空中ダンジョン

星村直樹

1章 地上篇

第1話 様変わりした世界で1

ギャオーーーン


 黒い塊は、父さんと母さんを簡単に引き裂いて、食い散らかした。そのワイバーンは緑色で、竜の中では、一番下等な種族だと思う。だけど、太陽を背にしていたため、真っ黒く、おどろおどろしく見えた。


「父さん、母あさ―――ン!」

「バカッ!憎いなら戦うのよ」

「えっ?」


 おれの後ろに居た女の子は、目の前のワイバーンより、おどろおどろしかった。そして、ワイバーンに向けて邪気を放っていた。


「グラビティ」


 ギャグーー

 あの、恐怖の対象でしかなかったワイバーンが、地に平伏して、もがいている。まるで羽の生えた巨大なトカゲが、じたばたしているようだ。


「動けないでしょう。いま楽にしてあげる」


 彼女が、そう言うと無数の黒い手がワイバーンに伸び、羽を引き裂き、喉元を削って大量の血を流させ、足を折って立てなくした。彼女は、両親を食べたワイバーンをもてあそぶように殺した。


「ふっ」

 彼女は、ワイバーンを屠るときに、嘲笑のようなあざけり顔をしていたはずなのに、ワイバーンが絶命した刹那、彼女は、おれに抱きついて、震えて泣いた。


「・・・あなたも一人ね。これをあげるわ。もう、いらないものだから。きっとこれがあなたを守ってくれる」

「おい、ロロ、行くぞ」


 そこには、もう一人の、更におぞましい魔人が、ロロに、粘着質な目を向けていた。


「ぼくは、ひかる。また会えるよね」


「ひかる・・いい名ね」


 そう言っていた彼女の禍々しさは、おれにアイテムを渡してしまった性か、どんどん、どす黒くなっていく。おれは、ロロとその連れの魔人が、日本海の大和棚に突如出現した巨木に向かって飛翔して行くのを永遠と見つめた。



「ひかる、ごめん・・・ぼくの性で」

「そうですけど、タクミさんが生きててよかった。多分、魔物は、ワイバーンの餌なんです。母さんも、父さんも、タクミさんを庇ったから惨殺されたって感じ・・・・」

 急に涙があふれて来た。相手は野生で、魔物は食糧で、それを守ろうとした両親は、ワイバーンの邪魔をしたわけで・・・。あの娘のようにワイバーンを殺す力があれば、もしかしたら両親は生きて・・・。

 おれは、ロロという魔人から貰った大きな魔石を握りしめた。その魔石は、透明な緑の魔石で、覗き込むとキラキラしていて、まるで万華鏡を覗いたような輝きをしている。タクミさんは、これは、植物系のオパールじゃないかと言っていた。


 タクミさんは、あの大災害で、魔物になってしまった。今は、以前の体形そのまま巨大になり、でぶっちょのホブゴブリンになった。ゴブリンは、人や亜人の女性を襲って子孫を鼠算式に増やす災害種族だ。そのゴブリンの上位種であるホブゴブリンも、同じ性癖を持っているはずなのだが、タクミさんは、そのゴブリンの習性に動じなかった。はっきり言うと、2次元にしか興味がない。ゴブリンは、ホブゴブリンに一目置く。タクミさんは、今まで、多くの女性を守ってくれたのだ。それで、ワイバーンにタクミさんが襲われた時、母さんが、タクミさんを庇って、その母さんを父さんが庇って、こんな惨状になった。母さんが無意識に「逃げてー」と、タクミさんに駆け寄る姿が、今でも目に焼き付いている。そして、「奈美恵ー」と、その後を追う父さんも、そうだ。


「二人の遺品は、おじさんの腕時計しかなかったよ。ひかる君、もう帰ろう。また、ぼくがワイバーンに襲われたら、君まで危ない」

 タクミさんは、目的だった食料の袋を軽々と担いでいた。これは、生き残った50人の同胞の食料2日分に当たる。それを確保しつつ、両親の遺留品も見つけてくれた。両親が死に、現在、100人いた仲間は、48人にまで減った。ここでは、命が軽すぎる。


「父さんの腕時計は、タクミさんが持っててよ。食料調達リーダーをやってくれるんでしょ。きっと役に立つから。それに、ワイバーンが、亜人の敵だってわかったんだ。みんなに知らせないと」

 ワイバーンが魔物を捕食していたのは知っている。でも、亜人もそうだと分かった。この情報をみんなに知らせて、注意喚起しないといけない。

「そうさせてもらうよ。すまなかった」


 食料や、備品の収集は、朝、やっている。夜は、随分少なくなったが、街中をコボルトが闊歩するため危険だ。昼間は、ワイバーンが狩りをしているのでもっと危険だ。だから、早朝から朝にかけて、日のあるうちが一番安全だと分かっている。しかし、昼近くになると、正確な時間が必要となる。ワイバーンの習性は、まだよくわかっていない。12時ぐらいまで大丈夫だと思っていたが、気をつけねば。今回は、11時半で襲われた。それも、亜人も襲うという新事実。ネットで拡散しなければいけない。



 隠れ家にしている郊外のマトリョーシカホテルの地下シェルターは、地下の共同溝と繋がっている。そこは、ゴブリンどもの巣。ホブゴブリンになったタクミさんしか歩けない。いざとなったときの脱出経路は、確保しているものの、タクミさんがいないと危険度が上がる。だからタクミさんが生きていてくれてよかった。この地下シェルターに逃げ込むとき、ゴブリンの巣と知らず地下坑道を使った。タクミさんがいなかったらどうなっていたことか。


 ホテルに近づくと、狼男になってしまった田辺さんが、心配して迎えに出てくれた。田辺さんは、コボルトの上位種の狼男。本当は、夜行性なのだけれど、狼は仲間思いだ。両親の身に何かが起きたと察したのだろう。これは、多分、オオカミ族の習性。亜人の習性解読もこれからの課題だ。田辺さんは、元警官。銃火器の使用が出来る人だ。仲間の安全に細心の注意を払っている。

 その横で手を振っているのが、田辺さんの娘さんの京子ちゃん。人のままの姿を留めている。田辺さんの奥さんは、オークに殺された。それを見ていたため、心に大きな傷を持っているが、自分の父親は、どんな姿になっても、自分を守ってくれると確信していて、父親から離れようとしない。唯一の例外が、タクミさんだ。


 京子ちゃんが、タクミさんに駆け寄って抱きついた。京子ちゃんは、緑色の肌をしたタクミさんを恐れない。気弱なタクミさんが、地下坑道で、ゴブリンに襲われそうになった京子ちゃんを体を張って守ったのがきっかけだ。それからのタクミさんは、京子ちゃんからも田辺さんからも絶大な信用を得ている。もちろん、オークになった仲間もいる。田中さんは、食堂を営んでいた人。50・・・48人分の料理をしてくれる。京子ちゃんは、田中さんに近づこうとはしないが、料理はおいしいと言ってくれる。田中さんが言うには、日本食を作れるのなら、京子ちゃんも、自分の容姿を許してくれるだろうと言っていた。今日、その食材をゲットしたというのに、大変なことになった。


 父は、このグループのリーダーだった。商社マンで、この日本に一番近い日本海に面したヨーロッパ。ロシアのウラジオストクによく来ていた関係で、こんな隠れ家的ホテルを知っていた。もう、亡くなったので、なんで、このホテルの核シェルターや地下坑道のことを知っていたのか、もう聞けないが、おかげで、日本人観光客100人のうち、あの大災害を半数も生き残ることが出来た。それに、ここのセキュリティは、非常に固い。ネット環境もそうだ。まるで軍事基地。武器は見つけていないので、それはないと思うが、ここなら、日本からの助けを待つことが出来るだろう。情報は、日本と常に共有しているのだから。


「タクー」

「ごめん京子ちゃん。荷物がいっぱいだろ、ズボンのすそを持ってくれるか」

 抱き上げてもらいたかった京子ちゃんは、ブーと、ふくれたが、大人しくズボンのすそを持った。おれの、両親がいないことに気づいたからだ。まだ、甘えたい盛りなのだが、もう、小学3年生。大人っぽい分別も、この事件をきっかけに持たざるを得なかった。

