VRでまで読書してなにが悪い! 〜とある読書好きによる、VRMMO読書家ライフ〜

コーヒーメイカー

第1話 一本の電話

 美味いものが食べたい。

 柔らかい布団で気持ちよく眠りたい。

 地平線の彼方まで走っていきたい。

 人の欲望はそれぞれだと思う。中には理解されづらいものもあるし、人によってはそれをひた隠しにしてる人もいるだろう。俺もそうだから気持はよく分かる。

 俺―――深山三郎さぶろうの欲望は単純だ。文章にすればたった一言で済む。


『ただ本が読みたい』


 しかしたった一言の欲望なのに、現実はいつも困難を叩きつけてくる。

 趣味は読書ですなんて答えたら学校で白い目で見られるし、社会人になっても愛読書に実用書以外なんて答えたら頭ハッピーだと誤解されかねない。なぜ読書好きはこうも肩身が狭いのか。

 おまけに、就職からは更に読書時間が減らされた。朝出社、昼仕事、帰り残業後。土日は家事もしなければならないし、正直読書に集中できる時間はかなり限られるようになってしまった。

 そんな俺の夢は、いつかなんの気兼ねもなく一日中読書して過ごすことだ。そのためには金を貯めてさっさと早期退職したいところだが、俺の安月給ではそれもいつになることか…。

 ただでさえも最近は年金を無くすかどうかが国会論争になっているんだ。そもそも実現できるかどうかさえ、どうなるかわかったものじゃない。

 人にとっては他愛ないことかもしれないが、俺にとっては生き甲斐の問題だ。

 だからそんな切々とした日々に『それ』が転がり込んできたのは、本当にたまたまだった。


「『GWO』?」


 取引先からの帰りだった。昼食のために入った蕎麦屋で、俺はその単語を聞いた。

 その単語を発したのは俺の携帯端末だ。正確には、その相手。俺の妹だった。


「兄貴知らないの?」

 

「俺がそっち関係さっぱりなのは知ってるだろう?」


「これくらいは知っておきなよ? 最近のトレンドだよ?」


「あいにくお前と俺のトレンドは全く違う世界だ。OK?」


 最近は、ぎりぎり作った時間で読書をするのが日課だ。ちなみに俺のトレンドは最近発掘した小説で、題名は『彼女は如何にして殺人鬼となったか』。一人の女の子が周りの勘違いから、気付いたら悪徳役人を殺して回る殺人鬼になっていたという活劇小説だ。

 

「兄貴のカビ臭い趣味はどうでもいいんだよ。また古本?」

「古本言うな」

「今どき紙の本なんて古本と同義語だよ」

「のんびり読むには丁度いいんだよ」


 確かに、最近紙の本なんて珍しい。

 そもそも電子データのほうが場所を取らない。出版にも買うのにも手間がかからない。そういった理由で最近はほぼ電子データが基本だ。紙の本なんてたいてい同人出版がやっているところがせいぜい。ちなみにさっきのやつもそういった奇特な人が個人で出したものだ。

 ただ厄介なことに、俺が憧れているスタイルというのには紙の本がベストなのだ。

 ちなみに俺が描いている理想というのには、いつもどこかの草原の一軒家がでてくる。そこの庭にテーブルを出して、コーヒーを傾けながらのんびり紙の本を読む、というのが俺の理想だ。現実にはそんな場所を探すのも、紙の本を探すのも一苦労だが。

 端末の向こうからせせら笑うような声が聞こえてきた。


「まだそんな理想の世界なわけ? それより彼女探したら?」

「やかましい」


 実際問題、そういう場所を探すほうが大変なのは俺も知っている。

 郊外は基本的に交通の便が悪すぎて都心勤務の俺には不都合だし、そもそも一軒家は安いがボロイというのが最近の基本だ。バブル期に立てられた建物がいい加減限界になっているらしいので、その取り壊し問題が最近騒がれているレベルだ。

 そういうのを買い取って立て直してみるというのも手かなと考えたこともあったが、どう考えても今の状態では時間も金も足りなさすぎる。

 結局理想なんだと言われれば否定できない。

 面と向かって言われれば腹が立つが。


「それで、今日はどうした? そんなことわざわざ言いに来たのか?」


 まあ、いつものことと言われれば、この愚妹の言動もいつものことだ。

 ネットの世界的でのやり取りが多いので、自然と挑発的なものになりがちなんだとか言っているが、たいていこういう場合は頼みごとのたぐいだ。世界的には結構活躍しているようなのだが、本人もなかなか苦労が多いらしい。


「ちげーよ。そんな兄貴のために、妹が一肌脱いでやるってんだ」


 だが帰ってきた答えは、少々想定と違っていた。おかしい。こういう場合何かしら面倒事が大半だったと思ったのに。

 俺が面食らっていると、愚妹の不敵な笑い声がスピーカーから響く。


「兎に角、兄貴。今すぐに『GWO』で検索しろ。そんで、理解したらまたかけ直せ。それじゃ」


 ぶつっと耳元で回線の切れる音がする。

 俺がなんとも言えない表情で端末を見ていると、頼んでおいたそばが運ばれてきた。

 何が言いたいのかさっぱりわからなかったが、まあ、食いながらでも調べられるか。

 そばに七味をかけながら、俺は『GWO』について検索した。ちなみにそれはトレンドのトップを飾っていた。


 *****


『GWO』、正式名称『GRANDIA WORLD ONLINE』。

 世界初の五感体験型フルダイブ型VRMMO。無限に広がる世界のなかに、プレイヤーが入り込むことのできる体験型アクションRPG。

 普通のRPGでできる魔物との戦闘はもちろんのこと、鍛冶、裁縫、農耕、プレイヤーがやりたいと思ったことはほぼほぼ可能。

 キャラクターメイクから、スキル振りはパターンだけで数百万通り、自分の思うがままに作り込むことのできるオリジナリティ。

 ファンタジー世界でもう一つの人生を。すべての行動に意味がある。

 ちなみに、稼働は今夜。

 それらが、俺が検索した範囲内で出てきた情報だ。


「で、これがどうしたって?」


 一応わかったので、もう一度妹に連絡。

 帰ってきたのはため息だ。


「…それだけ? 面白そうだなとか思わなかったわけ?」

「いや、おもったけど、なぁ…」


 もちろん面白そうだな、とは思う。

 俺も昔は妹に付き合ってそれなりにゲームはやったこともあるのだ。これだけ見てもなかなか面白そうだなと思う。

 いくらかホームページにスクショも載っていたのだが、画面はほとんど現実と見分けがつかないほどのリアルさだ。風に草がたなびく草原、街ゆく人々、襲い来る魔物たち。

 そこに、リアルな五感体験を加えた、全く新しいタイプのゲーム。一度くらいは体験したいなと思う。だが、そうもいかないわけがある。


「だって、これ、先着1万名だろ?」


 そんなふうに大々的に宣伝しているのだが、なにせ門戸が狭い。

 もともと、VRMMOというジャンル自体はすでに確立している。ただ、やはりそこはゲーム。いろいろなラグだったり、五感処理だったりで粗が目立つことがあり、人を選ぶジャンルと言われている。

 そこに一石を投じたのが、この『GWO』らしい。

 どこかの軍用のシュミレーションプログラムをもとに、圧倒的な五感再現を可能とし、圧倒的なサーバー能力で組み立てたそれは一つの世界を作り上げるに等しいのだとか。

 そんな風に世界初オンパレードだ。おそらくメインサーバーの処理能力の問題なんだろうが、初回販売は1万名を抽選方式。もちろんすでに注文は殺到していて、すでに完売済み。到底俺みたいな興味本位が入れる余地がない。正直、すごいなぁ以上の感想が持てないのだ。

 俺がそんななんとも言えない感想を漏らせば、また愚妹の不敵な笑いが聞こえてきた。


「…そんなバカ兄貴に朗報だよ。今日、帰ったら荷物が届くから」

「荷物?」

「それ兄貴のだから、ちゃんと使いなよ? …あと、ちゃんと配信見ろバカ兄貴」


 そう言って、妹からの通話は切れた。

 うん。いつもどおり元気そうで何よりだ。

 しかし、一体何だっていうんだ?

 話しぶりからして『GWO』関係でなにか届くんだろうけど、何が届くのか聞き忘れてしまった。

 ひとまず食べ終わったそばの会計を済ませて店を出る。

 まあ、帰ればわかるだろう。俺はそんな気持ちで会社へ向かった。

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