ラベンダー畑でつかまえて

 翌日の朝、俺はエリウのテントを渋々尋ねた。

 ヒトミとカルラに夜這いをかけた後、自分のテントで昼まで寝ようと思ったのだが、今日はどういうわけかなかなか寝付くことができず、寝るのを諦めてエリウと話をしに来たというわけだ。


「おう、邪魔するぜ」

「ひゃっ!?」


 テントの幕をくぐると、エリウはちょうどラフな部屋着から皮の防具に着替えるところだった。久しぶりに見るエリウの一糸纏わぬ姿。今更そんな悲鳴上げて恥ずかしがることもねーと思うんだが、女ってのはつくづく、よくわかんねえ生き物だな。


「な、なんですか救世主さま、こんな朝早くから……」

「あ~、違う違う。ヤリに来たわけじゃねーから、そんなに身構えんなって」

「じゃあ、何をしにいらしたのです?」

「何って……話だよ、話。ま、お前がヤリてーんなら、俺はそれでも一向に構わねえがな」

「結構です。……それで、話とは何ですか?」


 仏頂面で冷たく言い放つエリウ。元々人前では毅然と振る舞ってはいたが、俺と二人きりの時はもっと物腰が柔らかかったはず。言われてみれば、確かに様子がおかしい。いつからこんな調子だったんだろうか。ここ一月余りのことを思い返してみたが、心当たりは全くない。


「いや、その……どうも最近、お前の様子がおかしいと思ってだな……」

「巫女様にでも言われたのですか?」

「うっ……」


 巫女様とは、つまりヒトミのことである。女ってやつぁ、どうしてこう無駄に勘が鋭いんだ?

 引き攣る俺の顔を見て、エリウは大きく溜め息をついた。


「はぁ……そんなことだろうと思いました。もういいです、私は別に話すことなんて……」

「おい、俺とお前が……つまり、アランサーがこのままじゃあ、お前だって困るんじゃねえのか?」


 そそくさと着替えを続けようとしていたエリウの手が、はたと止まる。


「なあ、俺、お前も知っての通りのクズだからよ、他人の気持ちとか全然わかんねーし、言われもしねえことを察するとか、気遣いとか、空気読むとか、絶対無理なんだわ。だからさ、不満に思ってることがあんなら、ちゃんと言ってくんねーか? ……まあ、言われたところで聞くかどうかはわかんねえけど、でも、少なくとも、言われなきゃ気付かねえこともあるからよ」


 空気とか、常識とか、暗黙の了解とか、流行りの言葉で言えば『忖度』か。社会には明文化されていないにも関わらず従わなければならないものがたくさんあって、どうやら俺は、他人と比べてそれが非常に苦手である。

 タクシーの運転手になる以前、新卒で入った会社を辞めたのも、主にそれが原因だった。当時の仕事と比べれば、今の仕事は給料も安いしクソ客も珍しくはないが、客を乗せてない間は一人の時間がとれる分、精神的にはだいぶ楽になったと言える。

 接客ったって基本的にはマニュアル通りにやればいいし、こっちから無駄に話しかけたりしなければ案外気楽なもんだ。クソ客と酔っ払いだけはウンザリするけど、降ろしたらそこで終わり。パワハラ上司と違ってずっと顔合わせなきゃいけねえわけじゃねーし。


 まあそんな具合だから、男女の機微みたいなもんもさっぱりわからねえ。こんな俺にだって青春時代はあったし、人並みに好きな女もいたんだが、俺の想いが報われたことは一度もない。童貞は風俗で捨てた。

 大人になるにつれ性格はさらに歪んでいき(自覚はあるんだぜ、一応)、女なんて穴があって使えりゃあそれでいいと思うようになった。だから、今まで顔も性格もひん曲がった、ちょっと構ってやればすぐに股を開くセンチメンタル・ブスと適当に遊んで、やることやったらスッパリ捨てる、そのルーチンを繰り返してきたのだ。

 奴らに貞操観念なんてありゃしねえ。構ってくれりゃあ誰でもいいから、誰にでもすぐ股を開くし、だからこそ俺でも遊べる。別に俺のことが好きなわけじゃねえ。それぐらいの暗黙の了解なら、俺にだって理解できる――いや、理解はしていない、単なる経験則に過ぎないが。


 本気で誰かを好きになるなんて、せいぜい中坊までのお子ちゃまが抱く幻想に過ぎない。若い頃は性欲、年とったらカネ。それが恋愛感情の単位となるのだ。

 そして、こんなクズの俺を本気で好きになる女だっていないだろう。お互い様だから、それでいいじゃねえか。

 しかし――。


 だとしたら、俺は今、一体何をしようとしているんだろう?

