002 文系男子の部活動2

 稲穂に鼻で笑われ、新パターンの口癖をぶつけられた翌日。

 蒼葉は午前中に一通り、家事や夏休みの課題を片付けてから、商店街の通りを歩いていた。喫茶店『珈琲こぉひぃ手製めぇかぁ』の裏手にある空き地を使ってのパルクール活動も、猛暑が続く中では行われていない。日当たりは悪くとも、熱がこもりやすいので早朝か夕方くらいしか集まれないのだ。ちなみに早朝は案外忙しい人も多いので、普段放課後で活動している方針に変更はない。

 だから蒼葉の夏休みの昼間は、特に用事がない日の方が多かった。

 しかし今日は違う。演劇部の部活動で、商店街の先にある公民館へと向かっているからだ。新学期初めに公演の予定なので、夏休みに練習し、不都合があれば脚本担当の蒼葉も、台本調整のために顔を出さなければならない。

「しっかし、今日も暑いな……」

 盆休みも過ぎた八月半ばだが、陽光の威力はいまだ、衰えることを知らない。

「少しは休めよ、太陽……」

「何言ってんの? 黒桐」

「何でもねえよ。前巻で後半辺りから出番のなくなったクラスメイトで同じ部活動の鈴谷すずたにたけし

「だから何言ってるのお前っ!?」

 名前の割に爽やかなイケメンフェイスを歪ませながら、説明口調の挨拶を受けた鈴谷は叫んだ。衣装鞄を持っているので、目的地は蒼葉と同じ公民館だろう。

「今日は黒桐も参加するのか?」

「ああ、脚本の調整にな。今回は最後まで出番がないと思ってたんだけどな……」

「役が少ない分、台詞が多かったから覚えきれないんだよ。裏方が読み上げるアテレコの案もあったけど、公演時間の都合でいくつか場面シーンを削ることで話が進んでな」

「そういうのは脚本家通せよな、もう……」

 とはいえ、現場の声に応じて改善するのも脚本家の務めだ。

 ノートPCの入った書類鞄片手に、蒼葉は鈴谷と共に公民館を目指して歩き出した。

「そう言えば黒桐、盆休みはどうしてた?」

「お袋も姉貴も帰ってこないから、親父と墓参りに行ったくらいだな。鈴谷は?」

「帰省したよ。近場だけどな」

 適当に駄弁だべりながら歩いているといつの間にか商店街を抜けていた。そのまま横断歩道を渡り、向かいにある公民館へと入っていく。劇団や楽団が活用している舞台があるので、イベントで使われる合間を縫って、部活動のために学校を経由して借りているのだ。

「来ましたよ~、っと」

『えっ!?』

 ……普通に挨拶しただけなのだが、部員達は何故か蒼葉を見て、驚いた顔をしている。

 夏休み前に脚本は完成させていた上に、クラの父親、立華たちばなゆかりの件もあったので参加していないのだが、別に夏休み前と変わった様子はないはずだ。

 そう思いつつも顔や身体をペタペタと触っていると、ポン、と鈴谷が手を叩いたので蒼葉は思わず振り向く。




「そう言えば黒桐、お前…………他の女に浮気して金子に殺された、って噂になってたぞ?」

「この通り生きてるよっ!?」




 実際に殺されかけたのはたしかだが、噂に尾ひれがつきまくっている事態に、蒼葉は思わず叫んでいた。

(殺されかけたのは事実だけど……何をどうやったら、そんな噂になるんだ?)

 脚本の調整依頼が入らず、今日まで部活動に混ざらなかったのが、一番の要因だろう。本当に死んでいれば新聞沙汰にはなっていただろうが、今まで顔を見せなかったから、少なくとも重傷で入院していると思われていたのかもしれない。

「先に言っておくけどな、金子とは友達に戻ったよ。本人今、家庭の事情でトラブっているから、しばらく進展する予定はないし」

「あれ、進展させるつもりか?」

「何だかんだ気が合うしな」

 とはいえ、しばらくは友人関係のままでいるしかない。蒼葉自身の行動の結果とはいえ、今の稲穂には恋愛まで考える余裕なんてないだろう。

 おまけに当人が元々恋愛に対して消極的な面もあり、蒼葉が稲穂と付き合う展開はほぼない、かもしれない。

「たしかに金子は美人だけどさ……万が一結婚して、夫婦喧嘩になったら確実に殺されるぞ、お前」

「それ除けばいい女だろ?」

「除ききれるのか?」

 蒼葉は思わず目を逸らした。

(まあ、他にいい女がいたらそっちにくらえすればいいだけだし、今は金子のことだけ考えていよう)

 等と内心で結論付けてから、蒼葉は周囲を見渡し、奥で演技指導をしている先輩に話しかけた。

「部長、脚本の調整に来ました」

「……ああ、来てくれたのかい」

 そう言って蒼葉に部長と呼ばれた彼女、雪村ゆきむら美波みなみは、茶色の短髪を揺らしながら振り返ってきた。

 雪村は蒼葉達が所属する演劇部の部長で、細身の長身を持ち、他校でも男装が似合うことで有名な麗人で通っている。

「助かるよ。思ったより練習がはかどらないから、いくつかシーンを削ろうと思ってね」

「次からは検討段階で声かけて下さい……」

 呆れながら返事をする蒼葉に手振りで近くの観客席を指差してから、雪村は手に持っていた台本を片手に腰掛けた。

 蒼葉も隣の席に座らせ、台本を開いて指定のシーンを示していく。

「以前、調整用に追加してくれたシーンがあっただろう? そのシーンを幾つか削ろうと思ってね」

「分かりました。まずはどこですか?」

 鈴谷をはじめとした他の部員達が練習する中、蒼葉が立ち上げたノートPC片手に、雪村が指定したシーンを削り取っていく。話に矛盾が起きないように残すシーンにも手を加えるが、可能な限りセリフや場面展開を変えないようにしなければらない。