 おれたちは、大きな荷物を持っている。この中には食料の他に、母さんが選んだ、女性用の衣服や下着も満載されている。田辺さんは、険しい顔をして質問した。


「ひかる君、ご両親は?」


「ワイバーンに襲われて殺されました」

「ぼくを庇ったんだ。ワイバーンは、亜人も食料の対象なんだ」

「そうか。おれも、亜人だ。一緒だよ」

 思った以上に沈黙が流れた。

「二人が無事でよかった。京子は、タクミさんについて行くか。父さんは、夜の警備のために寝るよ」

「わかった」

 京子ちゃんが、タクミさんのズボンをキュッと握りなおしているのが分かる。

「仲間が、48人になってしまった。みんなに知らせるよ。今後は、佐久間に任せるしかない。今まで嫌がっていたけど自覚してくれるだろう」


 タクミさんが頷いている。佐久間さんは、ロシア語の講師で、このツアーのガイドをしていた人だ。このホテルに逃げ込んだ時、ホテルに人はいなかった。しかし、街に出て、物資を調達するのに、一役も二役も買ってくれたくれた。父とは馬が合っていたようで、いろいろ話をしていたようだが、前に出るのを極端に嫌がるので、仕方なく父がこのグループを仕切っていた。



 ホテルは、いまだに荒らされていないのだが、生活臭は危険だ。みんな地下シェルターで生活している。タクミさんと京子ちゃんは、厨房に物資を運ぶために向かった。京子ちゃんは、オークの田中さんに会うと知って、また、タクミさんのズボンを握りなおしていた。

 こっちは、狼男の田辺さんと二人で、シェルターのパソコン室にいる佐久間さんに、両親の訃報を知らせにいった。佐久間さんは、がっくり肩を落としていた。


「自分に任せてくれと自信をもって言えないが、菅原さんの遺志を継ぐよ。ひかる君、ご両親は、残念だった。本当は、休ませてあげたいけどちょっといいかい」

 おれは、頷くしかなかった。佐久間さんが、ロシア側のウラジオストクの海軍と交渉していたのを知っていたからだ。父は生前、佐久間を信頼しろと、よく言っていた。今までは聞かなくてよかった話を今後は、おれが聞くことになるのだろう。

「わしは、寝るよ。これ以上犠牲者を出したくない。昼間は、頼んだ」

 田辺さんは、狼族独特の警戒行動を示しながら、パソコン室を後にした。おれと佐久間さんは、パソコン室で、ここウラジオストクや世界の情報収集している人や、勉強している人、遊んでいる人を尻目に、ブリーフィングルームに向かった。途中廊下で、少し暇を持て余している主婦の人が、打ち合わせなら、コーヒーを持ってきてあげると言ってくれた。佐久間さんは、その奥さんに、父と母が死んだことを告げ、自分が、リーダーを務めなくてはいけなくなったと言い、1時間後に、講堂に集合するよう皆に、伝達するよう頼んでいた。彼女は、血相を変えて、みんなの元に飛び出した。それでも、ブリーフィングルームに、別の女の子が、コーヒーを持って来てくれた。


 佐久間さんは、遠い目をした後、ぼつぼつと話しだした。


「あの大災害から、3カ月か。もう、誰も死なせないと誓ったのに、一緒に誓った菅原さんが死ぬとはな。ひかる君も何となく気付いていると思うけど、日本から助けは来ない。世界樹周辺を縄張りにしているワイバーンが、制空権を握っているんだ。飛行機もヘリコブターも無理だ」

「でも、日本は、海王と喧嘩をしませんでした。日本海の航海権まで失っていると思えません」

「その通りだよ。うちは、海洋民族だからね。まだチャンスはあると思う。でも、悪いが、他国の人を乗せられるか分からない。ウラジオストクから日本に船で逃げ出そうとした人は、みんな沈められているんだ。情報統制は必要だよ」

