176.クラウスの憂鬱、クラーラの帰還
クラーラとハンスが帰ってきた。
旧家屋の前で落胆するクラウスを励ましている最中の帰還だったので、ただいまの挨拶もそこそこに、どうしたのかとクラーラは投げかける。
「クラウスおじ様が落ち込んでいる姿なんて、私見たことないわよ?」
「あ〜……。なんというかだな、これには深い事情があって……」
オレが応じようとした矢先、ヨロヨロと体勢を立て直しながら、ハイエルフの前国王は呟いた。
「へへ……。いいんだよ、どうせ俺なんて大した存在じゃないのさ……」
「そんなことないって。ほら、ここで暮らしている人たちって、ちょっと特殊っていうかさ」
少年を思わせる若々しい顔が、一気に老け込んだように思える。そこまでショックを受けなくてもいいんじゃないかなあ?
クラウスが落ち込んでいる原因。それは住民みんなからの反応にあった。
***
製紙工房が本格的に始動するということもあり、クラウスの存在をこのまま領民たちへ隠し続けるには無理があるだろう。
そろそろハイエルフの王様が住んでいるよっていうことをお披露目して、存在に慣れさせておくのがいいんじゃないか?
そんな話を持ちかけた所、銀色の長髪をかきあげながら、クラウスは端正な顔立ちに爽やかな笑顔を浮かべてみせた。
「何度も言ってるけどよ。俺、人気者だったからさ。ハイエルフたちはモチロン、他国民からも敬われて慕われること半端なかったし。前の国王とはいえ、そんなヤツが暮らしているとなったら、パニックになると思うんだよなあ」
微塵もふざけているように思えない口ぶりは、冗談でも何でもなく、本気で憂慮しているのだと感じさせる。
「そうならないためにも、徐々に慣らしていこうって話さ。一度に全員へ知らせるわけじゃなくて、グループごとに紹介していけば動揺も抑えられるだろう?」
クラウスが住んでいることを知った領民が、別の領民へ存在を教えていくかもしれないし。そういう風に広まっていけば、自然と受け入れられるだろうからな。
「俺のことを知った奴らが、家に押し寄せてくるのもあり得るぜ?」
「大丈夫だよ」
「サイン求められたら、断れねえし……。イマイチ不安なんだよなあ」
真面目な口調で続けるクラウス。至って本気らしい。ハリウッドの映画俳優みたいだな。
ともあれ、話しているばかりでは埒が明かない。実際にみんなの反応を見てから改めて考えようと、まずは翼人族へ紹介することに。
礼儀正しく知性的な翼人族なら、きちんと対応してくれるはずだ。
そんなことを考えながら菓子工房へ足を運ぶ。念の為、クラウスはフードを被ったままだ。
すると、ちょうど出入り口付近に差し掛かったところで、仲間たちを引き連れたロルフと会うことができた。
「これはタスク様。いかがされましたか?」
「うん、実は先日からこの領地に暮らしている友人がいてね。みんなに紹介したいと思ってさ」
「ご友人ですか。それはそれは……」
肘打ちで合図を送ると同時に、クラウスはフードを外していく。やがてあらわになる端正な顔立ちに微笑みをたたえながら、ハイエルフの前国王は口を開いた。
「クラウスだ。これからよろしく頼む」
途端にざわつき始める翼人族たち。……そういうリアクションが返ってくることをクラウスは想像していただろう。
だが、現実は違った。
ロルフを始めとする翼人族たちは、まったくといっていいほどに無反応で、穏やかな笑顔をクラウスへ向けている。
「ハイエルフの前国王、クラウス様ではないですか。タスク様と親交があったのですね」
「……ん? ……う、うん。まあな」
「いやはやこれは驚きです。至らぬ点があるやもしれませんが、よろしくお願いできればと」
それでは我々は仕事がありますので、これで……と、言い残し、ロルフたちは立ち去っていく。
「……パニックにならなかったな」
翼人族を見送りながら呟いた一言は、思いの外、クラウスの心に突き刺さったらしい。
「何であんな無反応なんだよ!! ハイエルフの前国王だぞ!? 超が付くほどの人気者だったんだぞ!? マジでっ! 嘘じゃないんだって!!」
こんなはずはないと言わんばかりに、オレの襟元を掴んで、身体を激しく揺さぶるクラウス。お前がパニックになってどうする。
そこへやって来たのはハーフフットのアレックスとダリル、それにワーウルフのガイアたちで、物珍しげな眼差しでこちらを見やるのだった。
「お館様じゃねえか。何してんだ?」
「お前らこそ、珍しい組み合わせだな」
「力仕事がありまして。ガイアさんにお願いしていたのです」
