救われない僕たちは
レン
プロローグ 364日目
英雄
王都ソレイラの郊外に位置するこの村は王都ソレイラへと供給する作物を生産することを生業としており、穏やかな時が流れる中で子供たちは大いに遊び、大人たちが美しい労働の汗を流せる場所だ。
そして、時間的には作業を切り上げた大人たちが今日の晩酌はどうしようかと楽し気な声の相談が聞こえてくる頃合い。
しかし今、空を覆う厚い雲の下で村を包むのは断末魔に似た悲鳴と、うめき声、そして木造の家々を焼く業火。
ここにあるはずの平凡ながら平和の象徴ともいえる光景は見る影もなく、炎を帯びた唸るような風が肌を焼き、地の獄の如き凄惨たる景色が目を穢す。
その地獄の最中に立つモノは獅子の頭と蛇の尾を持った異形の存在。
頭から尻尾の端まで長さは10mを優に超え、四肢の太さは人間の胴の3倍、胴の太さはその2倍、口から止めどなく溢れ出す靄のような炎は地面に着く直前で空気に溶けるように消える。
冷気の様に溶ける炎も、それを吐き出している化け物自体もこの世の物質や常識からは大きく外れている存在であるという事は想像に難くない。
ソレの牙と爪は見る者の全てを刈り取るような、触れるまでもなく対象を傷つけてしまうような恐ろしい輝きを備えており、人間などが抗う由の無いその存在はある意味で神であった。
標的を探すように首を伸ばしていたソレは自らの視界の中に何かを捉えたのか、前足を上げると地面を揺るがしながら一歩一歩踏みしめるようにして歩き始める。
ソレの視線の先に居たのは20代中ごろとみられる女性の姿で、化け物を前にして余りにも弱弱しいその体から、
「いやああああああ!!!!来ないで!!来ないでぇ!!」
叫び声を上げながら、彼女の子供とみられる少女を庇うように自らの腕の中に抱き込んだ。
娘を守ろうとする儚い母の姿は人ならざるモノの目にはどのように映るのか、彼女の悲痛な叫びはその獣の耳に届いているのだろうか。
もっとも、何を映そうが何を聞き取ろうが、ソレが為すべきことは一つなのであろうが。
巨体を揺らしながら獲物の前にたどり着いた異形は
「グルアアアア!!!」
轟く叫びを上げながら、残酷なほどに鋭く光った爪を叩きつけるように振り下ろす。
我が子だけでも守り通そうと地面にうずくまるようにした女性は猛烈なスピードで来襲する刃に対抗する術を持たず、脆弱な人の体は異形の一振りの元に断絶されるかに見えた。
その刹那、荒んだ空気ただよう大地を一筋の閃光が駆け抜け、
_____ガキィィン!!
鈍い音と共に周囲の大気がビリビリと震える。
音と衝撃の発信源に居たのは羽織ったマントを風に揺らがせる一人の黒髪の青年。
化け物の凶刃は母子の体に触れる寸前で彼の刀によって受け止められていた。
青年は頭上に両手で構えた剣で化け物の攻撃を食い止めており、自身の胴の何倍もある異形の前足を前にしても押し負けるどころかピクリとも動いていない。
受け止めた側も人の中では大柄な方とは言え、10倍近い全長の差がある存在の攻撃をモノともしないという目を疑う状況はさらなる驚愕への前兆に過ぎない事を直ぐに知ることになる。
数秒の力の均衡の後に青年の持つ剣の全体が青く光り始め、
「・・ハア!!」
力の籠った掛け声とともに、彼は自らの視界を覆わんばかりの前足を弾き飛ばしたのだ。
化け物にとって想定外の反撃だったのか、あるいは青年の力がソレの巨体を凌駕するほどに強力であったのか、化け物の巨体はひっくり返って二回転程してから再び正面に向き直る。
獲物を奪われた怒りからか、充血し爛々と殺意に燃える目を向ける異形の怪物の視線を前にして、
「お待たせしてすみません!私が必ず守ります!」
