6.adolecente ?
いつもは外から眺めるだけだった。
新しいものは、何だか未来の道具みたいで…… 不思議な気分。
そして、目の前には契約書。
さて、ここはどこでしょう?
「では、料金プランはいかがなさいますか?」
「あー、えっと」
私の目の前で、私の携帯電話のことで、私以外の人が話をしてる。
どうしてこうなったんだっけ?
少し、思い出してみようかな。
そう、あれは待ち合わせのお店を出た後だったんだ。
『そういえば、メールしたけど確認した?』
と、宮下さん。相変わらず設定を変えていない私がその存在を知るわけもなく。慌てて携帯電話を取り出した。
『ぁ』
開いてから、気付いた。
昨日、宮下さんとの電話が終わって、電池が切れるまでずっとそのままで。そう、そのままで。充電してなかった。
どうしよう。普段は気にしないけど今は違う。連絡してくれる人がいて、その人がすぐそばにいて、連絡したと言ってる。なのに私の携帯電話は電源が入らない。
『あ、電源切ってたんだ? もしかして、バスとかで律儀に切ってるんだ?』
違います。とは、言えなかった。でも、言わなきゃいけないんだよね。
『懐かしいなぁ。私も初めての携帯はこれの色違いでね、ちょっと貸して』
言って、宮下さんは私の手から電話をひょいと取ってしまった。
『あ』
『大丈夫。壊したりしないから』
宮下さんは笑顔だった。
私は誰かに物を取られる=壊される・隠されるということだったから警戒してたみたい。
そうだよね。いつまでも小学生の頃と同じことなんてしてないよね。
『うん?』
そして、その瞬間は訪れた。
『ねぇ、樹』
『は、はい』
『これ』
ずい、と目の前に電話が突き出される。
『電源が入らないのはどうして?』
『えと、その……』
上手く言葉が出てこない。嫌われたかな? どうしよう。
『私が当てていい?』
『はい……』
色々諦めてしまった。今日はこれで御終いかもしれない。そう思うと悲しくなった。
『電池、切れてるでしょ?』
『ごめんなさい……』
まるで子供みたい。そんな想いが湧いてきた。
楽しみだった日に、余計なことをしてそれを台無しにする。考え無しで、後悔する。もう、遅いんだ。
『会社からかかってくることだってあるんだから、ちゃんと充電しておいたほうがいいよ。もし今確認したいことができたって、連絡できないんだから』
『…… はい』
『それから!』
一際大きな声とともに私の頬を両側からつねる。
『怒ってるわけじゃないの。そりゃ、呆れもしたけど。でも、楽しいじゃない。こういうトラブルも。何でも楽しまなきゃさ、損じゃない。仕事も、遊びも』
意外だった。
別に、宮下さんの言葉が、じゃない。
いつも失敗に怯え、いつ怒られるのかとびくびくしながら仕事して、生活してる私に与えられた言葉だということが意外だった。
『じゃ、行くよ』
『どこに、ですか』
『今の会話の流から行くところなんて一つしかないじゃない』
そして、今に至るんだけど。
そう、ここは携帯電話のお店。私の携帯電話を買い替えに来てるんです。
「じゃ、その定額プランにします。で、いいよね?」
「は、はい」
宮下さんの決めたことに頷くことしか出来ない私。
って、お金! そうだ。携帯電話って高いんだった。
「い、幾らぐらいですか?」
恐る恐る声を発すると、店員さんの驚いた顔と宮下さんの呆れたような顔が目に入った。
「自分の買い物なのよ? 話ぐらいはちゃんと聞いておきなさいよ。これ、ローン組むから。最近だと通信費に値段が含まれてるから高くなったとかはそんなに気にならないよ」
「そうなんですか?」
「はい」
店員さんが笑顔で頷いてくれる。
「では、以上の内容でよろしいですね?」
「は、はい」
こうして、私の携帯電話は変わってしまった。いや、言い方が悪い。変わったんだ。
ありがとう。何年も、実のない使い方だったけど。それでも、ありがとう。
「樹? それ、持って帰ってもいいよ?」
「ふぇ?」
宮下さんが“それ”と言ったのは今まで使っていた携帯電話。
「いいんですか?」
「はい。こちらで引き取らせていただくことも出来ますが。いかがなさいますか?」
私は少し考えた。高校の入学のお祝いに買ってもらった、思い出のもの。短大の頃は実家の番号を見ながら帰りたいと何度も言いたくなった。自分で選んだ道なのに。
そんな沢山の思い出の詰まったもの。
「持って、帰ります。大切なものなので」
「そうですか。大事になさっていたんですね。まさか、その機種をここで見るとは思いませんでしたし」
「ですよね」
宮下さんが店員さんに同意してる。
でも、道具って大切に使うものじゃないのかな?