「ガハハハハ! お役に立てて何よりです! 私も筋肉を鍛えるのにちょうど良かったですからな!」
で、当然のことながら、三人の視線はオレの襟元を掴んでいるクラウスへ集中するわけだ。
「あ、そうだ。みんなにも紹介しておくよ。ここで暮らすことになったオレの友人で……」
「クラウスだ。ハイエルフの国の“前国王”をやっていたが、気楽に付き合ってくれると嬉しい」
前国王を必要以上に強調するクラウスに、多少なりともかっこ悪さを感じていたものの、声には出さず。
翼人族の反応で傷ついたのか、ご丁寧にモデルばりのポージングまで取っている。黙っていれば爽やかイケメンなんだから、そんなムキになる必要もないだろうに。
そんなハイエルフの前国王のアピールも虚しく、三人から返ってきたのはやはり鈍い反応だった。
「おお。あなたがハイエルフの前国王ですか。いや、お噂はかねがね」
「お館様も顔が広いよなあ。そんな人とダチとかよ」
「まったくです。こちらこそ、よろしくお願いいたします」
それでは我々は仕事が残っておりますので、これで……と、翼人族の去り際を再現し、踵を返す三人。
「えーっと、ちょっと待ってくれるか?」
ショックだったんだろうなあ。予想しなかった反応を繰り返されたことで身体を硬直させるクラウスに代わり、オレは三人を呼び止めた。
「ハイエルフの前国王が暮らしているんだけど、それについて驚きとかはないのか?」
問いかけの意味がわからないとばかりに、三人は顔を見合わせている。
そして、やや間があってから、こんなことを呟き始めた。
「驚くも何も……。お館様には驚かされっぱなしだからよー」
「ですね。お偉方が住まわれようと、これといって疑問に思わないといいますか……」
「左様。龍人族の王など、しょっちゅう遊びに来ているではないですか。今更、別の国の王がいたところでおかしくはないですからな」
三通りの言葉を残し、立ち去っていくハーフフットとワーウルフ。ワナワナと身体を震わせ、クラウスは宣言した。
「……それでもハイエルフたちなら、ハイエルフたちなら、パニックになるはず!!」
もはやパニックを起こしたくて仕方ないと言わんばかりだな。本末転倒じゃねえか。
「うるさい! いいかタスク! 今からハイエルフたちのところに行くぞ!! 俺が本当に人気者だってことを証明してやる!!」
もはやフードを被ろうともせず、大股歩きでぐんぐんと先へと進んでいくハイエルフの前国王。
これ以上、クラウスがショックを受けることのないようにと心の中で願いつつ、オレはその後を追うのだった。
***
「……で。ハイエルフでも結果は同じだったと?」
クラウスの代わりに頷いて応じると、クラーラはため息をついた。
「わざわざそんなことしなくても。おじ様の偉大さは世間に知れ渡ってますよ?」
「いいんだよ、クラーラ。人気者って評判は幻想だったんだ……。俺は踊らされてたんだよ……」
「領民らは、ジークフリート陛下にも親しみを込めて接しております。変に近寄りがたい印象を与えるよりよろしいのでは?」
「あれはお前、単なる将棋のオッサンとしか認識されてねえだけだろぉ? 一緒にすんなよ……」
ハンスの励ましもクラウスには届かないようで、戦闘執事は困りましたなと肩をすくめている。
……ところで、だ。
「さっきから気になっていたんだけど」
「なに?」
「クラーラの後ろに隠れてるの、誰?」
その一言に、クラーラは表情を曇らせ、ハンスは穏やかな笑顔を浮かべている。何だよ、一体……。
ぴょこんと前に飛び指してきたのは、クラーラよりも頭ひとつ分小さく、薄緑色のショートカットがよく似合う、ダークエルフの女の子だった。
「はじめまして! 貴方がタスク子爵ですね! イヴァン様からお話は聞いております!」
「はじめまして。……えーっと、君は?」
「ジゼルといいます! これからよろしくお願いいたします!」
汚れのない瞳をキラキラさせながら、まっすぐにオレを見つめるジゼル。……よろしくお願いしますって?
「タスク様。こちらのジゼル嬢は、長老殿のひ孫にあたりまして」
「移住希望ってこと?」
ハンスの説明に応じようとした矢先、ジゼルは会話に割って入った。
「移住希望ではありません! お嫁さん希望なのです!!」
「……はい?」
白衣をまとったクラーラの腕に、自分の腕を絡めて、ジゼルはなおも続ける。
「私! クラーラお姉さまのお嫁さんになります!」
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます