016 文系男子と理系女子の密談

 それは、終業式の日に起きた。

 稲穂は家庭の事情により欠席、通信簿等は後で取りに来ると、学校側に連絡が入ったらしい。

「今日で部活動も終わりか……」

「夏休みの発声練習も出演者キャスト以外自由参加だしな……」

「と言っても、俺もたまに出るけどな。脚本の調整があるし」

 先程まで行われていたミーティングで夏休みの間の予定を確認した蒼葉は、このまま帰るつもりでいた。帰宅後に稲穂と映画を見に行く予定だが、向こうの用事がいつ終わるのかが分からないので、席はまだ押さえていない。最悪後日に持ち越しとなる可能性もあるからだ。

「ところで今日カミさんいないなら、これからカラオケにでも行かないか? 船本辺りも誘って」

「お断りします。そんなことをすると絶対にあくつがついてくるから、状況的に浮気になるだろうが」

「ああ、そうなると俺も彼女を連れて三対三で……彼女って、どうやって作るの?」

「今朝郵便受けにレンタル彼女のチラシが入ってたんだが、いるか?」

 蒼葉はチラシを差し出すも、鈴谷は問答無用でそれを破り捨てた。

「そもそも未成年ガキが利用できるのかよ? これ」

「それは知らん。何かの足しになるかと持ってきたけど、元から興味ないし」

「女のいるやつはこれだから……」

「だから付き合ってないって、『友達以上恋人未満』の清い交際よ俺達」

 適当に返しながら、蒼葉は鞄をかついだ。

「まあ、それすらも怪しくなってきたけどな……」

 このまま帰るか昼食にどこかに寄るか、どうしようかと考えていた時だった。




「…………黒桐」




 たった今着いたのだろう、教室の入り口を塞ぐように立った稲穂はじっと、蒼葉をにらんでいる。そして腕を組んだまま、あごをしゃくった。

「ちょっとツラ貸せ」

「……校舎裏でいいか? 先行って待っててくれ」

 稲穂を先に行かせると、蒼葉は鈴谷の肩をおさえた。

「悪いが冷やかしはなしだ。ついてくるなよ」

「いや、行くとは一言も」

「分からいでか。俺も同じ状況なら絶対に行くからな」

「……自慢になんねえぞ。それ」

 そして鞄から取り出したとある物を、蒼葉は鈴谷に押しつけた。

「タダとは言わねえよ。他言無用で冷やかしなし、その対価としては十分だろ?」

「お前、これは……仕方ねえな、相棒」

「結局相棒かよ。どうでもいいけど」

 受け取ったものを懐に仕舞う鈴谷に背を向け、蒼葉は稲穂の待つ校舎裏に向かった。

「ところで喧嘩でもしたのか? 金子の奴、微妙に怖かったけど」

「……少なくとも、愛の告白じゃないのは確かだよ」

 心当たりどころか、自らが当事者となっているのだ。蒼葉には稲穂がどのような用件で呼び出したのか、理由はハッキリしている。

「……よし」

 一つ気合を入れると、蒼葉は部室を後にしていった。

「一体何があったのやら……?」

 廊下に出た鈴谷は、教室の壁にもたれながら、蒼葉の背中が見えなくなるまで見送っていた。そして視界から消えると同時に、視線を反対側の窓から見える景色に移している。

「まあ、俺には関係ないか」

「そうだな、余計な首は突っ込まないに限る」

 鈴谷が驚いて振り向くと、そこには船本がいた。

 しかし船本は気にすることなく、鈴谷の懐に手を入れて蒼葉が渡したものを取り出していた。

「『異世界の住人を拉致らちってAV撮ってみた 2.イェッキン王国第一王女近衛騎士フレデリカ』か……まだ観てないやつだから、今度貸してくれ」

「別にいいけど……いいのか、後ろ」

「後ろ……うわっ!?」

 廊下の端に隠れて、圷が顔を覗かせていた。ここからなら話を聞かれているわけではないだろうが、それでも男同時の秘密を教えるほど、付き合いはまだ深くない。

「……今度連絡する。あいつをいた後に合流しよう」

「そこまでして観たいのかよ……もうあいつとくっついたら?」

「まだ人生縛られたくないんだよ。少しは自由にさせてくれ」

 なんて話している間にも、圷が近づいてきている。船本はDVDケースを鈴谷の懐へ素早く戻した。

「船本せんぱ~いっ! ……どうかしたんですか?」

「いや、なんでもない気にするな!」

 不思議そうに首をかしげた圷は、少し考え込んでから鈴谷の手を引いて数歩、船本から離れた。

「……おい、本当だろうな?」

「あの、一応俺、圷ちゃんの先輩。可愛いから脅すのはいいけど、できれば敬語のままでお願い」

「……じゃあ気持ち悪いんで、ちゃんづけしないで下さい。じゃないと若いの呼びますよ」

 鈴谷は廊下の上に正座すると、そのまま頭を降ろした。世間でいうところの土下座である。

「圷、こっちに来なさい。こいつ謝罪にかこつけて、下着パンツ見るようなやつだぞ」

「そこまでしねえよっ!」

