130.執事のハンス
ロマンスグレーの頭髪をオールバックにきっちりまとめ、目尻にシワも目立つことから、一見、初老といっても差し支えないように思えるのだが。
キビキビとした所作や凛とした佇まいは、壮年のそれと何ら変わらず、年齢をうかがい知ることはできない。
どういう人なのだろうかと考えていた最中、椅子から転げ落ちながら、驚きの声を上げる人物がひとり。
「げぇっ!? ハンスっ!!」
ファビアンはそう言うと、驚天動地のお手本と言わんばかりの表情を浮かべている。
オレはオレで、「げぇっ!!」なんて、横山光輝三国志でしか見たことないなあとかぼんやり思いつつ、自慢の頭髪がすっかり乱れたままのファビアンと、温厚そうな執事を交互に見やるのだった。
「お久しぶりですなあ、ファビアン様」
「ど、どうしてハンスがここに……!? い、引退したはずじゃ……?」
ワナワナと声を震わせるファビアン。とてもじゃないけれど、冷静さを取り戻せる余裕はなさそうだ。
オレは目配せしてカミラを呼び寄せてから、あの執事が何者なのかを尋ねることにした。
「ハンス様はゲオルク家にお仕えしていた執事でございます。戦闘執事協会でも伝説のお人として有名でして」
……色々ツッコミどころはあるんだけど、ひとつひとつ解決していこう。
「戦闘執事協会って、戦闘メイド協会みたいなもんか?」
「はい。どちらも天界人たちが管理する組織になっております」
ゲオルク家からの要望で派遣されることになったハンスは、主に子供たちの教育係を任されていたそうだ。
礼儀作法や勉学だけでなく、戦闘の心得など。厳しく指導にあたっていたことから、今でも頭が上がらない人物が多いらしい。
特にファビアンは、その性格から極めて厳しくされたそうで……。
なるほど、トラウマみたいなものがあるってことはよくわかったけど、伝説の執事っていうのはなんなんだ?
「ハンス様はかつて、陛下とご当主様の大喧嘩を素手で制止されたことがおありでして……」
ジークフリートとゲオルクの大喧嘩?
「……古龍同士の?」
「はい」
「死人が出るよ?」
「ハンス様はご健在です」
見ればわかるよ。マジっすか……。見た目は温厚そうなのに、ムチャクチャ強い人なんじゃないか。
「陛下もゲオルク様も、ハンス様の戦闘能力には一目置かれておりまして。できるだけ長く家のことを任せたいと願われていたのですが……」
自分は老骨の身。あとは後進に任せると、惜しまれつつも昨年引退し、今は悠々自適の生活を送っていたそうだ。
「ゲオルク様よりお話を伺いましてな。たいへん興味深い人物がいる、今後はその人物の力になってくれないかと」
ファビアンと言葉を交わしていた執事は、こちらへ足を向ける。
「聞けば異邦人だというではないですか。天界人にとって、異邦人へお仕えするのはこれとない僥倖。謹んでお受けした次第です」
挨拶するために立ち上がったオレの手をがっちりと握り、ハンスは力強く握手を交わす。
「お目にかかれて光栄です、タスク様。ハンスと申します。カミラ共々よろしくお願いいたします」
「こちらこそよろしくお願いし……」
「早速ですが、子爵。一点、ご進言させていただきたいことが」
言葉尻を遮りながら、ハンスは穏やかな声で続ける。
「子爵はここの領主でもあられます。身分の高い位におわせです。そのようなお人が、自ら席を立って、身分の低い者を出迎えることがあってはなりません」
「は、はい?」
「子爵は大変にお優しい方と伺っております。私を歓迎される意味で席を立たれたのでしょう。ですが、時と場合によっては、かえってそれが礼儀に反すことを覚えていただきたく……」
そう言ってうやうやしく頭を下げるハンス。こっちはこっちで、突然の指導に面食らう。
ああ、厳しいというのはこういうことなのかと実感しながらも、確かにこちらの世界の礼儀作法について、なにひとつわかってないなと少し反省。
「いや、大変ためになった。これからも色々教えてくれると助かる」
「恐れ入ります。意見具申でご気分を害するやもしれませんが、予めご了承くださいませ」
オレは再び椅子へ腰掛けてから、ハンスに視線を向けた。
