かめんの告白
青豆
告白
ペンを取ると、喪失感が襲ってきた。闇のような喪失感。
新聞は大きな見出しで、ソレについて報じていた。
昨晩、私が勤める館の令嬢である、冬華様が亡くなった。目がくり抜かれ、服が少し投げていた。強姦の後殺されたのかと最初思われたが、その後首を締められた跡が見つかった。首を締められて殺された跡、目をくり抜かれた、ということだ。
私は、お嬢様について書き残さなくてはならない。それは義務であり、本能でもある。
私は私の内なるものの告白を、お嬢様の死を通して、ここに書き残す。
手記
まず私がお嬢様に、主従を超えた感情を抱いていたことを、ここに告白せねばなりません。それはあるいは、なんの弔いにもならないのかもしれませんが、これは私自身の解放でもあるのです。
私は幼い頃、両親を亡くしました。家が燃えたのです。私はその時のことを鮮明に覚えています。鮮明すぎるほどに、覚えているのです。それは悲しむべきことなのかもしれません。しかし、私はその時の火の赤さを、熱を、そして慟哭を覚えていることに感謝をしているのです。その出来事は私に、文字通り悲しみを痛いまでに焼き付けたのです。
私は幼いながらに天涯孤独の身となりました。親類はいましたが、私の両親はとある宗教にのめり込んでいて、周りからは忌み嫌われていたのです。
他人の命を奪いゴミ箱を漁る人生をも、私は幼いながらに覚悟しました。私は当時7歳でしたが、それは7歳にはあまりに過酷なことではありませんか。しかし、私にはそれ以外道が残されていなかったのもまた、事実なのです。そうせねば、私はもう少し残酷な人生を歩んでいたかもしれないのです。私は娼婦になどなりたくはなかったのです。
そんな逆風に飛ばされそうな私を拾ってくださったのは、冬華お嬢様でした。浮浪児のように荒んだ目つきの私を、お嬢様は拾ってくださったのです。
私はお嬢様に拾われた時、ちょうど人の暖かさというものについて忘れ去ってしまいそうな時分でした。屋敷に着いた時、私はまず温かなココアを飲ませていただきました。その時のココアの甘さと暖かさは生涯忘れることはないでしょう。
お嬢様は私に、「名前はなんというの?」とお聞きになりました。しかし、私はそれに答えることができませんでした。私は、私であることを忘れたかったのです。なので私は、
「名前はありません」
とだけ答えました。
するとお嬢様は私の心中を察してくださったのか、「そう。なら私が名前をつけてあげましょう。そうね、春にしましょう。私が冬で貴方は春よ」
冬という、名前に似付かないほどに暖かい微笑みでした。お嬢様はその深く、こちらが飲み込まれそうなほど美しい眼差しで私を引き込むのです。私の錆び付いた心は、その日以来お嬢様の所有物となったのです。
私は7歳でお屋敷に使えることとなったわけですが、子供というのは吸収が早いもので、私はすぐにお嬢様のそばに控える仕事をまかされるようになりました。しかし、それはお嬢様のご好意だったのかもしれません。
仕事と言っても、お茶を入れる程度のことでした。時にはお嬢様が「寒いから、私の布団に入りなさいよ」と、私をご自分の布団に入れました。それも、今思えば7歳で親を亡くした私に寂しい思いをさせまいとする、お嬢様のご好意だったのです。
同じ布団で寝た時、お嬢様はご自分のことについてよく話してくれました。本の話もしてくれました。布団の中で触れたお嬢様の手や、本の話はその後の私を構成する大事な一部となったのです。
そうして仕えて私は、お嬢様に敬愛以上のものを抱くようになったのです。
私はついにお嬢様に仕えて8年になります。私は8年の中でお嬢様が優雅さを欠くところを見たことがありません。時々思うのです。月もお嬢様のようにいつも欠けることなく満月であり続けたならば、世界の歴史は大きく変わっていたのではないか、と。
しかし、私はその損なわれない優雅さを危惧もしていました。お嬢様のその優雅さは、誰にでも無償で与えられるものでした。どこの馬の骨ともわからない男に言い寄られることも、少なくなかったのです。
私はお嬢様がそういった男に汚されないかが心配だったのです。満月の如く欠けない優雅さは、決して人を疑わぬ純心でもあったのです。
私のその心配は、ある会合を機にできたものでした。
私が仕えていたのは、戦後解体された財閥の名残の名家でしたので、様々な有名人が集まる会合がしばしば催されました。
お嬢様はそういう時とても美しいドレスを着ますが、その日は背中を露出したドレスでした。私はそばに控えていましたが、男の下卑た視線を四方に感じ取りました。あぁ、男とはなんと醜いものなのか。私はそう思ったのです。
しかし、お嬢様はその視線に気付いても嫌な顔をしません。もちろんそれは、名家の令嬢として世間的を意識なさった行動であるのでしょう。お嬢様はそういった下品な男にも、その深い眼差しを向けるのです。
私はそれが心苦しくて仕方がありませんでした。なので、私は一度お嬢様に言ったのです。「お嬢様。お嬢様は人を疑うことを知らなすぎます。私はそれを見て不安になるのです。たまらなく、たまらなく不安になるのです」
「あら、春。心配してくれてるのね。でも心配は無用よ。私だって善なる心と悪しき心の見分けはつく。私はちゃんと内側に壁を作っているのよ。だから大丈夫なのよ」
私はその時、なんと返したのでしょうか。「そうですか」と返したような気もします。「お嬢様はわかっていません」と返したような気もします。もしかしたら、結局何も言えてないのかもしれません。私はとにかく覚えていないのです。
とにかく、お嬢様は私の心配など他所に、どんな人にもその深い目を向け続けました。
いつからでしょうか。その深い眼差しが、私以外の方は向くのが嫌になったのは。ただ私の心が嫌がっているのだと、気付いたのは。
私はそこでペンを置いた。外は暗い。きっと夜中だ。この部屋はもともとお嬢様と私が一緒に住む部屋だった。しかし、お嬢様はもういない。お嬢様のいない部屋はがらんとしていて、華やかさというものがなかった。
なんとなく壁を見やると、壁にかけた仮面と目があった。夜の仮面というのは、少しばかり不気味な雰囲気を纏っていた。
しかし、私は平気だった。そう、平気なのだ。
私はお嬢様の最期の顔を思い出した。お嬢様は死ぬ寸前まで美しかった。首を締められ、絶望したその顔はあらゆる芸術品より美しかった。
「貴方のこと、信じていたのに」
それがお嬢様の最期の言葉だった。
違う。違う。悪いのはお嬢様だ。私は、お嬢様の深い目が他の方を向くのが嫌だっただけなのだ。だから、私はお嬢様を殺したのだ。
お嬢様を失うことは酷く辛い。
しかし、仕方ない。お嬢様の目は、私以外を向いてはいけないのだ。
私は壁の仮面の目をもう一度見た。
今はもう私のことしか見ていない。
かめんの告白 青豆 @Aomame1Q84
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