6月、恋した雨男

浅葱

6月、恋した雨男

俺はいつかこんな話を聞いたことがある。

死んだ人は、星になるのだと。


俺はそんな話嘘でしかないと。

「死んだ奴はそばに居る」と死ななかった奴が勝手に思って、楽になろうとしただけのウソっぱち。

―― そう、思っていた。


でも今は、そんな話も本当なのかもしれないと、

死んだ人はそばに居てくれるんじゃないかと

思えるようになってきた。


それも、全部あの人のおかげだ。


~1~ 俺は梅雨が嫌いだ。


― まただ、また雨だ。俺のせいで ―

― 俺が外にいるから雨が降る ―


「また雨?」

「最近、多すぎやしないか?」


お揃いのコートを来た恋人たちが雨が降るのをいいことにぴったり寄り添って歩いている。


― 悪かったな ―


まるで、俺の顔を見て言っているような。自分でも自覚はある。俺が雨男だってことぐらい、わかっている。小さい時から、わかっている。小3の校外学習。弁当を食べてるときに、俺が友達と喧嘩してでかい声を出した瞬間に雨が降り始めた。それから俺は雨男と呼ばれるようになった。俺はそういうのを結構信じる方だから、その時、相当凹んだ。


デートに行っても、必ず降るし、俺が外に居るときだけ必ず降る。そんな自分にもう飽きた。前向きに考えようと頑張るのも、もうやめた。そんなことしても意味は無いと分かった。友達も運が悪かったんだね。じゃ終わってくれずに、「小さい時に悪いことでもしたんだろ、神様が下した天罰だ。」って言って冷たい目でみて、離れていく。俺はそんな自分が嫌いだった。大嫌いだった。


~2~ 私は梅雨が嫌いだ。


― また雨なんだ。分かってたけど。 ―


朝の天気予報が間違っていた事。当たらなくていいのに。私みたいな人が天気予報を作ればいいと思う。私みたいな、雨が降ると頭が痛くなる。気象病の人が。

雨なんか降らなければいいのになんて、小学生みたいなお願い。本気で願ってるのに、願ったときに限って降る。


小さいときからの夢。雨男を殺すこと。同い年の子達は仮面ライダーとかプリキュアを夢見ているとき。私は人殺しの計画を立てて、妄想し、失敗を重ね、最近になってやっと完成し、微笑んでいる。

忘れないように毎晩、夢に見ている。

雨男の顔まではっきりと。

まあ、その顔に見覚えはないけど。

将来、私が殺す人。

今まで恨んできた人。


~3~ 命の恩人?


6月。俺の仕事が忙しくなる。

だから、また忙しく雨が降る。

雨が降るからってそんなに俺を責めたいのか?

外に出るのは嫌だ。みんなが俺の事を睨んでるみたいで、怖い。雨男だって事がバレた瞬間に誰かがナイフを取り出し、俺の腹目掛けて突っ込んで来るかもしれない。そうやって、自分でも呆れるほど大袈裟に考えているうちに本気で怖くなってきた。周りの人みんなが俺が死ぬのを待ち望んでいるように思えて、今すぐその場から逃げたいと思った。いつの間にか走っていた。何も考えず怯えながら走って着いたのは駅だった。到着するまでどこに向かっているのか自分で走っているというのに分からなかった。俺は力無く笑った。慣れで改札をくぐり、階段を降りると、見慣れたホームが長く続いている。

俺はそのホームを見て、俺がこの場所を何気無く選んだ、その理由を知った。

俺がこの世にいるから雨が降る。雨を降らさないためには、この世にサヨナラすればいい。名案だ。

次の列車を告げる声がホームに響き渡った。

その声さえもが俺に『死ねよ』と言っているように聞こえる。今の俺は狂っている。あそこのjkも隣のばあさん達も笑顔で俺に『死ねよ』と言っているんだ。きっとそうだ。

次の列車で行こっかな。なんて中学時代の恋愛を思い出すような軽い気持ちで考えていた。

ガタンゴトン。ガタンゴトン。俺の死へのカウントダウン。ガタンゴトン。ガタンゴトン。

大きく息を吸った。辛くなったから吐いた。

列車の音がどんどん大きくなっていく。

俺の心臓の音も列車の音に伴って大きくなっていく。

そしてまた、大きく息を吸った。これ以上吸えないと思って、諦め、吐いた。


もうそろそろ行こっかな。


「ドン!」


何も考えられない。

俺は失敗したのか。それとも、助かったのか。


「うぅ」


隣で苦しそうに顔をしかめて倒れている女がいる。

きっと、俺にぶつかってきたやつだ。

俺は憎いともありがたいとも思わない。というかなんと思ったらいいのかよく分からない。

でも、世間的には助かった。ありがたい。と言うはずだから、そう思うことにした。


隣に倒れていた女は心優みゆと言う女だった。何で名前を知っているかって?倒して悪かった、コーヒーを一杯奢ると言われ、なぜだか自己紹介をする羽目になってしまった。初めは面倒くさい奴だと思っていたが、雨が嫌いなところとかが似ていて、仲良くなった。だんだん話すにつれ、お互いの事をよく知るようになった。その時教えてもらった心優の持病に俺は今晩眠れなかった。


~4~ こんな僕でも許すんですか?


心優は、気象病だったんだ。

俺は、雨男なのに。俺が心優を苦しめているようなものだ。たまたま、出会っただけの人間のことなのに俺はどうも悲しくなる。あの時心優に出会わなかったら、心優は楽になったはずだったのに。悔しい思いで一杯だった。隣で充電してあった携帯に手を伸ばす。検索画面を開いて、俺は誰かに急かされるように、フリックする指をキーの上で踊らせた。


『雨男とは』


一番上に出てきたページをタップした。


『雨男は、妖怪。そんな雨男を詳しく紹介。

 1.雨男が産まれたのは?

