邪神城連続殺人 ――赤いチャイナドレスの妖魔――

烏川 ハル

プロローグ

序章(前編)「山の中で」

   

「この山の向こう側には、かなり大きな神社があるようね。一郎いちろうさん、行ってみませんか?」

 道端に設置された案内板を見ながら、俺に提案してくる珠美たまみさん。

 まつ毛が少し長いのが特徴的だが、それ以外は平均的な、良く言えば整った顔立ちをしている。お気に入りの――今も着ている――白い清楚なブラウスが、スレンダーな体型に上手く似合っており、洋装であっても『和装美人』という雰囲気を漂わせていた。

 三十代でありながら、そうとは思わせぬ魅力を感じさせる女性……。

 もう「今さら」なのだが、一瞬、彼女に見とれてしまってから。

 俺は視線を、珠美さんが見ていた案内図へと向ける。そこには『白蛇神社はくじゃじんじゃ』という名前が書き込まれていた。

「ああ、面白そうですね。白蛇神社……。名前からして、何だか『いかにも』という感じで、曰くありげで」

 ここまで俺たちは、緑に囲まれた山道を、快適に歩いてきていた。

 山道といっても、それほどアップダウンは激しくなく、そもそもアスファルトで舗装された道路だ。また、緑に囲まれているとはいえ、生い茂る木々の葉に遮られているわけでもない。見上げれば青空が広がり、いくら歩いても疲れを忘れてしまうような、独特の爽快感があった。

「では、決まりですわね」

 と、朗らかな笑顔を浮かべる珠美さんと一緒に。

 それまでのアスファルト舗装とは異なる、土が剥き出しの部分へ――本当の山道へ――、俺は入っていく。

 ただ白蛇神社へ行くだけならば、ぐるりと山を迂回するという選択肢もあったのだが、二人とも暗黙の了解として、山越えルートを選択したのだった。


 そうして、しばらく歩いたところで。

「道を間違えたのかな」

 わずかに苦笑いを浮かべながら、俺は呟いた。

 山頂までは問題なかったのだが、下山する道が違っていたらしい。いくら歩いても、神社なんて見えてこなかった。

「一郎さんの言う通りね。たぶん、隣の道が正解だったのでしょう」

 別に俺は、珠美さんに向かって告げたわけではなく、完全に独り言だったのだが……。

 とりあえず、ここまでの山道を改めて思い返してみる。

 間違えそうな分岐があったのは、やはり山頂だろう。そこからくだる道には、だいたい立て札が付いていたが、それがない細い道もあった。

 そして「白蛇神社へ」という立て札が刺さっていたのは、道と道との間。どちらのルートを示しているのか、少しわかりにくかった。

 珠美さんの言葉に納得して、はっきりと俺は頷いてみせる。

「そうですね。一本隣が白蛇神社への道だったならば……。いったん山頂まで戻るべきか、それとも、白蛇神社へ行くのは諦めて、このまま下山してしまうか。どうします?」

 この時、俺の念頭にあったのは空模様だった。

 山を登り始めた頃には抜けるような青空をしていたのが、いつのまにか、すっかり雲に覆われていたのだ。そのため、まだ日暮れでもないのに、辺りは暗くなり始めていた。

 暗い中で山道を進むのは危険。特に、俺も珠美さんも、本格的な登山装備というわけではない。しょせん『巡礼の旅』の途中なのだから。

 そう俺は思うのだが、珠美さんは、そんな心配はしていないらしい。彼女は小首を傾げながら、

「そうねえ……。でも、わざわざ山頂まで戻らなくても、正しい道へ合流できるのではないかしら」

 と、右側の林の方へ視線を向けた。


 植物には詳しくないので、何の木なのか、俺には全くわからない。だが気にもならなかった。ただ重要なのは、林には下草も生えておらず、また木と木の間隔も広い、ということ。人が通るには十分であり、見ようによっては、そこに道があるようにも思えた。いわゆる獣道けものみちかもしれない。

 元来、山道というものは、流動的なものなのだろう。通行可能っぽいところを人々が歩くうちに、だんだんと踏み固められて、また岩や大木などの障害物も取り除かれて、自然と道が形成されていく。逆に、以前は道であったところも、人々が通らなくなると、倒木が放置されたり、雑草が生い茂ったりして、道とは言えなくなっていく。

 そう考えた俺は、珠美さんに同意してみせた。

「……そうですね」

 正直、自分の判断よりも彼女の考えの方を信用したい、という気持ちがある。珠美さんは聡明で、人生経験も豊富な女性なのだから。

 それに……。俺の出自を考えても、やはり「珠美さんの判断に任せよう」と思えてくるのだ。この世界の常識には疎いという一面が、まだ俺にはあるのだろうし。

 こうして俺たち二人は、右手の林の中へと入っていく。ほどなくして林を抜けて、少し前に通っていたのと似たような山道に出くわした。

「ほら、神社への道に辿り着いたみたい。これを行けばいいと思いますわ」

 そう言って俺の方を向く珠美さんは、この日一番の、天真爛漫な笑顔を浮かべていた。


 しかし。

 その道は、俺たちが想定していた『神社への道』などではなく、別の経路から分岐して出来た道だったらしい。

 全く方角もわからなくなるほどに、酷く曲がりくねった道だった。またアップダウンが激しいために、今進んでいるのが本当に下山する向きなのかどうか、それすらも怪しくなってきた。山道にはありがちな現象かもしれないが、それにしても程度が激し過ぎだった。

 一時間か二時間くらい、半ば無理して――いや「意地になって」というべきか――、そんな道を進んでみたのだが……。

 さらに道幅が細くなり、もはや獣道けものみちとも呼べなくなってしまった。

「この先は、もう道なんて存在しないみたいね。これ以上は進めないわ」

 さすがの珠美さんも、困ったような表情になっている。もしかすると「自分が提案した結果、こうなってしまった」と責任を感じているのかもしれない。

 そんな珠美さんを見ていると、少しでも彼女の心をほぐしたいと感じる。

「確かに、これ以上は無理みたいですが……。でも珠美さん、少し前の場所で右手の林を見ながら『あら、こっちも道かしら』と言っていましたよね? あの分岐点まで戻りましょう」

 つまり「珠美さんのおかげで現状から脱出できそうです」というニュアンスだ。

 我ながら上手く提案したものだ。そう俺は、内心で自画自賛していたのだが……。


 失敗だった。

 同じように「行き詰まったら、少し戻って、別の分岐へ」という場当たり的なルート修正を繰り返した結果。

 完全に俺たちは、山の中で迷ってしまっていた。

 しかも、さらに悪いことに。

「……あら」

 空を見上げて珠美さんが呟くのと、俺が頬にポツリと水滴を感じたのが、ちょうど同時だった。

 そう、雨が降り始めたのだ。


 もちろん二人とも、傘は持参してきている。俺たちは登山服こそ着ていなかったが、それでも動きやすい格好をしており、それぞれ荷物は背中のリュックサック一つにまとめていた。折り畳み傘もその中だ。

 しかし今は、道だかどうだかわからないような細い獣道けものみちを進んでいる真っ最中。大げさな言い方をするならば、山の緑をかきわけて道なき道をゆく、という状態だった。当然、傘を差したら歩きづらい。

 山道に入るのであれば、傘ではなく、雨合羽が必要だったのだろう。今ごろ気づいても後の祭りだが。

「これ……。本降りになりそうね」

 と、珠美さんが言うように。

 最初はポツリポツリ程度の小雨だったが、それも一瞬。すぐにザーザー雨に変わってしまった。

 これでは、傘を差さずに我慢する、というわけにもいかない。それどころか、これほど強い雨ならば、そのうちに足下も、ぬかるんでくるのではないだろうか。

 そう俺が心配する間にも、珠美さんは、背中の荷物から折り畳み傘を取り出していた。彼女に倣って傘を開きながら、提案してみる。

「珠美さん、どこかで少し休みませんか」

「そうね。雨宿りできる場所を見つけましょう」

 とはいえ、今の俺たちにとっては、その『雨宿りできる場所を見つける』ことこそが、至難の業かもしれないが……。

 俺の内心を知ってか知らずか、珠美さんは、さらに先へと進んで行く。歩くペースも少し上げたようだ。

 傘を差したまま並んで歩くのは無理なので、俺は後ろから付いていくことにする。

 この時の俺は――いや俺だけではなく珠美さんも――、行く手に待ち受けている事件について、まだ何も知らなかった……。

   

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