 ヒトミに説教喰らったとはいえ、俺はエリウと何を話せばいいというのか。

 わからない。


 エリウは目を丸くしていた。


「救世主さま……貴方が自分のことを話してくれたのは、これが初めてのような気がします」

「え……そ、そうか?」


 そうだったっけ。俺は慌てて記憶を辿る……言われてみればそうかもしれん。

 狭いテントの中が、奇妙な緊張感を孕んだ沈黙に満たされている。針で一突きしたら、風船のように破裂してしまいそうだ。エリウは俺の顔をまじまじと見て、次の言葉を待っているように見えた。えーと、こういう時、何言えばいいんだよ……!


「あ、あの……さ」

「はい……」


 パニック状態に陥った俺の脳ミソが辛うじて絞り出した言葉は、これだった。


「ちょっと、ドライブにでも行かねえか?」


 エリウは目をぱちくりさせ、困惑した表情を浮かべる。


「ドライブ……? 何ですか、それ……」

「あ、ああ……ドライブってのは、車に乗って……つまり、光る船に乗って、どこかに行くことだ」

「ええ……私は構いませんけれど、それで、どこに行くのですか?」

「それはまだ決めてねえけど……なんかお前、最近気が滅入ってるみてーだし、気分転換に、どっか綺麗な風景でも探しに行こうかと思ってな」


 我ながら、童貞のヤンキーが初恋の女をデートに誘うみたいにたどたどしい誘い方だとは思ったが、それでもエリウの表情は少しだけ和らいだ。


「……はい、喜んで。では、着替えるまでの間、少しだけ外でお待ち頂けませんか?」



!i!i!i!i!i!i!i!i!i!i!i!i



 そして数十分後。エリウは皮の防具でも部屋着のローブでもなく、見たこともない煌びやかな衣装を身に着けて現れた。細かい刺繍が施されたサフラン色のチュニックにサンダル、頭には花の形をあしらった髪飾りまでつけて。そのあまりの美しさに、俺は思わず息を呑んだ。

 エリウは目を伏せ、戸惑い気味に言う。


「……あ、あの、救世主さま……? どこか、おかしいですか?」


 初めて見るエリウの着飾った姿にボーッと見惚れていた俺は、声をかけられてようやく我に返った。


「い、いや、いや、おかしいなんて、そんな」

「実はこれ、ゴーマ軍が残していった物資の中にあったものなのです。ゴーマ人の服を着るなんて、とは思ったのですが……。私が部屋着と戦闘着しか持っていないと言ったら、巫女様とカルラさんに、これは絶対私に似合うと言われて、半ば無理矢理押し付けられたのです。や、やっぱり、変ですよね……? 私がこんな衣装を着ても……」

「全然、全然! その、すごく……似合ってるぜ」

「ほ、ほんとですか……? 良かった……」


 林檎のように赤らめた頬を手で覆いながら恥じらうエリウ。その初々しさはまるで乙女――いや、まるでじゃない。散々俺に穢されても尚、エリウの心は純潔の乙女のような初々しさを保っているのだ。


 エリウを助手席に乗せ、エンジンをかけた瞬間、タクシーが珍しく茶化すような口調で言った。


主殿あるじどの、今日はドライブデートか?」

「あ? デート?」

「エリウ殿が随分綺麗にめかしこんでおられるから、てっきりデートかと思ったのだが」

「デート……? デート、とは何ですか?」


 エリウが小首を傾げながら尋ねると、タクシーは即答した。


「デートとは、ただならぬ、やぶさかではない関係の男女が、親交を深めるために、同じ時間を過ごすことだ」


 尋ねられたのが俺だったら、おそらく『前戯の一種』とでも答えていただろう。タクシーの丁寧すぎる解説に、エリウはまた赤面する。


「な、なるほど……ありがとうございます」

「我々の世界では通常、まずデートを重ねて愛情を確かめ合ってから、交際、肉体関係、結婚、と段階を経て少しずつ絆を深めてゆくのだ。主殿とエリウ殿は順序が逆のようだが……」

「おいタクシー、いつの時代の話してんだよお前。今時ヤるまでにそこまで手間かける奴なんていねーだろ」

「主殿にとってはそうかもしれないが、皆が主殿のように荒んでいるわけではないぞ」


 なんだタクシー、今日は随分つっかかるじゃねえか。


 サンガリアの野営地は、ロンディムの北西の平原に設えられている。ロンディムの西には広大な森が広がっていて、野営地の北には峻険な山が聳え立つ。野営地を出た俺達は、東へとタクシーを走らせた。タクシーでスムーズに走れるのは、東側に広がる平原だけだったからだ。


