第四章 七夕月
第一話 嘘の武装
「え~まじでキモイ」
「そやろ、ほんまウザイわ」
七月にはいり、来週には期末試験がせまっている。けれど、まったく緊張感のない会話がかわされている、昼休みの教室。
私はお弁当をつつきながら、五人で交わされる上滑りな会話を聞き流していた。
「有賀さんもそう思うやろ?」
「あっそやな。ウザイわ」
さも、聞いていたふりをして答える。
「有賀さんと仲良くなれてうれしいわ。最近一人が多かったやろ。思いきって声かけてよかった。何時も吉津さんといたし、なかなか声かけられへんかってん」
最近砂羽ちゃんは、休みがち。そして、私も砂羽ちゃんを避けている。あの雨の日から。
砂羽ちゃんの何もかも見透かす、力強い視線から逃れたい。
ぽつんと一人の事が多くなり、この五人組に声を掛けられてから、なんとなくいっしょに行動するようになった。
周りがざわついている方が、余計な事を考えなくてすむ。取りあえず、周りに誰かいるだけで孤立していないと判断される。本当は一人でいる時よりも、孤独を抱いている事が多いのだけど。
彼女達は、両極の言葉しか使わない。最高か最悪か。
感情に曖昧さはなく、すべてこの両極の言葉で分類できる。なんて、シンプルで潔い。何も考える事はない。自分の感情だけを物差しにして、すべてを二分化すればいいだけ。
「吉津さんとは、何時もいっしょっていう訳じゃないよ。ただ、小学校からいっしょやから、腐れ縁みたいな感じかな」
こうやって、私はまた自分にウソをつき上辺だけの会話をする。そうしないと、自分の感情に沈みこんでいってしまう。
「有賀さんも、LINEしよう。便利で楽しいのに」
「ごめん、たぶん使いこなせへんわ」
誰とも繋がりたくない。繋がっているようで実は繋がってない線。そんなものはいらない。
「昭和の女やな」
笑いがおこり、私も笑顔を張りつかせる。
「おばあちゃんっ子やったしかな?」
心がにぶい痛みを感じたが、気付かないふりをする。
昼休みが終わり、古典の時間。先ほどの五人はほとんど眠りについたようだ。私は眠る事もできず、美術室に視線がいく。
もう、先生の姿を見ても心が揺るがない。そう自分に言い聞かす。すべてはあの雨の日に終わった。
*
祖父の家で倒れ、気がつくと時間がかなりたったのか、部屋の中は暗闇に包まれていた。
私は、一瞬自分が生きているのか死んでいるのかわからなくなり、衝動的に自分を傷つけ、その存在を確かめようと刃物を探した。
しかし、鉛筆を削るナイフ、カッターやハサミまでも、隠されていた。
しょうがないので、子供の頃のように爪を噛んだが、あの頃の思いと一緒に無味の味が口の中に広がり、吐き気をもよおし生きている事を実感できた。
*
小学生のあの頃、母が退院し、私の治療も終わろうかという時、砂羽ちゃんのお父さんが、聞いてきた。
「これから、美月ちゃんは誰といっしょに暮らしたい?」
祖父たちは、こんな状態で婚姻関係を続けていく事は、お互いにとってマイナスだと思い離婚を提案した。そして、私を引き取ると母に告げた。
しかし、母は頑として離婚に同意しない。父も別居を条件に母の決めた事に従った。
私は母の元に帰る事を選択した。私の中であくまで母は母だった。
しかし、その関係が崩れたのが、遅い初潮が訪れた中学一年の時。
下着についた、筆ですっと刷いたような鮮やかで、生臭い鮮血。私の中に流れる母と同じ血。
それまで、母は母、私は母の子供という認識しかなかった。でも、生理が来るようになって、母は女で自分も女である事に気が付いた。
同じ女なら、私も母と同じようにあの恐ろしい般若の清姫になるかもしれない。あの、清姫は自分の内にも巣くっている。
こんな考えに取りつかれ、過呼吸の発作を頻繁に起こすようになり、また砂羽ちゃんのお父さんの元に通う事になった。
苦しくて怖くて、自分が自分でなくなるようなどうしようもない焦燥感。気がついたら、ナイフを手首にあてていた。力を入れようとした瞬間、母に見つかり泣いて止められた。そんな母の姿を私は苦々しく見下した。
誰のせいで、こんなに苦しんでいると思っているの?
それから、母は母ではなく私を苦しめる一人の女になった。
*
祖父宅の自分の部屋で、取り合えず生きている事だけ確認して、暗闇の中ぼんやりと雨が降りしきる外を見ていた。
ひさしから垂れる雨だれを目で追っていると、聞こえもしないその音が私の中でひびく。
ピチャーン、ピチャーン。
規則正しく雨音が鳴る、雨粒が私の心の奥底まで沈んでいった。
雨だれの音を遮るようにノックの音がして、佳代ちゃんが扉の向こうから声をかけてきた。
「美月、起きてる? 吉津先生に連絡したから、月曜日に病院にいこ? 話をきいてもらったら、すっきりすると思う」
「行きたくない」
これで三回目。一時よくなってもまた私は、自分に沈みこんでいく。後何回同じ事を繰り返せばよくなるの? 私は雨音からのがれようと、布団にもぐりこみ、さなぎのように丸まった。
その日遅く、祖父が帰ってきた。祖父は扉の向こうに立って、私に訴えた。
「佳代子から聞いた。静子の絵を修理しようとした、わしが悪かったんや。おまえは何にも気にする事ない。わしが何にも気にしてないんやから。なっはよここから出ておいで」
うそだ、祖父もあの絵を疑っていたから、家から出さずに修理するとか、作者の事を調べようとしていたくせに。
でも、一番傷ついているのは、祖父だ。その祖父が自分の気持ちを抑え、私を気遣ってくれている。
祖父の強さが私を責めさいなむ。
私は、ちっとも成長していない。何かあるたび、逃げる事しかできない。自分に閉じこもり、みんなに心配してもらって安心する。誰かに手を差し伸べてもらうのを、じっと待っているしかできない。
「ごめん、おじいちゃん。ちょっとショックやってん。でも、もう大丈夫」
私は幼稚な心をひきずり、大人の扉を開けた。自分の感情に蓋をし、打算を身に付けたずるい大人のフリをした。
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