 そのために雪村が指定するシーンを残す時もあれば、主要なシーンを蒼葉がさらに加筆する場合もある。一つの話として成立させるためには、全体を把握して管理できる人間が必要になる。それも脚本家の務めだった。

「……こんなところですかね。一度持ち帰って調整しますが、今手を付けていないシーンで練習を続けて下さい」

「ああ、ありがとう。助かるよ……ところで」

 脚本の調整する部分をヒアリングし終え、蒼葉がノートPCを片付けていると、隣の席に腰掛けたままの雪村は雑談でも持ちかけるかのように話しかけてきた。

「最近君、ヤ○ザの恋人ができたと聞いたんだが本当かい?」

「だからどこで聞いたんですかそんなふざけた噂話っ!?」

 思わずノートPCを投げ捨てようとしてしまうが、割と高い代物なのでどうにかこらえる。

「しかし、君もよく金子君と付き合えるよね。中学の時よりは丸くなったとは思うけど……」

「……え? 部長、金子と同じ中学だったんですか?」

 雪村が稲穂と中学が同じだと分かり、蒼葉は思わず聞き返してしまった。

「おや、知らなかったのかい? ……もっとも、互いに面識はなかったけどね」

「そうなんですか?」

「でも有名だったよ、彼女は。良くも悪くも……」

 雪村の語る噂話は、おおむね本人から聞いたことのある内容と一緒だった。

 不良共のまとめ役だとか、教頭を脅したとか、空手部の主将だったとか、時折する雑談で本人が話してくれたことと大差はない。

「金子君も空手を始めてからは精神的に落ち着いてきたからね。当時の空手部の先生はすごいよ」

「当時の?」

「噂で聞いたんだが、金子君の卒業と同時に学校を辞めたらしくてね。理由までは分からないけど……」

 稲穂の空手部の顧問、本人にとっては格闘技の師匠みたいなものらしいが、その話を本人から聞いたことはない。蒼葉は雪村に、その顧問のことを尋ねてみた。

「どんな人なんですか? その空手部の顧問の人は」

「私も科目を受け持ってもらったことはないから、あまり関わりはないんだけど……」

 雪村は少し悩みながら、指であごを撫でながら口を開いた。

「女性ながら、空手以外にもかなりの格闘技に精通していたのはたしかだよ。当時不良だった彼女をあっさりとくだしてのけたのだから」

「……その人、最強じゃないですか? なんで教師なんてやってたんですか?」

「それは分からないよ。金子君なら何か、知っているんじゃないかな?」

 他の部員に呼ばれたので、雑談の区切りもいいことから、雪村は立ち上がって演劇の指導に戻っていく。蒼葉もノートPCの入った書類鞄を手に、もう帰ろうと席を立った。

「じゃあ帰るわ。お疲れ」

「お疲れ~」

 衣装に着替えた鈴谷が近くにいたので声を掛けてから、蒼葉は公民館を後にした。

「しかし金子の空手の師匠か……今度聞いてみようかな。次の脚本のネタになりそうだし」

 また食事に誘おうかと、帰りにスーパーまで足を伸ばす蒼葉。

 次は何を作ろうかと適当に陳列棚をながめていた時だった。

「あれ、黒桐?」

 そう声を掛けられたのは。

「……指原さしはら?」

 そこにいたのは、蒼葉のパルクール仲間の一人である指原咲里えみりだった。染めた金髪のショートから覗かせる左耳のピアスを光らせながら、買い物かご片手にゆっくりと近寄ってくる。

「どうしたよ、こんなところで」

「おつかい。あんたは?」

「夕飯の買い出し」

「なんだ、同じじゃない」

 正確にはおつかいではないのだが、蒼葉が一人暮らしを知っているのはごく少数だ。その中に指原はいない。だから曖昧あいまいに笑ってごまかすことしかできなかった。

「……あ、そうだ。あんた、何からない物ない?」

らない物?」

 話題の転換は蒼葉も望むところだが、指原から投げられた内容が唐突すぎて、思わず首をかしげてしまう。

「昨日、金子やクラと買い物に行ってきたんだけど、その時にフリマのチラシを貰ったのよ」

「あっ、ああ……そうなんだ」

 思わず稲穂から聞いたと言い出しそうになり、なんとか口をつぐむことに成功する蒼葉。稲穂が隣に住んでいることも、指原は知らないからだ。内心の動揺を悟らせないように、どうにか表情筋をりきませて平静を装うことに成功する。

「そしたら母さんが乗り気で、『バイト代出すから売ってきて』って言われたから参加するのよ。でも商品が少ないから、追加で何か欲しくて……持ってきた分の売り上げは返すから、協力してくれない」

「ああ、そうなんだ……」

 しかしこれは、渡りに船かもしれない。

「書籍やDVDとかでもいいか?」

「エロ本やAVはいらないわよ」

「……お前、俺をなんだと思ってるの?」

 一度、指原とは本気で話し合った方がいいかもしれない。

(まあ男なんてそんなものと言われてしまえば、それまでだけど……)

 今度売り物を持ってくると告げてから、蒼葉は指原と別れたのであった。

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