「しっかし、サンガリアってのは広いとこだよなぁ」


 フロントガラスの向こうに広がる見渡す限りの地平線。国土の狭い島国日本のメトロポリス東京では、まずお目にかかれない光景である。


「そうなのですか? 救世主さまの国は、もっと狭い?」

「そうだな。国土のど真ん中に山があって、周りは海に囲まれてて……その狭い平地にビッシリ高層ビルやマンションが建ってるから、余計に狭く感じるな。日本でも田舎の方に行けば地平線ぐらいは見られるかもしれんが」

「コウソウビル……マンション……?」

「ああ……なんて説明したらいいんだろうな。家や建物が上にいくつも積み重ねてあって、人の何十倍もの高さになってる感じ。ロンディムの城壁なんかよりもっと高い建物が、東京には森のようにズラっと並んでるんだ」

「そんなものが……すごいですね。いつか、サンガリアの再興が成った後、私も救世主さまの生まれた国を見てみたい」

「それは……どうだろうな。おいタクシー、エリウを俺たちの世界に連れて行くことはできるのか?」


 タクシーの返答には妙な間があった。


「……さて、どうだろう。それは、私にもわかりかねる。主殿を元の世界へ還すことは可能だが、エリウ殿は元々こちらの住人だ。不測の事態が起こる可能性は否定できない」

「だよなぁ……って、え、おい、ちょっと待てよ」


 俺の聞き間違いでなければ、今こいつ、さらっと凄い事を言いやがったぞ。


「俺は元の世界に還れるのか?」


 タクシーはケロリとした声色で答える。


「うむ、主殿とヒトミ殿は元の世界に帰ることができる」

「どうしてそれを早く言わないんだよ、お前!」

「どうしてと言われてもな……。強いて理由を言うとしたら、主殿が元の世界に帰りたいとは一度も言わなかったからだ。帰りたがらない者に、帰りたいなら帰れると伝える必要はなかろう?」


 そうだっけ……?

 俺はこの世界に来てからのことを思い返してみた。確かに、サンガリアの集落に合流してからは、元の世界に戻りたいなんて一度も思っていない。だがその前はどうだろうか。エリウの邪魔が入ってヒトミとはぐれてからは、元の世界に戻る方法を探るために、この世界の住人を見つけて情報を得ようとしていたはずだ。その過程でサンガリアの集落を見つけて――。


「……まあ確かに、言われてみれば、『帰りたい』と口に出しては言わなかったかもしれん。独り言呟いても虚しくなるだけだしな。でもそこは流石に察しろよタクシー、お前も相当のアスペだろ?」

「なんだ、帰りたかったのか? すまぬが私は機械なのでな、口に出して言われなければわからないのだ――そうそう、今だから言うが、サンガリアの集落に主殿を導いたのは、エリウ殿に初めて遭遇した際、彼女ならば必ず主殿をより良く導いてくれるという確信を持ったからだ。あの時、主殿は気付かなかったかもしれないが、私は主殿のハンドル操作からほんの少しずつずれた方向に走り、エリウ殿が現れた方角目指して進んでいた。そして、運良くサンガリアの集落に辿り着いたというわけだ」

「……そう……だったのか」

「うむ。今の主殿を見るに、私の見立ては間違っていなかったと考えて良さそうだな」


 何から何までタクシーのお陰だったってことかよ……まあ、結果オーライだからいいけど、掌の上で転がされてたみたいで、ちょっと悔しさを覚える。会話を聞いていたエリウが、俺の顔を見つめながら言った。


「救世主さまは……元の世界に帰りたい……ですか?」

「あ? いや……俺は全然。こっちの世界の方が楽しいぜ。サンガリアには俺がいなきゃ何もできねえ愚民共がいるし、それに、こっちにいればいい女を抱けるしな」

「そう……ですか。よかった……」


 エリウはそう言うと、窓の外を流れる風景をぼんやりと眺める。

 助手席のガラスに映ったエリウの表情はどこか寂しげだった。俺が望めば、いつでも元の世界に帰ることができる――その事実が、彼女の心を曇らせたのかもしれない。エリウは何も言わなくなったし、俺も無理に声をかけようとは思わなかった。そんな俺達の気配を察したのか、タクシーも一言も喋らず(ほんとに人の心がわからないのかコイツは?)、車内にはしばらくの間タクシーのエンジン音だけが響いた。