「ゲオルクから頼まれてということだけど、オレの教育係に就くってことなのか?」
「いえ。私は執事でございます。主に執務の補助をお任せ願えれば」
ハンスの一言に反応したのはファビアンで、倒れたままの身体をようやく起こしながら、冷静さを取り戻すように、赤色の長髪をかきあげた。
「そ、そうだね! それがいい! タスク君も忙しくなってきたことだし、専用の執事が側にいるのは心強いだろう!」
「ファビアン様。タスク様にお仕えするのはカミラですぞ?」
「へぇっぁ!?」
「当然でございましょう。異邦人にお仕えできるのは、これ以上ない学びとなります。その役目を後進に譲らなくてどうするのです」
これからよろしくお願いいたしますと、微笑みながら頭を下げるカミラと、対称的に張り付いた笑顔を浮かべるファビアン。
「す、す、す、するとだね……。は、は、ハンスは、いったい、誰につくのかなぁぁぁ? あっ、クラーラか!? 我が愛しの妹、クラーラだろうっ!?」
「クラーラ様がご希望ならば、別の者を呼び寄せます。この老骨はさしあたってファビアン様のお側にいようかと」
「ダメだ、ダメダメダメダメ!! み、認めないぞ! ぼ、僕はそんな事認めないからな!」
「ご当主様の直々のご命令でございます。ご不満は直接お伝えされますよう」
再び床へ崩れ落ちるファビアン。顔からは完全に血の気が引いている。そしてその顔を眺めながら、うっとりと恍惚の表情を浮かべていたのはカミラで、心底、この戦闘メイドさんはドSなんだろうな。
しかし、ファビアンもあんなに嫌がることはないだろうに。その昔、一体何をされたんだろうかね。
そんなファビアンをお構いなしとばかりに、ハンスはテーブル上の書類を手に取り、次々に目を通していく。
「ふむ。そうですか……。それでは早速仕事へ取り掛からせていただきましょう」
***
ファビアン自慢の華麗で完璧な計画書のあちこちへ、注釈と修正が加えられていく。
ハンスが取り掛かった手始めの仕事は事業計画の添削で、赤ペン先生も裸足で逃げ出すほどに、容赦のない指摘が書かれていった。
「いけませんなあ、ファビアン様。新しいビジネスを思いつかれたら、まずは誰もが幸せになる方法を考えるよう、散々教えて差し上げたはずですが……」
執事の言葉に、ただただ黙って頷くことしかできないファビアン。例のフランチャイズ計画は丸ごと見直されることになった。そりゃそうだよな。
しかし、なにより驚いたのはハンスの手腕だ。この領地の財務状況や、作物の収穫高、備蓄情報、交易の内容についてまで把握しているらしく、適切な数値を導き出している。
「こちらへ来る前、アルフレッド君に帳簿を見せてもらうよう頼んだのですよ。財務を担当しているのは彼ですからね」
「だからって、帳簿を見ただけで全部把握できるのか?」
「そうですね。おおまかに、ですが」
謙遜しているようにしか聞こえないんだよなあ。そんな話をしている間に、添削は終了してしまった。
回転酒場自体は問題ないが、予想収支の見直しや、フランチャイズ計画を抜本的に考え直すことなどが盛り込まれた内容に目を通しながら、オレは思わずため息をついた。
「見事なもんだなあ」
「恐れ入ります」
「執事ってこんなこともできるのか」
「ご要望にお応えするのが、私の仕事ですので」
静かに微笑むハンス。伝説の執事というのも納得だ。
「少し聞きたいんだけど。ハンスはこの領地についてどう思う?」
これだけ優秀な人物なのだ。領地運営に関しても貴重なアドバイスがもらえるだろう。そう思って尋ねてみたのだが。
「領地の開拓はタスク様のご裁量によって行われるべきかと。私如きが意見するようなことは何も」
「そう言わずに。みんなの力を借りたいんだ。些細なことでもいいから、気になるようなことはないかな?」
「そこまで仰られるのであれば、一点だけ……」
そう前置きしてから続いたハンスの言葉は、他のみんなからも指摘されていたことで、オレは正直、ガッカリしてしまった。
「取り急ぎ、領主邸を改築されてはいかがでしょうか?」
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