172.交渉(中編)

「獣人族のけじめ、ですか?」


 首を傾げるアルフレッドへ、柔和な笑みをたたえる次席補佐官。


「はい。忌々しい悪習を今に残してしまったことへの、我々なりのけじめです」

「よくわかりませんね。それとあなた方が仰る区別というものがどう繋がるのですか?」


 使者の言い分はこういうことだった。


 外見で忌み子などと判断し、命を奪ってきた過去の蛮行を無くすことはできない。


 であれば、今を生きる我々自身が悪習の呪縛から逃れ、古来よりの伝承を修正していく必要がある。


 忌み子と呼称される人々も、我々と変わらぬ存在で、普通に生きていくことができるのだと証明しなければならない。


 しかしながら、まだまだ多数の獣人族たちが『忌み子は災いをもたらす存在』という、古来よりの伝承を信じている。


「故に、我々としては段階的に共存していく手法を取らざるを得ないわけでして。『耳欠け』というのはそのための措置に過ぎません」

「ま、待ってください」


 耳を傾けていたアルフレッドが戸惑いの声を上げる。


「その言い分は、伝承を信じる人たちを優先しているようにしか聞こえません。結局の所、忌み子と呼ばれる人たちの側に立っていないではないですか」

「とんでもない。これは互いの利益が一致した結果です」


 ……利益の一致?


「自分たちの送っていた平穏な日常に、突如として異分子が紛れ込んでも困惑するでしょう? 逆もまた然りで、異分子側も好奇の視線に晒される恐れがあります。だからこそ段階的に、同じ種族の仲間ということを証明しなければならないわけで」

「阿呆らしい。結局の所、自分たちに都合よく物事を解釈し、弱者をおいやっているだけではないか」


 それまで押し黙っていたアイラが、眉間にシワを寄せながら、間に割って入った。


「同じ種族の仲間であると証明しなければならないと申したな? ではなぜ同胞の耳を切り取り、過酷な環境へ追いやる必要がある? そなたらがやっていることは罪人へ行うそれと変わらんではないか」

「仰るとおりです。ですが、悲しいことに権力者が伝承を信じている影響も大きく、共存した途端に不幸が起こるという意見もありまして」


 それに、と、一息入れてから猫人族の使者は続ける。


「我々と同様の権利を与えることで、忌み子が増長する危険もあります。彼らにはそれを当たり前のものとしてではなく、我々から分け与えてもらったのだと自覚してもらわねばなりません」

