10.collapse






ツケ、というものを支払う日がある。


それは、本当に金銭的なものであったり、行いによるものであったり、様々だけど。


私のそれは行いによるもの。


いつまでも、引っ張り続けることの、ツケ。





















今日は皆さんは懇親会に出席。私は欠席。


だからかどうかはわからないけれど、私はいつもよりものんびりと残った仕事を処理して帰り支度をしていた。


外はもう薄暗い。夏は目の前まで迫ってきているようで近くのデパートが屋上にビアホールが出来ただとか、そんな話をよく聞くようになった。


「じゃあ、俺たちはそろそろ行って来るから。気をつけて帰ってね」


皆さんが連れ立って出て行く際、松戸さんが振り返ってそう言ってきた。


「はい。皆さんも楽しんできてください」


「わかったよ」


我ながら、珍しくはっきり言えたと思う。


そんなことを思っている間に、皆さん出て行った。


「全部終ったよね」


書庫、机などの施錠を確認してから私は部屋の電気を消した。非常口の緑色の明かりだけが頼りな、どこか不気味な空間。


何もないのを確認して、私は部屋を出た。


今日の私はいつもよりも遅いくらいだから、宮下さんはもう帰ってるはず。だから、今日は一人。


大丈夫。いつものこと。


「いつもの、こと」


なんだけど。


何故か、言い知れない不安を感じてしまう。


この感覚は何だろう?


誰かと一緒にいることが当たり前になって寂しさを感じる? それとも、本当は懇親会に出席したかった?


それもあたっているようで、それでいて違うような気もする。


…… はやく帰って、読みかけの本を読んでしまおう。それで、眠ろう。明日になれば。明日になれば、また宮下さんと食事して他愛ない話をして。仕事が終れば、真央ちゃんと会う約束。


明日。


そう、全部。明日の話。


じゃあ、今日は? この不安は何?


わからないまま、私は退社した。


自転車に乗ろうとして、パンクしてることに気付いた。


「何か踏んだっけ?」


まぁ、帰りにどこか自転車屋さんがあいてたら直してもらおう。そう思って自転車をたたむと、荷物の中から自転車用のバッグを取り出して、しまった。


これ、折りたたみ自転車って意外と重たいことを人は知らない。とはいえ、こういう使い方も考えていた以上、ある程度軽いものを選んだつもりでいた。


はじめは重たくて、すぐにやめちゃったんだけど。でも、今は持てる。それが仕事の中でも役に立つ瞬間があるっていうのがまた、何て言えばいいんだろう、嬉しい、のかな?


「よいしょっと」


ちょっと気合を入れて自転車を担ぐと、私は家路についた。いつもは自転車を使ってるから、電車とかには乗らないんだけど、今日に限っては電車で帰ることにした。


ここ、羽山から私の住む桜坂までは二駅しかないけれど。少し距離もあるし、歩いて帰るには少し遠い。


だけど、普段はやらないことをする、と思えばどこか新鮮な気持ちで。


だから、駅周辺についた頃には退社するころの不安のことなんてすっかり忘れていた。


「ここ、階段長いよぉ」


自転車を担いでいる身にはいくらか辛いものがある。でも、そんなことでも楽しめる余力が今の私にはある。


ふふ、と小さく笑って、自分の足元を見る。


もうちょっと頑張ろうか。


そう思ったときだった。


「危ないっ!」


誰かの叫ぶ声がした。直後、体に伝う衝撃と、支えを失う体。手を離れる自転車。そして、強い衝撃を最後に、私は意識を手放した。



























【視点 桑畑静希】



懇親会の席で、皆がやたらと盛り上がってる中、俺は昨日真央に説教されたことを思い出していた。


[お兄ちゃん。彼女、いたの?]


帰ってきた真央の第一声がこれだった。


[は? いないって言ってるだろ]


当然、俺はいつものように返した。だが、この時点で気付くべきだった。真央がいるの、とは言わずにいたのと言ったことに。


[今日、バイト先に前園さんが来たの]


[は?]


前園って桜坂に住んでるはずなのに。何でまた花待坂に。


[で、お兄ちゃん。彼女いるって噂らしいけど。その彼女って、誰?]


