空蝉の少女

福舞 新

第1話 九月一日 夜

 九月一日 晴れ どこもかしこも夏休み明けで、今日の朝は嫌そうな顔で学校へ向かっている小中学生たちがたくさんいた。


 今年も夏休み明けの学生の自殺者は多かった。


 たしか俺が調べただけでも、未遂も含めて今週は十人以上いた。年々増加している、この「夏休み明け、学生の自殺者多い問題」。さすがに政府もまずいと思ったのか、先日、「カウンセリングセンターの増加計画」を発表したらしい。


 違うそうじゃない。


 そんなことをしたって自殺者なんて減るわけが無いと、素人目からしても分かるのに政府はいったい何を考えているのか。だが、俺には関係ない。

 そうして八階建てのマンションの屋上の淵にある段差に上り、車のライトで輝いている地面へと足を進めようとしたのがほんの五分前の出来事だった。


 *******************


 夜の十時半


 俺は本当ならこの世にいなかったはずだ。だが今現在、俺は段差の内側から愛用している煙草を美味しく吸っていた。


「はぁ~……、やっぱ美味ぇわ……」


 俺の名前は碇谷いかりや 正隆まさたか。大学を卒業してすぐ雑誌の記者になったが、入社して約二年半、つまり昨日でクビになり人生が一気にどん底に落ちた哀れな二十四歳だ。


 夜風がまだ若干暑く、夏が終わったばかりだと改めて感じる。マンションの下の道路もこんな時間だというのにまだうるさい。


 さて、ようやくここで本題だ“なぜ俺が生きているか”だ。


「下を見たら予想以上に高くて身がすくんだから?」

 いや、そんなことは無い。


「足を踏み出したら強い突風が跳ぶのを止めてきたから?」

 そんな、漫画みたいに都合がいい主人公補正、俺は持っていない。


「なだ、この世に未練があったから?」

 ……まあこの煙草が吸えなくなるのは今思えば未練になるが……それでもない。


 じゃあなぜか、それは簡単だ「人が突然やってきたから」だ


 あの時、跳ぼうとして右足を出そうとした瞬間だ。

 突然、屋上に出るためのドアが音を立てて開き、誰かがやってきた。俺はとっさに振り返って段差の内側、つまり今立っているこの位置に降り立った。


 なんで、そんなことで止めるんだ。

 というやつもいるかもしれない。だが、俺があのまま跳んでいたらそれを見た人は一生もんのトラウマになるだろ?

 さすがに死ぬ瞬間を他人に見せるのはたとえ俺が死んだとしても後味が悪い。

 つまり、ただの俺のポリシーだ。そしてその入ってきた人と言うのは、俺が煙草を吸い始めてからずっっっっとうるさく俺の後ろで騒いでいる少女だ。


「おーい。聞こえてるー?」


 全部聞こえてるっつーの、早く下に降りろよ。


「ねえねえ、こっち向いてよー」


 うるせぇなあ、もうかれこれ十分近く経つんじゃないか?いつまで呼ぶ気かよ。


 「話聞いてよー」


 やかましい、こんなことになるならあのまま跳んでも正解だったかもな。


 「ねえねえ、おじさーん。返事ぐらいしてよー」


「まて、誰がおじさんだ」


 俺は振り返って反論した。


 しまった。


 つい、反応してしまった。振り返ったその先には、夏のブレザーの制服を着た長い黒髪の女の子が立っていた。正直、こんな夜中に一人で出歩いているのが似合わないような姿の子だ。

 彼女は俺と目が合うと、しかめ面だった表情から一転、すぐに表情が晴れて満面の笑みをした。


「ようやく返事してくれた~!ねえ、おじさん」


「俺はまだおじさんって年じゃねえよ」


 すると彼女は自身の体の前で組んでいた手をほどき、右手を口の前に持って行って驚愕したような表情をした。


「おじさんじゃないって……⁉……じゃあ…………まさか、おっさん⁉」


「よし、その口一回閉じろ」


 そう言ってようやくその子は静かになった。一息ため息をつき、煙草を携帯灰皿に捨て、腕を組む。


「とにかく、あんた誰だよ。どうやら俺のことを知っているようだけど、俺はあんたのような知り合いはいないぞ」


「え~‼知り合いだよ!ついこの前会ったばかりじゃん!」


 夜中だというのにとても大きな声で話してくる。子どもはもう寝てる時間なのだから静かにできないのか?こいつは


「いや、全く覚えてない。じゃあ俺とあんたはどういう知り合いだっていうんだ?」


「おじさん、三日前の夜にベロンベロンになるまで飲んでいたでしょ?」


 その言葉を聞き、血の気が引いた。


 三日前、その日はたしかに駅前のバーで飲んでいた。職場の上司と大喧嘩した日だ。俺が持ってきたネタを見もしないで全く面白くない内容の取材を頼んできたからだ。

 そしてその夜、ムカついたうっぷんを晴らすためにふらりと立ち寄ったバーでヤケ酒をしたんだった。ヤケ酒をしていたことに気づいたのは翌日、財布の中身が軽くなっていたことと、中に入っていたレシートで分かった。


「その時に私がおじさんを助けてあげたじゃん。イ・ロ・イ・ロと……!」


 助けてあげたじゃん、その言葉が頭の中で何度も反響する。


 は?待て、俺がたすけ?


 俺はその夜のことを思い出そうと記憶を振り絞る。

 そう、実はその日のことで二つだけ気になることがあったのだ。

 まず俺はその日、無事に家に帰った記憶が無かった。のにもかかわらず俺は自宅の布団の中で寝ていたことだ。

 そしてもう一つ、俺の部屋になぜか“女性もののハイソックス”が落ちていたこと。付け加えて言うなら、俺はなぜか全裸で寝ていた。


 俺は一息つく。ふぅ


 ヤバい……!全く覚えてないぞ……!こんな若い子に助けられるとか、いやそもそも助けられるって俺とこの子の間にいったいナニが……⁉

 落ち着くんだ……素数を数えておちつくんだ……


 嫌な汗がだらだらと流れてくる。この後、その日に俺がヤバいことをしていたこと伝えられ、警察に御用になり、俺自身が事件のネタになるという最悪の状況まで想像がついた。


「その様子だと覚えてなさそうだけど……どう?あの日は本当にたいへんだったなぁ~‼」




「……全く覚えてません」

 今までの威勢のよさはどこかへ飛んでいったように俺は小声で答えた。


「あははっ!だよね~!」


「何が狙いだよ……?金なら少ししかないけど……」


 震える声で尋ねるが、その子は首を横に振る。


「お金なんかいらないよ。その代わり、一つお願いをかなえてもらおうと思ってね」


「お願い……?」


 おそるおそる尋ねる俺を見てその子は笑った。


「そう!今日から一週間、おじさんの家に住ませて!」


「え?」


「そういえば私の名前、『野々原ののはら ひかり』っていうの。これからよろしくね!」


「は?」


 その日から、俺と光の一週間だけの同居生活が始まった。

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