 2.雨男の被害

 3.まとめ』


俺はその文字を見たときずっと動けずにいた。俺が妖怪!?そんな話、オカンにも親父にも聞いたことがない。っていうか親どっちも妖怪じゃないのに妖怪の血どっから引き継いでんだよ!もう嫌だ。やっぱりあの時死ねばよかった。

心優、絶対に許さねぇ。

明日会ったら、縁切ろ。


~5~ 俺らまだ、これからだ。


心優が好きなんだ。それは分かってる。でも、今心優と縁切らないと、きっともう、死ねない。心優から離れられなくなるから。心優と会わなくなって、心優を忘れた頃に、もう一回あの駅に行こう。行ってそして、心優の事を思い出そう。心優に産まれてきてくれてありがとうって、出会ってくれて、あの日ぶつかってくれてありがとうって、想いながら逝こう。たぶんそれが俺の一番の幸せ。雨男で妖怪の俺が望める最高の夢。

『ちがう!ちがうんだ。俺の幸せはそんなもんじゃない!俺の幸せは、雨男だろうが妖怪だろうが変わらねぇ。心優の手の温もりを感じながら、かっこよく、またなって言って死ぬのが夢であり、それを達成するまでは勝手に死ねねぇんだよ‼️』

そうだった、そうだった。危ない、危ない。心優と出会った日の夜、俺はこいつと一生生きる気がしたんだから。そん時の勢いなんかで死ぬわけにはいかないんだわ。

よし、心優にコクるか。それぐらいしか今の流れ的には出来ないよな?


「よう、心優。」

「おはよ、シュウ君」


俺はいつの間にか心優にシュウ君と呼ばれていた。修也しゅうやの修をとって、そのままシュウ君ってことだな。許可してないが、親しく呼んでもらうのも、悪い気分ではないからそのまま触れないことにしている。


さーて、よしやるか。


「なぁ、心優。俺ら出会ってまだ四ヶ月だよな

 ぁ。」

「そうだね。すぐ仲良くなったよねー。」

「あぁ、そうだな。」

隣でニコニコしている心優はまるで背中の後ろに隠されたプレゼントを待つ子供みたいだ。

「お前には何度も助けられたよ。」

「まぁ、私はシュウ君の命の恩人だもん。」

 自信満々のドヤ笑顔がむっちゃ可愛い。

 うっしゃ、トドメだ。

「心優のおかげで今心優と一緒に居られてるんだも

んなぁ。」

「ありがとな。心優。」

 これでいいだろ。3、2、1、


「ねぇ、シュウ君。私、シュウ君の事大好き!」

「知ってる。俺もだ。」


っとまぁ。こんな感じで俺らは、付き合い、めでたくカップルということになりました。


~6~ どうして俺、生きてるんだっけ?


ずっとは続かない。そんなこと、覚悟の上で付き合い始めた。俺が雨男ってことを知ってたら、心優もきっとそうだったはずだ。でもまさかこんなにも早く終わりが来るなんて、あの時は思ってなかったろうにな。


まさか、こんなにも早く、雨男がバレるとは。


今俺たちは、背中を合わせて、ビリジアンのソファにだらしなく座っている。

心優は大泣き。俺も半泣きだ。

最近、一緒に出掛ける事が多くなった。でもそれは、雨を伴う。心優はいつも苦しそうな顔をする。

付き合い始めて半年。

その日は、隣町の遊園地に向かっていた。

最寄りの駅で降りて、ホームを歩いているとき。心優は楽しみにしてくれていたのか、鼻唄を歌いながら、スキップぎみに俺を少し抜かして、たまに俺の事を見て減速して短い道をお互いに最大限、楽しんで歩いていた。心優が俺を見て、にこりと笑った。俺の右腕に飛び付いてきた。あぁ、かわいいなぁ。なんて考えていると、また、雨が降った。一気に暗くなった空を見上げていると右腕の温もりが消えて雨の冷気にあたって寒い。

「おい、心優。なぁ、返事してくれよ!」

「シュウ、、君、、、?」

「心優ぅ。」

心優は救急車に運ばれていった。病院の名前だけ教えてもらって、俺はホームに独り。まただ、また、みんなが俺の死を待ち望んでいる。冷たい笑顔で俺を見て、俺の体温を下げる。哀れみと侮辱の混ざった空気が俺を苦しめる。俺は逃げた。ホームから逃げた。だって、もう死ねない。俺には心優がいるから。死にたくない。心優に会って謝って。これからは遠くから心優を見守る。近くで一緒に過ごすのはもうできない。だって、俺は雨男で心優は気象病だから。俺の夢なんて、心優と死ぬなんて、叶えられない。心優の幸せのためには。

俺らの「じゃあな」は、お互いを考えた時の最善の愛の言葉だ。それを、心優に伝える事がきっと、

俺の心優の彼氏としての最後の仕事だ。


~7~ 雨男くんの愛の言葉。


真っ白な病室の中に輝く笑顔がひとつ。そのとなりに、輝きを消すような泣き顔がひとつ。


「ごめん、ごめんな。心優。」

「なんで、シュウ君、泣いてんの!?」


心優はまだ知らない。でも、今言うしかない。

今言って、今サヨナラしないときっともう二度とこんな決断できない。それは、ホームに飛び込もうとしたときも一緒だった。同じ感覚。怖かった。あの時の選択が正しかった自信が無かったから。今別れない方が良いのか?


