77.秋の訪れと新たな住民

「タスクさん、お持ちした酒類はどこに置けばいいですか?」

「悪いな、アルフレッド。集会所の奥で頼むよ」


 樹海から吹き抜ける風が日を追うごとに涼しくなっていく。木々がほのかに色づき始める中、龍人族の商人は連日領地に顔を覗かせていた。


「……それにしても」


 持参した大量の酒樽を置いたアルフレッドは、オレの全身をくまなく眺めてから苦笑した。


「普段、作業服姿しか拝見していないので、タスクさんの今の格好はなかなかに新鮮ですね」

「ほっとけ。似合ってないのは自分が一番よくわかっているんだよ」


 上下、濃藍色こいあいいろをしたタキシードに身を包んだオレは、今さらながらに着させられている感満載の衣装を見やって、軽くため息をつくのだった。


 まったく……。朝起きて早々、こんな服を突きつけられるとは思ってもなかったしな。


 ここ最近、オレに抱きついては全身をくまなく触っていたベルだったのだが。今朝になってようやく理由が判明したのだ。


「タックン、おはおは☆ じゃ、着替えよっか?」

「……へ? 何が?」


 ノックもなしに寝室へ飛び込んできたベルは、じゃーん♪ という効果音を自分で呟きながら、濃藍色のタキシードを差し出すのだった。


「何コレ?」

「もぅ、やだなぁタックン。結婚式で着る服に決まってんじゃん★」


 軽く拗ねたような顔を浮かべながら、問答無用に寝間着を脱がせてくるベルを制止しつつ、オレは尋ねた。


「これ、ベルの手作りなのか?」

「そだよー? 生地とかはアルっちに頼んで仕入れてもらったけど♪ あ、サイズ合わなかったら直すから言ってね?」

「結婚式の服ってことは、ウェディングドレスも作ったとか?」


 その質問に、ベルはピタリと動きを止め、企むような表情を見せる。


「……知りたい?」

「うん、知りたい」

「アハッ☆ ナーイショー! 当日までのお楽しみネー♪」


 そう言い残し、上機嫌で立ち去っていくベルの後ろ姿を眺めやりながら、オレはウェディングドレスも作ってあるのだと確信した。


 考えてみれば、オレだけじゃなくてリアやアイラ、エリーゼたちとも話している機会が多かったしな。つまりはそういうことなのだろう。


 しかし……。立派なタキシードを見ながら、オレは少しばかり安堵した。ベルが自作した服なら、結婚式でも、あのリオのカーニバルのような衣装が用意されているのではないかと、そんなことを考えてしまったからだ。


 この分なら、ウェディングドレスも美しいものを作っていることだろう。結婚式当日まで時間も無いことだし、サイズが違うようなら直してもらわないと。


 朝食を済ませた後、早速タキシードへ袖を通したんだけど。ピッタリとフィットする着心地を実感しているうちに、アルフレッドがやってきてしまったのだ。


「いえいえ。冗談抜きでお似合いですよ」


 アルフレッドはそう言ってくれるものの、苦笑ともにやけ顔とも受け取れる表情からは、とてもそう思えない。


「いいんだよ、お世辞とか。元いた世界じゃ、毎日スーツだったし、割と似合う自信があったんだけどなあ」


 会社勤めをしていたサラリーマン時代を振り返ったものの、スーツとタキシードでは趣が違うものなのだろうか?


 軽く落ち込んでいるオレに、アルフレッドからなだめるような声がかけられる。


「まあまあ。いいではないですか。結婚式の主役は花嫁みたいなものですし、誰も新郎の衣装のことは気に掛けませんよ」

「フォローになってないんだけど」

「アッハッハ。いやはや、失礼しました。落ち込んでおられるタスクさんというのが、非常に貴重でしたので」


 愉快そうに笑う龍人族の商人を見やりながらも、反論できないだけに言葉もない。やがて笑いを収めたアルフレッドは、話題を転じるかのように、ずれ落ちそうなメガネを手で直してから、集会所に積まれた大量の荷物を見やった。