あの後。新しい携帯電話の設定や、使い方を確認するとかで近くのカフェに足を踏み入れた。
実は、というか、noirが初めてだった時点で誰でもわかると思うけど、カフェも初めての体験だったりもする。喫茶店はよく行ったんだけど。noirとはまた違った、小奇麗なお店だった。
「うわ。樹ってコーヒーだとブラックなんだ?」
「はい。本の虫でしたから。眠気覚ましに丁度良かったから」
それで授業中に眠ってしまうことだって多々あったけれど。その代わり、教科書を見ながら必死になってノートを纏めたことはあった。
だから黒板と私のノートとで中身がまるで違って。ノート提出のときの評価は凄い低かったけど、テストは頑張った。全部駄目だなんて言わせたくなかったし。
「へぇ。私は漫画ばっかりだったなぁ。あ、漫画といえばなんだけど、普通の国立に行った友達に凄い童顔の子がいてね、そしたらその子が好きだった漫画の通りの恋をして実らせたらしいのよ。
あ、でもその漫画とは性別が逆転してたらしいけど」
「そんなこともあるんですね」
まぁ、人間の想像の範疇の内容は実際に起こり得ることだって言われているから。漫画の中の恋愛の再現があったって不思議じゃないのかもしれない。
私だって今の私の状況はドラマや小説の中の愛憎劇でしか出てこないと思っていたし。
「でも、それで就職先まで決めちゃうんだから凄いでしょ」
「はい。好きになった人のお母さんが経営するお店に就職を決めるだなんて凄いですよね」
「凄いのよね。だけど一番凄いって思ったのは相手の彼だったかな」
宮下さんが私に思いっきり顔を近付けて言った。
「彼、10才年下の中学生、だったかな? なのにつりあってるのよね。彼のほうが大人びてて。で、年上としてリードしたい友達がちょっと空回りしてる感じ」
「えええっ?」
それは本当に凄い。それこそ物語の世界だ。それも、不倫とかの話で聞く年齢差。それを地で行くのが凄い。
だけど。つりあってるっていうのはいいこと。私はそんな関係にはなりえない。
だから羨ましい。
「…… 樹。顔に出てるよ」
「え?」
一瞬、何の話かわからなかった。
「羨ましい。相手とつりあう関係が心の底から羨ましい。そんな感情が顔に出てるよ」
「ぁ」
何も言えなかった。
「言っておくけど、私は大体全部気付いてると思うよ? 樹の想いと、それを取り巻く状況をほぼ正確に」
ということは全部ばれてるんだ。
「情けない、ですよね」
「何が?」
「私、短大の頃に影で女王って呼ばれていたの、知ってるんです。そんな人が、今まで誰かを好きになったことなんてなくて。友達もいなくて。挙句、望みのない遅すぎる初恋ですよ。
情けない、ですよね。こんなの。早く終りにしなきゃいけないのに。それもできないなんて」
言って、私は溜息を吐いた。
「もし、自分の意思だけで終りに出来るんなら。私は樹を軽蔑するよ。あんたの初恋はその程度かって」
言われて、知らず俯いていた私は顔を上げて宮下さんの顔を直視した。
うまく感情が見えてこない。全部押し隠したみたい。
「遅くたっていいじゃない。それに、自分の意思だけで終りに出来るのはアイドル相手にカッコいいねって言ってるのと何も変わらないよ。それだけ。心を打つものなんてどこにもない。
樹は、そんなのじゃないでしょ」
「でも、あの人、彼女いるって噂で」
そう。こんなこと許されるわけないのに。
「噂なんてね、所詮は噂でしかないのよ」
「え?」
「何でもないわ。忘れて」
きっと、この時に何も訊けなかったことがあんなことに繋がってしまったんだ。
もしも、もう一歩踏み込めていたならもう少し違う結果になったはずなのに。
カフェを出てからは買い物することになった。
目的なんてないけど、買う予定もなかったけれど、雑貨屋さんに入って小物を見たり、洋服屋さんで着せ替え人形にされたり。
気付けばいつものペースではなくて、思いっきり振り回されていたけれど。それでも、楽しい。
「あ、あっちにいるの松戸さんじゃない? あんたのとこの」
「え?」
言われて、コーヒーショップのオープンテラスで誰かと休憩してる松戸さんが見えた。
「そうですね」
それにしても。
松戸さんと顔を合わせるのは少し気まずい。だって、昨日の経費の申請を放ってこんなところで遊んでいるんだから。他に出来ることもないくせに、休みだけは謳歌するのかって言われてしまいそうだから。
