第26話 2
あの日のことは、よく覚えていた。
勉強もよくできていた俺は、いつだって学年の中では一位の成績だった。生徒にも
教師にも認められ、それが原動力になり、一位になり続ける努力もできた。
俺のことを妬むやつもいたが、そんな人間は、勢いと暴力と周りの人気で圧倒し
てやった結果、誰も俺に文句を言うやつはいなくなった。
完璧で、常に上の立場としていられることが嬉しかった。中学の時も、もちろん
生徒会長を務めた。
「あら、すごいじゃない! また一番!」
学年一位なんていつものことだから、別に嬉しいなんて気持ちもない。それでも
母は、俺のことを毎度のこと褒め続けていた。俺のことだけじゃなく、ジュニアの
バスケで県代表の選手に選ばれた弟のことも平等に褒め続けていた。
母は、俺たちのことをほめてくれる。母は。
「当たり前だ。うちの子なんだから」
俺たちのことなど、ほとんど興味がない。
特に弟のことは、よく否定していた。バスケットで食っていくわけでもないのに下ら
ない、とあいつが毎日残って自主練していることも知らないで、そう吐き捨てるなど
して、弟をよく泣かしていた。
勝って当たり前。そうやって今まで俺は生きてきた。
俺以上の人間なんて、あの学校にはいない。教師だって中学生の時は大したこと
なかったはずだ。
目力の強い顔立ち以外にも、勝ち気でプライドの高い部分を父親から遺伝してしま
った。
誰にも負けない。俺が一番。一番であることが嬉しいとも幸せだとも思わない。
ただ、当たり前だ。俺の胸中に浮かびうる感情は、それだけだった。
しかし。いや、だからこそ、当然だと思っていたものを失った瞬間、その分のショ
ックも大きかった。
期末テストの成績表の、位の隣に記された数字。
2。
1、ではなかった。
俺が一位ではなく、二位だった。
最初は、何がどうなっているのか分からなかった。
「冗談でしょ? 先生」
三回はそう言った。
その返答のどれもは、「本当だ」とか、「これで間違いない」など、無味乾燥とし
たコメントで、それでようやく状況を把握することができた。
「大丈夫…?」
「採点ミスじゃねえの?」
「俺なんかケツから数えたほうが早いぜ」
クラスメートが、俺の様子から事情を察し、励ましたり慰めたり元気づけようと
している。
しかし、そのどれもが、俺の機嫌を取っているようで、気分が悪かった。
その帰り道は、もっと地獄だった。
家族の顔が、頭の中をよぎる。
俺に憧れる弟、俺を毎日褒めてくれる母、勝利が当たり前だと思う父。
帰って、この成績表を見せてしまえば、どうなるだろうか。考えたくもなかった。
俺の中の「当たり前」が、崩れ去ってしまった。
俯いて歩く帰り道は、当たり前だが下しか見えなかった。
その前方に、他人の足が立ちはだかる。
「おいおい、もうお帰りですか? 元学年一位の生徒会長さんじゃないです
か?」
顔を上げると、その足の持ち主は俺と同じく真っ黒な学ランを身にまとった生
徒。俺は知らないが、相手は俺を知っているみたいだ。
「…」
俺は、何も言わなかった。いや、何も言えなかった。
大体わかったからだ。この、キノコみたいな頭をした根暗そうな男子の言いたい
ことが。
目線をそのまま下に戻して、その男を避けようとした瞬間。
肩を掴まれて、もう一つの腕で何かを俺の顔に近づけた。
『1』 と書かれた数字。
「お前、どうせ俺のことなんか覚えていないだろうから、悔しくて努力したよ。努
力。お前の好きな言葉だろ? でもなぁ、俺はお前のちやほやされたぬるま湯みた
いな環境で努力なんかしてない。毎日毎日、何もしてないのに気持ち悪いだのなんだ
の馬鹿にされて、なんとなくムカつくから頬を張られ腹を蹴られた中での努力なん
だよ…。分かるか、いや分かんないよな、俺の気持ちなんか。…でも」
そいつの震えが、握られた俺の方にも伝わってきた。
「お前みてえなゴミムシ野郎に一回でも勝ったのが嬉しかったぜ!! いーっひひ
ひひ!!」
胸に、鋭利な何かが突き刺さったような感覚を覚えた。それと同時に首から下が寒
くなる。
「どうでちゅかぁ~? 自分より下に見ていた人間に負けた気分は。俺には分かん
ないなあ。油断して負けて、ママとパパに泣きつきたい男の気持ちなんてなぁ~。
うっ、ひひひっひひひひ!! …があっ!!!」
気付いた時には、腹を蹴り飛ばしていた。
「あぁぁぁ、いだいっ! いだいよぉぉ!!! ままぁぁぁ!! …お前なん
か! ムカついたら暴力で解決するしかできないゴミ人間なんだよ!! お前みた
いな人間は誰にも信用されなくて死ぬんだよ!!」
男は、腹を抑えて涙を流しながらも俺を罵倒し続けて、そのまま逃げるように消えて
いった。
蹴っても、泣かせても、気分は晴れなかった。
それ以上に、負けたのが悔しかった。
負けの事実を覆せないのが腹立たしかった。
再び負ける恐怖を考えると、怖かった。
そして何より、負けた後に、心をすべて預けて相談できるような相手がだれ一人いな
いことが、辛かった。
まっすぐ家に帰りたくなかった。
だから、寄り道をしようと思った。
その時だった。
「や、やあ。君とお話がしたくて」
廃校になった学校の校舎で、神を名乗る男に出会ったのは。
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