「なぁ、心優。お前、気象病だったよなぁ。」

「、、、シュウ君、覚えてたんだ。」

「忘れられるわけない。」

「だって俺、雨男だもん。俺が心優を傷付けてるの

 分かってんのに、隣に居続けるなんて自分勝手。

 もうできない。」

「だからもう、俺ら会うの辞めよ。」

 多分、今言ってしまうのが最善だった、、、、はず。


~8~ 「雨男って馬鹿だよね。」


「なに言ってんの?」


私は怒った。静かに、悲しみを噛み締めるように。


「シュウ君が雨男だからって別れる理由にはなら

 いよ。」

「お前は気象病だろ!」


シュウ君が私を心配して言ってくれてるのは分かってる。でも、、、



「知ってたから。」

「は?」

「シュウ君が雨男だって、出会った日から知ってた

 から。」


だってシュウ君は、私が妄想してきた雨男にそっくりだったから。


「でも、シュウ君は優しいにおいがして。暖かく

 て。一緒に居るときは私の事気遣ってくれる

 し。こんなに一緒にいたいと思った人シュウ君が

 初めてだったから。」

「だからお願い。これからも私のそばで見守って

 て。自分のせいで私が苦しんでると思わない

 で。シュウ君が私の隣で笑ってるのが私の何より

 の幸せだから。」

「シュウ君に苦しめられて死ぬのなら、それ以上の

 死に方考えられない。」


シュウ君はなにも言わなかった。ただ、泣きながら頷いていた。


~9~ 心優。お前最高の気象病だ。


6月が終わり夏が来る。

俺は、暑いのが嫌いだから、俺が外に出ても、雨は降らない。心優との出掛け日和だ。心優も夏休みは仕事が無いから俺らは毎日のように手を繋いで遊びにいってる。それがもう楽しすぎて。俺もうすぐ死ぬんじゃないかって思うぐらいに。

だから、雨が嫌いだ。雨が降ってると、心優は頭いたくなっちゃうし、それ俺のせいだし。六月はほとんど寝れなかったわ。心優の事悩みすぎて。もう来年は悩まず、心優と付き合えるようになると思うけど。一年ぐらいあれば、答え出るだろ。お互いに。


今日は水族館に遊びに来ている。デートの企画をしてんのはいつも心優で、俺の心覗き込んでんじゃないかってくらい、いつも楽しい。まぁ、心優の隣に居るだけで楽しいけど。一日中公園のベンチでもいいぐらいだよ。

んっ?今のちょっとカッコよかったんじゃない?心優に言ってみよっかなぁ。


「心優、いつも計画してくれてありがとな。」

「いいの、いいの。気にしないで。シュウ君との事

 考えてるの楽しいから。」

「いつも楽しいよ。」

「まぁ俺は心優と一緒に居るだけで楽しいけど

 な。」


俺がそう言うと心優はいきなり声を出して泣いた。

俺に倒れるように抱きついて、俺の上着が濡れていく。


「うん。私も。」

「心優?何で泣いてる?」

「ごめんね。折角、シュウ君楽しんでくれてるの

 に。でも、これは私の話だから。シュウ君にこれ

 以上の迷惑かけたくないし。」

「ん?何言ってんの?俺がいつ心優に迷惑かけられ

 た?俺、覚えねぇんだけど。ていうか心優の

 迷惑とかマジ歓迎なんだけど。なんも隠すなっ

 て。どんなことだろうと、俺が全部受け止め

 る。浮気だろうが何だろうがいいさ。浮気された

 って俺、お前の事逃がさないから。」


俺は、今まで心優に伝えたかった事を早口に全部言い切った。家帰ったらまた、ポンポン出てくるんだろうけど。だからこそ、俺の言いたい事が全部尽きるまで、離さない。俺の中に閉じ込める。


「シュウ君。」


心優は泣いた。でも、どんなに心優が泣いても、俺が心優に伝えたい事が尽きても、気象病は治らない。雨男も変わらない。それでも俺達は、その現実から逃れるために、涙を流している。お互いを支え合って生きてる。だから、一緒に居られる。もう、一緒に居なきゃいけない存在になってる。


「ほら、いくぞ。お前の話。一時間でも一日でも聞

 いてやる。」


少し強引に心優の手を取った。壊れそうな小さな手を優しく握った。力を込めたら、バラバラと崩れて居なくなっちゃうんじゃないか。俺の生きる意味が失くなってしまう。そんなの線路に飛び込むのと同じ事だ。


水族館を出て、小さなカフェに入った。心優はまだ少し涙が出ている。


「もう泣くなよ。」


心優はうなずくだけで何も言わなかった。それから、飲み物が来て、心優が話し出すまでは何も話せなかった。小さな涙を少しずつ流し続ける心優に何も声をかけられなかった。それが、悔しくて仕方無かった。心優になにもしてやれなくて申し訳ない。


