。とにかく、ある程度の量は確保しておいて頂戴」
片手を上げてひらひらさせると、クラーラは颯爽と立ち去っていく。普段だったら、リアちゃんリアちゃんとやかましいけれど、状況が状況なだけに気を遣っているようだ。
もっとも、つわりが終わった後、反動とばかりに極端にベタベタされても困るんだけど。そこはあいつの良心を信じよう、うん。
***
幾日かが過ぎた後、牧場の拡張は完了した。
広々とした牧草地での作業でも、ワーウルフのかけ声は変わらず響き渡り、ここ数日は「ナイスバルク!」という声援に困ることがなかった。筋肉を誇示したつもりは一度だってないんだけどなあ。
とにもかくにも、無事に準備が整ったことで、牛の搬入作業を依頼する。ここからはアルフレッドたちに引き継ぎ、『転送屋』による
現状、領内で飼っている牛とあわせ、合計で四十五頭を飼育することとなった。これだけの頭数だと、世話をするのも大変だけど、まあなんとかなるだろう。
順調にいけば牛肉も安定供給できるだろうし、明るい未来に胸が膨らむ。一方で、樹海に潜む魔獣たちから家畜を守る手段も講じなければならない。
これについては久しぶりに
「いいですか、タスクさん! 決して! 決して踏まないでくださいよ?」
地中に埋められたそれらを指しながら念を押す龍人族の顔は、やってやったぞという達成感に満ちたものがあり、同時にオレは仕掛けられた罠の危険性をなんとなく察してしまうのだった。
うん、あの表情の輝きからして、絶対死ぬヤツだわ、コレ……。
危険性を領民全員へ周知する必要があるなと考えながら帰路につく。すると、お待ちしておりましたとばかりに、カミラが外門で待ち構えていた。
「お帰りなさいませ、タスク様」
「珍しいな、外で待っているなんて」
「ええ、リア様についてお話ししたいことがございまして」
「……何かあったのか?」
「はい。ただいまマルネーレさんに看ていただいているのですが。どうやら、つわりが終わったようなのです」
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