彼女の存在をある程度断定した口調。


間違いなく、真央は俺のした事に気付いてる。


[私、お兄ちゃんの女よけのつもりでここに住んでるわけじゃないんだけど]


[俺も、そんなつもりで一緒にいるつもりじゃなかった]


[でも、結果はそうだよね。そんなことしてるままで前園さんにアプローチするから、本人、混乱してると思うよ]


このあたりは本人にはきちんと聞いてないけど。と真央は締めくくった。


[明後日。前園さんに会う予定だから、そのとき一緒に来てよ。それでちゃんと話して]


[わかった]


そして、今はその狭間の日。


こんな心境で騒げるほど、俺は強くはない。


そんなときだった。マナーモードにしていた携帯が俺のポケットの中で震えていた。


誰だと思いつつ、携帯を開くと宮下からの着信だった。


「すみません。ちょっと、出ます」


電話を見せて俺は外に出た。


「もしもし」


【もしもし! 今懇親会の最中だって言うのは知ってます。でも、聞いてください】


この剣幕は異常だった。焦りや不安の色が明確に出ている。


【樹が、引ったくりにあって、階段から転落しました】


「え?」


一瞬で、血の気が引いた。


前園が、階段から、落ちた? だって、俺たちが懇親会に行く前に見送ってくれた。


【で、社のほうに連絡が来て。たまたま、私が残業で残ってたので。それで今、病院にいます】


「容態は?」


【転落したときに強打した右肩を脱臼。あとは出血が幾らかと打撲です。そこまで酷くはないそうですけど、頭も打ってるらしいんで、検査入院することになったそうです】


「そう、か」


安心するところではないのかもしれないが、命にかかわるような怪我をしてなくてよかった。


【ただ】


「何だ?」


【…… 自分が怪我をしたのが、桑畑さんを好きになったせいだと、これは罰だと言ってます】


俺は本当に馬鹿だ。


こうやって、痛い目を見ないと、自分のしでかしたことの重大さがわからない。失くしてからじゃなきゃわからないとは言うが、本当にそうだとは思っていなかった。


【桑畑さん。ご自分でまいた種です。自分で何とかしてください】


「…… あぁ」


その声は、まるで自分のものではないような声だった。


【私は、しばらくは樹から距離を置くことになりそうです。本当に、この現状を打破できるのはあなただけです。だから、樹を、お願いします】


最後の言葉に、俺を非難するようなものは感じなかった。


ただただ純粋な願い、そんな風に感じられた。


「俺に、何が出来る?」


ふと、懇親会の会場を見た。


そういえば、この会には前園を除く営業の社員全員がいたな。そして、その中には独身の女性社員もいる。


今の俺に、出来ること。


俺は懇親会の会場に舞い戻った。そして、一発。壁を全力で殴りつけた。


一瞬で静まり返り、全員の目がこちらを向いた。店員が飛び込んでくるのもすぐだろう。だから、俺は急がなくてはならない。


「さっき、前園がひったくりに遭って怪我して病院に運ばれたらしい」


会場全体がざわつき始める。


「そして、この際だから宣言する。俺は前園が好きだ。彼女いるって噂流してたけど、そんなものいない。だから、俺はこのままここを出て行って病院に行くつもりでいる」


ここで言葉を切ると、松戸が真っ先に口を開いた。


「桑畑さんが前園のこと気にかけてるのなんて、みんな知ってましたよ」


だよな、と周囲に同意を求めるとみんな一斉に頷いた。


「ついでに、桑畑さんに彼女いないのもここにいるみんな知ってましたよ。でも、ほしくないんだろうなって思ってたんで気付かない振りしてただけです」


「そうだぞ。気付いてないのなんて総務の馬鹿共ぐらいだろ」


「ですよー。彼女いるって言った割りに桑畑さん、何も変わらなかったじゃないですか」


こいつら。


「桑畑さん。さっきの壁パンチのことは酔った勢いとか言っときますから。はやく行ってやってください」


「わかった。ちょっと行ってくる」


俺は自分の荷物を掴むと、店を飛び出した。


後ろから「帰ってくるなよ」などの声が聞こえる。


いい同僚に恵まれた。そう思う。



























【視点 前園樹】



目が覚めると、私は真っ白な部屋にいた。


ほのかに香る消毒の匂い。


「…… 病、院?」


私、何でこんなところにいるんだろう?


