進撃のゴーマ軍

 カムロヌムで軍議が開かれた日から三日後の夜。


 カムロヌムの南に広がる深い森、そのただ中に伸びる一筋の獣道を、武装した大勢の兵士が進んでゆく。陣頭には、サンガリア方面軍指令官及び元カムロヌム駐屯軍指揮官イーゴンの姿があった。

 サンガリアの謎の新兵器によってカムロヌムを追われて以来、残存部隊を再編成しながら奪還の機会を窺っていたイーゴン。そこに、カムロヌムに囚われているらしい妻・イリーナからの手紙が届いたのである。


 手紙の内容はこうであった。

 カムロヌムの街は野蛮にして暴虐非道なサンガリアの民によって略奪の限りを尽くされている。街は破壊され、市民は虐げられ、惨憺たる有り様であり、一刻も早く解放してほしい。

 だがそのためには、サンガリアの超兵器・アランサーを無力化する必要がある。

 大地を裂く剣とサンガリアの伝説にある通り、アランサーと正面からぶつかっても勝ち目はない。だが、アランサーが真の力を発揮するためには、アランサーを振るう女剣士エリウと、突如現れたサンガリアの救世主、この二人が揃っていなければならない。サンガリアの軍は相変わらず軍隊と呼ぶのも躊躇われるほどお粗末なもので、アランサーを無力化できれば、ゴーマ軍の勝利は火を見るよりも明らかである。

 つまり、女剣士エリウか救世主、このどちらか一人を殺害あるいは拘束できればよいのだが、エリウの方は聡明で剣士としても一流の腕を持ち、全く隙がない。エリウを狙うのは得策ではないだろう。


 だが、救世主の方は隙だらけだ。

 救世主とは名ばかり、色狂いのこの男は、朝から晩まで女を抱き、自堕落な生活を送っている。イリーナ自身も救世主の性奴隷として捕らえられ、毎晩のように口にするのも悍ましい行為を強要されるのだが、イリーナはこの男のどのような要求に対しても常に恭順の姿勢を見せているため、うまく話を持っていけば、街の外までおびき出すことも可能かもしれない。


 そこで、イリーナは一計を案じた。カムロヌムの南側には深い森が広がっており、闇夜に紛れながら森の中を進軍すれば、気付かれる可能性は低い。ゴーマ軍の動きに呼応してイリーナが街の南のはずれに救世主をおびき出し、救世主を捕縛した上で一気に攻め込めば、カムロヌムの奪還は赤子の手をひねるようなものだろう、と。


 行商人からこの手紙を受け取ったイーゴンは、人目も憚らず小躍りした。この策があれば、憎たらしいサンガリアの野蛮人共をカムロヌムから駆逐できる。救世主と呼ばれる男の首を手土産に本国へと帰還すれば、さらなる地位と名誉が手に入るだろう。また、サンガリアの若き女剣士エリウは、剣の腕もさることながら、絶世の美女であると聞く。女剣士を生け捕りにできれば、あとはお楽しみである。


 そう、サンガリアの救世主も無類の色狂いらしいが、イーゴンもまた、負けず劣らずの女好きなのだ。しかも、若い女が大好物。イリーナとは結婚して十年以上経つが、ここ数年はさすがに倦怠期で、夜のほうも没交渉になっている。イーゴンの精力が衰えたわけではない。イリーナより一回りも若い愛人がいるからだ。

 サンガリアによるカムロヌム襲撃の際も、イーゴンは隠れ家で若い愛人と共に過ごしていた。敵襲に対する対応が遅れたことも、イリーナを連れて脱出できなかったのも、つまりはそういう事情である。

 実のところ、サンガリアの民は相当の野蛮人であるし、イリーナはとっくに殺されているものと思っていた。十年以上連れ添った夫婦なのだから、悲しくないわけはない。とはいえ、イーゴンの興味は既にカムロヌムから共に脱出した若い愛人へと移っており、近いうちにその愛人と結婚する腹積もりであったのだ。


 だから、イリーナが生きていることを知ったイーゴンは、少々複雑な心境だった。というか、ぶっちゃけ、イリーナを救出するモチベーションは全く上がらなかった。

 だってさあ、元々倦怠期であんまり興味なくなってた上に、サンガリアの野蛮人に捕まって、今は敵の救世主の肉便器にされてるんだろ?

 仮に救出に成功したところで、また妻として愛せるかって言われたら、ちょっとねぇ。そりゃイリーナは美人だし、年の割には顔も体も若いけど、ゆうて三十手前のアラサー女である。肌の弾力もみずみずしさも、若い愛人には遠く及ばない。酷い言い草だが、死んでくれてたほうが何かと話が早かった。


 しかし、サンガリアの人智を超える新兵器に関する情報と、カムロヌム奪還の具体的な作戦の提供は、イリーナ生存の煩わしさなど消し飛ぶほどに有益だった。カムロヌムさえ奪還できれば、野蛮人に敗れた将軍という汚名を雪ぐことができる。イリーナの処遇などは些末な問題、後でゆっくり考えればいいのだ。


 カムロヌム奪還のため、イーゴンはサンガリア方面軍の大部分を引き連れていた。彼は決して無能な司令官ではなく、カムロヌム周辺の地形は知悉している。南に広がる森林地帯に細い獣道があることも勿論知っていた。イーゴン自身がカムロヌムを脱出する際にも、その獣道を使ったぐらいである。イリーナの作戦通り、闇に紛れて森の中を進軍すれば、奇襲の成功は疑うべくもない。

 鋭く伸びた灌木の枝に幾度となく頬を擦られながらも、イーゴンの頭の中は、数週間ぶりに踏むことになる懐かしいカムロヌムの石畳と、美貌の女剣士エリウの柔肌への期待でいっぱいだった。


 森の中を進軍すること二時間あまり。イーゴンは予定通り、イリーナからの手紙にあったカムロヌムの南へと到着した。辺りに人の気配は感じられない。イリーナは首尾よく救世主をおびき出せているだろうか。

 それにしても、街のすぐ近くまで来ているはずなのに、サンガリアの護衛の兵士の姿すら見えないとは。新兵器を手に入れたとはいえ、寡兵で武装も貧弱なサンガリアの軍の窮状が窺い知れる。俺の名声に泥を塗った野蛮人共め、カムロヌムの奪還が成ったら、女子供まで根絶やしにしてやるぞ――あ、いや、女だけは助けてやるか。若い女だけはな、フフフ。


 と、イーゴンがほくそ笑んだ直後のことであった。


「ふぁ~~~っはっはっはっはっは! ゴーマ軍の諸君、遠路はるばる大儀だったな! お前らの労に免じて、一瞬でカタをつけてやるぜ!」


 突如として空から降ってきた、不快極まりない男の哄笑。驚いて頭上を仰ぎ見ると、6パッスス(約9メートル弱)はありそうな櫓の上に火が灯され、その明かりの中に、三人の人影が浮かび上がる。

 一人はすぐにわかった。ウェーブのかかったダークブラウンの髪、見紛うはずもない、あれは確かにイリーナである。そしてもう一人、長い黒髪を夜風に靡かせ、その手に細身の剣を握った美しい女剣士。噂に違わぬ美貌、おそらくあれが女剣士エリウであろう。

 ということは、二人を従え、高笑いしながらイーゴン達ゴーマ軍を見下ろすあの男こそ――。


「ふっははははは! おいゴーマ軍! 何かこの世に言い残すことがあるんなら、今のうちに唱えておくことだ! 俺とエリウの聖剣アランサーが、お前たちを地底深くまで引きずり込む前にな!」

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る