85.交易の条件

「それはよかった」

「ただし、交易にあたっては条件がひとつ」

「なんだろう?」

「人間族の国家と取引しないということに、同意していただきたいのです」


 イヴァンの話では、昔からダークエルフの国は、人間族の『帝国』と『連合王国』との折り合いが悪く。


 事あるごとに資源を巡っての争いや領地の侵犯、国境付近の村で略奪行為などが繰り返されてきた歴史があるそうだ。


 ダークエルフの村における、貴重な冬の食料であるオレンジウォームバードも、今回の戦争に先立ち、帝国がその住処を襲って食糧にしていたらしい。


 なるほど、季節外れで飛来したあの鳥たちは、住処を追われたことでここへやってきたというわけか。ようやく納得できた。


「そんなわけで、長老たちの人間族への心証はかなり悪く。すでに取引しているようなら、この話を無かったことにと言っておりまして」

「気持ちはよくわかるんだけど、オレは良いのか? 一応、普通の人間だぞ?」

「タスク様は異邦人の上、龍人族の国の領主であられます。古来より、異邦人は普通の人間族とは一線を画した存在であると言われておりますので問題ないかと」


 何か、新種の珍獣みたいな扱いだな……。オレ自身はいたって普通だと思っているんだけど、周りはそう思ってくれないみたいだ。


 しかし、それにしてもなかなかに返答が難しい条件だな。人間族の国と縁を切れってことだろ? たやすく判断できることじゃないと思うんだけどなあ。


 ちらりとアルフレッドへ視線を送るものの、微笑みながらお茶を飲むばかりでこっちを見ようとしないし。領主としての裁量に任せるって事なんだろうなあ、これは。


「……なかなかに返答が難しい条件だけど。現時点では人間族の国と取引は行っていない」

「それはよかったです」

「地理的な面からも交易を行うには遠いからな。当面の間、その予定もないだろう。ただ、将来的なことは正直わからん」

「ほう?」

「勘違いして欲しくないのは、個人的には争いごとが嫌いでね。無用な波風を立てたくないんだよ。とりあえず、ダークエルフの国の利益を害することはしないことだけ約束しよう」


 そもそも他国の外交問題とか面倒極まりないが、今はこのぐらいが提示できる条件の限界だ。辺境の領地との取引に、そんな大げさな約束事を交わさなくてもいいのになと思わなくもないんだけど。


 これで引いてくれなかったら、ダークエルフの国との交易自体も考え直さなきゃダメかなと、そんな思いが一瞬頭をよぎったものの、話を聞いていたイヴァンは満足げな表情で大きく頷いている。


「わかりました。タスク様のご意向、しっかりと長老たちへお伝えします。それでは具体的な交易品についての話し合いに移りたいのですが……」


 そういって、イヴァンは品目の書かれた紙や、見本となる品物を取り出していく。どうやら問題ない……のか?


 先程まで黙っていたアルフレッドがそれらを確認しているので、条件についてはクリアしたようだ。何というか、もうちょっと気軽な感じで交易ができるんだろうなと考えていたんだけど、なかなかどうして気疲れするもんだな。


 とりあえず、一休みするのは交渉がまとまってからである。テーブルの上に並べられたダークエルフの国の特産品を手に取りつつ、オレは話の輪に加わった。


***


 交易についての話し合いは小一時間ほどでまとまった。


 アルフレッドが事前に長老たちへこちらの品目を提示していたお陰で、非常にスムーズな交渉になったといえるだろう。


 こちらの領地からはサツマイモとスパゲティコーン、ハーブソルトに加え、鶏肉を出荷することになった。


「安心して冬を越すため、なるべく食料を備蓄しておきたいのです」


 とは、イヴァンの談だ。今年は作物の疫病の影響を受け、特に厳しいらしい。できるだけ多く出荷できるよう、こちらも増産体制に入らないとな。


 ダークエルフの国からは、特産品であるガラス製品、陶器を中心に送ってもらうことになった。この二つに加え鉄製品も特産品らしいのだが、隣国の戦争の影響もあり、今回は見送らせて欲しいとのこと。武具がないと困るよな、そりゃ。


