【R15】千本の針【なずみのホラー便 第49弾】
なずみ智子
千本の針
~最初に~
本作ですが、アダルト関係のお仕事に従事している方々を、貶めるつもりは断じてございません。何卒、ご了承くださいますようお願い申し上げます。
なお、本作における”直接的な性描写”は皆無です。
「アルファポリス電網浮遊都市」でのみ公開中の『【R18】美巨乳☆バニーガール狩り【なずみのホラー便 第26弾】』とリンクしている箇所も作中にございます。
※※※
マンションで一人暮らしをしている弟・セイジの部屋に入ったサヨコは、裏地にもボア付きのマタニティコートを脱いだ。
セイジが、サヨコの腹部にチラリと目をやる。
「腹、そんなに大きくなってないんだ」
「今はまだ五カ月だもの。それより、”大事な話”って何なの? 私、お腹の赤ちゃんのためにも、この寒い中、外を歩きたくなんてなかったんだけど……」
妊婦の姉の身体に負担をかけてしまっていたことに気付いたセイジは、ハッとした。
セイジは決して悪い子ではないけど、人から指摘されなければ気づかないことが昔から多々あった。けれども、彼は一度、指摘されたなら、ちゃんと理解できるだけマシだ。
「ごめん……でも、外じゃ絶対にできない話なんだ」
外じゃ絶対にできない話?
何かをしでかしたのか? まさか、会社の金を使い込んだとか?
「今、コーヒー淹れるから」とお湯を沸かしにいったセイジの背中に、「いらないわよ。妊婦はカフェインを控えなきゃいけないんだから。それより早く本題に入って。家の掃除とかご飯の準備とか、いろいろすることがあるんだから」と、サヨコは苛立った声を突き刺してしまう。
肩をすくめたセイジが、座布団へと腰を下ろしたサヨコの眼前にあるテーブルに、100均の棚に陳列されているような直方体の白い収納ボックスをコトンと置いた。
その収納ボックスをカパッと開けるセイジ。
「!!!」
とてつもない生理的嫌悪感が、サヨコの全身を瞬時に駆け巡る。
中にみっちりと収められていたのはアダルトビデオ、すなわちAVだ。
サヨコの目が、それらの背表紙の数本を拾っただけでも、『美巨乳☆バニーガール狩り』や『絶頂☆お下劣クリ〇リス』などとふざけたタイトルからして、おぞましさといかがわしさの両方が伝わってくる。
「ちょ、ちょっと! あんた、何考えてんのよ! まさか、私にAVを見せる気なの!?」
そりゃあ、セイジだって男だ。
性欲があるのは当然のことだし、会社勤めをしている彼が自身の給料でこれらのAVを買い集めようが、それは彼の自由だ。
だが、実の姉(妊娠中)に自身のエロスコレクションを見せようとするのは、ただの変態である。
「ち、ちげーよ! 俺は姉ちゃんに”これ”を確認して欲しかっただけなんだって!」
頬を赤く染めたセイジが、AVのうちの1本を取り出した。
『可愛いと褒めちゃえば、どんなアクロバティックな体位でも受け入れOK! 素人もち肌娘、五人に声をかけちゃいました!』を。
いわゆる”素人ナンパ(という設定)のオムニバスAV”だ。
パッケージを裏返したセイジは無言のまま、一か所を――出演女優の一人を指さした。
「!!!」
サヨコはその出演女優の顔に見覚えがあった。いや、見覚えがあるなんて程度のレベルではない。
顔だけじゃなくて髪型も含め、現在同居中の義妹・ユキミに瓜二つだったのだから!
モザイクがかぶせられた男の一物に両手を添えて微笑んでいるカットも、絶頂を迎えている瞬間と思しきカットの何もかもが。
いや、顔や髪型が似ているだけの若い女の子(女の子といっても成人済だが)なんて、五万といる。そう、五万と……
サヨコの相当なる驚きと焦りは、セイジにも伝わったのだろう。
「俺、姉ちゃんの義理の妹にあたる人には、姉ちゃんの結婚式で一度会ったきりだったけどさ……結構、立ち振る舞いとか話し方に独特の特徴のある人だったから、顔も覚えていたんだよ」
サヨコの喉がゴクリと鳴る。
「セイジ……これの中身も見せて。単なる他人の空似かもしれないのに、こんな数カットの写真だけで、ユキミちゃんだと判断することはできないから……」
頷いたセイジがノートパソコンを持ってきた。ヘッドホンまで貸してくれた。
数刻後。
サヨコは絶対にあって欲しくないと願っていた方の”現実”を突きつけられ、ガァァンと打ちのめされることとなった。
正確に言うと、サヨコはこのAVのメインである性行為のシーンは実際に確認していない。
だが、”そこ”にまで辿り着かなくても、もう充分だった。
出演女優が街角でナンパを受けている導入部を見ただけでも、分かった。
顔や髪型だけじゃない。声に始まり、姿勢や歩き方、常に半開きの口、舌足らずな喋り方……
そう、出演女優の何もかもが、サヨコの脳内にある義妹・ユキミの姿と、100%同一人物であるとの判断を下さずにはいられなかったのだから。
サヨコの喉の奥は粘っこくなり、彼女はまだ膨らみの目立たないお腹を無意識のうちに両手でさすってしまっていた。
「あのさ、姉ちゃん……実際にAVを見て集めている俺が言うのもなんだけどさ……こういった動画に出た女が、”自分とは他人であるのか家族であるのか”じゃ、やっぱり話は違ってくると思う」
セイジの言葉は身勝手にも程があった。
けれども、サヨコは頷かずにはいられなかった。
「本人だけじゃない。家族だって”被害”はいくんだ。お義兄さんは高校教師ってお堅い職業に就いてるし、それに何より……姉ちゃんの腹ン中の子だって……このAVが原因で、学校とかで噂になって、虐められるかもしれないだろ?」
そうだ。
結婚相手は選ぶことができても、その家族までは選べない。
さらに、先日の検診で、日々大きくなっていくお腹の中の子供の性別は女の子と判明していた。
「セイジ……あんたが見つけたユキミちゃんの動画ってこれだけ?」
「ああ、今のところはな……でも、こうやってリリースされているものだけじゃなくて、ネットに流されているものも含めたら、絶対にとは言い切れない…………」
目の焦点がなかなか定まらないサヨコ。
彼女は震え続ける手で、趣味趣向に統一感のない弟のエロスコレクションのうちの一本をスッと取り出していた。
タイトルは『美巨乳☆バニーガール狩り』。
正直、この出演女優の方が――単体でリリースされているだけあって、ユキミよりもルックスレベルは数段上だ。
物凄い美人というわけではないが、いかにも男好きしそうな顔とスタイルの可愛い娘だ。
いったい、この娘はどういった心境でAVに出演をすることになったのだろう?
実際に中身など見なくても、相当にエグい内容であることがタイトルとパッケージから伝わってくる、こんなAVに。
莫大な借金でもあったのか?
それとも、もともと”こういったこと”が好きなのか?
タレント志望であったけど騙されたり脅迫されたりといった理由で、出演してしまったのか?
この出演女優は、こんなAVに出演したことを今、どう思っているのだろうか?
サヨコには、この彼女も、そして義妹のユキミも、自分と同じ女であるのに、全く別の生き物のように思えてしまった。
※※※
夜。
サヨコは、夫婦の寝室で――嫁であるサヨコの同居と同時に、義両親が畳を張り替えてくれた和室で、夫・キヨシゲに話を切り出した。
教師というただでさえ多忙な職業に就いているうえ、サッカー部の顧問までしている彼には、休日さえもあってないようなものだった。
夫の貴重な休息の時間を削りたくはなかったサヨコであったも、このことは伝えておかなければならない。
セイジから借りてきた例のDVD(のパッケージ)を、サヨコに見せられたキヨシゲは目玉をひん剥いていた。
「ユッ、ユキミの奴、ふざけんなよ! もし、これが生徒や保護者の目にでも入ったら、どうなると思ってんだ!」
生徒たちの間で「あの先生の妹さんって、AVに出てんだって」と噂が広がる。その噂は、学校内だけでなく、生徒たちそれぞれが培っている学校外のネットワークにも及び、瞬く間に地域全体に広がるであろう。
仮に『洗濯屋〇ンちゃん』の時代なら、現物を目にしなければ悪意のある噂の域で、まだ済んだかもしれない。
だが、この時代、決まった検索ワードさえスマホに打ち込めば、誰でも辿り着くことが容易だ。そう、それが例え、高校生という”子供”であっても……
それに、自慢ではないが、キヨシゲの勤務先の高校はなかなかに高偏差値の私立校だ。つまり、教育熱心な親御さんが圧倒的多数だろう。
いや、取り立てて教育熱心な親御さんでなくても、AV女優が身内にいる教師が教壇に立ち続けることに難色を示すに違いない。
いやいや、さらに言うなら被害を受けるのは、夫のキヨシゲだけでは済まない。
義父もまた現役の中学校教師であるし、元・教師であった義母は今は市内のカルチャースクールで着物の着付けなどを奥様方に教えている。
サヨコ自身も、教員採用試験には落ちたものの、結婚退職するまでは学習塾の講師の職に就いていた。
この家は、いわゆる教育者一家なのだ。
教育者一家の娘が、AV出演。
これぞ、まさに”シャーデンフロイデ”。
「こ、こ、ここのことは、親父やお袋には絶対に言うなよ。お袋なんて、絶対に卒倒しちまうだろうし……俺たちだけの胸にしまっておこう。というか、そうするしかないんだ……」
目の焦点が定まらないまま、AVパッケージの妹の乳首や陰毛、アクメ顔を眺めていたキヨシゲが言う。
「幸いにして、これは単体モノじゃないし、”表面”にメインとして映ってる女優はユキミじゃない。それに、この一本だけなら、なんとか他人の空似で誤魔化せるかもしれない。うん、絶対そうだ、うん」
自分の言葉にキヨシゲは自分で頷いていた。自分に無理やり言い聞かせていた。
「サヨコ……お前がユキミと話をしてくれないか?」
「え? 私が?!」
「そうだ。やっぱり、こういう話は女同士の方がいいだろう。あいつだって、いくら二人きりの兄妹とはいえ、異性の俺に裸を見られたなんて知ったら、ショックだろうから」
キヨシゲがすがるような目でサヨコを見た。
※※※
翌日。
サヨコは、義母が出かけたのを見計らって、ユキミの部屋をノックした。
先月までアルバイトをしていたユキミであったが、今は家事手伝いという名の無職だ。
ユキミは、なかなか仕事が続かなかった。
この家は経済的には常に潤っているの現状だし、義母は「まあ、女の子だし、いずれお嫁に行くんだから、そんなに頑張って仕事しなくてもいいわよ」なんて悠長に構えてはいたものの、サヨコはユキミはどの職場でも能力的に厳しかったがゆえに、解雇もしくは自主退職という結末を迎えていたのではとしか思えなかった。
ユキミは、単なる”おっとり”の域などは越えた、ストレートな言い方をするなら、おそらく”ボーダーラインギリギリ”なのではないかと……
見た目は至って普通の女の子なのだが、常に半開きの口、舌ったらずな喋り方、物事を一つ伝えるにも噛み砕いて伝えなければ伝わらないことが多々ある。
弟のセイジが結婚式で一度会っただけなのに、違和感を感じ取ってしまったのも無理はないと、サヨコは思えた。
とはいっても、ユキミは素直で意地悪なところなど皆無な娘であったし、嫁と小姑の関係はすこぶる上手くいっていると言えたであろう。
「ユキミちゃん、これ、あなたよね?」
サヨコが差し出した例のDVDに、ユキミはキョトンとして首を傾げた。
自身の痴態がそこに映っているというのに、顔を赤くすることもなかった。
数秒の間の後、彼女は”思い出した”らしかった。
「ああ、そう言えばぁ、前の彼氏がお金がピンチだっていうんでぇ、私に男の人のナンパに応えて、エッチしてくれってぇ。確かそのエッチの時にぃ、ビデオも撮られちゃってぇ」
ユキミ自身の意志ではなく、男に騙されて出演してしまったということだったのか?