「ふん。本音が出たの」

「同じ立場ゆえ、彼らのことを心配される奥方様の気持ちは痛いほどよくわかります。しかしながら、これは獣人族の国の問題。どうかご理解くださいませ」


 やっぱりアイラが忌み子だってわかっていた上で話をしていたのか。見た目が全然違うしな。


 なおも反論しようとしているアイラを手で制し、オレは大きく息を吐いてから使者を見やった。


「ひとつ言っておきたいことがある」

「なんでしょう?」

「私がいま、とてつもなく幸せだということだ」

「……は?」


 使者だけでなく、全員の目が点となってオレに集中しているのがよくわかる。


 そりゃそうだよな、シリアスな雰囲気の中で何言ってんだコイツって思うよな。


 それでも、だ。これだけは言い聞かせておきたかったのだ。


「貴殿らは先程から、伝承がどうとか、忌み子は不幸をもたらす存在だとか話しているが……。それでは私はどうなる?」

「仰っている意味が……」

「獣人族の国でアイラは忌み子と呼ばれていたらしい。貴殿らの理屈では、アイラを妻として迎えた私に不幸が起きないのはおかしな話だと思わないか?」

「……」

「アイラと暮らして一年以上が経つが……。彼女は私に幸運をもたらしてくれる女神のような存在だよ。その伝承とやらを書き直してもらいたいほどのね」

「たっ、タスクぅ……」


 震える声が隣から聞こえてくる。頭を撫でてやりたい衝動をぐっと堪えていると、陽気な笑い声がへの中へ響き渡った。


「あっはっはっは! 女神と来たかっ! さすがはタスク! 俺のダチは言うことが違うよな!」


 テーブルをバンバンと叩きながら、クラウスは心の底から愉快そうな笑顔を浮かべている。


「いやあ、やっぱり、お前さんはおもしれえな! こんな場で突然何を言い出すのかと思ったら……」

「悪かったな」

「いやいや、退屈してたところだったからな。ちょうどいい眠気覚ましになったぜ。……ま、それはいいとして、だ」


 不敵な顔つきに変わったハイエルフの前国王は、猫人族の使者へ視線を向けた。


「次席補佐官だっけか? 俺からも聞きたいことがあるんだが」

「なんでしょう?」

「お前さん自身は伝承とやらを信じているのかい?」

「……どういう意味ですか?」

「いやな、お前さんの口からは、一部のものガーとか、権力者ガーとかしか出ないからよ。肝心のお前さん自身はどうなんだって思ったわけさ」

「国が定めた法に従うまでのこと。お答えする必要はないかと思います」

「あっそ……。つまんねーやつだなー」


 取り繕った使者の笑顔へ、露骨な嫌悪感を示し、椅子へもたれかかるクラウス。


 ややあってから、アルフレッドは躊躇いがちに沈黙を破った。


「えーっと……。話を戻してもよろしいでしょうか?」


 もちろんですと微笑む使者を見やり、交渉は再開された。


***


 強気の条件はあくまで布石、通ったらラッキー程度にしか考えていなかったので、平行線の話し合いはある意味予想通りである。


 というか、道徳的観点のすり合わせなんて、最初から無理だと思っていたしな。それまで黒と思っていたものを、今日から白と思えなんてできるわけがないのだ。


 とにもかくにも、ここからが本命の提案になる。


 こちらに一瞥をくれたアルフレッドは、軽く咳払いをし、そして次のように切り出した。


「次席補佐官殿のお話はよくわかりました。文化や価値観において、我々とは相違があるということも」

「その点だけでもご理解いただけるならなによりです」

「そこで、先程とは異なる条件を提示したいのですが……」

「ほう?」

「『忌み子』や『耳欠け』と呼ばれる人たちを、我が領地へ移住させられないかというご提案です」


 内容としてはかなり際どい話だと思うけれど、仮面でもつけているんじゃないかと錯覚するほどに、猫人族の使者は穏やかな微笑みを続けている。


「話を聞けば、貴国では今でも災いをもたらす存在として恐れられているようではないですか。不安があるならば、元を断つのが道理というもの」

「……」

「国王ジークフリートより移住の許しも得ております。忌み子と呼ばれていたアイラ様が子爵の奥方となっている土地です。皆さんも安心して住まわれることができるかと思うのですが」


 龍人族の商人の言葉に、猫人族の使者は感心の声を上げた。


「なるほど。考えられましたな」

「いかがでしょう? こちらはアイラ様の同胞を住まわすことができ、そちらは災いを取り除くことができる。双方に利があるかと」


 朗らかな笑顔を向けるアルフレッド。しかしながら、使者の返答はこちらの望むものではなかった。


「大変に魅力的なご提案ですが……。それは無理というものです」


 言い切ったきり、紅茶で喉を潤す次席補佐官へアルフレッドは不審の眼差しを向ける。


「なぜです? そちらに不利益があるとは思えませんが」

「先程もお話しましたが、『耳欠け』と呼ばれる人たちが我々と同じであるという取り組みを行っている最中なのです。それを放棄して移住を推進するなど、とても……」

「お話は伺いましたが、前向きな取り組みが行われているとは思えません。取り組みが行われていると仮に譲ったとして、一体いつ、彼らが皆さんと同じ日常を送れるようになるのですか?」

「返答しかねます」


 ティーカップをテーブルへ戻し、次席補佐官は再び微笑みを浮かべた。


「事は慎重に、段階を経て行う必要があると考えております。期日を示せと言われましても……」

「要するに」


 怒りを通り過ぎ、呆れるような声でアイラは呟いた。


「都合のいい存在を手元に残しておきたいだけなのじゃろう? 過酷な労働へ従事させているようじゃ。連中が居なくなることで、自分たちが汗を流すのは耐えられんと、素直にそう言えばよい」

「奥方様。そのようなことは決してありません。我々は純粋に彼らのためを思い、教育と指導にあたっているわけで」

「大した教育と指導じゃのう」


 そう言って、そっぽを向くアイラ。猫人族の使者は器用に眉だけを下げて、困惑の表情を作っている。


「確かに、彼らを貴重な労働力としている点については否めないものがあります。しかしながら、彼らのことを、大切な、かけがえのない同胞と考えていることもまた事実なのです」

「ものは言いようじゃな」

「いえ、これは嘘ではありません。彼らこそ得難い存在、獣人族の未来への希望、そのものなのです」


 熱弁を奮った後、再び穏やかな笑顔に戻った猫人族の使者は、オレとアルフレッドの顔を交互に見やってから切り出した。


「そこで、こちらからもご提案があるのですが」

「提案?」

「こちらから『耳欠け』と呼ばれる人たちを移住させる代わりに、そちらからは物品を送っていただけないでしょうか?」

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