 ただし、個人的には鉄製品より嬉しい交易品がひとつ。それはイヴァンが持参した、とある粉末である。


「交易品になるかどうかは判断が難しいのですが……。我々の国ではこのようなものを栄養薬として使っておりまして」

「栄養薬?」

「ええ、この粉に香辛料や卵などを混ぜたものを食べるのです。滋養強壮に効果があると言われております」


 そういって差し出されたのが、見るからに怪しい真っ黒な粉末で、思わず「何かヤバイもの入ってるんじゃないの?」と聞きたくなってしまう代物だったんだけど。


 それを思いとどまらせたのはベルの一言だった。


「あっ、スターナッツパウダーじゃん☆」

「は? スターナッツパウダー?」

「ウンウン♪ 緑色した大きなナッツを割るとね、中に種が五個入ってんだけど。種の並んでいる形が星みたいに見えるんだっ★」

「ちなみに現物はこれになります」


 空中にカバンを出現させたイヴァンは、中からスターナッツと呼ばれる緑色の果実を取り出したのだが。


 それを見た瞬間、オレは席を立ち上がり、興奮気味に叫んでしまうのだった。


「カカオだ!!」

「は? カカオ、ですか?」

「いやいや、どっからどう見てもカカオでしょ!?」


 キョトンとした顔を浮かべるみんなをよそに、ひとりスターナッツと呼ばれているカカオを手にするオレ。うわー、かなり感動なんですけど……。


 その後、戸惑いを見せるイヴァンに、この黒い粉末がどうやって作られているか尋ねたところ、乾燥させた種を焙煎し、砕いたものだとわかった。


 とりあえず、この粉末ではなく、乾燥させた種と焙煎してからの種の二つを交易品として加えてもらうことに。これがあればチョコレートが作れる! ……実際に作ったことはないけど、作り方の工程は知ってるので、何とかなると思う。多分だけどな。


 その後、ダークエルフの国との間に交易のための街道を敷くなどという、割と重要な話し合いが進んでいたにも関わらず、チョコレートが食べられるかもというワクワク感が勝ってしまい、話半分で聞いていたのはここだけの秘密だ。


***


 交渉がまとまった後、泊まっていくよう勧めたものの、イヴァンは結果を早く伝えたいと早々に帰り支度を始めてしまった。


「そうだ。今度こちらへ伺う際は、結婚祝いをお持ちしますよ」


 交渉の席とは違った、屈託のない笑顔を向けるダークエルフ。オレは首を横に振ってから返事をした。


「いいよいいよ、気を遣わなくても。実の姉が突然結婚とか、冗談みたいな話だしな」

「確かに驚きはしましたが、めでたい話には変わりありませんし。それに……」

「それに?」

「義理とはいえ、私の兄になる方ですから。家族になったお祝いはさせてください」

「そうか。考えてみたら弟になるんだよな」


 ミュコランにまたがるしっかりとした青年を眺めやる。龍人族の王様が義理の父親になったかと思えば、ダークエルフに義理の弟ができるなんてなあ。


 ついこの間までごくごく普通のサラリーマンだったはずなんだけど、要素付き過ぎじゃないだろうか? それとも、これも異世界ならではと受け止めるのが普通なのか?


「それではまた近いうちに。姉さんをよろしくお願いします」


 イヴァンはそう言い残し、二頭のミュコランを連れて東の森へと消えていく。弟の後ろ姿が見えなくなるまで手を振っているベルを見やりつつ、オレは並び立つアルフレッドへ声を掛けた。


「なあ、アルフレッド。前に話していたこと、詳しく聞かせてくれないか?」

「前に話していたこと、ですか?」

「ああ。ここから北にあるっていう、洞窟についてだよ」

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る