「それにしても、結婚式まであと一週間ですか。早いものですね」

「そうだなあ。連日の荷物運びありがとな」

「めでたい席です。お安いご用ですよ」


 お祝いの酒類、食材、飾り付けのための装飾品などなど。口を挟む間もなく、着々と整えられていく品々に、オレはちょっとした感慨を覚えた。


***


 ミツバチが夏の終わりを告げる頃、秋の訪れと共に、領地にはリアとクラーラが引っ越してきたのだった。


 結婚相手であるリアの引っ越しは予定通りだけど、同じ日にクラーラまで引っ越してくるのは予想外で、荷ほどきの手伝いをしながら、オレはそれとなくクラーラへ話を振った。


「リアちゃんの側にいたいからよ。悪い?」

「悪くはないけど。随分と急だなって思ってさ」

「以前から龍人国の薬学研究所を辞めるって話をしてたのよ。研究ならどこでも出来るし、それなら変に気を遣わないところで、のびのびやりたいじゃない」


 ……本人はこう話していたが、リアに聞いたところ、サキュバスでもあるクラーラは、優秀な学者ながら、研究所内ではあまり恵まれた環境を与えられていなかったそうだ。


 リアは懸命にクラーラをフォローしていたが、ついに満足のいく研究ができなかったらしい。


 そういった理由から、夏前にクラーラは辞職を申し出て、それを上層部は受理した、と。胸糞悪い話だなあ。


「それで、どうなったんだ?」

「ええ。上層部がそんな感じなので、ボクもクラーラと一緒に辞めることにしたんです」


 国王の末娘の上、優秀な学者であるリアに辞められるとなっては面子が立たない。辞職を思い留まるよう説得する上層部へ、リアはクラーラの辞職撤回と待遇改善を突きつけた。


 慌てた上層部はクラーラに泣きついたものの、時すでに遅し。クラーラは満面の笑顔で白衣を脱ぎ捨て、自宅に籠もって、リアと共に研究を続けることにしたそうだ。


「それはさぞかし、ざまあみろって思っただろうな、クラーラも」

「ええ。『あの時の上層部の青ざめた顔をリアちゃんに見せてやりたい』って、しばらく言ってましたから」


 痛快なオチだけど、そこに至る経緯を考えるとなかなかに複雑だ。この世界でも差別が横行してるという現状はいたたまれない。


 そんな話を聞くと、この領地で活き活きとしているクラーラを見られることは、本当に良かったと思う。……事あるごとに、リアに抱きついてはセクハラまがいのことを繰り返すので、オレが頭上へ放つチョップの回数もかなり増えたのだが。


 今は微生物の研究に夢中で取り組んでいるらしい。食事はオレの家で一緒に済ませるため、このところ、微生物と発酵食品の関係性について質問を受けることが多くなってきた。


 専門的なことはさっぱりわからないが、知っているだけの知識は教えられるよう努力している。そのうち、醤油や味噌が味わえるようになるかも知れないしな。期待しておこう。


***


 リアの引っ越しを率先して手伝っていたのはベルだった。


「だってお姫様っしょ? カワイイドレスとか、いっぱい見られるかもしんないじゃん?」


 そう言ってせっせと荷ほどきを手伝っていたダークエルフは、二時間後、落胆と失意を混ぜ込んだような表情を浮かべ、かすれるような声で呟いた。


「……無かったよ。タックン……」

「何が?」

「ドレス、無かった……。リアちゃん、あんなにカワイイのに……。ドレス持って来なかったって……」


 ……あれ? 初めてここに来た時はドレス姿だったような? 何着か持ってるとは思うんだけどな。


 とぼとぼと立ち去るダークエルフを見送りながら、リアの部屋(旧オレの寝室)を訪ねると、そこにはボーイッシュで動きやすい服が積まれている。


「開拓作業が中心だったら、動きやすい服装だけ持ってくればいいかなあって」


 中性的な美しい顔をほころばせ、リアはオレに向き直った。


「それに……。ボクには可愛らしい服、あんまり似合わないと思うんですよねえ……」


 そういや、ジークフリートが前に言ってたな。男らしい活発な遊びが好きで、動きやすいって理由で髪も短くしてたって。


「そんなことないと思うぞ? 初めて会った時のあのドレス姿だって、とても似合っていたじゃないか。他にも可愛い服があるなら、それも見たいけどな」


 正直に感想を返した瞬間、顔は真っ赤にしてうつむいてしまうリア。淡い桜色のショートボブをくるくると指で弄びつつ、それから震えるような声で呟いた。


「そ、そう、ですか……? に、似合うとおも、い、ます、か?」

「うん。せっかくだし、リアが色んな服を着てるところ、見せてくれると嬉しいな」


 オレがそう言うと、リアは近くにあった服を胸元に抱きしめて、そしてエヘヘヘヘと照れたような笑い声を上げる。


「それじゃあ、今度、ボクのとっておきのドレスを持ってくることにしますね!」


 ちなみに、これは余談なのだが。エリーゼによると、毎晩、アイラたちが二階にあるオレの寝室へ足を運んでいるのを、リアは羨ましそうな顔で眺めているらしい。


 ……えっと、うーん、それについてはオレもコメントしにくいなあ……。い、いずれね! いずれ! 決して焦らないように!


***


 挙式を前に、新たに領地に加わった二人のことを考えていると、外から騒がしい声が聞こえてくるのがわかった。


「何かあったんでしょうかねえ?」


 顔を見合わせたアルフレッドと共に外へ出る。すると、領地のみんなが一様に東の空を眺めている姿が視界に入った。


 何なんだ一体と思う間もなく、アルフレッドが叫ぶ。


「タスクさんっ! 見て下さい、あれ……!」


 指差す方向へ視線を走らせると、そこに見えたのは、黒い鳥が大群をなしてこちらへと飛んでくる異様な光景だった。

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