269.カミラからの忠告

 とにかく、だ。


 出来てしまったものはしょうがない。生産者としての責任を果たすべく、とりあえずは名前をつけてやろうと決めた。


 赤い激辛の作物は『灼熱の実』、青いラグビーボール状の作物は『空色スイカ』、黄色いサツマイモは『クッキーポテト』と、それぞれ十秒もかけずに命名する。


「それにしてもネーミングセンスが皆無じゃのう。風情がないぞ、風情が」


 残ったクッキーポテトをひょいと摘まみつつ、つまらなそうにアイラは論評した。こういうのは変にこだわった名前より、わかりやすいほうがいいんだよ。


 とはいえ、即決の名称にはニーナも多少の不満があるようで、アイラとは異なった見解で名前の変更を促すのだった。


「お兄様がお作りになったのですから、お兄様の名前をつけてはいかがですか? 『タスクの実』とか……」


 天才少女の大真面目な顔を見やりながら、オレがまず連想したのは日本でもお馴染みの『アイスの実』で、なるほど確かに語呂はいいなと思いつつも、自分の名前の付いた作物が世に出回ることへ末恐ろしさを覚えたわけだ。


 ようやく『タスク領』という名称の呪縛から解放されたというのに、今度は野菜と果物とか、本当にカンベンしていただきたいっ。


「そんなことよりも、じゃ」


 人差し指と親指に残るクッキーポテトの食べかすを行儀悪く舐め取って、アイラは口を開いた。


「こんな代物が出来たと知れたら、アルの奴めがうるさくなるのではないかえ?」

「……確かに」


 商人魂に火をつけそうな代物には違いないもんな。「いますぐ増産しましょう!」って鼻息荒く迫ってくる様子が目に浮かぶね。


 しかしだね? クッキーポテトはさておいて、水色スイカや灼熱の実に果たして需要があるかどうかって話ですよ。……いや、それでも水色スイカは味がいいから売れるとは思うけどさ、灼熱の実なんて辛いだけで少しも美味しくなかったし。


 もともと、つわりで苦しむリアが食べられるものをと思って作ったのだ。本格的な栽培はリアの容態が落ち着いてからでも遅くはない。


 ひとまずは限られた量を栽培しつつ、その後に専用の畑や図書館の建設、途中で止まったままになっている牧場の拡張へ取りかかろう。


 そのためにも作業工程を整理して、スケジュールを調整しないといけないな、……なんて思っていたのだが。


 この考えは、意外な人物の反対によって修正を施される結果となった。


***


「あえて申し上げます、タスク様。どうかいつも通りの執務をまっとうされますよう」


 執務机越しにうやうやしい声で応じたのはカミラで、領主の秘書としての役割もこなす戦闘メイドは、リア優先のスケジュールを組むため相談を持ちかけたオレに対して再考を求めた。


「奥方様を大切にされるお気持ちは重々承知しております。ですが、何事も度を過ぎるのはいかがなものかと」

「……その言い方、オレがリアに構い過ぎだっていう風にも受け取れるけど」

「はい。失礼ながら」


 丁寧に頭を下げながらも、カミラは否定しない。その態度に、内心、ムッとなってしまったが、カミラにはカミラの言い分があるのだろう。反論する前に、とりあえず戦闘メイドの話へ耳を傾けることにした。


 カミラとしての意見は次のようなものだった。


 その一。リアを優先するという考え自体は素晴らしいが、そのせいで執務を中途半端にするとなっては、かえってリア自身が精神的な負担を感じるであろう。


 その二。第一子ということもあり、リアを丁重に扱うのは理解できる。しかし、他の妻たちが妊娠した際はどうか? 同様に接しなければ姉妹妻の仲に軋轢が生まれかねない可能性もあり、また、そういった風評が民衆へ広がる恐れもあるため、適切な距離感を心がけるべきだ。


 その三。男性貴族が育児に関わるのは、常識では考えにくい。伯爵としての権威を保つためにも、執務へ専念するのが妥当だろう。


 ……話を聞きながら、オレは段々と眉間にしわが寄っていく自分自身に気がついた。ひとつ目の話は、まだわかるよ。残りふたつの荒唐無稽っぷりったら、失笑レベルだぞ?


 音もなく執務机を指で叩きながら、オレは美貌の戦闘メイドを眺めやった。本心でいっているのかと問い詰めたい心境だったが、口を開くよりも先に、カミラは語を継いだ。


「もちろん、タスク様がそのようなお方ではないと承知の上で申し上げております」

「承知の上で、ねえ?」

「はい。権威や権力といったものを重視する者たちの存在を、今一度思い出していただきたいのです」

「世間体というやつかい?」

「左様でございます」

「面白くもない話だな。妻が妊娠したっていうめでたいことにも、気をつける必要があるっていうのか?」


 因習めいた習慣やしきたりがいちいちわずらわしく、オレは頭をかきむしった。まったくもって面倒な話じゃないか。気軽に伯爵になんてなるもんじゃないね。……なりたくてなったわけじゃないけど。


 返事代わりに深いため息で応じてみせると、カミラは一拍おいてから「……もっとも」と前置きした上で話を続けた。


「私個人の考えを申し上げれば、ひとつ目だけをお心に留めておいていただければ、それだけで問題ないのですが」


 先ほどまでの話題とは一八〇度異なる見解に、オレは首をかしげる。


「貴族だったらいろいろと気を遣え、そういう話じゃなかったのか?」

「ご説明したところで、タスク様にはいまさらの話でしょう。お仕えしてから一度たりとも、そういったものとは無縁のお方なのですから」

「……否定はしない」

「あえて意見具申いたしましたのも、タスク様はご自身の地位をお忘れになられているのではと、時折感じる事がありましたので」

「……それも否定はしない」

「出過ぎた真似をと思われるでしょうが、私やハンス様もそれを承知の上での諫言でございます。タスク様にとっては、さぞお耳汚しかと存じますが」


 そこまで言い終えると、戦闘メイドは再び頭を下げた。……いや、こうやって苦言を呈してくれる人物がいることに、むしろ感謝するべきだろう。こっちの世界の常識に照らせば、オレなんて非常識の生き字引みたいな存在だろうしさ。


 そう伝えると、カミラはわずかに微笑みを浮かべ、穏やかさの微粒子が混じった声で応じるのだった。


「お聞き入れくださり、嬉しく思います」

「礼を言うのはこっちの方だよ。時々、注意してくれればオレとしても助かる」

「恐れ入ります」

「ところで」


 さりげなく話題を転じ、先ほどの話でオレは気になっていた点をカミラへ尋ねた。


「男性貴族は育児に参加しないって本当なのか?」

「はい。貴族社会においては妊娠から出産、幼少期の教育まで、男性が関わることは一切ございません」


 その役割を担うのは女性たちであり、だからこそ宮中における『夫人会』の影響力は大きいらしい。


「それは後継者問題についても変わりません。『夫人会』の意向を汲んで、跡継ぎが変わるといった事も珍しくはないですから」

「なるほどねえ。出産から子育てに関わっていればこそ、その意見を無視できないってわけか」


 オレはてっきり、「男が育児に関わるとかけしからん!」みたいな、くだらない風習が残っているとばかり思っていたけど違うのかな?


「そういった風習が残っている事実は否めません。ですが、今日こんにちにおいてはその政治的影響力から、女性たちの側が男性の育児参加を忌避する傾向が見られるのも確かです」

「はあ~……、そういうもんか」

「とはいえ、ご説明したところで、おそらくタスク様には関係ない事と思われますが」

「なんでさ?」

「積極的に育児へ関わろう。そうお考えのようですので」


 いや、そりゃそうだろ。自分の子どもですよ? 奥さん方と一緒に子育てする気満々だっていう話ですわ。今から楽しみで仕方ないっての。


 意気揚々と決意表明してみせると、やや困惑した面持ちのカミラは、珍しく遠慮がちに口を開いた。


「タスク様……。タスク様のお気持ちは素晴らしいとは思うのですが……その……」

「うん?」

「御子の成長を見守るのも、戦闘メイドとしての責務といいますか」

「……?」

「この際ですのではっきり申し上げますと、私から子育ての楽しみを奪わないでいただきたいのですっ」

「……お? お、おう……」

「よいですか、タスク様? 御子が誕生した際には、このカミラも育児には参加いたしますのでっ!」


 燃え上がる瞳を前に、「よろしく頼む」としか言えなかったよね。ありがたい話ではあるんだけど。何も生まれる前から、そんなに鬼気迫る表情で迫る必要はないんじゃないかな?


 子育てっていっても、まだまだ先の話だし、今から気負う必要もないわけで……。


 とりあえずは当面の予定を立てるべく、オレはカミラとスケジュールの調整に移った。

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