青年は化け物の方向に注意を払いながら、背後の二人を気遣うように顔の半身だけを後ろに傾けて力強い言葉を投げかけた。
連続して起こった現実とは思えない光景に目をぱちくりとさせながら青年の方を見る女性と彼女の腕の間から顔を覗かせる幼子。
そんな二人を尻目に剣を右手に持ち替えた青年は片膝立ちになって地に左手を着けると、
「グレイ!」
呪文のような言葉を唱えた。
すると、彼の後方、母子の周囲3mほどの地面が4mほど上にせり上がり、一瞬のうちに円柱のような形状のモノが現出する。
戦闘の渦中から離れたその地面の一角は地表を這う恐怖の熱波から母子を守る、急ごしらえの避難所として機能を与えられた。
一言のうちに地面を操った青年は振り返ることはせずに立ち上がると、先ほどまで地に着かれていた左手を今度は自身の前方に掲げるようにして、
「ウィル!」
続けざまに唱える。
その言葉に合わせて、どこから吹いてきたのか優しくも確かな質量を持った突風が周囲一帯を撫でるように通過し、家々を焼き尽くさんとしていた業火を一瞬にして鎮火させた。
まるで焚火に水を掛けたかのようにパタリと火の手が収まった光景は不可解というほかなく、青年のやることなすこと全てが人智を超えているのは明白。
この理解が追い付かない状況の中で、ただ一つ確かなことがあるとすれば絶望的としか形容できなかった状況を一変させたこの青年が人類の敵でなかったことは幸運というほかにないということだろう。
人命の安全と家屋炎上の鎮火という現場の応急処置を行った青年は最後に残された最も厄介で邪悪な対象と相対すべく、前方に向けたのは射貫くような鋭い視線。
「グルルルル!」
その眼光とぶつかったのは唸り声を上げる化け物の殺意の波動で、静かに切られた開戦の火蓋に、少しでも守るべき者から離れようという判断であろうか、青年は剣を右手に握りながら前方に向かって猛然と走り始めた。
それを受け、迎え撃つべく始動した化け物の巨体は図体に似合わず俊敏で、青年を押しつぶさんばかりの威圧感を放ちながら四肢を前に進める。
鏡に映したように同じタイミングで標的に歩を進め始めた一人と一匹の距離はあっという間に詰まり、あと数歩で互いの間合いに入ろうかという所で、青年の足が突如として地を踏み蹴った。
次の瞬間、マントを翻した青年の体は遥か上空に飛び上がっており、化け物の獅子の頭を優に見下ろせる位置にまで飛ぶ脚力は人のそれを凌駕している。
獲物の跳躍の動作を見逃さなかった化け物は地面を揺るがしながら急ブレーキをかけると、重力によって自身の方向に落ちてくるしかない青年の体に焦点を合わせた。
雲を背景に上空を舞う青年は自由に動くとはいかない状況でも顔色一つ変えずに右手で握っていた剣を両手で握り込むと、
「大地を穢す魔族よ、ここは人の世だ!」
天地の法則に身を任せて化け物の胴体へと落下していく。
天から降下しガラ空きである胴に必殺の一撃を狙う青年に対して、
「グルアア!!」
攻撃の的が狙いやすい化け物は獅子の口から叫びを上げると、蛇の頭を持った尾の先から毒々しい粘液の塊のようなモノを吐き出して妨害を試みる。
空を裂きながら進む紫色の塊は明らかに有害そうで、当たればただではすまいであろうことは火を見るよりも明らかである物質は上空で機動力を失っている青年の元に一直線。
恐らくは直撃以外でも被害が発生するであろう、自身に向かってくる危険物に一瞬思案するような表情を見せた青年は剣に力を溜めるようにすると、
「エルフローラ」
剣を振りぬきながら唱える。
それと同時に振るった剣の軌道に合わせるように彼の前方に扇状に氷の道が空気を凍てつかせ、冷気の波動に触れた毒らしき物体は一瞬で氷の塊へと変わり、そのまま化け物の胴体の上に落ちていった。
靄のような冷気の余波の中から姿を現した視線の先の化け物の体を見下ろしながら、
「足掻くな」
一言ポツリと吐き捨てると、落ちていく氷塊の後を追うように異形の胴体へと迫る。
その体から感じるのは力の集約、とてつもない力を人の身一つに宿していることによる溢れんばかりの暴の鼓動。
「グラァ!!」
ただならぬ気配を発しながら近づいてくる青年に対して怯えるような動揺を見せた化け物は獅子の頭から燃え盛る火炎を吐き出し、命の危機を遠ざけようと抵抗をみせた。
下からせりあがってくる熱波に顔を照らされた青年は両手に握った剣と共に体全体を逸らせるように、柄を掴んている両手が自身の頭の後ろに来るほどに振りかぶると、
「バルフレア!」
自身を包み込まんばかりの火炎に向かって、いつの間にやら黒い赤みを帯びていた剣の切っ先が当たるように瞬間的に振り下ろす。
それは正に一瞬かつ一太刀の出来事で、
______ドゴオオオン!!
すさまじい爆発音とともに刀身から黒く扇状に広がった空気の炸裂は火炎を振り払うだけにとどまらず、その下の異形の化け物の体を真っ二つに叩き伏せた。
分厚いという言葉ではとても表現しきれなかった肉の塊はものの見事に一刀両断され、荒ぶっていた生命の呼吸は鼓動を止める。
全てを穿った黒い空気の爆砕は地面に着くか否かというところで消え、ほとんど同時に青年の足も地面を踏みしめた。青年の着地点を境に前後二つに割れていた化け物の胴は程無くしてズシンという音を立てて地面に崩れ落ちる。
中身を失った二つの大きな肉塊が大気に溶けていくのを見ながら青年が剣を鞘に納めようとしたとき、彼の後方からいくつもの馬の蹄鉄と金属の擦れる音が迫り、
「ジークバルト様あああああ!ご無事ですか!!」
最期に聞き馴染みのある野太い男の声が聞こえてきた。
ジークバルトと呼ばれた黒髪の青年は剣を鞘に納めると声のした方向に向き直り、
「ラルフ隊長。・・私の方は問題ありません。それよりも負傷者の救護をお願いします。家屋の延焼は押さえましたが、下敷きになっている人がいるかもしれません。捜索をお願いします」
視線の先の者を認めると軽く周囲を見渡し、幾人かの負傷者や崩れ落ちた家屋を確認してから言葉を投げかける。
ラルフと呼ばれた、白髪で30代前半頃のガタイの良い兵士はジークの指示を受けると、自身の後方に付いてきていた10人ほどの彼と同様に鎧をまとった兵士の方を向き直り馬上から、
「了解しました!・・・総員!救護と救助だ!かかれ!」
声を張り上げて指示を与えると、自身が真っ先に馬を降りて負傷者の元へと駆けていった。
威勢よく駆けだしてゆくラルフの背を見送ったジークは自らが作った土の円柱の元に歩み寄り、それに右手を置く。すると、円柱はゆっくりと地面に引きずり込まれるように降りてきて、やがて平坦な地面へと戻った。
元あった場所に戻ってきた地面の上でへたり込んでいる女性と彼女の腕に抱かれている少女の頬を伝う涙はまだ止まらぬようで、目には充血の色が浮かぶ。
そんな二人の様子を見て面食らったのか、ジークは先ほどまでの猛烈な戦闘からは想像できないほどにアワアワとした表情を見せた後に、
「も、もう大丈夫ですから、泣かないでください!」
守り抜いた二人を安心させようと言葉を絞り出した。
ジークのその対応からは相手を思いやる繊細な優しさが見て取れ、否が応でも溢れるのは好い人感。
恐怖の余波と取り戻された平穏のギャップに涙ぐみながら、
「・・グスッ・・あ、ありがとう・・お兄さん」
「あの・・ほ、本当にありがとうございました。・・・貴方様は?」
娘と母はどうにか謝意を口にし、女性は瞳に映った長身で黒髪の自分よりも年下に見受けられる青年の素性を尋ねる。
一先ず口を聞けるぐらいには気持ちが落ち着いた二人にジークは少しニコリとすると、
「王国親衛隊スペラーレのジークバルトです。太陽の国の民を守るのが我々の使命ですから、当然のことをしたまでですよ。アナタたちが無事で本当に良かった」
優しい口調でそう言った彼の白いマントと刀の鞘には金色の太陽の紋章が刻まれていた。
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