第二話 絵画の修復
「えっ女学院の美術の先生なんですか?」
佳代ちゃんが先生にお茶を出しながら、先生の自己紹介を聞いてもう一度確認した。
「はい、北川理事に呼ばれてきました」
先生は学校でのポーカーフェイスをぬぎすて、すまなそうな顔をして座っていた。
北川理事とは、祖父の事だ。祖父は女学院の理事の一人として学校の経営にかかわっている。
「じゃあ、絵の修理は先生が引き受けてくれはったんですか?」
「はい、私の恩師、村山先生からお話をいただきました」
横で聞いていた私はムッとした。村山先生と言ったら、京都美大の有名な日本画の先生。祖父の昔からの顔なじみ。その先生が恩師という事は、真壁先生は京都美大出身で日本画専攻という事になる。
私が京都美大を第一志望にしたいと言った時は、なんにも言わなかったのに。
「そうですか、それにしても女学院の先生とは、てっきり修復工房の人かと思いました」
佳代ちゃんはそこまで言って、驚きがおさまったのか、居住まいを正し、
「ご挨拶が遅くなりました。北川佳代子です。何時も姪の美月がお世話になっています」
と保護者の顔をして挨拶した。
「いえこちらこそ、北川理事には面接の時、お世話になりました」
先生は神妙な顔をして、私をちらっと見た。
「有賀さんが北川理事のお孫さんだったとは、驚きました」
「姉の子どもなので、苗字が違うんです。この子あんまり、自分の事しゃべりませんから。学校でも無口だと思いますが、美大を受験しますので、先生にはこれからお世話になると思います。よろしくご指導お願いいたします」
私は、自分のおじいちゃんは、学校の理事なのって喜んで言いふらす高飛車な子と違うわと、佳代ちゃんに心の中で毒づく。
にこにこ笑っている先生にも、腹がたった。学校ではニコリとも笑わないくせに。
私以外の二人の会話がなごやかに進んでいると、玄関で物音がして、雅恵さんのおかえりやす、という声が聞こえてきた。
この騒動を仕組んだ祖父が帰ってきたようだ。ドカドカト足音をさせ、座敷に入ってきた。
「いやー遅れてすまんすまん」
がっしりとした背の低い祖父が初夏の陽気にのぼせたように、汗をかきながら言った。
先生は頭をさげながら、
「おじゃましています」と律義に返す。
「みんな挨拶は終わったかいな。こっちが孫の美月、かわいいやろ。娘の佳代子は三五歳でまだ独身や。はよ片付いてほしいんやけど、これがなかなか気が強おて、わっはっは」
一人豪快に笑い、佳代ちゃんは苦笑いを浮かべる。
祖父は何時も冗談好きで場を和やかにもするが、瞬間的に凍らすこともよくある。
佳代ちゃんは話題をそらそうと、
「お父さん、絵の修理を学校の先生に頼んだってどういう事? おまけに通いやなんて、ご迷惑と違う?」
さも、先生の事を気遣っているように言う。でも、そんな事でひるむ祖父ではない。
「昔うちの掛け軸を修理に出したら、とんでもない仕上がりになって帰ってきたんや。それから、修復工房は信用してない。今回村山さんに、相談したら真壁君を紹介してもろたんや。京美大でも、優秀な学生さんやったそうや。真壁君の人柄は面接の時にようわかったし信用もできる」
「でも、わざわざ通いにせんでも」
佳代ちゃんも負けてはいない。
「あの絵は静子が大切にしてた絵や。手元に置いておきたい。真壁君を信用してないという事とは違うで。ただ単にこの家から出したくないだけや」
静子とは祖母の事だ。
二人がやりあっていると、先生が会話に入ってきた。
「私は通いでかまいません。むしろそちらの方がありがたいです。私の借りている部屋はせまいですし、薬品の臭いもします。こちらの部屋を貸して下さると助かります」
祖父はニヤッと笑って、佳代ちゃんを見た。
「話がまとまったな。お礼はきっちりさせてもらうから、真壁君よろしう頼むわ」
先生はこの一言に即座に反応する。
「その事なんですが、私は日本画専攻で修復の勉強は独学でしてきました。プロでもありません。今回の事は勉強と思って引き受けましたので、お礼はいただけません」
「いやでも、あの村山さんが推薦してくれたんやから、君の腕が劣るとは思えん。ちゃんとお礼は受け取ってくれ」
人にただでお願いを聞いてもらう、という事に慣れていない祖父は、引き下がらない。二人で払う、受け取らないと押し問答になっていたら、
「じゃあ、うちに来られた時はご飯を食べて行って下さい。先生、失礼ですが一人暮らしでしょう? それぐらいはさせて下さい。それと、道具や薬品など修理にかかったお金は払います。その条件でどうですか?」
佳代ちゃんがみごとな妥協案を出した。
先生もこの案には反対しようがなかった。
「ありがとうございます。そうさせていただきます。学校の仕事もあるので、頻繁にこちらに来る事ができません。修理に時間がかかると思いますが、それでもよろしいですか?」
「時間がかかってもかまへん。よろしく頼みます」
祖父も胸をなでおろした。
「すいません、肝心の絵を見せていただけますか? この桜の絵ですね」
と言いつつ、先生はイーゼルに置かれた絵に近付いて行き、真正面に立ち、じっくり見る。吐息がもれるように、
「きれいな絵ですね」
と言った先生の、絵を愛でる横顔に見とれてしまい、慌ててそっぽを向いた。
「それは、亡くなった妻が結婚してまもなく、知り合いの画廊から買った絵らしいわ。四〇年以上前になる。作者は誰かわからんが、調べたらわかるんかいな?」
祖父は聞いた。
「落款がありますから、ネットや美術年鑑で調べてみます」
「それも、あわせてお願いするわ。さあ、この話はこれで終わりにしょう」
祖父は今までの話し合いにまったく参加しなかった私の方を眩しそうに見た。
「美月ひさしぶりやな、またきれいいになったんと違うか? 真壁くん、きれいやからって、美月にほれたらあかんで。わっはっは」
他人である先生の前で、孫のべた褒め。私の口の端が皮肉につり上がる。
「真壁先生を見て驚いたやろ? おまえを驚かそうと思って今日呼んだんや。美大受験するそうやないか。真壁先生にはこれから世話になるし、それもあわせてお願いするつもりやったんや」
祖父は先生に向き直り、
「孫をよろしく頼みます。これから受験の相談に乗ってやってください」
と言って頭を下げた。
先生は理事に頭を下げられ恐縮して
「進路指導ぐらいしか私にはできません。有賀さんは成績も優秀ですし、本人の力だけで十分がんばれると思います」
と私の方に笑いかけながら言った。
「美月は、ほんまがんばる子やからな」
祖父の発言に、私は無表情を決め込む。
私のいたたまれない気持ちを察してくれたのは佳代ちゃんだった。
「先生、何もお構いできませんが、夕食を用意してますので食べていってください。美月、絵を持ってさっきの部屋に先生をご案内して」
私はさっと立ちあがり、絵を持とうとしたら、先に先生が絵をかかえていた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます