020 理系女子の独白

 稲穂達が出掛けたのは、電車で数駅先にあるショッピングモールだった。

 普段の買い出しは近所で事足りるのだが、衣服に関してはこちらの方が店も多くて品ぞろえがよく、買い物が趣味の人間はこのモールまで足をばすことが多い。

 あまり来ない稲穂は、指原の案内でモールの奥へと並んで歩いていた。

「金子は普段、ショッピングモールこっちに来ないの?」

「近くの量販店で十分だから。あまり金も掛けたくないし」

「なら今日は丁度いいじゃない」

 今日の稲穂のふところは温かい。

 株が当たったとかではない。指原の家で雑用と店番を手伝っていただけなのに、日当で五千円も貰えたからだ。しかも朝・昼と食事付、正直破格と言っても過言ではない。

「ちなみにギリギリ早朝手当ついた値段だから、今日の日当それ。他と同じとは思わないでね」

「……道理で」

「まあ食事はサービスだから、それ考えたら結構なもうけでしょ?」

 それには稲穂も納得している。むしろ感謝しているくらいだ。

「知り合いとかよくバイトに来るし、気に入ったなら金子もどう?」

「あの時間帯で?」

「あの時間帯で」

 稲穂の浮かべた表情で、指原は答えを聞くまでもないと前を向く。

「……当日払いなら、小遣い足りなくなった時にお願い」

「了解……ここにしよっか」

 そして入った店は、対象年齢が二十代くらいのシックなデザインが品揃えの大半を占めていた。中には十代でも着れそうなものもあるが、それもタイプによっては、だ。

「随分大人びたものを見てるけど……」

「そう……身の丈に合わないと全然似合わないしね」

 稲穂が見つめてくるも、指原は気にすることなく服を選び、試着室の方へと向かった。

「私さ、彼氏いたことがあるのよ……あんたは選ばないの?」

「私はいい。それで?」

 試着室に入り、着替えながらも、指原はカーテンしに自分のことを話し続けた。

「高校受験の後、友達と合コンして知り合った高校生でさ。そのまま付き合ったんだけど、入学前にあっさり別れちゃったのよ。これでも最後までいったのに」

「公共の場で何言ってんのよあんた」

 人様の初体験等聞きたくないとばかりにそっぽを向く稲穂だが、カーテン越しに着替えている指原は気づくことなく話を続けている。

「何って、付き合った相手とは話も考えも合わなかった、ってこと」

 そしてカーテンを開け、試着した姿を稲穂にさらした。

「似合う?」

「似合わない」

「でしょう?」

 稲穂の感想通り、指原が身に着けているのは暗色で彩られたデザインのブラウスと巻きラップスカート。金髪ショートでピアスを付けた指原ではイメージが違い過ぎた。

 しかし指原は気にすることなく、カーテンを閉じて再び着替え始めた。

「別に処女捨てたことは後悔してないんだけどさ……服も男も、自分に合わないのをそばにおいても仕方ないでしょう?」

「その話はよく分かるわ……中学でも自分をよく見せる装飾品(男含む)アイテムしか興味のない馬鹿もいたし」




「……じゃあ、なんで相手を知ろうとしないの?」




 カーテンを開け、服を元に戻した指原は靴を履きながら、稲穂にそう問いかけた。

「別にさ、相手を殺したいほど憎むのをやめろとは言わないわよ。でもあんた、母親どころかその出来事自体なかったことにしたい、って感じじゃない。その辺りどうなのよ?」

「……あんたには分からないわよ」

「分からないから聞いてんの」

 そして立ち上がった指原は、試着していた服を稲穂に手渡した。

「あんたも試着してみたら?」

「私にも似合わないと思うけど……」

「いいから着てみる」

 そして無理矢理に試着室に放り込まれた稲穂だが、締められたカーテンを見ても、すぐには着替えようとしなかった。

「金子ってさ、興味を持っても機会がなければ、試しもしないでしょ? なんでもかんでも見限らずに試す試す」

「……『You can't buy a second with money.』だと思うけど」

 渋々しぶしぶとだが、稲穂は服を着替え始めた。

「そもそもあんたさ、何をもって『時間の無駄そう』だって判断しているわけ?」

「…………」

 カーテン越しでも、布がこすれる音がする。だから指原も試着室の前で、稲穂が着替え終わるのを待った。いや、考え終わるのを待った。

「私から見た世間の常識と、周囲の目と先入観」

「まあ、普通ね。私もそれで付き合い始めたとこあるし」

 音がんだ。

 しかし稲穂は、いまだに試着室から出ようとしない。カーテンを開けずに、ただ試着室内で何らかの葛藤かっとうを続けていた。

「……私だけ、母親がいないのが不思議でならなかった」

 ただ、稲穂の声だけが漏れ出ていく。

「親父もいたし、祖父母もいたから別にさみしくはなかった。他にも親が離婚した子供なんて結構いたし、うちもそうだと思ってた。だけど……社会科研究の課題で自分の戸籍を見て驚いたわよ。…………親父が兄貴で、祖父母が両親になっていたんだから」