「シュウ君。私のお母さんがもう居ないのは、随分

 前に話したよね。」


心優のお母さんが心優のお父さんと喧嘩してお父さんに殺されて亡くなったのは、出会って半年ぐらいの時に教えてもらった。


「そのお父さんなんだけど、シュウ君と同じ雨男だ

 ったの。それでね、お母さんが死んだ後におばあ

 ちゃんに言われたことがあって。雨男には気を付

 けてって言われてたの。私、元々気象病だから、雨

 男は嫌いだったんだけど。シュウ君は他の人と違

 うんだよね。私を包み込んで、何か別の物から守

 ってくれてる晴天の中の雨男。って感じで、一緒

 に居ると安心するの。私だって何度も別れること

 考えたけど、シュウ君が居ない人生なんて考えら

 れなかったんだよね。将来の事を思い浮かべてる

 と、必ず『シュウ君と一緒に』っていう言葉の後

 に妄想が広がっていくの。必ず。」


心優はさっきの俺みたいに心から出てくる言葉を何も考えずにそのまま伝えてくれた。


「俺もだ。」

「お前と一緒じゃないと生きていけないと思ってる

 から。だから、逃げんなよ。今までもこれからも

 俺はお前が好きだ。」

「もう泣くな。俺が泣かせる分の涙が無くなるだ

 ろ。もちろん、嬉し涙な。」


「私の方が泣かせられるもん。」


目元が腫れた心優が自信満々の笑顔を浮かべている。


「悲し涙か?」

「違うもん!」


多分、俺ら永遠に続くよな。お前もそう思うだろ?心優。


~10~ 雨降る部屋。


最近は二人で遊びにいく回数が減った。少し寂しいなぁ。

すんません、間違えました。ものすごく寂しいです。

心優に会いたいなぁ。二人で行った場所を見る度に思う。町を一人で歩いてると心優の顔が浮かんでくる。心優が欲しくて堪らなくなるときがある。心優が居ないと具合が悪くなって、やる気が失せる。心優は俺の薬だ。高いビルの向こうの空に呟いた。


「どこにいるの?」


心優の家は知ってる。職場も知ってる。でも、心優は俺より遠い場所にいる気がして。もう二度と会えないんじゃないか。不安になってしまう自分に苦笑する。心優の事信じてやりたいのに。どんなに自分を責めても、心優を信じきれない。一日一日、距離が遠くなっていく気がして、寝たくなかった。寝てしまったら、起きたときには新しい日が来てるから。もっと長く今日に居たいと思うから。心優が遅くなってごめんねって来てくれるんじゃないか。

なんて、有り得ない妄想。もうそろそろ寝よ。


「おやすみなさい。」


まだ、八時。電気を消しても多分、寝れない。心優の事ずっと考えちゃう。でも、寝ようって思ったことの証明に言った。誰も居ない部屋に。


「遅くなってごめんね!」


でも、その部屋には、誰かがいた。

一瞬、空耳だと思った。でも、居たんだ。

そこに、心優が。


「ごめんね。シュウ君。会いたくなってきちゃっ 

 た!」

「バカ!これから、寝るところだよ!」


多分、笑えてたと思う。泣かずにいられたと思う。心優に会えた。そこに心優がいる。もちろん、そのまま帰すわけ無く、真っ暗な部屋、月明かりに唯一照らされた心優の横顔を見つめていた。


「もう、逃がさねぇ。」

「ごめんね。シュウ君忙しいかなと思って。誘った

 ら悪いかなって。」

「なにを考えているのかな?心優さん?」


ニコニコと笑いながら最大限の愛情を込めて言ってやった。


「お前は俺の必需品なんだよ?

 早く誘わなきゃ。生きていけないよ?僕は。」


本当にその通りだった。心の底からの本音だった。


「でも!今日はもう遅いから。夜遅くまで、お嬢様

 を閉じ込めてはおけないよ?」

「じゃあ、、、決めた!シュウ君。私と結婚ね!」


返事に迷った。もちろん、俺は心優とずっと一緒に居たい。一生、隣にいてほしい。でも、やっぱり俺は雨男だから。心優は気象病だから。心優が良いって言ってくれたからって、その言葉に甘えちゃいけないんだ。もしそれで、心優が具合を悪くして、、、

考えるだけで、泣き叫びそうになった。

心優の家族に、何て言えばいいんだ。僕が殺しました。これから刑務所に行きますって言えば良いのか?そんなんで済むのか?そんなに軽い物なのか?心優の命は。そんな訳無かった。俺の中の大切な物。失くしちゃいけない物。

―― だから、


「駄目だ。」


「無理」でも無く、「ごめん」でも無く、「駄目」

 そう言うしかない。


「もしかしてシュウ君また、自分が雨男だからって

 考えてるでしょ。それは、気にしなくていっ」 

「駄目なんだ!」

「もしそれで、お前が居なくなったらどうするん 

 だ?俺が殺したんだぞ!そんなの嫌だ!駄目なん

 だ、、、」

「シュウ君、、、。」


駄目なんだ。駄目なんだ。泣きながらずっとそう呟た。心優は泣かなかった。怒らなかった。優しく微笑んで、俺の背中に手を回して、涙で濡れた俺を温めてくれていた。


「泣きなよ。泣いて、泣いて、私を満たして。潤し

 て。シュウ君が降らす雨が私は好きだよ。」 


~11~ 晴天の中の雨男。


外が眩しい。何気なくカーテンを閉めようとして思い出した。俺はあの後、寝てしまった。心優はもう部屋には居なくて。連絡も来てない。


「はぁ。」


大きく溜め息をついた。どうするのが正解なのか俺にはもう分からない。断るのが正しかったのか。

―― 心優は今どこにいるんだ?

それが気になって仕方無かった。何かに駆り立てられるように携帯を手に取って、文字を打ち込む。


『今、どこにいるの?』


心優はすぐに気付いた。


『おはよう!昨日はごめんwでもシュウ君の寝顔

 見れてラッキーだったなー!行って良かったぁ』


俺の質問には答えない。昨日ただ会っただけのような返事。昨日の会話は夢だったのか?それとも、心優にとっては、忘れるような話だったのか?


『バカにすんな!w』


特に責めることはしなくていいと思った。今までと変わらずに接していけばいい。


『シュウ君。今日会える?急に会いたくなってきち

 ゃった!』

『別にいいけど?』

『じゃ、一時に駅前でね!』

『了解』


約束の時間に駅前に行った。心優はまだ来てない。何て言えばいいんだ?いつも通りが思い出せない。心優は何て言ってくるんだろう。


「シュウ君?」

「おわっ!心優?驚かせんなよぉ」

「驚かしてないよぅだ!」

「まぁいいや。

 んで?今日はどこにいくんだ?」

「今日はすぐそこのカフェ!」

「こんなとこにカフェなんかあったっけ?」

「最近出来たの!シュウ君はいつも遅れてるなぁ」

「はい、はい。ほら、早く行こうぜ?」

「うん!」


カフェでお茶をして。駅前のイルミネーションを見て帰る。それが、今日の計画らしい。特に遠くに行くことはないみたいだ。イルミネーションの電気が付くまでは行く場所が無いのでずっとカフェに居ることにした。ずっと会ってなかったもんだから、二人とも話したいことがポンポン出てきて、夜になるまでの間、話が尽きることは無く、俺らはずっと話続けてた。幸せだった。心優と一緒に居られることが。今まで誰かに愛されたことが無かった。親父は、後輩が失礼だったからって言って、サンドバッグの様に俺を殴り続ける。母親も親父には逆らえずに、ずっと親父の言うことに「そうだよ。」って言って、殴られてる俺を可哀想にって見捨てる。俺が一人立ちできるまで金をくれたのには感謝してる。でも、殴られてるのを知らんぷりしたのは許せない。俺だけで良かった。あそこの家の子供が。そう思うほど最悪な親だった。ああなりたくないとは思った。悪いお手本が見れて良かったって、強がって、壊れたこともあった。授業には出ずに、誰も使ってない教室の机に先生の悪口を彫って、それを先生に親に告げ口されて、また、同じ事を繰り返して。いつの間にか巣立ってた。

そんな俺が今、心優の隣にいる。

心優に出会ってから幸せだって言ってしまう癖がついた。そんな自分も幸せだなぁ


もうそろそろ、イルミネーションの時間になって、カフェを出た。そしたら、


「雨、、、降ってるね、、、」

「そうだな。」


左拳を壊れるくらいに握った。泣きたかった。


「寒いね。シュウ君。」


そう言って心優は、あの日のように、俺の右腕に抱き付いた。


「そうしてると暖かいのか?」

「うん!シュウ君はポッカポカだもん!」


嫌な予感がして聞いた。この前みたいに倒れて、そのまま、症状が悪化して、最悪、、、

嫌だ!そんなの絶対駄目だ!でも、、、


願っても意味は無かった。


「ごめんね。シュウ君。」

「おい。心優ぅ。何でだよぉ。」


俺の涙が心優の服を濡らしていく。俺の回りが人だかりで暗くなっていく。きっと誰かが呼んでくれたんだろう。遠くに救急車の音が聞こえる。


いつの間にか来ていた、見慣れた病室。

心優の病室で、俺は泣いた。情けない。情けない。心優を守るどころか、苦しめている。やっぱり、一緒に居ちゃいけないんだ。


「ごめんな。心優。ごめんなさい。」

「謝っちゃ駄目なんだよ?修也?」


久しぶりに修也って呼ばれた。まるで、俺を遠ざけるような呼び方。心優も思ったのかな?一緒に居ちゃいけないって。駄目だったんだ。当然だよね。何で今まで気づけなかったんだろう、ずっと、ずうっと、俺が心優を苦しめ続けていた事。雨男と気象病の人が付き合えるわけない。恨み合っていた二人がいざ会ってみたら仲良くなったなんて、幻だったんだ。でも、今心優と別れちゃうのは無責任だ。俺が苦しめたなら、心優が元気になるまでは見守ってやらなきゃ。


心優を診てくれている桐谷という医者と話をした。


「心優は、良くなりますか?」  


桐谷先生は、顔をしかめて、悩んでいる。


「良くならないんですか?」

「どっちかというとそんな感じかなぁ。

 僕も最善は尽くしているつもりだけど。

 それでも、絶対に治る訳ではないことを承知して

 いてほしいな。」

「分かりました。よろしくお願いします。」


桐谷先生は、病室から出ていこうと立ち上がった。ドアに手をかけた先生を呼び止めた。


「先生。俺はここにいた方がいいんでしょうか?」

「どうして、そんなことを聞くのかな?」

「僕が心優の事を苦しめていると僕は思っているか

 らです。」

「君がそう思うならば、、心優さんの近くにいない方

 がいいだろうね。でも、心優さんは本当にそれを

 願ってるのかな?」

「どういう事ですか?」

「心優さんはね、この病院に運ばれてくるときずっ

 と、君の名前を呼んでいたんだよ。

 耳を澄ましてごらん?ずっと呼んでいるよ?」


さっきまで静かな病室と思っていたのに、今は、心優の声しか聞こえない。シュウ君、シュウ君。ってずっと俺の事を呼んでいる。心優の声に俺は気付けなかった。


「気付けなくて、ごめんね。心優。」


いつの間にか、桐谷先生は居なくて、俺と心優だけの病室には心優の俺を呼ぶ声と俺の泣き声だけが聞こえていた。 


何日経っても、心優の病状は良くならない。もう駄目なのかな。って何度も諦めかけた。でも、心優は強いから、きっと大丈夫だよね。って暗い天井に呼び掛けた。返事は返ってこないけど、心優の明るい笑顔が返ってくる。暗闇の中で輝く心優の笑顔に吊られて俺も苦笑した。