「樹!」


声がかけられて、入り口のほうへ視線を向けるとそこには宮下さんがいた。


「良かった…… 無事で」


「何が?」


私はいまだに現状が飲み込めない。何故、自分が病院にいるのか。何故、私はこんなにも心配されているのか。


「樹。あなた引ったくりに遭って、それで階段から落ちたのよ?」


「私が?」


宮下さんは頷いた。


「犯人は逮捕されてるそうだから安心して。その代わり。自転車は壊れてしまったみたいだけど」


そっか。あの時、階段から落ちて。


「怪我の具合は後からも教えてもらうだろうけど、一応教えとくね」


右肩の脱臼、出血、打撲。そこまで酷いものではないらしい。


ただし、頭を打ってるみたいだから検査入院、と。


「私、罰が当たったみたいです」


「樹、あなた何を言って」


もう、止まらなかった。自分がこんな目に遭って、間違いなく、私は自分の所為にしていた。


だって、それが一番楽な方法だから。


「だって、彼女いるって知ってるのに桑畑さんを好きになって。そんな私が友達まで作って、楽しい思いをたくさんして…… それが、いいわけないのなんて、わかってるのに。わかってるのに、私はやめられなかった」


「樹」


「こんなことなら。好きにならなければ良かった。友達なんて作らなければ良かった…… ずっと、本を読んでるだけでよかった」


自然と、涙があふれてきた。


ああ。こんなにも自分の楽しみっていうものに未練があるんだ? 情けない。全部、私の所為なのに。


「樹。あなたにとって私はその程度なのね? あなたにとっての友達はその程度の存在なのね? あなたの好きな人って言うのはその程度の存在なのね?


 私、あなたの親友になれたらって思ってた。でも、違うね。私がそうでも、樹が違ったんだね。ずっと、壁を感じてた。名前で呼んでっていったのに呼んでくれないのも、そういうことでしょ?」


私は何も言えなかった。


あの時、私は宮下さんのことを何故か名前で呼べなかった。


私はただ怖かったんだ。深くかかわることで、友達という存在が大きくなることが。大きくなることで、失くすことが本当に辛くなるくらいならと思うと、気付けば壁を作っていた。


「あ」


そして、私は何も反論も何も出来なかった。反論する余地はどこにもなかった。全部、私が招いたことだから。


「私、帰るわ。しばらくは樹から離れる。それで色々と考えてみるわ」


「…… はい」


宮下さんが帰った後、私は泣いた。


自分の所為だけど、それでも。それでも悲しいと思えた。友達になりたかった。本当の意味で友達でいたかった。


でも、それはもう出来ない。私が否定した。


本当に、私はどうしようもなくて。それがどうしようもなく悲しくて。



























宮下さんが帰ってからどれくらいだろう。


ドアがノックされた。


「…… 前園。桑畑だけど」


息が詰まった。


どうしてここにいるんだろう? だって、まだ懇親会の時間のはず。ここにいることがおかしいのに。


「入って、いいか?」


怖くなった。


だって、これは罰で。私がこの人を好きになったから、好きでいるから。だから与えられた罰。


もう、私にこの人を好きでいる資格なんてない。


「帰って、ください」


「え」


扉の向こうで、動揺する気配が感じられた。


「帰ってください」


もう、嫌だ。


彼女がいる人を好きでいるのも、そんな自分を認めるのも。だから、終らせないといけない。


「私、あなたのことが好きでした。でも、あなたのことがわからないんです。彼女がいるのに、どうして近付いてくるんですか? どうして優しくしてくれるんですか?


 こんなことで苦しむなんて、嫌です。だから、終わりにしてください。お願いです。帰ってください。それで、もう来ないでください。私を放っておいてください」


「前園。俺は」


「帰ってください」


何か言いたそうだったけど、もう何も聞きたくない。


私は独りでいい。独りがいい。


「私を独りにしてください」


「前園それは!」


「いいから独りにしてくださいよ! もう疲れたんです。見込みのない人を好きでいて、それでいろいろなことを思い知るのも、それで嫌な思いをするのももう嫌です!」


「…… わかった。帰る。迷惑かけたみたいで…… 本当に、申し訳なかった」


扉の向こうの気配が消える。


今日は。どんな日なんだろう。怪我をして。自転車が壊れて。友達がいなくなって。失恋して。独りになった。本当に、独りになった。


独りなんて、いつものことだったのに。今まではずっとそうだったのに。その頃のことを、忘れてしまったみたい。


私は、もうどこにも行けない。友達を作れるとは思えないし、誰かを好きになれるとも思えない。でも、昔みたいに独りにも戻れない。家にも帰りたくない。会社にも行きたくない。何もしたくない。私が何をしたっていうんだろう。


ただ、誰にも迷惑をかけたくないだけだった。それだけなのに。それだけだったのに。


それなのに。私は、まだ宮下さんと友達になりたいって思ってるし、桑畑さんを好きな気持ちも捨てきれない。


そうだ。真央ちゃんとの関係も終わり、かな。あの子と一緒だと桑畑さんのことをいつまでも思い出してしまうから。


みんな、お別れ。



















後書


上げて落とす。


副題は「崩壊」でした。前回でちょっといい雰囲気になりましたが、樹は殆ど成長していないので一回壊れてもらいます。

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