「小声でいいから、ゆっくり、話したいだけ話してみて」

 指原はカーテンを背に、試着室の前に立った。

 近づく前にトスン、と布がこすれるのとは違う音がしたからだ。

「すぐに問いただして、私が捨て子だって聞いて、それで妙に……納得しちゃった。だって親父にも祖父母にも似てないのよ。まあ、それで暴れて……中学でもしばらく荒れてて…………祖父母が事故で死んで、それで後悔した。血は繋がってなくても、家族だったんだって、思い知らされた」

「…………」

「その後、一人暮らしを始めた。最初は実家の近くで、次からは学校の近く。時折様子を見に来る以外は特に関わりをもたれなかった。向こうは血縁がないことで警戒されている程度だと思っているけれど……」

「……本当はこれ以上、家族だと言って近づいて欲しくないってこと?」

 カーテン越しで、稲穂に背を向けている。けれども、指原にはなんとなく、うなずいているのが分かった。

「私を捨てた理由は知らないし、興味もないけど……もう家族なんて散々よ」

「その割には、あんた失恋してなかったっけ?」

「失恋して、こうやって話していて、ようやく気づいたのよ。私が……母親を殺したいほど憎んでいる理由、ってのが」

 おそらくは本音だろう、と指原はなんとなく左耳のピアスをいじりながら考え込む。適当な慰めくらいは、今すぐ稲穂に聞かせられるだろう。しかし、それが逆効果だってことは今の、恋愛経験を持った自分には理解できていて、安易な言葉を投げる気になれなかった。

 その間も、稲穂の声が試着室から聞こえてくる。

「別に人間嫌い、ってわけじゃないのよ。ただ家族を持つ、っていうのが理解できないだけ。このまま結婚しない、ってのもありかもね」

「ありじゃない? こっちも処女じゃない経験者ってだけで判断するような男とか勘弁だし。そういうのは相手ができてから考えればいいでしょう?」

「相手、か……その相手が『家庭を持ちたい』とか言い出したら、躊躇ちゅうちょしそうなんだけど、」

 立ち上がったのが気配で分かり、指原が後ろを振り向くと同時に、稲穂が試着室のカーテンを開けた。

「やっぱり似合ってるじゃん」

 実際、そのデザインは稲穂の方が似合っていると言えた。

 長髪で綺麗系、おまけに少し身長がある分、先程の指原と比べると稲穂のために用意されたと言えるほどの差があった。

「指原……あんた、私に合わせて・・・・・・選んだの?」

「そういうこと。試して良かったでしょ?」

 軽くウィンクを投げてくる指原に肩をすくめて見せてから、稲穂は再びカーテンを閉めた。

「たまには悪くないわね……時間をつぶすのも」

「それは良かった。……で、それ買うの?」

「買わないわよ。これそろえるなら後二回、バイトしないと駄目じゃない」

 それは指原も知っていたので、別に気にすることなく着替え終えた稲穂と共に、店を後にした。

「じゃあ次は、パンクファッション行く?」

「いや、もうちょい身の丈に合ったのがいいわ」




 二人はその後もいくつかの店を回り、結局何も買わないままショッピングモールを後にした。すでに夕方になっており、せっかくだからと『珈琲こぉひぃ手製めぇかぁ』まで足をばそうという話になったのだが、

「クラちゃんには会いたいけど……私帰っていい?」

「なんかあったの?」

「万が一の話なんだけど……黒桐に顔を合わせづらい」

「あ、やっぱり黒桐だったんだ。あんたの失恋相手」

 いきなりパルクールの活動コミュニティに混ぜてきたのは蒼葉なのだ。稲穂の相手は誰か等、想像にかたくない。

「まあ実例あるし、憧れるのも分かるけど……あいつただのムッツリよ。昔下着泥棒ドロやりかけたって言ってたし」

「……先に知っていれば告らなかったのに」

「ね、相手を知るのも大事でしょう?」

「そういえば、黒桐も似たようなこと言ってたわね……頭痛くなってくる」

 そんなことを話している時だった。

 丁度商店街に入り、なにやら騒がしいのに気づいたのは。

「……何?」

「さあ……喫茶店の方みたいだけど」

 事情が分からなくとも、何か嫌な予感がする。

 指原は稲穂に目配せしてから、喫茶店『珈琲こぉひぃ手製めぇかぁ』へと走り出した。

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