第3話 二人の少女

 金曜日、自室で勉強をしていると、突然扉がノックされた。


「どうぞ」


 返事をし、体をそちらに向ける。


「お邪魔しまーす」


 程なくして扉が開き、よる――ではなく真昼まひるが僕の部屋に入ってきた。


「いらっしゃい、真昼」

「こんにちは、ようちゃん。さっきぶりだね」


 少しおどけてそう言うと、真昼が僕の側までやってくる。


 時刻は五時をわずかに回ったところ。まだ七時までは二時間近くの余裕があった。


「勉強でもするかー」

「えー」

「冗談だよ。真昼はホントに勉強が嫌いだな」

「別に普通じゃない? むしろ好きな人の方が特殊っていうか、珍しいと思うな」


 そんな事を言いながら、真昼が僕のベッドのふちに腰を下ろす。


 真昼は夜とは違って、間違ってもあぐらをかいたりはしない。というか、それがどちらかと言うと一般的な女子の行動だろう。やつが変わっているのだ、どう考えても。


「僕も別に勉強が好きなわけじゃないけどな。ただ勉強をする事に対して、さほど抵抗がないってだけで」

「それでも、私からしたら十分特殊だよ。勉強するぐらいなら私は、遊ぶ事を選ぶかな」

「だから、テスト週間に苦しむんだよ」

「うっ」


 さすがにその事に関しては自覚があるらしく、真昼が分かりやすくダメージを受ける。


「でも、赤点は取ってないし」

「僕が必死に教えたからな」


 それでもようやく中の下といったところで、学年順位としては真ん中を軽く下回っていた。


「お願いですから、見捨てないでください」

「いや別に、見捨てたりはしないけど。日頃から少しは勉強してくれれば、もっと楽にテスト週間を過ごせるのになって話」

「それはまぁ、そうなんだけど」


 まぁ、真昼の場合、置かれた状況がかなり特殊なので、一概に彼女が不真面目ふまじめだと決め付けるわけにもいかないのだが。


「ホント、洋ちゃんにはいつも助けられてばかりで、なんとお礼を言ったらいいものやら」

「なんだよ、急に」

「いや、なんとなく。そう改めて感じたというか、思ったというか……」

「いいよ、別に。好きでやってる事だから」

「うん……。ありがとう」


 そう言うと真昼は、僕の顔を見て少しはにかんでみせた。


 その後僕達は、下らない話をして時間を過ごした。

 それはある教師の悪口だったりクラスメイトの失敗談だったり、あるいは最近見た夢の話だったり……。


 そんな事を話していると時間はあっという間に過ぎ、真昼が僕の部屋に来て一時間半がもうすぐ経過しようとしていた。


「あ、もうすぐだね」

「あぁ」

「ちょっとゴメンね」


 僕に一言断りを入れて、真昼が自分のスマホに何やら文字を打ち込んでいく。


 それがなんなのか僕は知っていた。メールやラインではない。あれはメモだ。夜に対する真昼からのメモ。

 前もってほとんど打ち込み終わっていたのだろう。真昼のそれはものの数分で終わった。


「お待たせ」

「真昼はさ、夜の事どう思ってるんだ?」

「どうって……。もう長い付き合いだしね。それが当たり前というか、むしろいない状態が考えられないかな」

「そうか」


 まぁ、そうだよな。何を分かりきった事を改めて聞いているんだ、僕は。


 どうやら僕は、自分が思っているよりずっと緊張をしているらしい。

 いつ話を切り出そうかと迷っている内に、いつの間にかこんな時間になってしまった。


 とはいえ、ここで言わなければ、これから先もまた今度また今度と話を先伸ばしにしかねない。言うなら今だ。今しかない。


「あのさ、真昼」

「何? 洋ちゃん」

「僕と」

「僕と?」

「その、なんだ」


 くそ。言うんだろ。なら覚悟を決めろ。逃げるんじゃない。ここで逃げたら一生負け犬だぞ。それでもいいのか? 僕。


 深呼吸を一つ。高鳴る鼓動をなんとか落ち着かせて、僕は自分の思いを真昼に告げる。


「僕と正式に付き合ってくれないか、真昼」


 その言葉に真昼の瞳は大きく見開かれ、次の瞬間そこから涙があふれた。

 長い、一生とも思える沈黙の後、真昼がようやく口を開く。


「はい。喜んで」


 そして僕達は、十数年の年月の末にこうして恋人同士になった。




「いきなりの展開に、さすがの私でも理解不能なんですけど………」


 胸の中から聞こえてきたその声に、僕は驚き、慌てて体を離す。


「こんばんは、よー。思わぬ出迎えに、まだ心臓がドキドキしてるよ」


 そう言って笑う夜の顔は確かに赤く、自らの言葉を見るからに証明していた。


「悪い。こっちも色々と立て込んでて……」


 時間がギリギリな事はちゃんと頭に入っていたが、まさかこの状態で夜を迎えるとは思ってもみなかった。


「けど、その調子だと、上手うまくいったみたいだね」

「あぁ、お陰様で」


 夜の後押しが真昼への告白のきっかけになったのは間違いないし、逆に夜に反対されていたら僕は真昼にきっと告白しなかっただろう。


「ありがとう、夜。僕を認めてくれて」

「まったく、よーは大げさだな。結局、最後はよーと真昼の問題なんだし、私の意見なんてオマケみたいなもんでしょ」

「そういうわけにいくかよ。だって、お前と真昼は――」

「はいはい。とにかく、二人がくっついた事は私にとっても喜ばしい事だから、祝福するし応援もする。だけど、私は私でよーとこれからも仲良くするし遊ぶから、そのつもりで」


 一見すると冗談とも思えるその言葉は、おそらく夜の本心で、尚且なおかつこれでこの話はお仕舞いという彼女からの意思表示でもあった。


「分かった。それは、うん、約束する」

「なら、オッケー」


 そう言って夜が、にぃっと歯を見せて笑う。


 夜のこういうところには、本当僕も真昼も助けられている。

 彼女の性格がこれ程まで明るかったり素直じゃなければ、もっと僕達は色々な面で苦労した事だろう。まぁ、彼女達の特殊な関係性において、仮定の話がどれ程の意味を持つかは知らないが、どうしてもそんな事を思わずにはいられなかった。


洋一よういち、夜ちゃん、ご飯よー」


 まるでタイミングを見計らったかのように、話が一段落したところで、階下から母さんの呼び声がふいに聞こえてきた。


「ご飯だって、行こっ、よー」

「あぁ……」


 夜にうながされ、共に自室を後にする。


「ところでよう、真昼とはキスしたの?」

「はっ!? なんだよ急に」

「いや、なんとなく気になって」

「……まだしてない」


 何せ、告白してオッケーをもらって抱き締めたら時間切れという形だったので、そんな時間とてもじゃないがなかった。


「ふーん。なら、私もまだしない方がいいか、よーと」

「へ?」


 今、なんて……?


「ほら、何してるの? お父さんとお母さん待たせてるんだから、さっさと歩く」


 突然廊下ろうかの途中で立ち止まった僕に、夜が同じく立ち止まり、そうリビングへの移動をき立てる。


「……」


 とりあえず、行かないわけにはいかないので、夜に言われるまま、廊下を進み階段を目指す。


「なぁ、夜」

「なぁに?」


 先を歩く夜が、振り返らずそう答える。


「もし良かったら僕と付き合わない?」

「うーん。考えとく」

「あっそ」

「てか、他の女の子と付き合い始めてすぐに、別の女の子に告白ってさすがに非常識じゃない?」

の女の子だったらな」

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