173.交渉(後編)
「すまない。理解が追いついていないのだが……。それはつまり交易の前に、『人をやるから、物を寄越せ』と、そういう認識でいいのか?」
「はい」
猫人族の使者はにこやかに頷いているけど。……それって、要は人身売買ってことなんじゃないのか?
アルフレッドも同じ考えだったようで、厳しい視線を使者へと投げかけている。
「我が国では人身売買の類を固く禁じております。次席補佐官殿はそれをご存知ないようで……」
「無論、存じております。しかしながら、これはそのような野蛮なものではありません。人道支援の一種だとお考えいただければ」
「人道支援?」
「はい。皆さんは耳欠けたちを保護する。我々はその手伝いをする。簡単な話ではないですか?」
「ものは言い様じゃな」
「解釈の相違かと」
朗らかに続ける使者の口調からは、罪悪感など微塵も感じ取れない。
「どうやらタスク様は、忌み子や耳欠けたちをいたく気にかけておられるようです。互いにとって名案だと思うのですが」
「同胞を金で売るのが名案なのか?」
「金ではありません。物資です。誤解なきよう」
「同じだと思うけどね。それも解釈の相違かい?」
「恐れながら、こちらとしても貴重な人材を泣く泣く手放すのです。その代償としては、ささやかな要求だと思われませんか?」
次席補佐官の口が半月状になり、禍々しい笑顔へ変わっていく。
コイツ……。オレたちの事情を把握した上で、忌み子たちを売りつけようと思いついたらしい。
極めて最低なヤツだとは思うけど、悔しいかな、これ以上なく効果的だ。
申し出を受ければ、忌み子たちを保護できるけど、形はどうあれ人身売買の片棒を担いだことになる。
断れば、儲けも損もしない代わりに、忌み子たちを保護できない。
アルフレッドもどう出るか思考を巡らせているようだし、ここは一旦休憩を挟んで、別の案を考えるのがいいかもしれない。
口を開こうとした瞬間、テーブルの端からのんきな声が耳元へと届いた。
「あ〜。ちょっといいか?」
視線を向けた先では、テーブルに肩肘をついたクラウスが次席補佐官を見やっている。
「仮にそれが成立したとして、だ。獣人族の国からこっちに、忌み子たちは何人ぐらいくるんだ?」
「そうですね。とりあえずは我々猫人族の管理下に置かれている者たちだけでしょうか」
「ふうん。一度に全員ってわけじゃねえのか」
「ええ。大半は他の部族の管理下にありますし。別途協議が必要になるかと」
よっこいせっという声と共に姿勢をただし、ハイエルフの前国王は続ける。
「まあいいや。そいつらと引き換えに、お前さんの国には物資が渡るわけだな」
「当然、そのようになりますね」
「それ以降、交易が始まるとしてだ。取引を行えば、その都度、互いの国についての情報も行き交うと思うんだがよ。そこらへんはどう考えてるんだ?」
「交易を行うのであれば、情報や文化の交流もある。それは普通だと思うのですが……?」
「いやいや。そういうことじゃねえよ」
疑問符を浮かべる猫人族の使者に、クラウスは苦笑している。
「ここへやって来た忌み子たちがいい暮らしをしているって情報も、そっちの国へ知れ渡るだろうってことさ。その時、お前さんの国に残っている忌み子たちは、一体どういう反応をするんだろうな?」
「お言葉ですが……。こちらへ来た忌み子たちが豊かな生活を送れる保証などはどこにも」
「あるに決まってんだろうが。テメエは知らないだろうけどな、ここにいるタスクは馬鹿が付くぐらいの善政をしく男だぞ?」
声を荒げているせいか、褒められてるのかけなされてるのかよくわからないんだけど……。
クラウスはもはや苦笑もせず、猫人族の使者へ射抜くような鋭い視線を投げかけている。
「他の土地へ渡った仲間が恵まれた環境で暮らしている。そんなことを知れば、他の忌み子たちも後に続けと考え出す……そうは思わねえのか?」
「……箝口令を」
「できるわけねえだろ。人の口に戸が立てられねえのは常識だぜ?」
次席補佐官の仮面のような笑顔が、少しだけ動いたように思えた。
「まあ、後に続けと移住を申し出るのはまだいい方だろうな。中にはもっと物騒なことを考えるやつも出てくるかもしれねえし」
「どういうことだ?」
オレが尋ねると、ハイエルフの前国王は軽く肩をすくめる。
「圧政に苦しむ民衆がやることなんざ、昔から同じさ」
「……まさか」
「武装蜂起。つまりはクーデターだな」
***
クーデターという言葉へ即座に反応したのは猫人族の使者で、張り付くような笑顔のまま、声を大にして叫んだ。
「そのような事態にはなりません!」
「仮の話だ。そんなに慌てんなよ」
「慌ててなど……。仮にそうなったとしてもです! 我が国の軍を中心として、直ちに収めることができるでしょう」
「武装蜂起したのが一部の民衆だけなら、な?」
クラウスが応じた途端、何かを察したのか、使者は眉をピクピクと動かした。
「……武力介入されるおつもりですか?」
アルフレッドが驚愕の眼差しでクラウスを見やる。視線が集中する中、ハイエルフの前国王は返事をせずに、別の話題を口にした。
「俺だけじゃなく、龍人族の王ジークフリートも奴隷制ってのを嫌っていてね。隣国にそんな制度が残っているとわかったら、そりゃあ傍観する訳にはいかねえよなあ」
「な、内政干渉です!」
「内政干渉じゃねえよ。これも立派な『人道支援の一種』さ」
「……っ! だ、だとしてもです! 忌み子や耳欠けは奴隷ではありません! 我が国における貴重な人材で……」
「傍から見たらそうは思えねえよ。お前さん、さっきから言ってたじゃねえか」
「は……?」
「『解釈の相違』ってやつだ。お互いに捉え方が違ってりゃあ、仕方ねえことだよなあ」
「き、詭弁です! そのようなこと、まかり通るはず」
「ガキの使いじゃねえんだ。道理を外れた話を持ちかけるなら、それぐらいの覚悟はしておけ」
言葉を遮り、威圧感を部屋中に漂わせ、クラウスは続ける。
「二正面作戦を強いられたくはねえだろ。……ああ。タスクはダークエルフの国とも誼があるんだったな、それなら三方を相手にすることになるか?」
「……」
「権限を引っさげてこの場に来たんだ。テメエが下手打ったせいで、戦争なんざ起こしたくはねえだろ?」
引きつった笑顔のまま、猫人族の使者はようやく声を発した。
「……脅迫されるおつもりですか?」
「とんでもない。『解釈の相違』ってやつさ」
軽く息を吐いてから、笑顔を浮かべるクラウス。
「ま、俺が大人しくしているうちに、まっとうな交渉をしろってこった。お前さんも火種を手土産に帰りたくはねえだろ?」
表情を隠すようにハンカチで額の汗を拭い取る次席補佐官を眺めやりながら、クラウスは声を立てて笑った。
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