 そして、野営地の東へ十分ほどタクシーを走らせた頃。


「あっ、救世主さま、あれ!」


 エリウが突然、左手の窓の外を指差した。ふと見ると、助手席側の窓ガラスの向こうには、青紫色の広大な花畑が広がっている。俺は左へ大きくハンドルを切り、花畑の近くでタクシーを停めた。

 ドアを開け、弾かれたように花畑へと飛び出すエリウ。ドレス姿で花と戯れるその姿はまるであどけない少女のようで、サンガリアの命運を背負って立つアランサーの使い手という雰囲気は微塵も感じられなかった。

 エリウは青紫色の花を一本だけ摘み、興味深そうにしげしげと眺める。


「綺麗な色……それに、とてもいい匂いがします。何でしょう、この花。ヒースの花とも違うみたいだし、初めて見る花です」

「ん~? これは……」


 エリウを追って花畑に入った俺は、エリウに顔を寄せ、手元の花を覗き込んだ。細い茎の先にビッシリと咲いた、米粒ほどの小さな花。この青紫と甘い香りは……。


「……ラベンダー、かな?」

「ラベンダー……? 救世主さまの国には、この花があるのですか?」

「いや、自生してるのは見たことねえけど、香水とか芳香剤では定番だし、ガーデニングとかもされてるんじゃねえかな? そんなに珍しい花じゃねえと思うけど」

「そうなのですね……こんな素敵な花、私は見たことがありません。とても心が安らぐ香り……もしかして、これもゴーマ人が持ち込んだ花なのかしら」


 見渡す限りのラベンダーはそよ風を受けて可憐に揺れ、風に運ばれてくる濃厚な甘い香りを嗅いでいると、何だか俺まで穏やかな気持ちになってくるような……。

 エリウはその場でしゃがみ込み、小さなラベンダーの花弁を撫でながら言った。


「ねえ、救世主さま」

「ん? なんだ?」

「救世主さまのこと、もっと教えてください」

「俺のことって……例えば?」

「例えば……そうですね。子供の頃のこととか」

「ガキの頃? 別に面白ぇ話はねえよ。成績は中の下、運動も似たようなもん、いじめられはしなかったが親しい友達もいなかった」

「へぇ……初恋の相手は?」

「忘れちまったよそんなもん」

「じゃあ……じゃあ、救世主さまの、本当の名前は?」

「……え?」


 つと立ち上がったエリウの、しっとりと熱を帯びた視線が、俺の水晶体を通り抜けて網膜に突き刺さる。


「救世主さまがいらしてからずっと一緒にいるのに、私、まだ貴方の名前を教えてもらっていないのです」

「そう……だったか?」


 エリウは小さく頷いた。

 俺は今一度サンガリアでの生活を振り返る。サンガリアの集落では着いた瞬間から『救世主』と呼ばれたし、名を尋ねられることもなかった。

 俺の所持品(免許証とか)意外に俺の名を記しているのは助手席の前にあるタクシーのネームプレートだけで、タクシーに乗ったことがあるのはヒトミとエリウの二人だが、ヒトミは俺のことを『運転手さん』としか呼ばないし、エリウはプレートの文字を読むことができない。


 だから、そう、言われてみれば、たしかにエリウには俺の名前を知る機会がなかったし、俺もわざわざ名乗りはしなかったのだ。


「……健太だよ。佐藤健太。向こうの世界ではごくありふれた名前だ」

「ケンタ……サトウ、ケンタ。ケンタって、どういう意味が込められた名前なのですか?」

「あー、元気にしぶとく生きろ、みてーな意味かな?」


 なんだか、あんまりケンタケンタと言われるとフライドチキンが食いたくなってくるな……。


「ふふ……救世主さまにぴったりの名前ですね」

「どこがだよ……」

「ケンタ……さん。私、貴方のことが好きです」

「……!」


 その瞬間、風もぴたりと止み、世界が完全に静止した気がした。

 澄み渡った空と一面のラベンダー畑、背景に聳える山は微かに雪化粧を残し、その只中に佇む、サフラン色のドレスに身を包んだ美しい女。


「口も態度も悪いし、女好きで、人を人とも思わない。預言に伝わるサンガリアの救世主なのに、人望は全然なくて、私がいないと民を束ねることもできない――そんな人のことが、どうしてこんなに好きなんだろうって、自分でも思います。でも、もうどうにも止められないんです。貴方のおかげで、私は生き返った。貴方がいるから、私はサンガリアの皆のために戦うことができる。貴方が他の女性と親しくしていると、イライラして、胸が苦しくなって……」


 なんだか、状況がよくわからねえんだが、もしかして、これ、

 告白……されてるのか?