 しかし頭を上げる前に、圷が足で踏みつけてくる方が早かった。

「ぎゃふっ!?」

 鼻先を打ち付けてひるんでいる間に、圷は足を退けて素早く船本に駆け寄って行く。

「船本先輩! こいつけだものですぅ!」

「そのけだものの扱い、慣れているんだな……」

 容赦なく頭を踏みつけた圷に若干おののくも、いつものことかとあきらめの境地にひたっていた。

 しかし、たまたま通りかかったとはいえ、気になることでもあるのか、船本はいまだに移動する気配がない。

「なあ、男女の逢引あいびながめているにしては妙な顔をしてたけど、何かあったのか?」

「いや、普通に金子が黒桐呼び出しただけ。なんだけど……」

 打ち付けた鼻をおさえつつ、立ち上がった鈴谷は微妙に重たげに、口を開いた。

「……金子のやつ、微妙に怖かったんだよ。そこがちょっと、気になってな」

「怖かった……?」

「金子先輩が?」

 船本に合わせて、圷も不思議そうに首をかしげていた。

 普通なら蒼葉が稲穂を怒らせたのだろうと考えるところだが、昨日の様子を見る限りでは、そんなことはなかった。

 二人で話をして、用事があるのか授業が終わると同時に稲穂だけ下校して、その翌日である今日、彼女は家庭の事情で休みを取っていて……

「気になるな……あいつら、どこに行くって?」

「聞いてどうするよ?」

 口止めとしてDVDケースを受け取っている鈴谷には、船本達をここで足止めしなければならない義務があるのだ。

「悪いが俺は簡単に口を」




「お前。俺が元不良で、黒桐と知り合う前までは平気で人殴っていたって、知ってるよな?」




「校舎裏です。殴らないで下さい!」

「……あのさ、鈴谷。もう少し俺のこと、信じてくれてもいいんじゃねえの?」

「暴力はもうお腹一杯なんだよっ!」

 稲穂に圷に体育の集団暴行リンチと、最近から直前にいたるまで、鈴谷の生傷が絶えることはなかった。とはいいつつも、船本の方には構ってやる理由も暇もない。

 鈴谷に対して若干軽蔑けいべつ眼差まなざしを向ける圷と共に、船本は鈴谷に背を向けて蒼葉達のいる校舎裏へと向かった。

「……あ、ちょっと待て。圷」

「どうかしましたか?」

 その途中で圷を呼び止めた船本は、近くにある蛇口の並んだ水場に手招きした。




 そして校舎裏。

「悪い、待たせたか?」

「いや……」

 腕を組み、校舎の壁にもたれていた稲穂は、蒼葉が来て声を掛けると同時に、閉じていたまぶたを開けた。

 そのまま壁から離れると、蒼葉の前にまっすぐ、仁王立ちで向かい合った。

「……昨日、親父から呼び出されて、ある話をされた。知っているでしょう、私が拾われたことは」

「ああ……金子から話してくれただろう?」

 今はまだ、稲穂に話を合わせよう。蒼葉はそう決めて、続きを待った。

「そしたら親父がいきなり『母親を見つけた』、とか言い出してな。向こうとももう、顔を合わせているらしい。捨てた時期や場所も、髪の毛使ったDNA鑑定でも、母親でほぼ間違いない、ってさ」

「そうか……それで、金子はどうするつもりだ?」

「知るか……というかいまだに分からねえんだよ」

 組んでいた腕をほどき、稲穂は頭をきながら息をいた。

「そもそも母親が誰かすら、まだ教えられてないのよ。今日も精神的に、とかかこつけて学校に休むって連絡入れさせて、こっそりつけるつもりがかれてしまうし」

「完全に手の内読まれて」




「……ああ・・やっぱり・・・・




 会話をさえぎるように放たれた、稲穂の言葉。

 蒼葉はゆっくりと持っていた鞄を捨て、少しでも動きやすくなるように身構えた。

「おかしいと思ってたのよね……あんたに話して数日したらいきなり『母親らしき人物を見つけた』? 『DNA鑑定でも親子だと証明された』? ……知ってる? DNA鑑定って、個人で調査機関に依頼した場合、結果が届くまで数日のタイムラグが発生するって。そう、あんたに話して数日後の話・・・・・よ。偶然なわけ、ないわよね…………」

 なにより、とつぶやきながら、稲穂は足を前後に広げ、両手の拳を突き出すようにして握り始めた。

「黒桐、あんたさ……最初から『母親は誰か・・・・・?』って聞いてこないけど、私に気を使っているの?」

 普段と違う雰囲気に、殺意に、蒼葉は気圧けおされて、反論どころか口を開くことすらできなかった。




「それとも…………親父に私を捨てた阿婆擦あばずれのことを教えたのは、やっぱりあんたなわけ?」




 構えを取る稲穂に対して、蒼葉はジリ、と足を少し、後ろにずりさげた。

 それしか、できなかったのだ。

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