272.書籍を増やそう
ともあれ、ニーナから要望された図書館は無事に開館の日を迎えたわけなのだが、早くも問題が発生した。
圧倒的に利用者が少ないのだ。
無料で本が読めるなら、誰しも喜んで使うだろうと思っていたけれど、どうやら間違いだったらしい。小規模とはいえ、貴重な書籍が揃っているし、オレなら興味津々で足を運ぶけどなあ。
壁一面に取り付けられた本棚へ並ぶ歴史書を手に取って呟くと、図書館の館長を務めるフローラは苦笑いを浮かべるのだった。
「仕方がありませんよ。読書を嗜むというのは、こちらの世界では珍しいことですから」
「そういうもんか?」
「ええ。私もヴァイオレット様にお仕えするまで、本は縁遠い代物でしたので」
うーん、書籍は特権階級の知的財産って話は前にも聞いていたけど、ここまでとは思ってもいなかったな。この調子が続くようだと、せっかく本を寄贈してくれたニーナにも申し訳ない。
「そんなことはありませんわ、お兄様」
ちょこんと椅子へ腰掛けていた天才少女は、机に広げていた地政学の本から顔を上げ、コバルトブルーの瞳でまっすぐにこちらを見つめる。
「もともとこうなるだろうと、私、考えておりましたもの」
「考えていた?」
「ええ。皆さんにしてみたら読書そのものが異文化のようなものですし、しばらくの間は戸惑われるだけかと」
こればかりは時間をかけて慣れていってもらうしかありませんねと続けるニーナに、フローラが頷いた。
「ニーナさんの仰る通りですね。何かしらのきっかけがあって本に興味を惹かれれば、利用される方も自然と増えますよ」
「そういった意味では、お兄様からマンガを寄贈していただけたのは幸いでしたわ。気軽に読めるものがあれば、きっかけ作りにもなるでしょうし」
マンガも書籍の一種だからな。親しみやすいものから読書を始めてもらうのも悪くない。そう考えると所蔵している本も、バリエーションを増やしたほうがいいんじゃないか?
現時点だと、真面目な政治学とかお堅い経済学とかの専門書と、『努力・友情・勝利・そこから始まる淡い恋』でお馴染みの少年少女向けマンガっていう、対極的な二種類しか置かれていないもんな。
もっとこう、幅広い年齢層が楽しめる本があってもいいと思うわけだよ。たとえばだけど、絵本とかがあれば、親子で図書館にやってきてくれるんじゃないかなあ?
……とは言ってみたものの、残念ながら二人の反応は鈍く。「こちらの世界に絵本がない」という事実が判明したのは、この直後のことだった。マジかー……。
いや、考えてみれば、マンガの概念がない世界だったのだ。絵本がなくても不思議じゃない……か? う~ん、そこらへんは判断が難しいけれど。
とにかく、だ。
なければ作ってしまえばいいだけの話である。幸いにも領地には才能豊かな同人作家たちが暮らしているし、紙も交易品として取引できるだけの在庫を抱えている。マンガで培ったノウハウを活かせば、絵本だって作れるだろう。
そうと決まれば実行あるのみと、同人作家である魔道士たちに絵本の制作を頼みに向かったのだが。
時を同じくして、オレは、とある人物から図書館に並ぶ書物へのクレームを受けるハメになるのだった。
***
魔道士たちへ一通りの依頼を終えた帰り道。
休憩がてら
「……なにが?」
オレとしては、当然、こう言葉を返すしかないわけだ。だって、怒っている理由がわかんないもんな。
とりあえずは落ち着きなよと席を勧めると、少しは冷静さを取り戻したのか突然の非礼を謝ってから、ロルフはテーブル越しに腰を下ろした。
「申し訳ありません。事情も説明せず、いきなり取り乱しまして……」
「ああ、いや、ビックリはしたけど。どうしたんだ、一体」
翼人族の代表を務める、いつも温和なロルフがこれほどまでに怒っているのも珍しい。オレに対して何かしらの不満があるものだと構えていた最中、モスグリーンのショートヘアをした翼人族の青年は一冊の本を取り出した。
表紙には『究極の甘味、その調理法』と書かれていて、ますます事情が飲み込めないオレは、本とロルフを交互に眺めやった。
「図書館が出来たというので、スイーツに関連する書物がないかとこちらをお借りしてきたのです」
そう切り出したロルフから語られたのは、この本に対する苦情である。なんでも、記載されているのは焼き菓子のレシピのみ、しかも材料と作り方が箇条書きになっているだけというお粗末さで、ロルフ曰く「これのどこが『究極の甘味、その調理法』なのですか?」ということらしい。
「しかもその焼き菓子のレシピですら、味や見た目より、長期保存が出来るものばかりです! はっきり申し上げて腹立たしいとしか言えませんよ!」
再びヒートアップしていくロルフをなだめやりつつ、受け取った『究極の甘味、その調理法』をパラパラとめくっていく。なるほどねえ、完成品のイラストもないし、これをレシピ本といっていいかと言われてしまえば疑問符がつくなあ。
とはいえ、だ。
所蔵しているのはニーナから寄贈された書籍しかないので、収集していた本人にこの手の分野に対する関心が薄ければ、内容の伴わないものが混じっていても仕方がないというか。
読書に夢中になるあまり、食事を摂らないのも多々あったようだし、そこらへん興味がなかったんだろうなあ。
「ちなみにだけど、これ以外にレシピ本ってなかったのか?」
「ええ、一切ありませんでした。唯一これだけですね」
深いため息を吐き出して、ロルフはガックリと肩を落とした。そうだよな、図書館だもんなあ。そういう本があるって思うのが普通だよな……。
「まったくです……。私の甘味に対する飽くなき探究心を満たしてくれるものがあると、期待に胸を膨らませていたのですが……」
「悪かったよ。その手の分野も揃えるようにしておくからさ」
そこまで言い終えたオレは、つい先ほど絵本の制作を魔道士に頼んだことを思い出し、冗談半分に話を続けた。
「何だったら、ロルフ自身がレシピ本を作るのもアリだと思うぞ? スイーツに関してのプロフェッショナルだしな」
「私自身が、ですか?」
「まあ、あくまでじょうだ」
「それです! タスク様の仰るとおりですね!」
「はい?」
「なければ作ればいい! どうしてそんな簡単なことに気づけなかったのでしょう⁉」
落胆していた姿はどこへやら、意気揚々とした翼人族の青年は、瞳を爛々とさせて勢いよく立ち上がった。
「思えばこれまでタスク様より様々な甘味を教わっていただきました。この教えを残さねば、いずれ甘味の灯火は消えてしまうでしょう!」
「そんなことはな」
「教えを広めることで、大陸中にスイーツの輪を広げる……! それこそが私に与えられた使命だったのかもしれません!」
「気のせ」
「こうしてはいられません! さっそくレシピ本の執筆に取りかからねば!」
鼻息荒く踵を返し、ロルフは走り去っていく。……本人はやる気満々みたいだし、図書館に所蔵する本が増えるならそれでいいか。
……で。
ロルフたち翼人族が執筆したスイーツや料理のレシピ本が、図書館の一角を占めるようになったのは、それからしばらくの月日が流れてからのことである。
同時期に、ガイアたちワーウルフ監修による『めくるめく筋肉美の世界』という本が、ひっそりと本棚の片隅に並べられたのだが……。それはまた別の話。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます