なんとなくブラジル

達見ゆう

第1話 奇妙な通信と確信

「俺は死にました」


 夫のLINEからおかしな返事が来た。


 休日出勤した私は、家で寝ているであろう夫にご飯の指示やら、洗濯や掃除の頼み事などをラインしたのに全く返事が無かった。


「起きてるのかっ!!」


 十一時を過ぎても全く返事が無かったので、強めにというかキレ気味にメッセージを送ったら冒頭の返信が来てそれっきりだ。


 それ以降は既読すら付かないから、拗ねて無視されていると思われた。


 しかし、だがしかし。我が職場は因果関係は不明だが突然死する職員が多い。定刻になっても出勤せず連絡もないと、寝坊の可能性よりも孤独死を懸念してざわつく。そんな職場だ。

 念の為言っておくが、ブラック企業なんかではない。忙しいところは忙しいが突然死するほどではない。


 話が逸れた。とにかく、夫も同じ職場の人間だ。夫が家で死んでいたということもありえなく無い。

 そうなると死体を片付けなきゃ…いや、ともかく、生死を確認せねば。


 そうと決まれば仕事なんてやってられない。仕事もそこそこに、私は急いで家に帰った。


 いつものアパートにまで戻ってきた。表には彼の自転車があるし、郵便受けには郵便物が中に入っている。ベランダは洗濯物は取り込まれてないし、窓からは灯りは漏れているから在宅であるに違いない。でも、朝は行ってらっしゃいと見送ってくれたのに、帰ったら配偶者が死んでいた同僚や上司だって何人か知っている。


 とにかく、最悪の事態を想定してドアを開けた。このアパートは扉を開けると小さな玄関とキッチンがある構造だ。それこそ玄関開けたらなんとかのご飯ができる作りだ。

 そのままざっと見渡すが、彼の靴はそのまま残っているから家の中にいるはずだ。なのに人の気配がない。シンクの中には食べたまま洗っていない皿が二食分放置されている。


 あのバカ旦那、あれほどすぐに洗わないと箸がだめになると言ってるのにまたやったのか。しかも、メタボなのにカップ焼きそばの超ギガ盛りなんて。


 いや、今は怒るタイミングではない、とにかく探さないと。夫の名前を呼びながら、寝室やリビングを開けていくが姿はない。風呂場やトイレにもいない。

 これはマズい。出た形跡がないのに居ないということは、事件に巻き込まれたのか、警察へ通報すべきか。そう思いながら夫の部屋を開けてみる。彼の定位置のゴロ寝スペースには使いかけのスマホと動画が流れっぱなしのパソコンが放置されており、さらに鼻毛を切っていたのであろう鏡と鼻毛カッターもだらしなく床に放置されている。片付けしろと言ってたのに……。


 しかし、本来なら光を反射しているはずの鏡が変に黒い。覗き込むと漆黒の闇しかない。割れている訳では無いし、第一この部屋は西日がきつい明るい部屋だ。注意深くもう一度鏡を覗き込む。小さくだが、漆黒の空間で夫が横たわっているのが見えた。


 ヤバい、これはあの世だか異界へ行ってしまったということか。いや、あの世に行ったなんて、そんなオカルトだかファンタジーなんか認めん。小説や映画は好きだが、あんなのが実際にあってはたまるか。あれはフィクションだから面白いのであって、現実には有り得ないのも知っている。


 まあ、床の下を貫通しているからどこかの組織が穴を掘って偶然ここに繋がって、犯行現場を見られてしまった夫を口封じに攫ったのだ。そうだ、そうに違いない。かなり深そうな地下だからきっとブラジルの闇組織だ。なんとなくブラジルと思ったのは日本の裏側はブラジルだからだ。


 私は居ても立ってもいられず、地下へ潜るための準備を始めた。動きやすい服に着替えて、放置されていたパソコンからYamazonに注文し、品物を受け取りにコンビニへ向かった。プライム会員になっておいて良かったとこの時ばかりは思った。


 コンビニにて注文した品物を受け取り、リュックと紙袋に詰め替えてブラジルの地下組織と対峙する支度は終わった。


 次に黄泉の……いや、ブラジルの地下組織への入口探しであるが先ほどの鏡以外に考えられない。手を近づけると闇が何かの生き物であるかのように伸びてきて絡みつき、私は回転するように吸い込まれてしまった。ブラジルの掘削技術は意外と進んでいるようだ。こんな物理学もビックリな穴を掘るなんて。

 落ちた私はなんとか体勢を立て直して見ると、内部はゴツゴツとした洞窟だった。ブラジルの地下組織が活動拠点でも作ろうとしたのか。

 しかしまだ工事中なのか辺り一面は薄暗い。先ほどYamazonから取り寄せたヘッドライトを付けてスイッチを入れて見渡すと、緩やかに傾斜があるのが分かった。

 とりあえずは下っていくことにして私は歩き出した。


 三十分くらい降りて行くと一つの扉が出てきた。マフィアの拠点か?私は呼びかけてみた。


「たのもうー!! っじゃなかった、ごめんくださーい」


「えー? 何? その声はユウさん? マジで来たの?」


 聞き覚えのある眠そうな声が聞こえてきた。夫のリョウタの声だ。妻の私の名前は優花というが、ユウさんと呼ぶのも夫だけだ。この状況からして見張りは無く、夫一人だけだろう。そうでなければこんな寝ぼけた声しない。きっと一人で閉じ込められて安心して惰眠を貪って……いや、恐怖から気絶してたのかもしれないが多分違う。


「ちょっと待って……」


 その答えを聞く前に私はキックをかまして扉を破壊した。とりあえず、事態は急ぐ。テロリストに見つかる前に脱出せねばなるまい。私は鬼嫁モードに入り夫の胸ぐらを掴んだ。


「ちょっと待てだなんて、悠長なこと言ってるヒマはねえ。質問は一つ。ここに来て、貴様、何か飲み食いしたか?」


 扉の向こうの夫は青白い顔色だが大丈夫とは思う、しかし、これは賭けでもある。


「えー? 飲み食い? お昼の焼きそばが多くてさあ、胃もたれしちゃってて。だからずっと寝てた。あ、LINEは返信したっけな」


「本当だな? 盃を交わしてないし、水の一滴も飲んでないな?」


「ほ、本当だよ。水飲みに行くのもどこにあるか探すのがめんどくさくて。誰もいないし、暗いから眠くなって」


 良かった。ブラジルの地下組織の奴らとは盃を交わしていないようだ。よく分からないが、日本のヤクザみたいにブラジルマフィアにも盃を交わす儀式みたいのがあるとするなら、まだ夫は組織の一員ではない。夫は超絶ものぐさなのだ。めんどくさいといつまでもソファでゴロゴロする性格が幸いした。


 普段はもっと動け、家事を手伝え、メタボなんだからカップ麺ビッグサイズなんか食べるな、とケンカばかりするが、超絶ものぐさとカップ焼きそば超ギガ盛りに感謝する日が来るとは。


「OK、ならばこんなシケた場所から脱出だ。まずはこれを履け。靴を持ってきてやった」


「あ、ありがと。って、ユウさん。なんかこれ、変じゃない?」


 夫は怪訝な顔をして私が差し出した靴を見た。

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