「桐谷先生、心優の病状は良くなってきてるんです

 か?」

「、、、残念ながら。」


桐谷先生は、俯いて悲しそうな顔をした。医者なら当然の事だろうけど、心優の事を真剣に考えてくれてることが嬉しかった。桐谷先生ならどうにかしてくれると思った。


「桐谷先生、よろしくお願いします。」

「うん。最善を尽くすよ。」


正直、不安だった。心優とこれからも一緒に居られるのか。心優がこれからも幸せに暮らせるのか。俺とじゃなくてもいい。心優が幸せなら、俺は一人でもいい。でも、やっぱり心優と一緒に居たい。

桐谷先生が俺と心優の顔を順番に見つめてから、部屋を出ていった。


「心優。ごめんな。」  


心優の手はまだ暖かくて、命を感じた。赤い唇に触れたくて、手を伸ばした。でも、駄目だった。心優の目の前で止まってその先に届かない。俺の手は震えて、今にも泣きそうで、病室を飛び出したかった。心優の前で泣きたくなかった。強くありたかった。心優を守れるってことを証明していたかった。でも、俺は心優を傷付けて、いつか心優が目を覚ましたときには、シュウ君は悪くないよって慰められて。


「俺って心優に助けられてばっかりだ。」


心優が笑ったように見えたのは、俺の妄想か?

微かに首を振ったように見えたのは、気のせいか?

どっちだろうと、

まだ、居なくならないでね、心優。


~12~ 大切な人。


あの後は、桐谷先生の頑張りもあって、病状が少し回復している。でも、病院からは、まだ出られない。


「シュウ君、ごめんね。迷惑かけて。」

「いやいや。俺のせ、、、」


「俺のせい」っていう言葉は絶対に使わないって決めたんだ。


「気象病なんだから。天気予報はちゃんと見てから

 出掛けないとだめだぞ?」

「う、うん。そうだね。」


心優は、笑っていた。でも、泣きそうな、寂しそうな笑顔だった。


俺が真っ暗な自分の部屋で、天井を見つめて、暗闇に消えそうになったとき、聞き慣れた電子音が俺を現実へ連れ戻した。

桐谷先生からの電話だった。


「はい、、、分かりました。すぐ行きます。」


俺は携帯をバックに押し込んで、部屋を飛び出した。


家のドアを雑に開けて、チャリに乗って、全力でこいだ。どんなに精一杯こいでも、まだ遅い気がしてムカついてきた。

見慣れた病院に着くと、小走りで心優の病室に向かった。

心優の病室の前で深呼吸をして、ゆっくりノブに手をのせた。時間が止まったんじゃないかってぐらいに、俺はピタリと止まってしまった。


――もしも、心優が――


でも、止まってはいられない。後ろには戻れないんだから、前に進むしかない。時間だけ進むのは、勿体無い。必ず、いつかは朽ちる。死にたくないと言っても、遅いか、早いかしか変わらない。それに俺らはしがみついて、生き残ろうとする。遅かれ早かれ、その行動は無駄になる。いつか朽ちる日に無意味なものになる。

何のために生きるのか。俺が生きることに、何の意味があるのか。

俺の人生は俺が存在するまでは無意味だと。俺が逝ってから、俺の人生が彩る。意味が宿る。その為に、今を生きればいい。そうやって、考えて、今の無駄な行動に言い訳をする。そうしないと生きていけないんだ。いつか朽ちる日まで、ずっとそうやって生きていく。生きていかなければならない。


――だから――


俺は病室に入った。

ベッドに横たわる心優の隣で桐谷先生が丸椅子に座っている。


「桐谷先生」

「あぁ、来ていましたか。」

「で、心優はどうなんですか?」

「二十分くらい目を瞑ったままです。」

「心優は、治るんですよね?」


 先生は、俺の質問には答えず、俯いた。


「先生、、、?桐谷先生、、、?」

「私も心優さんに精一杯尽くしてます!

 、、、でもどうして心優さんがそうなっているの 

 か、分からないんです!」


先生が泣きそうな声で言った。泣き叫んでいた。

その声を聞いて思い出した。


 ――俺のせいだ。――


その瞬間、こんなにも大事な事を忘れてしまっていた自分が憎くなった。考えずにいれば解決するような事ではなかった。俺は心優の為に考え続けなきゃいけない。一生、自分を責め続けなきゃいけない。それが、心優と付き合うということだ。心を決めなきゃいけないんだ。自分を悪者と決めつけて、心優にごめんねって言い続ける。そうしないと、心優とは生きていけない。


「先生、これからも心優をよろしくお願いしま

 す。」


俺はそれだけ言って病室を出た。一歩ずつゆっくりと。本当は出たくなかった。ずっとそこにいて、心優と一緒に居たかった。でも、心優の幸せの為に。一人でも、一人だけでも、守りたかった。大切な誰かを、一生をかけて全力で。



~13~ ねぇねぇ、心優。


目が覚めた。


――あれ?シュウ君が居ない――


いつも居てくれてたシュウ君が居ない。いつもなら居る時間なのに。小さい不安が心に積もる。

隣の丸椅子に枯れた花が置いてある。シュウ君がくれたのかなぁ。


―― そんなに長い間眠っちゃったのかな。――


シュウ君が元気なのかずっと心配していると、桐谷先生が病室に入ってきた。


「あぁ、目覚めたんですか。」

「あっ、はい。」

「あの。シュウ ―― 修也さんは最近来てないです

 か?」


先生は、少し黙った後に、、、


「あの方は、二週間前からずっといらしてないで

 す。」

「、、、そうなんですね」


どうしてだろう。どこにいっちゃったんだろう。


私はずっとシュウ君の事を待ち続けた。でも、あの日から一ヶ月シュウ君が私の病室に来ることは無かった。いつかまた会いに来てくれるよね。


***


心優に会いたかった。それは間違いなかった。でも、心優の為。大切な人の為。自分の幸せより心優の幸せの方が大切だ。もし、心優が俺と一緒に居る方が自分の幸せだと言ってくれても、心優が死ぬのは絶対に幸せなことではない。