「へえぇ、DVDにもなってたんですねぇ。でも、私、前の彼氏からお金は一円も貰ってないし、何も知らなかったですぅぅ」
「!!!」
つまり、このAV出演のギャラは全て、前の彼氏の懐に入ったということか。
それに、性行為時に撮影されていたことまで認識していたというのに、こういったDVDになって世の中で販売されていたり、もっと言うなら、ネットという無法地帯で配信されているかもしれない可能性まで考えが及ばないとは……!
この娘は、サヨコが考えていた以上に……この世には想像を絶するバカがいるのだ。
「ユキミちゃん……あなた、この時以外に、こういったことをしたことはある?」
「えーとぉ、エッチ自体は、たぶん二十人以上としたことがありますけどぉ」
「にっ、二十人以上!? え、あ、いや、そういう経験人数のことじゃなくてね! つまり、エッチの時に撮影されていたことが他にもあるのかってことを私は聞いてるの!」
「……うーんとぉ、えーとぉ、なかったと思いますぅ。でも、私、男の人が気持ち良くしてくれた後は、すぐに眠っちゃうみたいだからぁ……」
「そんなことまで聞いてないわよ!!」
思わず声を荒げてしまったサヨコに、ユキミはビクッと体を震わせた。その目にはすでに涙が浮かび始めていた。
「あ……え、えっと、大きな声出してごめんね、ユキミちゃん。でもね、これだけは私と約束して欲しいの。男の人とのエッチの時には、動画はもちろんのこと、写真も絶対に撮らせないって……」
一度、世に流れてしまったアダルトな動画を完全に回収することはできない。物理的にも、人の記憶の中からも。
だから、昨日のあの後、夫のキヨシゲと話し合ったように、ユキミのこれ以上のAV出演ならびにリベンジポルノの可能性を防ぐしか打つ手はないのだ。
サヨコの言葉に、ユキミはコクリと頷いた。
「ユキミちゃん、あなただって、これから誰かのお嫁さんになったり、お母さんになったりするのよ……きっと。だからね、ユキミちゃん自身が未来の旦那さんや未来の赤ちゃんに話せないようなことは絶対にしちゃダメよ。それとね……エッチの時に動画や写真を撮らせるのはいけないことだけど、大好きな人とのエッチ自体は、何も恥ずかしいことじゃないのよ」
「……お義姉さんにとって、お兄ちゃんとのエッチは、恥ずかしいことじゃないんですかぁ?」
「そうよ。私たちはきちんと結婚しているし、愛し合ってエッチしたからこそ、”お腹の中のこの子”が出来たわけだけど……ユキミちゃん、このAVのことは私の胸にしまっておくから。ユキミちゃんのお父さんやお母さんにも言わないから。だからね、絶対に絶対に約束よ」
サヨコは、ユキミと指切りげんまんした。
とうに二十歳を越えた女二人が、”本気で”指切りげんまんをしている光景など、はたから見たらホラーそのものであったに違いなかった。
※※※
それから、約三カ月がたった。
年はとっくに明け、風は徐々に柔らかく暖かくなりゆき、学生やその保護者たちにとっては、”新学年の始まり”が近づいてもきていた。
さらに言うなら、町の猫たちの発情期もそろそろか?