「向こうも気付いたんじゃない?」
「そんなこと……」
ないですよ、と言おうとしてもう一度松戸さんに視線を向けると、ばっちり目が合った。
気付かれた。
ど、どうしよう。
「はい、ストップ。あんたどこに行くつもり?」
「え。そ、その」
この場から逃げ出そうとしているのに気付かれてしまった。
「ほら行くよ」
「あああっ! ま、待ってください。心の準備が……」
「職場の先輩に会うのに何の準備が要るのよ。疚しいことがあるわけじゃなし」
あるんですよ、これが。
そうして私は松戸さんの前まで連れて行かれた。
「こんにちわー。今、休憩中ですか?」
「んー休憩中。鬼先輩が引き摺り回すから」
松戸さんが疲れた表情で宮下さんと話してる。
「こら松戸。誰が鬼だ。そういうことはせめて本人がいないところで言うんだ」
「すんません」
「それはそうと、休みを満喫してるみたいだな。前園」
どうして。この人もここにいるんだろう。
「そ、そう、ですね…… 桑畑さん」
さっき、この人への想いについてで重たい空気を作ったばかりなのに。
「桑畑さんと松戸さんはこのまま昼食ですか?」
「あぁ。少しゆっくり出来そうだからな。今のうちだ。昼からまた忙しなくなる」
一瞬、宮下さんの表情が悪魔の微笑みに見えた。
「私たちもこれからなんですよ。良かったら相席させていただけませんか?」
「えぇっ!?」
思わず大きな声を出してしまった。
「相方が驚いてるぞ」
「大丈夫ですよ」
大丈夫じゃないです。
「じゃ、すぐに行きますから」
行かなくてもいいです。とは、言えそうにない。
すぐに連れられて店の中へ。
「なんて顔してるのよ。まさか本当に疚しいことがあるわけじゃないでしょうね?」
「昨日、定時後にもらった松戸さんの経費の申請してないんです」
「それは時間内に出さなかった松戸さんと、次の日が休みの人にお願いした松戸さんが悪いわ。樹には疚しいことなんて何にもないわね」
無茶苦茶な。
ああああ…… ここまで来たら逃げ出せない。ちゃんと謝らなくちゃ。
「あ、あの。松戸さ」
「ごめんね、今日、休み取ってるなんて知らなくて」
「え?」
どうして、松戸さんが謝るんだろう。
「そこの鬼先輩に怒られたよ。明日休みの人間に定時後に渡すくらいだったら自分で朝一外出前に出せってさ。そりゃそうだよね。今まで自分でやってたことなのに、前園が来てから全部やってもらって。それが当たり前になってたみたいで。ほんと、ごめんね」
何て言えばいいんだろう。松戸さんが何故謝っているのか、私にはわからなかった。
「私が悪いんです」
気付けば、そう漏らしていた。
「仕事なんてまともにできないくせに。こうやって休みだけは謳歌して…… だから私が悪」
「やめなさい」
宮下さんが私を制した。勢いのままに言葉を紡ぎだし、止まらなくなっていた私を一言で止めてみせた。
「樹。この前よりもきついこと言うけど、そういうのって被害妄想とか自意識過剰っていうんだけど」
「で、でも」
私が仕事ができないのは事実。
「桑畑さんや松戸さんも。樹に感謝してるんならそれをきちんと伝えてあげてください。人の気持ちなんて、これっぽっちもわからない鈍感娘ですから」
何だか、酷いこと言われてる気分。
「松戸が素直に謝ってるんだ。それはきちんと受け止めてやれ」
「桑畑さん」
今まで会話に加わってなかった桑畑さんがようやく口を開いた。
「それから。もう少しだけ頑張ってる自分を認めてやれ」
そんなこと、今まで言われたことなかった。
どれだけ頑張っても報われてる気なんてしなかった。空回りしてる気しかしなくて、余計に頑張るしかできなかった。そうして女王なんて呼ばれて、孤立して、誰かを好きになることもないまま今まで生きてきてしまった。
そして、今やっとわかった気がする。私はずっと、認めてもらいたかったんだ。『頑張ってる』って。『凄い』って。
本当に、桑畑さんはいつも私の欲しい言葉をくれる。
だけど、それに縋っちゃいけないことも知ってる。
私は。
桑畑さんから離れなくちゃいけないんだ。
後書き
今回の副題は「若者?」です。流行モノを追いかける気のない樹は本当に若者なのか、という話です。
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