そうやっていつものように心優の事を考えていると、右手のスマホが震えた。心優からの電話だった。多分、心優は帰ってきてと言ってくれるんだろう。でも、帰れない。だから、一瞬出るのを躊躇った。

だけど、心優に直接話さないといけない気がした。


「もしもし」

「あぁ、修也君?」


俺が待っていた暖かくて、天使の囁きの様な心優の声とは違う、冷たく、冷静な声が聞こえた。桐谷先生の声だ。


「はい」

「あのね。心優さんがね。目を覚ましたよ。」

「本当ですか!」

「うん」

「良かったぁ」


心の底からそう思った。でも、それと同時に心優との別れを思い出す。


「これから、そちらに向かいますね。」


桐谷先生にそう伝えて家を出る。心優にお別れを言うために。


「失礼します」

「はーい」


久しぶりに聞く心優の声は、暖かくて優しかった。


「久しぶり。心優」

「久しぶり!シュウ君!」

「なぁ、今、幸せか?」

「何でそんなこと聞くの?」

「俺がここに居て幸せか?」

「もちろん!」


心優の幸せのために別れようと思ったのに、心優の幸せのためにはここにいた方が良いのか?

心優が幸せって言う事が本当の幸せかなぁ


「俺も!」


俺が考えてることは心優には分からない。だから、いつものように、何事もなかったように、精一杯の笑顔で、涙を流さないように、上を向いて、神様に誓うように、いや、心優の、お母さんに誓うように言った。


―― この人を僕にください!――


そう、伝えたかった。幸せだった。心優の隣に居られることが。今までの何よりも幸せだった。だから、これからも一緒に居たい。

それが今の俺の最大の願いだった。


なのに、それしか願ってないのに、どうしてそれさえ叶わないんだろう。

あの後、心優は病状が悪くなっていった。

雨はあまり降らないのに心優は毎日辛そうに顔をしかめて、でも、俺の顔を見るとすぐに笑って。精一杯の心優に胸が一杯になった。なにもできないのが悔しくて悲しくて仕方無かった。


握った左手に力を込めて、呟いた。


「ごめんね。心優、何にも出来なくて。」


心優でも良い、桐谷先生でも良いから、誰か教えてくれ。今何をすれば良い。俺はどこにいれば良い。

心優の隣か?それとも‥‥


〜14〜 病室の臭いと君の香り。


今日もまた病院に行く。

毎日の日課のように何気ない。

自然と自転車に乗り、いつの間にか病室に入る。

我に帰ったときは、目の前に心優が居る。

幸せだなぁ。と何度思ったことか。

心優の隣に居ることが俺の幸せで生きる意味だから。

大好きって本当にそのまんまだった。

心優が好きで好きで堪らなかった。

病院から帰る時も心優の事を考えて、考え続けて。

一日中、心優の事を考えている。忘れる日はない。

心優が居なくなったら。俺は生きていけないだろう。心優は俺の中の一部だから。心優にもたれ掛かって生きてるから。倒れちゃうんだよ。心優が居ないと。


鼻から大きく息を吸った。

そしたら、今まで気付かなかった、暖かく、優しく、不思議な匂いがした。


嬉しくなった。心優がここに居る。

でも、

怖くなった。心優が居なくなっちゃう。


心優が病院に居る。

俺が病院で不安になってる。

怖い。この先にある未来が暗そうで。真っ暗みたいで。

心優と俺が一緒に笑って生きてる未来を想像しなくなった。そんなこと考えてなかった。駄目だ。考えなきゃ。悲しまなきゃ。俺のせいだって思わなきゃ。毎晩、泣かなきゃ。


心優に怒られちゃう。


〜15〜 心優という人の為に 。


心優は元気にならなくて。

ずっとベットに寝たままで。

俺は段々、やる気を失くして。

心優の病室に行くことしか出来なくなって。

お互いどんどん堕ちていく。

人生のどん底へ。


日課のように毎晩泣いて、心優の事を考えている。

また前のように、心優の隣で笑っていられるのか。

シュウくん、シュウくんって優しい声が聞けるのか。

不安で不安で仕方なくて。

前と状況が変わってなくて、悲しくなる。

ごめんね、心優。


今日も病室に行く。

自転車に乗って、風を切って。

傍から見れば、気持ちよさそうに見えるのも、今では何にも感じない。


病室のドアに手を掛けた時、誰かの泣き声が聞こえた。心地の良い泣き声だった。

それを聞いていると、泣いている人を慰めたくて、一緒に泣きたくて、ドアを開け、その人の名前を呼んだ。


「心優」


心優は泣いていて、腫れた目で俺を見上げた。

その顔を見て、言葉が出なかった。

心優の顔が怖かったとか、そういう事ではなく、泣きじゃくる心優になんと声を掛けたら良いのか分からなかったんだ。

何にも出来ない彼氏でごめん。


心優は、病状が治らず、先生もほぼ諦めかけていた。

もう一度だけ、最後に心優の声が聴きたい。

どんな音楽より好きな声。懐かしいと思うあの声。

でも、それより聞きたいのは、心優が目覚めたという桐谷先生の声かもしれない。

どうして目覚めてくれないの?