幸いにして、ユキミ出演の例のAVは、日々溢れ続けるAVの中に飲み込まれてしまったらしい。
オムニバスもののAVに出演した女優のうちの一人であり、ユキミ自身も今時の若い娘にしては珍しくSNSなどで顔出しはしていないし、ネット民の間で噂になるほどの美貌や肉体の持ち主でなかったことも幸いしたのだろう。
ユキミは「私も早く姪っ子ちゃんに会いたいですぅ」と言って、日に日に大きくなっていくサヨコのお腹を撫でてくれていた。
それに、彼女はアルバイト先を見つけ、新たな彼氏も出来たらしい。その彼氏とうまくいって結婚までいけば……と、サヨコも彼女の幸せを願わずにはいられなかった。
もちろん、もうすぐ親となるサヨコとキヨシゲとの関係も良好のままであった。
昼下がり。
大きなお腹を抱えつつも掃除含む家事を一通り終えたサヨコは、疲れが出たのかソファでついウトウトとしてしまっていた。
だから、スマホに弟のセイジから、鬼のごとき着信が入っていることになかなか気づかなかった。
サヨコが気づいた時には、すでに10件以上の着信履歴が残されていた。
「もしもし、セイジ? どうしたの?」
「姉ちゃん! 良かった! やっと繋がった!」
「どうしたのよ? 何かあったの? あんた今、仕事中じゃないの!」
「今は休み時間なんだよ! っていうか、それどころじゃないんだよ! ネットで大変なことになってるぞ!」
「どういうこと?」
「姉ちゃん、例のAVのことを俺が伝えた時に、やっぱり離婚するなり何なりしてりゃあ良かったんだよ!」
「り、離婚とか、そんなに簡単にできるワケないでしょ!! もうすぐ赤ちゃんだって、生まれるんだから!! いったい、あんた、何を言っているのよ!」
「とにかく、L〇NEでURL送るから、見てみろって!」
サヨコの心臓が、いや、心臓だけでなくて、お腹までがもドッドッドッと激しく強く脈打ち出した。
まさか……まさか……あのアホバカ義妹は、また男に騙されてAVに出演してしまい、ついに”身バレ”してしまったとでもいうのか?
だが、震える人差し指で、セイジから送られてきたURLをクリックしたサヨコは知る。
前述した展開の方が、何十倍も、いや、何百倍、何千倍、何億倍もマシであったことを!!!
いわゆる”まとめサイト”らしいウェブページの画面には、『瓜実顔の美人妻! 年中発情期? 妊娠中もお盛んセックス&濃厚フ〇ラ!』や『妊婦ファ〇ク動画の夫は名門高校の数学教師?! 顧問のサッカー部の大会写真より実名判明?』といった閲覧者の好奇心と肉欲を煽る文句が毒々しいフォントと”さらなるURL付き”で、並んでいたのだから!!!
※※※
その夜、いや夜を待たずとも、家族会議が開かれたことは言うまでもない。
玄関の鍵や家中の窓の鍵どころか、雨戸まで締め切ったこの家が、現実世界でもネット世界でもヒソヒソと噂され、指を指されているのは間違いなかった。
家族そろっての夕飯など後回しであったが、この事態を引き起こした張本人であるユキミは「お腹すいちゃったぁ。ご飯まだぁ?」とただ一人、暢気なままであった。
「ユキミ! お前はなんてことをしてくれたんだ!?」
温厚な父親の怒鳴り声に――ユキミ自身も驚いたらしく「きゃ……」と身を縮こまらせた。
またもや、すでに涙目になっているユキミであったも、涙の理由は自分がしでかしたことに対してではなく、父親に怒鳴られたことに対してであるだろう。
サヨコとキヨシゲの夫婦生活が盗撮されていた。
そのうえ、盗撮動画がネットにまで流されていた。
これは外部の者による犯行ではない。
明らかに、この家の中の者――すなわちユキミがカメラを仕掛けて……
しかし、”この”ユキミが単独でそういった犯行を思いつくものであろうか?