「ウラジオストクは、廃墟ですよ。行くたびにひどくなる」

「ロシア陸軍の部隊が、魔王に変化(へんげ)させられた兵士を受け入れられなかったからね。でも、世界樹が出現して、獣化や亜人化がとまっただろう。内部崩壊を食い止めて、立ち直ったそうだよ。変化した同胞を大虐殺してやっとね。酷い話さ。彼ら陸軍は、ウラジオストクを捨てたよ。海軍は、ぼくらの情報でかろうじて、留まっているけどね」

「町中は、まだ、亜人獣人の弾圧が収まっていません。おれたちは、亜人や獣人のみんなと普通にやれているのに」

「だからさ、もう、これ以上犠牲者を出したくない。街からの脱出のときに、ゴブリンに襲われたけど、タクミ君が居たから全滅の危機を脱した。オークの田中さんが居るから、美味しいご飯を食べることが出来る。我々もそうだけど、母国もそんな感じだろ」

「でも、現地の人は受け入れてくれない。今日も、亜人を、動物のように殺していました。ウラジオストクの町には、もう、人もほとんどいません。閑散としています。あの人たちとは、別の生き方をするしかないんだ」

「現地の亜人たちともね。彼らは、人に大虐殺されて、魔王軍に下ってしまった。そうなっていない個人は助けたいが、我々の態勢だと大した人数を受け入れられない。今は、出来る事をするしかないんだよ」

「わかっています」

「今まで黙っていたけど、ぼくはロシアの海兵隊にコネがあるんだ。分かっていることは、彼らは亜人を受け入れない。世界樹が現れて、人々が、亜人獣人に、されなくなるまで、凄惨なことになっていた。だから、亜人獣人と共存しているここのことを知られるわけにはいかない。彼らとの交渉は、継続してぼくに任せてもらいたいんだけど、交渉というのは、一人で行くものじゃない。今までは、君のお父さんについて来てもらっていた。これからは、君にそれを願いするしかない。なんせ、ひかる君は、菅原さんの息子だ。背格好も顔立ちもそっくりだろ。向こうが信用しやすいんだよ」

 軍と話をしていたのは父から聞いてた。

「何の交渉していたんですか」

「最初は、この施設の譲渡だよ。ここは陸軍の施設だったんだ。だけど、陸軍は、魔王軍と戦って壊滅状態だろ。だから、海軍でもいいから、軍には、我々のものという認識をさせたかった。彼らへの見返りは、ウラジオストク市が持っていた地下坑道の地図だ。ここは、陸軍のシェルターだからね。だけど、その坑道地図だと、ここへはたどり着けない。向こうは、ここを役に立たないと思っているさ。その後は、武器の融通の交渉かな。向こうは、最初、内ゲバで殺し合ったから武器が余っているんだ。有益な情報と引き換えに融通してもらうことになっている。なんせ我々は、日本の情報を民間レベルから吸い上げることが出来るからね。今は、そう言う情報が貴重なんだよ」


 ここで、ノックされて、話が中断された。コーヒーを運んで来た女の子は、中学生ぐらい。さっきの奥さんの娘さんだろう。ロシア人とのハーフで、まるで妖精みたいだ。彼女は、おれをチラチラ見て、何か言いたそうだったけど、遠慮してすぐ退室した。この、ミーシャとの出会いが、今後を左右することになる。


 どうぞとコーヒーを勧められたが、カフェラテばかり飲んでいたおれに、ストロングコーヒーは苦すぎる。でも今はそれでいい。気を抜くと、両親を失った悲しみが込みあげてきそうだからだ。


「ひかる君は、大学に入ったばかりだったね。すまない。こんな話をして。専攻は何だったかな」

「経済学ですか、ファンタジーが、現実になったじゃないですか。今は、そっちに興味があります」

「今の世界を理解するのに必要なことだよ。ぼくの話を優先させて悪かったね。後で、みんなにも話さないといけないからね。ご両親の最後を聞きたい。難しい交渉事の話は、後でゆっくり話すよ」

 そんなわけで、ワイバーンに襲われた時の話になった。

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