倍率

@ns_ky_20151225

倍率

 窓から他の病棟が見える。『×2』と『×1/2』だ。明らかに見分けがつく。動きひとつを取ってみても『×1』が急いでいる場合やゆっくりしているのとは明らかに違う。

 妻が戻ってきた。顔を見れば何を言われたのかはっきり分かったが、悲しみを表に出さないように尋ねる。


「どうだった?」

「間違いなく『×2』だった。どうしよう」

「それはきちんと話し合ったよね。君のせいじゃない」

「彗星のせい?」

「それはまだ分からない。たまたま時期が一致しただけかも」

「どうしても、だめかな。育ててる人もいるよ」

「それは例外。金持ちはできるだろうけど。それに……」

「うん。子供が先なのは耐えられないよね」


 かなり無理をしている。結果はひとりで聞きたいと言ったのは妻だが、やはり同席したほうが良かったかと思った。


「大丈夫? 少し休む?」

「あの子は? 顔見ないの?」


 私は答えない。もう見ないほうがいいだろう。両親には目が、義両親には鼻が似ていると言われた。生まれて二、三日で分かるわけないのにそう言われると嬉しかった。

 でも、無理だ。私達は『×1』だから。


 すぐに呼び出しがかかり、今度は二人で行った。部屋には医者と担当の職員がいた。

 机には書類が用意してあり、すでに埋めるべきところは埋められていた。後は日付と署名のみ。内容は一字一句に至るまで説明を受けたし、理解もしている。

 この子は同じ倍率の両親のもとに行く。そういう書類だった。

 最初に口を開いたのは医者だった。


「さきほど奥様にも説明しましたが、一週間目検査で確定しました。『×2』です」

「もう一度確認したいのですが、倍率が変わることはないのですね」

 私は何度も繰り返した質問をまたした。前に聞いた時から新発見はないか、それだけが希望だった。

「そもそも倍率が異なる原因が不明ですので絶対にないとは言い切れません。しかし、この現象が発生してから三十年、一例たりともそのような事例はありません。また、倍率の変更に成功したという報告もありません。怪しげなものを除けば、ですが」

 答えは変わらなかった。そこに担当職員が付け加える。

「相談の中でいくつか事例を紹介しましたが、倍率の異なる子を育てるのは困難です。今回は『×1』の両親に『×2』の赤ちゃんです。つまり、新陳代謝など生活の全てが倍です。日常の暮らしは無理だと思われます。それに、お二人が六十代なかばになられた頃に肉体的には寿命となるでしょう」

 これも何度もされた説明だった。『なぜ』は全く分かっていないが、三十年前から生まれた子供が三種類に分かれるようになった。確定するのは誕生後一週間ほど。新陳代謝や思考などあらゆる速度が通常人の倍の『×2』、反対に二分の一の『×1/2』が生じた。

 割合は正確に三分の一ずつ。現れるのはヒトのみ。遺伝はせず、地域差、人種差もない。自然に親と同じ倍率に変わる事はないし、変更する方法もない。

 現象が発生した第一世代はそれでも概ね理性的にふるまい、大混乱を収拾し、三つの倍率の人々が暮らしの場を分けつつも協力し合う新たな社会制度を作った。

 それでも生まれてくる子がどの倍率になるか分からない以上、この制度はやむを得なかった。

 倍率確定後、両親と異なる場合は希望する同じ倍率の親のもとへ行く。それが両親と子供が両方とも幸福になる道だった。

 強制ではないが、この職員の言う通り倍率の異なる子供を育てるのは現実的には不可能だ。


「あの彗星のせいでしょうか」

 妻がつぶやくように言った。何かのせいにしなければ泣き出しそうなのだ。

「そうですね。時期も一致しますし。太陽系外からやってきて地球軌道を横切り太陽に突っ込んで消滅。地球はそいつの残していった塵に突っ込んだ。偶然にしては出来過ぎですね」

 そういう親を何人も扱ったのだろう。医者は同意した。何かのせいにすれば一時的にでも落ち着く。ここで取り乱されても困るだろう。


「もう一度、顔を見たい」

 私は妻の腕を握り、首を振った。やめたほうがいい、と目で言う。

「見たい」

「ご希望であればご案内します。すでに『×2』棟に移っています」


 私はあきらめ、四人でそちらに向かった。医者が先頭だった。

『×2』棟は他の病棟と何も変わらなかった。そこにいる人間以外は。

 すべての動作が高速だった。急いでいるのではない。動作は普通だが速度が倍なのだ。歩き、器具を扱い、キーを押す。逆に、彼らからはこちらの動作はゆっくりと間延びしているように感じられているのだろう。


 兄弟だろうか、幼児が向かい合って物を落としては空中でつかむ遊びを繰り返ししていた。もし『×1』だったらその年頃でその反応速度は驚異的だったろう。

 しかし、彼らは『×2』だ。それが当たり前の普通の動作なのだ。

 そして、見た目の肉体年齢の半分が暦年齢なのだろう。ひょっとすると幼児どころかやっと乳児じゃなくなったくらいの年かもしれない。

 妻は私の視線の先をたどった。そうした考えを読まれた気がするし、実際そうなのだろう。

 やはり、倍率の異なる子は育てられない。


 ベッドに寝かされている子供は普通に見えた。手足に注目すれば動かした時にわずかに違和感があるが、まだまだ分からない。

 でも、決断は引き伸ばせない。肉体的には生まれて二週間が過ぎたようなものだ。私達が六十五になった時、この子の肉体年齢は八十になる。単純な計算だが、心に重かった。


 三十分ほどそうしていただろうか。元の部屋に戻り、二人揃って署名をし、お互いの両親に連絡して病院を出た。

 涙は出なかった。子供の幸せのためだ。今泣いたらいけない。そう思って我慢した。


 病院裏の空き地で三種類の子供がふざけて遊んでいた。『×2』が『×1』と『×1/2』を率いているようだった。

 建築資材などが転がっていたので、ここで遊んじゃ危ないよ、と注意しかけた時だった。『×1/2』がつまずいて転びかけた。すると、すぐそばにいた『×2』が支えた。物理法則は変わらないから、何事もなかったのは『×2』の反応速度と体つきのおかげだった。

 改めて子供たちに注意すると、その『×1/2』の子が去り際に舌を出した。小憎らしい顔だったが、ゆっくりした動作に微笑んでしまった。


「子供は子供ね」

 妻も笑っていた。

「可愛いばかりじゃないな。でもみんな仲良さそうだ」

「あの子も友達出来るかな」

「いっぱい出来るよ。憎たらしい顔するし喧嘩もする。それから転んだ子を支える」


 そして私は道の真ん中だというのに涙が止まらなくなった。


  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

倍率 @ns_ky_20151225 @ns_ky_20151225

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