こんなに願ってるのに。何よりも夢に見るのに。


なんともない、雨の降る日。

部屋の天井を見上げ、いつものように心優の事を考えていた時、聞き慣れた電子音に俺は自然と携帯を取った。


「もしもし、修也です。」


少しぶっきらぼうに名前を告げると、


「あ、修也君?」

「桐谷先生、どうかされましたか?」

「あのね、心優さんがね、、、」


聞き覚えのある言葉にその続きが良いものだと思い、多分その時俺は笑っていただろう。

でも、その後に待っていたのは、笑えるようなものではなかった。


「はい、今すぐ向かいます。」


いつもの道をいつものように通った。

辛かった、泣きたかった。泣いて泣いて、叫びたかった。


―― 本当は心優に抱き付きたかった。――


病室に入る。

入りたくない。本当は絶対に入りたくない。今までの俺なら入らなかったと思う。そのまま逃げたと思う。

でも今は ――

心優に出会った今は、全力で心優と向き合う。

彼氏として。

命を救われた者として。


〜16〜 雨の日にまた逢いに行くから。


心優は今、危篤状態。

いつ息をしなくなっても、おかしくない状態。

常に怖かった。心優が居なくなるかもしれない。

それが、今、今、かもしれない。

いつも、泣いてしまいそうだった。

夜、布団に入る度に泣き、風呂の中では叫び。

辛かった。いっその事、死んでしまった方が楽かもしれない。そう思って、何度もマンションの屋上に登った。でも、その度に空を見上げ、いつか心優と見た星空を思い出し、何度も救われた。

心優はずっと俺の命の恩人だった。

でも、俺は心優の恩人にはなれない。

心優を救いたい。ずっとそう思っていた。

でも、何にもなれない。何にも出来ない。

悲しくて、悔しくて。

どんなに悩んでも駄目で。

心優はずっと危篤状態で。


ある日、桐谷先生と話をした。

もちろん、心優の話を。

心優は良く笑うと言う。

先生はその笑顔が好きで堪らないらしい。

僕も一緒ですと、笑いあった。

久しぶりに笑った。幸せな時間だった。

心優と一緒に居る時間と比べれば、比にもならないような幸せだけど、楽しかった。

でも、隣には危篤の心優が居て。

泣きたくなった時もあった。

もう、泣いていいと思った。っというか、ここでしかなけないと思った。

だから――

泣いた。心の底から泣いた。

桐谷先生は優しく微笑んでいた。

これまで見たことないほど優しい笑顔だった。

そういう人達に俺は支えられて生きてきたんだと思った。


「桐谷先生。ありがとうございました。」

「こちらこそ。」


そう、会話をして、俺は病室を出た。

ドアに手を掛ける寸前に見えた心優の顔に見覚えあった。

そうだ。先生の顔だ。

それで、俺はドアを開けるのをやめた。


「桐谷先生」

「どうしたの?」


先生は少し驚いた顔で、丸椅子にに座ったまま、俺を見上げた。

でも、俺が心優と先生の事を交互に見た瞬間、事に気付いたようだった。


「そっかー。気付いちゃったかー。」


先生は優しく笑いながら、立ち上がり、心優のベットに近寄り、心優の手を握った。


心優の名前は、桐谷 心優。

桐谷先生は心優のお父さんだった。


今まで、気付かなかった。

本当に申し訳なく思った。

俺のせいで心優が、こんな状態に。

よく怒らずに。俺の事を追い出さずに。

心優が目を覚ましたり、状態が悪くなったりしたら、必ず連絡してくれた。

感謝と申し訳なさでいっぱいになった。


「ずっと、ありがとうございました。」

「ました、なんて言うなよ。

心優はまだこれからだからよ。」

「、、、。」


何にも言えなかった。

そんな俺だから、心優に何にもしてやれないんだ。

俺が後ろ向きだから。

桐谷先生の方が前向きだよ。

桐谷先生は諦めてなかった。

諦めてるのは、俺の方だった。

桐谷先生は諦めない。心優が死ぬまで。

俺も諦めちゃ駄目だ。

そうだ、やっぱり俺は先生に救われてる。ずっと。


でも、俺らの想いは伝わらない。伝わらなかった。

心優は、俺と父親の隣で旅立った。


心優の生命は、今も意味がある。

心優がこの世に居なくとも、心優の生命は生き続けてる。

俺と桐谷先生のなかに、、、


俺は桐谷先生に言えなかった。

ごめんなさい、と

ただ一言言えなかった。

心優が死んだ事を認めたくないのかもしれない。

でも、心優は居ない。

どこを探しても心優は見当たらない。

空を見上げると心優が居る気がして。

でも、雨が降ると空は見上げられなくて。

だからやっぱり、


――― 雨が嫌いだ。


でも、雨は俺と心優を繋いでる気がして、

雨の日の空を見上げてみたかった。

いつもそう思ってた。

心優が居なくなる前も、居なくなった後も ――


心優は多分、雨になったんだと思う。

雨になって俺を満たしてくれるんだと。

だから、俺は雨の日にだけ、心優に会える。


「シュウ君が降らす雨が私は好きだよ。」


あの日、あの人が言ってくれた言葉は今も俺を

支えてくれる。

あの言葉があったから、あの人が居たから、俺は今生きている。


―― 全部、心優のおかげだよ。――


雨の日の夜、マンションの屋上で空を見上げて叫んだ。

その叫びは雨に消されて空の上どころか、下の階にも届かなかっただろう。

でも、隣で降っている心優には、

俺が降らした心優には、

きっと、届いた。


俺はこの時、俺が死ぬ時は、俺が雨になる時は、


―― 雨、降ってて欲しいな。――


ただそれだけ願っていた。



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6月、恋した雨男 浅葱 @sakura2121

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