「迷惑……ですよね、こんなの。貴方はたくさんの女性を愛したい。一人の女にこんな風に思われても、きっと邪魔なだけ。だから……だから、ちゃんと答えてください。私は、貴方にとって何ですか? もし単なる道具に過ぎないと言われたとしても、私は道具としての役割を全うします。貴方に救って頂いた命だもの、貴方の命令なら何だって従います。だから、救世主さま……」


 エリウの両目から零れ落ちた涙が大粒のダイヤモンドのように煌めく。

 告白されたことも、誰かに真剣に愛されたこともない俺は、エリウの気持ちをどう受け止めたらいいのかわからなかった。


「どうして……なんで、俺みたいなクズのことを、好きになれるんだよ?」


 自分で言うのも何だが、俺に男としての魅力なんて全然ねえ。金もねえ、顔も頭も悪ぃ、性格は最悪。女に愛される要素なんて何一つないのに。

 しかし、エリウは涙で濡れた頬に微笑を浮かべて言った。


「わかりません……でも、人を愛するのに、理由が必要ですか?」

「ヤるだけだったら、股を開けば誰とでもできる。けどよ、誰かを愛するって、それより遥かに重大なことじゃねえか……そんなに軽々しく……」

「軽々しくなんかありません。こんな気持ちになったのは、救世主さまが初めて。貴方だけなんです。それじゃダメですか……?」


 俺だけ……?

 こんなクズ野郎の俺を。

 今まで誰にも愛されず、愛することもできなかった俺を。

 エリウはじっと俺の返答を待っている。


「俺は……俺は……な、何て言えばいいんだ、こういう時……その、初めてなもんだから……でも、もう、お前のこと道具だなんて思えねえし……」


 だーっ、もう!

 一回りも年下の女が腹くくって告白してくれてるってのに、俺は何て情けねえんだ。

 深層意識のさらに奥に眠っていた、まだちょっぴり純情な少年だった頃の俺の心が、マグマのように沸々と湧き上がってきて、今、大噴火を起こそうとしている。

 こんなにいい女が、俺なんかのことを本気で好きだと言ってくれてるんだ。この想いに応えられなきゃ男じゃねえ。


「お、俺も、エリウのこと……一人の女として……す、好きだっ!」


 ああ、ついに言っちまった……。

 初めてアランサーの力を解き放った日の夜から、俺の中で少しずつ膨れ上がっていた未消化の感情。胸やけにも似たそのモヤモヤが、ようやく晴れた気がした。


「救世主さま……いえ、ケンタ……」


 俺の返事を受け取ったエリウは、固い蕾が花開くようにパッと満面の笑みを浮かべながら、こちらへ向かって駆け出してくる。


「お、おい……」


 助走をつけて俺の胸に飛び込んでくるエリウ。その勢いを受け止めきれず、俺の体はそのままラベンダー畑に押し倒され、ラベンダーの柔らかい茎と噎せ返るような甘い香りに受け止められた。


「い、いて……んぐっ?」


 痛ぇと呟く間もなく、柔らかい感触に塞がれる唇。エリウはうっとりと目を閉じて、唇に全神経を集中させている。

 唇から全身へと、心まで蕩けてしまいそうな熱い快感が駆け巡り、俺たちは暫くの間、時間を忘れて互いの唇を貪り合った。愛のある口づけってのは、こんなにも心が満たされるものなのか――。


 それからどれぐらい経っただろう。エリウが突然体を強張らせた。


「はっ、これは――」

「ん? どうした?」


 エリウはドレスの裾をたくし上げ、中で何やらもぞもぞと手を動かしている。おいおい、今日は随分積極的だな。これも愛のパワーか? ……と思ったのも束の間。エリウはドレスの中から、アランサーの収められた鞘を取り出した。


「見てケンタ、アランサーが!」


 興奮気味にアランサーを握るエリウ。昨日ロンディムを前にしてピクリとも動かなかったアランサーが、俺達の愛に応えたのか、鈍い光を放ちながら、今までにないほど大きくガタガタと震えているのだ。


「おお……これが、俺達の愛の力か……」


 エリウは大きく頷いた。


「これなら、ロンディムを攻略できる……!」


 アランサーが本来の力を取り戻せば、いかにロンディムが堅牢な城壁に囲まれていようとも、攻略は容易いはずだ。明日にでも再びロンディムを包囲し、今度こそサンガリアの都からゴーマ人を駆逐してみせる。

 だが、今は――。


 アランサーの力を最大限に引き出し、ロンディム攻略作戦の成功をより確実なものにするため、愛をもっと深めよう。

 ラベンダーの馥郁たる香りが漂う花畑の中、俺たちは日が暮れるまで、何度も何度も愛し合った。

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