「だってぇ、今の彼氏もお金に困っていてぇ、でも私、碌に貯金もないし、エッチな動画売ったら、いい金になるって彼氏が言ってたからぁ。私、彼氏のこと大好きだし、力になりたくてぇ」
経験から学ぶことができないユキミは、また違う男に騙されたのだ。
拳をブルブルと震わせたキヨシゲが、ユキミを睨みつける。
「だからって、なんで俺たちの動画を盗撮して、そんな奴に渡すんだ! ネットで瞬く間に炎上して、職員室の電話だって、ずっと鳴りっぱなしだったんだぞ! 生徒たちにだって、指を指されてクスクスニヤニヤ笑われたりもしたんだ! 今日一日、俺は針の筵にいたんだ! いや、”針の筵”状態はこれからもずっと続くんだ!」
「はりのむしろぉ? お兄ちゃん、何、それぇ? 何言ってるのぉ?」
”針の筵”の意味すら分からぬユキミは、目に涙をためたまま、すがるようにサヨコを見た。
「だ、だって、お義姉さんがお兄ちゃんとのエッチは恥ずかしいことじゃないって言ってたからぁ。恥ずかしくないのなら、いいのかなあって私は思ってぇ」
確かにサヨコはそう言った。
だが、なぜ、それを言葉通りに受け取る?!
「お義姉さん、私、お義姉さんと”指切りげんまん”した通り、”私は”もうエッチなビデオなんて撮らせていませんよぉ。お義姉さんとの約束は、ちゃんと守ってますぅ」
ユキミの言葉を聞いた義母が――真っ赤な顔で涙をダバダバ流し続け、過呼吸を起こさんばかりであった義母が、サヨコをギッと睨みつけた!
「サヨコさん! あなたは、この子がいやらしいビデオに出たことがあるって知っていたのね!! どうして、その時に私たちに話してくれなかったの!?」
なぜ、サヨコが責められる?!
娘と嫁に加え、息子までもの性行為中の動画が世に流れてしまい、しかも息子夫婦についてはすでに身元が特定された状態で、おそらく娘の方も近いうちに身元が暴かれるであろう未来を描いた義母の精神は、ついに限界を迎えてしまったらしく、その場にバタンと卒倒した。
「お母さん? お母さん! しっかりしてぇ!」
超修羅場を引きおこした張本人であるユキミが泣きながら、白目を剥いて倒れた母へと縋りついた。
この世には想像を絶するバカが、人の言葉をその言葉通りにしか受け取れず、周りに流されるままに動き、自身の判断力ならび倫理観皆無のバカがいるのだ。
自分の行動がどういった未来を招くのかを描けないバカがいるのだ。
そして、結婚相手は選ぶことはできても、その家族まではやはり選べないのだ。
サヨコはもう立っているのもやっとの状態であった。
ただでさえ重たいお腹がさらに重くなり、”胎内からの抗議”のごとくチクチクと刺してきているような痛みまで感じ始めた。
これほど悪夢であって欲しいと願わずにはいられない”この悪夢”は永遠に覚めることはない。
人の噂も七十五日程度で済むはずがない。
お腹の中にいる無垢なる娘だって「ああ、あの動画の時にお腹の中にいた子ね(笑)」と指さされ噂されるという、悪夢でしかないこの世に生まれてくるのだ。
身軽に動けるものなら、サヨコは義母に泣き縋るユキミの後頭部を殴ってやりたかった。幾度も幾度も殴りつけるばかりか蹴とばしてもやりたかった。
いや、それだけで済むものか!
いっつも半開きの締まりのないその口の中に”千本の針”を実際に流し込み、二度と起き上がれないようにしてやりたかった……
―――完―――
【R15】千本の針【なずみのホラー便 第49弾】 なずみ智子 @nazumi_tomoko
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