第四話 天国

 「別に、今じゃなくてもいいんだよ?」

 

「今がいいの。行ってきます」


 私は、文字通り、いてもたってもいられなくなった。


 焦る私を落ち着かせる声に従う余裕もないほどに、焦っていた。


 玄関を足早に出ていく。突発的に、SNSに投稿された動画内の、ヒーローが倒

れこむ怪獣に繰り出す拳と足を思い出して、戦慄する。


 もう起こってしまったのに。きっと今更だろうに。


 日曜日。


 彼に、会いに行く。






 ヒーローに逃げられた翌週の日曜日。


 この曜日は、いつも早起きしていた俺だが、今日ばかりは、ヒーローとして活動し

たくなかった。


 デジタル時計の時間は十二時十三分を表示している。


 「さて…」


 俺は、重い腰を上げる。ぐっすり眠れたものの、むしろ寝すぎてしまい、逆に身体

がだるい。


 支度をしなければいけない。


 ちょうど先週の夜に、母から言われた「仕送り半減」が、声のトーンからこれは

本当だと判別し、衝動的にその翌日、ファストフード店に面接の希望を出してい

た。


 今日は日曜日で忙しいはずだが、稼働するスタッフが多いから、そして面接を希

望する他の学生も平日よりは自由だからまとめてやってしまいたい、という理由か

ら意外にも週末になった。


 俺も、好都合だった。怪獣に逃げられた悔しさに屈して戦闘に出ないわけではな

く、バイトの面接という立派なリアルの事情があるから行けないのだ、と自分を正

当化できる。


 面接は、一人ずつ事務室の狭い仕切りの中で行われた。


 「じゃあ、明後日の夕方から、よろしくね」


 「はい…」


 想像していたよりも聞かれることが少なくて、あっさりと採用になった。バイト

ってこんなものなのか。準備不足で相手にも伝わるほど怯えてしまったことに後悔す

る。


 デスクトップパソコンとマウスなどが置かれていたことから店長のスペースと予想

できる狭い仕切りを抜けて、帰宅しようとする。


 俺が一番先だったようで、順番待ちの人間が三人いた。


 髪がもっさりとしている地味で大人しそうな男と、その男とは正反対のスポーツ

マンのような短髪で、それに似合うたくましい体格の男。


 全員が一斉に、出てきた俺の方を見る。地味な方の男は、俺のことを見ても赤の

他人のようにすぐに目線を逸らしたが、もう一人の強そうな男は、俺のことを鼻で

笑うようにしてじっと見ていた。目が合ってから、すぐに俺は目を逸らす。あんなや

つ、今の時間帯の俺なら、一瞬で伸してやれるのに。


 そしてもう一人は、俺に一瞥をくれたかも分からないほど、スマホの画面に夢中だ

った。


 女の子だ。


 毛先が首に掛かるか掛からないかくらいの長さの茶髪と、顔はよく見ていないが

丸みのあるような形、目はパッチリと大きかった。


 俺は、思わずにやついてしまいそうだった。綻びかけた口を何とか引き締める。


 そして、照れか恐怖のようなものから逃げるように、事務室のドアを開けて、外階

段を下って行った。


 あんな可愛い子と一緒に過ごせて、お金も入ってくるなんて、ラッキーにも程が

ある。天国だ。


 そんなことを考えていたこの時の俺は、どれだけ愚かで浅はかだったことだろう

か。


 そして、十八時になり、ヒーローから生身の人間になる。


 外見は特に変わりはしないが、目の前の景観は急変する。


 転送される場所は、都会のど真ん中、とは遥か彼方、俺の実家の近くにある河原

である。


 『神』にもらったメモの通り、毎週日曜日の転送される場所は、『継承』された

時点での場所になるみたいだ。


 ヒーローになって意外にも損をしたことが一つあって。


 今、この状況だ。


 電車で二時間かけて、都会に戻る。家に帰りついたころには、二十一時を回って

いて、溜まってしまった週末の課題を急いで始末する。


 そこから、友達のいない寂しい平日へと戻る。


 ヒーローになってから、日曜日のヒーローになれるたった九時間が、俺にはかけ

がえのない時間だった。



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